気の向くままに

山、花、人生を讃える

神様に公開質問

2009年06月24日 | 人生
神様への質問を書いて、我ながら恥ずかしくなっていったんは破り捨てましたが、あゆみさんのコメントを読んで、「恥ずかしい」なんて思う必要はないと思いなおし、むしろ、質問した方がいいと思って、あらためて書き出してみました。

別に公開する必要はないのですが、公開するのも悪くないと思って、公開する気になりました。
(と言っても、公開してないものもありますが)


神様、回答よろしくお願いします。

○わたしは、今まで何回生まれ変わっていますか?

○機関の仕事に就いたのは、何を学ぼうとしていたのでしょうか?

○お袋は、幸せにしていますか?

○わたしは、これからも何か仕事に就くべきですか、それとも他にこの方が良いということがありますか?

○退行催眠中の光たちとの対話では、今鬱症になっている人も「それで順調だ」と、何もかも「順調」という答えが返ってくるようですが、わたしが高校時代落ちぶれたことも、他のこともすべて「順調だった」のでしょうか?
今はそれで「良かった」と思えるのですが、それとも、本当はこの方が良かったということもありますか?
あるいは、どの道を歩いていたとしても、優劣はなく、それぞれに、どれも順調ということですか?。
本当のところはどうなんですか?

○今のわたしに何か一言お願いします。


とりあえずは、これぐらいの質問が並びましたが、これからも折にふれて質問を紙に書いて、神棚に供えていこうと思いました。
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「10代のための神との対話」から

2009年06月23日 | 読書

今日は家内のアッシー役の後、ついでに久しぶりに本屋さんへ寄りました。
目的のテイラー博士の「奇跡の脳」はなかったので取り寄せてもらうことにし、精神世界のコーナーを見ていたら、「10代のための神との対話」という本を見つけたので購入し、読み始めました。


「神との対話」の著者が、ある読者から「どうしてティーンエージャーのための神との対話はないのか」と質問され、「若い人の質問はわたしにはわからないから」と答えたところ、「若い人に聞いてみればいいじゃないか」と言われて、さっそく若い人から質問を募集したとのこと。そして、たくさんの質問が寄せられました。

世界中から寄せられたたくさんの質問のうちの一部を適当に抜き書きしてみました。

○なんで頭の良い子と悪い子がいるの?
○親たちも学校も、みんなどうしてあんなにプレッシャーをかけてくるんだ?
○なんで大人は変な規則ばかりつくるの?
○慈悲深いはずの神様が、なんでそんなに偏狭で、ほかの人たちの考え方を受け入れようとしないの?
○恵みの神って言うけど、あなたがくれるのは罰ばかりじゃない?
○大人って自分は尊敬されたがるけど、子供のことは軽く見ているよね?
○人気のあるいい子ちゃんグループと付き合うべきか、それとも見捨てられてる落ちこぼれの子たちと付き合うべきなのか、どうしたらいいかわからない。なんでみんな、そうやってグループにわかれちゃうのかな?
○神様ってどんな感じ?どういう気持ちがするの?
○神はどこからきたの?
○ねえ、神様、聞いてる?わたしがお祈りしたら「ちゃんと聞いてるよ」ってサインくらいくれてもいいんじゃない?
○聖書には「あなたの敵を愛しなさい」と書いてあるけど、普通の人にそんなことできる?
聖人ならともかく、わたしみたいな普通の人間には、そんなこと無理だと思う。
○神様が幸せに出来るんだったら、なんでこんなにたくさんの人々が苦しまなければならないの?
○人生なんて意味がない。ボクにとってはぜんぜん無意味だ。なんか言うことある?
○何故黒人と白人がいるのですか?

これらの素朴で素直な質問に対しての対話を読んでいくと、ワクワクしてきて、神と10代の子供たちの対話の生き生きしさに、青春に戻っていくような気がしてきました。

それで、「もし、神様が質問に本当に答えてくださるなら、自分なら何を聞きたいだろう?」と、いくつかの質問を書いてみました。すると、なんと、これらのティーンエージャーたちの質問より低レベルの質問ばかりが出てきて、実は若返ったのではなく、精神年齢は10代と一つも変わっていないことが分かって、苦笑い。
恥ずかしくなって、書いた質問をクシャクシャと丸めて捨ててしまいました。


