みちのくの山野草

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2524 高瀬露は悪女ではない(関登久也1)

2012-02-18 08:00:00 | 賢治渉猟
 今回は関登久也の『宮澤賢治素描』を見てみたい。

 というのは、前回の最後
  〝「賢治○○」の著者〟とか〝彼の友人〟
とはそれぞれ誰であるかを教えてくれそうなのが『宮澤賢治素描』に載っているあるエピソードであろう、という意味のことを述べたからである。 
1.「面影」より
 関登久也の『宮澤賢治素描』に「面影」というタイトルの回想が載っていて、その中には賢治が関登久也の家を訪れた際の次のようなエピソードがある。
 …亡くなられる一年位前、病氣がひとまづ良くなつて居られた頃、私の家を尋ねて來らてました。それは賢治の知合の女の人が、賢治を中傷的に言ふのでそのことについて賢治は私に一應の了解を求めに來たのでした。
 他人の言に對してその經緯を語り、了解を得る様な事は曾て賢治にはなかつた事ですから、私は違った場合を見たやうな感じを受けましたが、それだけ賢治が普通人に近く見え、何時よりも一層親しさを覺えたものです。其の時の態度面ざしは、凛としたといふ私の賢治を説明する常套語とは反對の普通の親しみを多く感じました。
……①
<『宮澤賢治素描』(関登久也著、眞日本社)160p~より>
 一方、前回のもの
 私は、「賢治○○」の著者から、病床の彼にその後のT女の行為について話したら、翌日大層興奮してその著者である彼の友人の家にわざわざ出かけて来て、T女との事についていろいろと弁明して行つたと、直接聞いたのである。その時はそんなにむきになつて弁解した賢治を一寸おかしいと思つたぐらいであつたが、その後にその手記が発表となり、後日「賢治○○」の著者の性格を知り、その後で又このようなDさんの話を聞くに及んで、この手記成立の理由が私には明確に解けたのである。……②
<『四次元44』(宮沢賢治友の会)13p~より>
というものであった。
2.私の判断
 そこでこれらの①と②を見比べてみると、ここで語られているエピソードは同一のものではなかろうかということがまず判る。そして次の等式が成り立つであろうことも。
  〝彼の友人〟=関登久也
とすれば〝「賢治○○」の著者〟とは誰か。おそらく、次の近似式が成り立つであろう。
  〝「賢治○○」の著者〟≒森荘已池
 そこで、①及び②から以下のような3項目が言えるではなかろうかと私は判断した。特に①は巷間知られている賢治の言動からはかけ離れているが、賢治と同じ法華経信者でなおかつ親戚の関が語る賢治に関することなので素直に信じていいと思うからである。
(1) 賢治が亡くなる1年位前(昭和7年)の一旦病気が良くなった頃に、森荘已池が賢治にその後の露の行為についての話をした。
(2) すると翌日賢治は大層興奮してわざわざ関登久也の家を訪ね、露が賢治のことを中傷的に言ているので賢治は関にその弁解をし、了解を求めた。
(3) その際関は、かつて賢治が他人の言に対してその経緯を語って了解を求める様なことはなかったから、賢治の違った場合を見たような感じを受け、それだけ賢治が普通人に近く見えていつもよりも一層親しさを覚えた。その時の賢治の態度面ざしはいつもの凛としたものとは異なり、そ反対の普通の親しみを多く感じた。
なお、これらの考察は後ほど行いたいが、一言だけここで触れておきたいことは次のことである。
 なぜ露と関登久也の家が関係あるのかというと、関登久也の妻ナヲと露とは花巻高等女学校の同級生だったので二人は友人であったからのようだ。

 さて、佐藤勝治が「賢治二題」で主張していることが全て正しいか否かはいまのところ私には判らないのではあるが、佐藤の言いたいことはこれで一応了解できた。そしてもしそれが真実であるとするならば、私にも「この手記成立の理由」がだんだん分かってきたような気がする。
 
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