みちのくの山野草

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長者窮子の譬え

2018-06-27 10:00:00 | 法華経と賢治
《『100分de名著『法華経』』(植木雅俊著、NHK出版)の表紙》

 さて、四大声聞が譬えたという「長者窮子の譬え」については、テキストによればおおよそ次のようなものだという。
 ある資産家の息子が幼い時に出奔した。父親は探し回ったが見つからなかった。その後50年ほど他国を流浪しある家の近くにたどり着いたのだが、ひどい目に遭いそうだと思ってそこを逃げ出した。
 それを見て父親は彼が息子であることに気付き連れ戻したのだが、「俺は死にたくない」と言って気絶してしまったので、父は「このまま対面しても私が父親であることを信じることはできないだろう」と考え、水を浴びせて解放した。
 そして父は一計を案じ、侍者に命じて「いい仕事が、肥溜めの汚物を処理の仕事があるから一緒に働かないか」と誘わせ、実は父の家で働くことになった。息子は真面目に働き、徐々に父の身の回りの世話もするようになった。
 やがて晩年を迎えた父は、息子にすべての財産の管理を任せた。ところが息子は全く無欲だった。
 そして臨終の間際、父は「皆さん、この男は何十年も前にいなくなった私の実の息子です。一切の財産を掌握しているこの息子に財産のすべてを贈与します」と宣言。一方息子は「この上ない宝物を求めずして自ら得た」と語った。
           〈『100分de名著『法華経』』(植木雅俊著、NHK出版)43p~〉

 そしてこの譬えは、著者の植木氏によれば、
 菩薩の教えを自分は無縁なものと考えて、自ら求めようとしなかった声聞たちも、実は菩薩であった、すなわち成仏できることを知った喜びを表明する譬えです。
            〈〃44p〉
という。ちなみに、声聞や菩薩については以前転載させてもらった下表

            〈〃39p〉
のような関係だということだから、ここで一つ解ったことは、たしかに「法華経」は小乗と大乗の対立を止揚しようとしていることである。そしてもう一つ感じたことが、「求めずして自ら得た」というパラドクスがあり、これが先に論じられていた「パラドクシカルな肯定による融合」の一つでもあるのかな、ということである。

 そして、植木氏は、
 「長者窮子の譬え」の貧しい息子は、まさに真の自己に目覚めた、あるいは喪われた自己を回復したのです。
             〈〃46p〉
と結論付けていた。

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