みちのくの山野草

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千葉恭の職場について

2019-03-02 12:00:00 | 賢治と一緒に暮らした男
《千葉恭》(昭和10年(28歳)頃、千葉滿夫氏提供)

 簡単に判るだろうと思って始めたあの「日」及び「期間」の確定作業であったが結局判らずじまい、しょぼくれて徒然に本を眺めていた。
岩手年鑑ルート
 そんな時たまたま手にしていたのが昭和13年版の『岩手年鑑』(岩手日報社、昭和12年12月25日発行)であった。するとなんと、その年鑑には県職員等の名簿が載っており、穀物検査所の職員の氏名も載っているではないか。もしかするとと期待しながらその名前を追っていくと、
  黒澤尻出張所検査技手 立花兼更木派出所
      千葉 恭
という記載がそこにあるではないか。しめたこれだ、『岩手年鑑』の他の年のものも同様に調べればいいのだ。そうすれば千葉恭がいつから穀物検査所に勤め始め、いつ退職し、いつ復職したかがほぼ判るはずだとほくそ笑んだ。
 私は小躍りしながら早速岩手県立図書館に行って大正13年から昭和30年までの『岩手年鑑』の閲覧を願い出た。ところが残念なことに、これらの期間の全ての『岩手年鑑』を県立図書館は所蔵しているというわけではなく、あったのは次の年のものだけであった。
  昭和3年~6年、同8年~13年、同18年、22年~30年
そしてこれらの中で県職員等の職員名簿がありなおかつ千葉恭の名前が出ていたのは
     昭和8、9、10、11、12、18年
の分のみであり、それぞれ次のような事柄が分かった。
・昭和8年  岩手県穀物検査所二戸郡福岡出張所検査員(9月末時点)
・昭和9年    〃  黒沢尻出張所立花、二子兼更木派出所検査員 (10月末時点)
・昭和10年    〃  (11/20時点)
・昭和11年    〃  (11/20時点)
・昭和12年  岩手県穀物検査所黒沢尻出張所立花兼更木派出所検査員 (11/20現在)
・昭和18年  岩手県食糧管理事務所久慈出張所検査技手(5/1現在)
なお、昭和6年版については職員名簿(昭和6年8月末現在)は載っていたが、穀物検査所の氏名欄に千葉恭の名前の記載はなかったから、
・千葉恭は昭和6年の8月末時点では穀物検査所に勤めていなかった。
ということにはなる。しかし、残念ながらこれら以外の年の『岩手年鑑』については同図書館では所蔵していなかったり、所蔵していても職員名簿が載っていない『岩手年鑑』ばかりであったりであった。
 したがって、上記の事柄だけが岩手県立図書館所蔵の『岩手年鑑』より知ることが出来た千葉恭に関する全てであり、『岩手年鑑』によって穀物検査所を辞めた時期、復職した時期等がある程度解るのではなかろうかという目論見はあえなく潰え去ってしまった。
 しかし諦め切れない私は、発行元の岩手日報社本社に行けば『岩手年鑑』の全てを見せて貰えるのではなかろうかと思い立って本社に直接問い合わせてみた。しかし残念ながら、本社の事情も県立図書館とさほど変わらず、全ての年の『岩手年鑑』を保管しているということではないという。たとい岩手日報本社に行ったとしても不明な年の全て埋めることは出来ないということを覚るしかなかった。
 結局、『岩手年鑑』ルートからあの「日」及び「期間」を探ってみようという試みは中途半端に終わり、残念ながらそれらを推定するまでには至らなかったのである。多少のことは知り得たのではあるのだが。
穀物検査所ルート
 さてこうなると残されているのは…と思いめぐらしてみると、まだやっていなかったことがあるではないか。千葉恭が勤めていたのは穀物検査所、後には食糧管理事務所だったからこのルートがら探ることがまだ残っているではないか。
 そこで先ずはインターネットで岩手県の穀物検査所や食糧管理事務所に関して検索してみたが、そのものズバリはヒットしないし、関連する役に立ちそうな情報も得ることが出来なかった。インターネットでは埒があきそうにもない。
 ならばと、これらの役所はいまはどうなっているのだろうかと思って再び岩手県立図書館に行って、岩手の穀物検査所や食糧管理事務所に関する資料の閲覧を願い出た。するとそこに所蔵されてあったのは穀物検査所に関するたった一冊の薄い冊子だけであり、その冊子には千葉恭に関しても役所の詳細もついても載っていなかった。逆に、現在は穀物検査所はもちろんのこと食糧管理事務所さえも存在していないということをそこで知るはめになった。となれば岩手の穀物検査所や食糧管理事務所がかつて所有していたであろう資料等はもう存在していないのではなかろうか。したがってこのルートから千葉恭に近づくことはもう無理であると覚った。もう考えられる他の方途は見つからない、一切を諦めるしかないのだろうか。
 しかしもう一人の私が言う、下根子桜時代の賢治の活動の評価や真相解明は千葉恭がかなり重要な鍵を握っているはずなのに、なぜこれほどまでに彼のことが賢治研究家によってほとんど調べられて来なかったり公にされていなかったりしているのだろうか、このことをこのままにしておいていいのかと。そして、自力でもうこれ以上アプローチ出来ないというのならば他人の力を借りればいいじゃないかと。

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