水田が、もうこんなに青々としてきました。

6月2日


6月23日

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読書と抜き書き

2009年06月18日 | 読書
今日は図書館で借りていた増山たづ子さんの写真集の返却日。
わが町の蔵書ではなく、他の市町村から借りたものなので、もう見る機会もないだろうと、返却前に「まえがき」や「あとがき」を全文抜き書きさせてもらいました。
パソコンはこういう点は非常に便利だと思う。手書きではとてもそんな気は起こらないに違いない。
それを思うと、昔の人は実にえらいものだと感心させられます。

勝海舟などは貧乏旗本で、正月の餅も買えないぐらいだったそうで、若かりし頃、せっせと本屋へ通い立ち読みしていると、その熱心さに心打たれた店の主が、「貸してあげるから好きな本を持って行きなさい」と声をかけてくれた。

勝海舟は喜んで持って帰り、そのオランダ語辞書を、なんと二冊分を紙に写し取り、それを綴じて本にし、一冊は自分のもの、後一冊は人に売り、その得た金をまた本代にしたとのこと。
日本海軍の礎がここに始まっていることを思うと、ひとしお、その偉大さに心打たれます。

吉田松陰は、読書の1/3だったか半分だったか、その数字ははっきり覚えていないが、抜き書きに費やすべしと教えています。

それを見習って、わたしも抜き書きするように心がけているのですが、なかなか思うようには進みません。以前、ずいぶん抜き書きしていたのに、パーにしてしまった時には、本当にがかっかりしました。

さて、増山たづ子さんの故郷 わたしの徳山村写真日記  (発行1983年9月23日)≪あとがき≫からの抜き書き。

○生まれ育った大事な故郷が水の中に沈んでしまうと思うと、写しても写しても限りない愛情が沸いて来まして言葉では表現できませんが、また写しまた写しする中に、今は2万枚を超えるほどになりました。これからも足腰が動く限り大事な故郷のお葬式を最後まで見届けて死にたいと思います。

○わたしたちの大事な故郷の山や川、皆共同体の生活で仲の良かった人々、また不思議なご縁でそれぞれ遠くから徳山村に来て下さった心優しい人たち。たとえ、もうその人たちとお逢い出来ることがなくとも、その人その人の面影が故郷と共に心から消えることはありません。本当によき人たちとめぐり逢えましてわたしの人生は幸せで有難うございます。皆様のお幸せをお祈りいたします。本当にありがとうございます。

文章から、故郷を追われる悲しみを超えた、深い思いがにじみ出ていて、ジーンとさせられます。
増山たづ子さんのことを多少なりともを知ることができ、またこのような心情に触れることができて有難く思います。

図書館へ返却に行くと、うれしいことに、頼んであったもう1冊、同じく増山たづ子さんの娘時代のこと、かつての村の生活、風習、当事者からみたダム問題、自然を愛する気持ちなどについて書かれた本、「ふるさとの転居通知」届いていました。楽しみです。


昨日は伊吹山へ行きました。写真はその時の花たちです。

   イブキフウロ                      キバナノレンリソウ
 

   コバノミミナグサ                    クサフジ
 

   ハルジオン                       キバナハタザオ
 

   クサタチバナ            
 

   グンナイフウロ                    イブキトラノオ
 

   カノコソウ                      ヒヨクソウ
 

   ニッコウキスゲ                    クルマバソウ
 

   シモツケソウ                     キイチゴ属
 


雨上がりの昨日は比較的視界も良く、琵琶湖も対岸までのぞめ、気ままにのんびりと山頂の花畑の中を散策させてもらいました。


   それぞれの山に向かいし梅雨晴れ間

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「関係」の中で生きる

2009年06月13日 | 人生
「ブナ清水」はユートピアのような良いところでした。
こんなところで、のんびり過ごせたらいいだろうなあと思います。
でも、長くて1日ですね。何のストレスもないし、何も考えることがなくなってしまって、きっとすぐ退屈になってしまいそうです。

でも、やはりいいところ、精神のオアシスです。
人間社会の中で疲れたら、また、こんなところへ来たくなるでしょう。
そして、元気を回復したら、また人間社会の中へ戻りたくなるでしょうね。

実相世界と、現象世界の関係も、これと似たような感じなのかなと思います。
そんな意味で言えば、初心者様が、書いてくださった「実相世界は退屈だ」というのは、うなづけない話ではないと思う。

多分、谷口雅春先生の著書にも言い方は違うと思いますが、きっと、このようなことが書かれているところがあるだろうと思います。

自分の記憶にはないけれど、「こんなことが書いてあった」と気づかされることが多いので、そのような観点で読んでいくと、「あ、やっぱりあった」になるんじゃないかなと思う。

人間は、人と人との関係がないところではきっと生きてはいけないのでしょうね。
他人というものがなくなり、すべてが自分になってしまったら、他との「関係」というものがなくなってしまう。やはり、これは退屈だと思う。
そのために、「全」が「個として存在するようになったのでしょうね。
コメント (10)
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おばさん行状記

2009年06月11日 | 
おばさんは、今日もどこかへお出かけです。



あれ?おばさん、何してはるんだろう?



