みちのくの山野草

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生き急いだ松田甚次郎

2019-03-01 14:00:00 | 甚次郎と賢治
《『土に叫ぶ人 松田甚次郎 ~宮沢賢治を生きる~』花巻公演(平成31年1月27日)リーフレット》

 さて、「雨乞い祈願」の無理が祟って松田甚次郎は病に伏すことになってしまったという。そして、倒れてから一週間が過ぎた日付の、病床の松田が花巻の宮澤清六に宛てた手紙の内容は、
 あれから熱が三十九度五分を前後して毎日苦しい病床、道場の生活も何も考えず、読まず、見ず、遂今日迄九日がすぎました。もう何も欲しくない。平熱が欲しいだけであると謂いつづけて参りました。けれども昨日の午後二時より夕立があり、一時間、この乾き切った地上に慈雨が豊かに降りそそいでくれました。田にも畑にも山にもみな四〇日ぶりのこの慈雨、音と光りとにじっとして感謝をささげたのでした。
 今朝は少し熱が下がり、机に向かって熱で疲労した指の関節部分の運動をして居ります。本日までに出さねばならない「時局情報」八月号の原稿五枚を、この熱の静かな時間に書こうと思って居ります、
 見前の吉田六太郎先生は毎日激励のハガキを下さいますが、この熱で一寸も動けないのです。では失礼します。
 宮澤清六様                                                        松田甚次郎
              <『「賢治精神」の実践【松田甚次郎の共働村塾】』(安藤玉治著、農文協)218p~>
というものであったと、安藤玉治は紹介している。
 この手紙からは、病に倒れてしまった甚次郎の重篤さが目に見えるようだが、一方ではそのような中にあっても、雨乞いの甲斐あって慈雨が降ったことを、雷鳴と稲妻の中で喜んでいる甚次郎の素直な人間性と自然に対する畏敬の念が窺える。
 しかし、慈雨は降ってもあいかわらず甚次郎の高熱は続き、あげく心臓内膜炎を併発してしまい、8月4日の午前9時に甚次郎はついに帰らぬ人となったという。「雨乞い祈願」から一ヶ月も経たずに、しかもなんと享年35歳のあっけない最期になった、ということなども安藤は前掲書の中で述べていた。
 実は宮澤賢治もそうだったのではなかろうかと私は思っていたのだが、甚次郎も賢治同様”生き急いだ”としか思えてならない。緩やかな自死を両名とも望んでいたのではなかろうかとさえも思ってしまう。
 そして翌々日の、8月6日に田宮真龍が住職を務める如法寺にて甚次郎の葬儀はとり行われ、戒名は鳳祥院円通共働居士ということで、『最上共働村塾』の”共働”が戒名に含まれているという。
 さらに、約一ヶ月後の9月5日に部落会、最上の会共催の追悼式が挙行されたという。そのときの宮澤清六の弔辞は、
 私共の燈火であり、舟筏であり、源泉であったあなたが、突然この世界を去られまして、天と称ばれる世界においでになられましたことは、私どもをまったく驚愕させ、いまなお激しい悲しみの中にあります。
     …(投稿者略)…
 正しく語り、正しく行い、正しく念じ、正しく進まれたあなたの御生涯の立派さ、堅く道を信じて疑いと悩みを遮り、偏に道を念じてはよこしまの想いを破られたあなたの勇猛心、内に菩薩の行を深く秘して、外には方便のために種々の相を現ぜられました荘厳さ。まさしくあなたの御生涯は菩薩道でありました。…(投稿者略)…
             <同230p~>
であったと安藤玉治は教えてくれる。
 たしかに、松田甚次郎の場合にはその実践を知れば知るほど、まさに甚次郎の「生涯は菩薩道で」あったと言えるとことを私も確信する。

 なお昭和18年には、花巻の宗青寺でも松田甚次郎の追悼式

             〈『拡がりゆく賢治宇宙』(宮沢賢治イーハトーブ館)95p〉
が行われており、花巻の人達も甚次郎を慕いなおかつ尊崇していたということが容易に窺える。
 また、安藤玉治によれば、
 生前甚次郎は賢治のそばに自分の遺骨が埋葬されることを望んでいたので、甚次郎の遺骨は分骨されて賢治詩碑の横に埋められている。
            〈『「賢治精神」の実践』(安藤玉治著、農文協)231p〉
ということである。 

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      〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守
               電話 0198-24-9813

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