みちのくの山野草

みちのく花巻の野面から発信。

他人の助けを借りて

2019-03-03 10:00:00 | 賢治と一緒に暮らした男
《千葉恭》(昭和10年(28歳)頃、千葉滿夫氏提供)

 いくつかの方途であの「日」及び「期間」のことをここまで探ってきたのだが、「日」及び「期間」どころか千葉恭の出身地さえも全く確定出来ない。もうこなると他人の力を借りるしかない。
宮澤賢治研究家菊池忠二氏
 そこで訪ねたのが宮澤賢治研究家の菊池忠二氏である。以前、松田甚次郎のこと等に関して教えてもらいたくて訪ねたことがある地元の宮澤賢治研究家の一人であり、実証的なアプローチを大切にしている方である。すると菊池氏は
 「私も千葉恭のことは気になっていて、以前恭が食糧管理事務所盛岡支所長時代に直接本人を事務所に訪ね、取材を試みようとしたことがある。ところが訪ねた時間帯が悪かったせいか体よく恭に取材を断られてしまった
と打ち明けてくれた。また、
 「伊藤忠一に千葉恭のことを訊ねてみようとしたこともあったが、忠一からは言下に『そんな人は知らない』と言われてしまった
ということも同氏は教えてくれた。
 ただし、残念ながらその「日」及び「期間」についてははっきりとは分からないということであった。つれない千葉恭本人の取材拒否、にべもない伊藤忠一の返事に対してC氏はさぞかし落胆したことであろうと同情するとともに、もうこうなると他人に頼るという方法は閉ざされてしまったと私は肩を落とすしかなかった。私が知っている宮澤賢治研究家はその当時他にはいなかったからである。
救世主A氏
 またしても途方にくれてしまった私は、宮澤賢治研究家菊池忠二氏でさえもかくの如くであったのならば素人の私としてはやはりもう諦めるしかないのだろうかとすっかりしょげかえってしまった。二進も三進も行かなくなった私は先輩のA氏にそのことを愚痴ってしまった。A氏とは私の趣味の一つ「山野草」の師であり、時々近隣の山々に連れて行ってくれる方である。そしてそのA氏は博覧強記、山野草のみならず宮澤賢治に関しても造詣が深い方でもある。そこでその先輩に「千葉恭という人物のことを知りませんか」と訊いてみた。するとそれが思わぬ展開となっていくのだった。A氏は
 「待てよ、私の知り合いのDさんならば千葉恭のことを知っているかも知れない、いつかDさんに訊いてみるから」
と請け負ってくれた。私はもう千葉恭に近づくことは絶望的なのだろうかと思っていた頃であり、A氏のこの一言は私に一縷の望みを再び灯させてくれた。
 そしてしばらくしてA氏から嬉しい知らせがあった。
 「Dさんから例の件を訊いてみたところ、千葉恭の息子さんのFさんという方が胆沢町に住んでおられるようだから、あとは直接Dさんに連絡してみなさい」
という。A氏が救世主に思えた。やった!これで切れかかっていた千葉恭との糸が再び繋がったと安堵した。
D氏からの紹介
 私は胸を高鳴らせながらD氏に連絡を取った。するとD氏は
 「胆沢町に千葉Fさんという方がいて、Fさんは千葉恭の息子さんです。住所は分からないが胆沢図書館に問い合わせれば分かると思う」
と教えてくれた。切れかかっていた糸が少しずつ太くなって行くような気がした。
 私はA氏とD氏に感謝しながら時を置かずその胆沢図書館に問い合わせた。
 「私は千葉恭という人物のことを知りたいと思っている者ですが、Dさんから貴館ならばその息子さんである千葉Fさんという方の住所を知っているはずだということを教わりました。是非教えていただけないでしょうか」
と。すると受話器の向こうから
 「しばらくお待ち下さい」
との声。期待と不安を抱きながら待っていると程なく
 「それでは調べて後程連絡いたします」
という返事をもらった。私は心のうちで快哉を叫びながら、お礼の言葉を添えて受話器を置いた。おそらく良い報せが届くはずだと確信した。
 それにしても以前訪れた大船渡市立図書館といいこの度の奥州市立胆沢図書館といい、図書館という組織やそこの職員の方々はとても親切で誠意のこもった対応をしてくれるものだとつくづく感心した。また、もちろんC氏、A氏、D氏各位にも感謝したい。いままでは全く近づけずにいた千葉恭にもしかするとかなり近づけるのではないかということになったからである。そして、人の繋がりが大切なんだということも改めて学んだ。

 続きへ
前へ 
 ”「殆ど無視されてきた千葉恭」の目次”へ
 ”みちのくの山野草”のトップに戻る。

 賢治の甥の教え子である著者が、本当の宮澤賢治を私たちの手に取り戻したいと願って、賢治の真実を明らかにした『本統の賢治と本当の露』

             〈平成30年6月231日付『岩手日報』一面〉
を先頃出版いたしましたのでご案内申し上げます。
 その約一ヶ月後に、著者の実名「鈴木守」が使われている、個人攻撃ともとれそうな内容の「賢治学会代表理事名の文書」が全学会員に送付されました
 そこで、本当の賢治が明らかにされてしまったので賢治学会は困ってしまい、慌ててこのようなことをしたのではないか、と今話題になっている本です。
 現在、岩手県内の書店での店頭販売やアマゾン等でネット販売がなされおりますのでどうぞお買い求め下さい。
 あるいは、葉書か電話にて、『本統の賢治と本当の露』を入手したい旨のお申し込みを下記宛にしていただければ、まず本書を郵送いたします。到着後、その代金分として1,620円(本体価格1,500円+税120円、送料無料)分の郵便切手をお送り下さい。
      〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守
               電話 0198-24-9813

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 本日は松田甚次郎生誕110周年... | トップ | 福寿草紀行(3/2、松倉山の裾) »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

賢治と一緒に暮らした男」カテゴリの最新記事