やあ、ブナを見上げてる。



あら、大きな石の上に頬杖ついて・・・幸せそうだね、おばさん。



あれあれ、今度は石の上に乗っかってるよ。座禅したいのかな。



おいおい、それゃないだろう。粗大ごみ扱いはやめてよ。



そうそう、ニコニコ。



おばちゃんは今日も幸せでした。
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初心者様のコメントへの返信

2009年06月10日 | 読書
初心者様からいただいたコメントへの返信ですが、長くなりすぎたことと、「小さな魂と太陽の話」の補足の部分もあるので、本欄へ書かせてもらうことにしました。


初心者様、うれしいコメントをいただきありがとうございます。

>今回のテーマは、人が信仰を続けるうえでもっとも大切なことではないかと、わたくし、個人的には思っているわけですが、意外と関心はもたれていないようですね。

>なぜこの現象世界は存在するのか。そこのところを明らかにすることからすべては始まると考えている・・・

いやあ、うれしいですねえ。同感です。
わたしと初心者様はよく似ているようですね。同じように考えている共感者がいてくれてとてもうれしいです。


楽園追放を「実は人類最初の祝福だった」という点についてですが、「神との対話」の中では、ざっと、次のように書かれていました。

「人間は、楽園に住んでいた。すべてが完璧で、文字通りパラダイスに住んでいた。
しかし、そこがパラダイスであることもわからなかっただろう。何故なら、あなたがたはパラダイス以外には何も知らなかったのだから。」

パラダイスをパラダイスと認識できるのは、パラダイスでない状態を経験することによって、何がパラダイスで何がパラダイスでないかを、はじめて経験的に知ることができるわけですね。
そのような意味で、最初の祝福だったということが書かれていました。

これは、初心者様が掲示板に書かれ始めた頃の「アインシュタインは宇宙定食が嫌い?」の中で書かれている、「自分が何者であるかということを知るのは、たとえ神様でも簡単ではありません。自分が何者であるかを知るためには自分以外の存在が必要だからです。」と、全く同じですね。

なぜ、自分がこの世に生まれてきているのか?
実相を顕現するため。

これだけではどうも腑に落ちなかったことが、「小さな魂」などの例え話によって、よく理解できた気持ちになりました。
と、同時に、「神真理を告げ給う」を初めて読んだ時と同じように、「知らせてあげたい」という神様の愛が感じられて、感動しました。

だから、初心者様の冒頭に引用させてもらった部分、とてもよく理解できます。
ああ、自分と同じだなあと思いました。

さて、
アダムとイブの楽園追放について、「あれは人類の最初の祝福だった」というとらえ方と、
初心者様の下記のとらえ方とは「同じと考えることはできないでしょうか?」とのこと。

「アダムとイヴのエデンの楽園追放の話は、実相が出てきたことよって人類の苦難がはじまった、といことを象徴的にあらわしたものだと私はにらんでいる。実相が出てくる前の旧来の秩序はそれなりの平衡状態にあって、アダムとイヴも旧秩序の中でそこそこしあわせに暮らしていたはずだ。そこへ実相があらわれてきて旧秩序とのあいだに戦いがはじまり、平衡状態は破壊されてしまった。これがエデンの楽園追放の真相なのだ、と私は考えている

それについて述べさせていただく前に、「霊魂進化の神示」から、その要点を以下に引用させてもらいます。

○「神の子」なる人間の実相を現象世界に実現するのが人生の目的である。  (1)

○神の子なる実相人間も、その投影を現象界に完成するには、大体一定の時間を要し、植物が日光に逢い、雨露に逢うが如く、或いは幸福に恵まれ、或いは虐運と戦うことによって、ついに実相人間の現象界への投影を完成するのである。  (2)

○現象世界に実相人間を顕現する過程を心次第で縮めることも長くすることもできるのである。
霊魂進化の過程を短縮するのは、念の浄化による。
念の浄化には、実相を悟ることが第一であり、物質欲にとらわれざるが第二である。  (3)

