気の向くままに

山、花、人生を讃える

素晴らしきかな「生長の家」練成会

2016年07月12日 | 信仰

蝉が鳴きはじめ、いよいよ夏本番ですね。

8日~10日は練成会でした。今回の参加者は221人でした。9日の午前中はかなりの雨量だったのでそれが影響して前回より少しの減少でした。しかし初参加者は12人あり、素晴らしい成果でした。

私のメモノートが講話のメモでいっぱいになり、メモしたものを最初から読み直していると、思わず目頭が熱くなるものがたくさんありました。

○自分がまだ幼い時、3人の小さい子供を残して家出した母を恨んでいたが、生長の家の教えを学ぶうちに感謝できるようになった。(こんな明るい人が、こんな暗い過去があったとは)

○亭主は働かない、姑は意地悪。自分ほど不運な女はいないと思いつづけていた。そんな或る日、練成会に誘われて参加した。それから悪いのは自分だったと気づき、すべてが変わっていった。(今はバリバリで明るく輝くあの先生だ)

○18歳の娘が心臓弁膜病で瀕死の状態にあった時、夜も寝ないで必死に聖経を上げ続けた(1日に35回読誦した)。そして弁膜病は治り、結婚し、今も元気でいる。

○練成会を受けた後、木の葉に光が当たって葉の一つ一つがきらきらと輝くその美しさに感動した。あの時のことは今も鮮明に記憶に残っている。ある日、母に流産児が3人いたことを知り、1ヶ月間真剣に供養した。それからその流産児たちが自分を護っていてくれるようになった。流産児たちによく話かけたりもしている。(なるほど、これはあの先生だな)

○生長の家の申し子のように生命学園で明るく活躍していた息子が20歳の若さで旅立ってしまった。主人は、息子が死んだのは自分が無理に働かせたせいだと自分を責め、大変気落ちしていた。ところが数年後、見知らぬ女の人が訪ねて来てこう言った。『あなたの息子さんは今も元気で働いている。そして、僕が死んだのは決してお父さんのせいなんかではないといっている』と。事情を聴くと、次のような話であった。その女性は霊眼のある人で、亡くなった息子さんは苦しめる人々を導いていることを霊眼で知った。そして、その亡くなった息子さんが、このことをぜひ私の両親に伝えて欲しいと頼んだ。しかし、見ず知らずの人を訪ねてこんな話をするのも気が進まなかったので、始めはうっちゃっていた。しかし、その後も2度、3度と頼まれるので、こうして尋ねて来ました、という話だった。それで、息子が死んだのも天命だったのだと納得でき、私が講話をしている時にはいつも息子がそばにいてくれることを感じるようになった。(これは実に感動的な話でした。この先生は、今75歳ぐらいかと思いますが、疲れを知らない元気いっぱいの本当に素晴らしい先生です)

 

こうしてかつては苦しみ自分の人生を嘆いていた人たちも、本当の自分を発見し、救われていくんですね。自分の身近なところにこんな素晴らしい人たちがいると、それを如実に教えてくれるのも練成会の良さですね。人生、何という素晴らしいことか! 有難きかな人生、有難きかな神よ!

 

                合掌す 君のいのちに

                礼拝す われのいのちを

                聖なるかな 神の愛ぐし児

                聖なるかな 神の愛ぐし児    ≪聖歌「いのち柱の歌」 作詞 谷口雅春≫

コメント (2)
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