以上、(1)、 (2) 、(3)と、分けましたが、
(1)は、初心者様の言う「なぜこの現象世界は存在するのか」ということに、関係することですね。
「楽園追放は祝福」ということも、「小さな魂」の話もこの部分での話で、人間がこの世に生きていく上で、とても大切なところだと思います。

(2)は、実相が現象界へ投影していく過程の話。
また、なぜ苦しみや、虐運があったりするのかという話で、これを理解することも生きていく上で、やはり大切ですね。

初心者様の「実相が出てきたことよって人類の苦難がはじまった」というのは、(1)と言うより、以下に続く文章から考えるに、この(2)部分での話のように受け取れましたが、どうでしょうか。

「真理があらわれるとき、人生には風雪の季節がやってくる。これを避けて通ることはできないかも知れない。しかしたとえ風雪の季節であったとしても、それは実相が出てくるためのプロセスなのであるから、いさぎよく受けるよりほかはあるまい。」

これは、初心者様に「どうか?」と、聞かれたから答えているだけで、(1)であろうが(2)であろうが、どうでもいいことだと思います。ただ、(1)、(2)、(3)のうち、どの部分で話をしているかは、はっきりさせておいた方が、話が紛らわしくならなくていいと思うので書かせてもらっています。

(3)は、実相を速やかに現象界へ現し出すにはどうすればよいかという話。
「現象なし、実相のみがある」という話をされる時は、この部分で話をされているわけですね。

どれも、これも抜くことが出来ない大切なことばかりですが、個人個人によって、また、その時々によって、どの部分の話が、より救いをもたらしてくれるかは変わってくるかもしれませんね。

いずれにしても、いま、わたしと初心者様が感じていることは、似ている気がして、うれしくコメントを読ませてもらいました。ありがとうございます。
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小さな魂と太陽の話

2009年06月08日 | 読書
≪本からの引用≫

かつて、自らが光であることを知っている魂があった。
「わたしは光だ」とそれは言った。「わたしは光だ!」。

だが、いくら知っていても、いくら口に出してみても体験にかえることはできない。この魂が生まれた領域では、光しかなかった。どの魂も偉大で、どの魂もすばらしく、どの魂もわたしの神々しい光を受けて輝いていた。

そこでは、その小さな魂は、まるで太陽の前のロウソクのようだった。
偉大な光の中では、その光の一部である魂は自らを見ることができないし、自分が何者であるかも体験できない(表現できない)。

その小さな魂は自分自身を知りたくてたまらなくなった。あまりに知りたがるので、或る日、わたしは言った。
「小さいものよ、その望みをかなえるにはどうすればいいか、わかるか」
「どうすればいいのですか、神様? わたしは何でもします!」
「お前は、わたしたちから離れなければならない」とわたしは言った。
「そうして、闇を求めなければならない」
「闇というのはなんですか、聖なる方?」と小さな魂は尋ねた。
「それはお前ではないものだ」とわたしは答え、小さな魂は理解した。

そこで、小さな魂は全体から離れ、別の領域に行った。
その領域ではあらゆる闇を体験することができた。そして、闇を体験した。

その闇のさなかで、魂は叫んだ。
「父よ、父よ、どうしてあなたは私を見捨てたのですか?」
例えば、あなたがたが暗闇にいるときのように。

だが、わたしは一度もあなた方を見捨てたことはない。常にそばにいて、本当は何者であるかを思い出させようとしているし、いつも、我が家に呼び戻そうとしている。

だから、闇の中の光になりなさい。そして、闇の中にいることを呪ってはいけない。また、自分が何者であるかを忘れてはいけない。もっとも大きな試練が、もっとも偉大な勝利になる可能性がある。

このたとえ話をしたのは、どうして今のような世界になったのかを理解させるため、そして、誰もが現実の奥に秘められた神聖な真理を思い出せば、その瞬間に世界が変わりうることを、もっとよく理解させるためだ。


以上は、非常に感動させられた話なので、ニール・ドナルド・ウオッシュ著「神との対話(1)」から、ほぼそのまま抜粋させてもらったものです。

わたしたちがなぜ現象世界に生まれてきているのかということが、「神真理を告げ給う」の中で語られていることと、好一対をなしていて、非常に面白いと思う。

この本の中では、アダムとイブが蛇の知恵に騙されてリンゴの木の実を食し、楽園追放されたことを、「あれは、人類最初の祝福だった」ということになっているのですが、「神真理を告げ給う」でも、地上天国建設という神の計画に入っていることになっており、「迷いと見えるものは、実は悟りの道程である(煩悩即菩提)」と書かれているのを思い出します。

雅宣先生もブログの中で、その楽園追放物語について、「このように解釈することもできるのである」と書いておられ、その部分をワードに保存していたつもりなので探してみましたが、見つけることができませんでした。また、探してみます。 最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
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あゆみさんのコメントを読んで

2009年06月06日 | 人生
増山たづ子さんといい、ジェフェリー・アイリッシュさんといい、偉い人がいるものですね。
ジェフェリー・アイリッシュさんの紹介をありがとう。

土喰というのは九州のどこかと思って探してみましたが、熊本だね。

自分の愛読書の一つにアメリカ人が書いた「神との対話」という本があります。
それは、どうしたら人類が、長く平和に豊かに暮らしていけるかというテーマにそって議論されているものですが、その中で、神が――本当に神かどうかはともかくとして――そのための指針として、宇宙の他の天体の高度に進化した星の暮らしぶりについて書かれているところがあり、アイリッシュさんの記事は、そんな星の世界を彷彿とさせてくれるものでした。

昨日、増山たづ子さんの写真集が届いて、さっそく見せてもらいましたが、「心の豊かさとは何か」を、しみじみ教えられる気がしました。そして、このような豊かな文化を一つ破壊してしまったんたなと思いました。
利便さを求めて、自らの生活環境を破壊していくばかりでなく、こうして心の豊かさまでだんだんに失って行ってしまうんだなということを実感させられました。

>徳山ダムができてしまったことは悲しいし、とてもむごいことだと思う。けど、確かに良いとか悪いとか言っても仕方ないのかも。世の中には大勢の色んな人間がいて、善もあれば悪もあり、我欲やら慈悲やら、感情やら理性やら、それらが合わさって個人の力ではどうにもならない大きなうねりを生み出して、個人を飲み込んで動いていくから。行き過ぎては戻り、また行き過ぎては反対に振れる。増山さんじゃないけど「あたえられた運命の中から、希望と夢を持って」生きていくしかないね。苦労や苦悩が人を磨いて、輝かせたり、美しいものを生み出したりもするし、単純じゃないね。

いやあ、素晴らしいねえ。感動しましたよ。
書けそうで書けなかったことが、この短い文章にすべてが見事に凝縮されているではないですか!
いや、おだてているんではないですよ。本当に感動しました。
日常会話では、とてもこんな密度の高い話は出てこないと思う。
だから、多くの人にいろんなことを書いてもらいたいと思うし、読ませてもらいたいと思う。

誰が悪いということではなく、一人一人が、どこまで意識を変えられるかにかかっていると思うのですが、その意味で、あゆみさんの一連のコメントはとても有難いものでした。

これからも、遠慮なく、思ったこと、感じたこと、何でもいいから、どしどし書いてほしいと思います。
ただ、返信は必ずしもできるとは限らないから、期待しないでもらえれば有難いと思います。

追伸1
「神との対話」には、「今は黙っている時ではなく、騒ぐ時だ。だから大いに騒ぎなさい」と、ありました。

追伸2
「冠山」のコメント欄が多くなりすぎたし、話題も冠山とは別の、意義深いものでもあるので、本欄に書かせてもらうことにしました。
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籾糠山

2009年06月05日 | 
籾糠山は標高1744m。
白川郷から車で30分の天生峠(1290m)から登ります。
緩やかな登りを30分ほど行ったところに、高層湿原(1400m)があり、そこには水芭蕉やリュウキンカ、タテヤマリンドウが咲いていました。





水芭蕉とリュウキンカ



湿原を通り過ぎると、いよいよ楽しみにしていた桂の巨木のお出迎え。
そしてそのまわりはニリンソウやサンカヨウで埋め尽くされ、何という素晴らしいところだろうと大感激でした。






巨木を後にして、桂の原生林の中へと進みます。



その奥には桂の老木が5本も立ち並びんでいて(写真では3本)、いよいよ感激しながら、わたしたちは谷沿いの道を登っていきました。谷沿いの道でもサンカヨウがいたるところに密集し、花を咲かせ、鈴鹿では4月に咲くキクザキイチゲも、終わりかけながら、まだ所々に咲き残っていました。



高度を上げていくと、谷沿いの斜面にはまだ残雪が見られ、わたしたちを喜ばせてくれました。






谷を上り詰めて稜線に出るとムラサキヤシオが迎えてくれました。
また白樺と間違えそうなダケカンバが目立つようになり、光を受けようと広げた白い枝が、緑の中に映えて印象的でした。
うまく撮れた写真がないので、変わりに天に伸びた写真を掲げます。
(遮るものがないので、枝は広げていません)



山頂直下からの展望



山頂は狭く、10人も座れるかどうかぐらいの広さでしたが、さいわい数人のグループが下山した後だったので、180度の展望を楽しみながら食事をとることができました。
御岳と乗鞍が彼方にうっすらと見え、北アルプスは山頂付近に雲がかかっていたのが残念。
記念写真を撮った後、西側の尾根筋「ブナ探勝路」を下山路とし、ブナやシラビソの原生林の中をたどりながら再び湿原に戻り、湿原をのんびり散策して帰路に向かいました。

シラビソ



ブナの巨木(樹齢350年超えているかな?)



ブナの梢を見上げる(2枚)



≪今日見られた花々≫
       緑のニリンソウ(普通は白)             キヌガサソウ
 

       イワナシ                     紫のミヤマカタバミ(普通は白)
 

         キクザキイチゲ                ミツバオウレン
 

       リュウキンカ                    ツバメオモト
 

       調査中                       ムラサキヤシオ
 


   ≪おまけ≫熊の爪痕



最後まで見ていただきありがとうございました。
コメント (7)
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山と旅 (2)

2009年06月03日 | 
あちらこちらの見学を終わって、白川郷を目指しました。
白川郷に近づくと、国の重要文化財、旧遠山家がありました。

旧遠山家(築180年)。
写真に写っているのは3階までですが、5階まであり、伊勢神宮の建築美を絶賛したブルーノ・タウト(世界的な建築家)が、周囲の自然に溶け込んだような、この合掌造りも絶賛したそうです。
昭和43年まで使用されていたとのこと。









裏側風景





裏庭に咲いていた九輪草



16時に世界遺産「白川郷」に到着。その一画にある温泉宿「白川郷の湯」でチェックインを済ませ、さっそく郷内を散策することにしました。白川郷内に入った時には、日曜日とあって大勢の人が散策していましたが、5時ごろには大方の観光客もいなくなり、2時間あまりの静かな散策を楽しむことができました。



以下は白川郷内の風景です。












お寺の境内にあったイチイの古木。岐阜県の天然記念物。





































白川郷は田植えの終わった時期で、水田と合掌造りとが何ともよく調和していて、実に素晴らしいところでした。カメラ好きの同僚がよくここへ訪れていましたが、なるほどと大いに納得されました。
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山と旅 (1)

2009年06月03日 | 
31~1日と1泊で岐阜県の北部、富山県との県境に近い籾糠山へ行きました。
せっかく遠くまで出かけるのだからと、籾糠山に近い世界遺産の白川郷に1泊することにし、途中、阿弥陀ヶ滝、白山中居神社、石徹白(いとしろ)の大杉、太平洋と日本海の分水嶺、ひるがの高原の湿原に寄り、たくさんの巨樹や草花を見てきました。

31日は予報通りに途中まではかなりの雨量でしたが、最初の目的地に着く頃には雨も上がり、雨上がりの最高の日和となりました。

わたしは「阿弥陀ヶ滝」以外は初めて、家内はすべてが初めてのところで、特に白山中居神社と樹齢1800年の石徹白(いとしろ)の大杉は、以前から行きたいと思っていたところで、大満足の1日となりました。


阿弥陀ヶ滝(落差60m)。修行僧が滝に打たれている最中に阿弥陀仏を拝したという。



阿弥陀ヶ滝と満開のトチノキ。
公園ではよく見るが、野生のトチノキの花は初めて。



阿弥陀ヶ滝近くにあった古木。樹名は不明。



白山中居神社は信仰の山「白山」(2702m)の登山拠点ともなっていたところ。
境内は樹齢300年を超える杉が林立していました。鳥居をくぐったところ。



参道から



岐阜県指定の天然記念物「浄安杉」。白山中居神社裏の山を登ったところにある。



清流沿いにも満開のトチノキ。西洋トチノキをマロニエという。
イギリスでは花の時期の日曜日、さながら花見のように楽しむとのこと。



国の天然記念物、「石徹白(いとしろ)の大杉」。推定樹齢1800年。幹回り13m。



太平洋と日本海とを分ける分水嶺。



分水嶺公園にはいろいろな花が咲いていました。
エビネ



キンラン



ベニバナイチヤクソウ



ひるがの湿原植物園ではカキツバタ、レンゲツツジ、リュウキンカの盛りでした。
コウホネ


コウホネ


レンゲツツジ
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