気の向くままに

山、花、人生を讃える

責任感と無責任 2

2009年04月26日 | 人生
さて、前回の続きですが、
彼の生き方ととわたしの生き方について、人としてどうあるべきかを考えさせられてきたわたしにとって、びっくりさせられたのは、本の中にあった次の言葉でした。

○いいかね。自由に好きなように行動している人よりも、しなければならないことをしている人の方が、ずっと大きな被害を与えてきたんだよ。

というところでした。
自分の生き方が正しいと思っていたのに、正しいどころか、ずっと大きな被害を与えてきたというのですから本当にびっくりしました。

徳久先生の「結婚の幸福」という講和テープの中にもありましたが、泥棒しない人は、泥棒を見ると腹が立つ。反対に泥棒するような人は泥棒している人を見ても腹が立たないということを話されていましたが、同じように、「・・・べきである」と思っている人は、それを他へも要求するのが普通であろうと思います。それで、私もそれが正しいと、人にも要求する気持ちがあったのですが、そういう気持ちが人に被害を与えているというわけでした。

生命の実相の中に、母親の「勉強しなさい」という縛る心が、子供を勉強から遠ざけているという話が書かれていますが、職場でも、この原理は同じで、縛ろうとする心は、人にも自分にも知らず知らずのうちに何らかの被害を与えてしまうんですね。

それで、「解放の時」で書きましたように、自分自身が解放され、他への「責任は果たすべき」という要求も捨て、「人はお互いに自由なんだ」ということを、よくわからせてもらいました。そして、それだけ自分も楽になり、他を縛りながら、自分自身をも縛っていたんだなと思いました。

人はそれぞれに自由であり、主人公であると思う。
わたしもうれしいことに、「自由」ということがわかるにつれて、「主人公」いうことも分かるようになり、自然に「しなければならないからする」ではなく、「したいからする」の気持ちになってきました。「したいからする」になると、気持ちがまた楽しくなってきますね。
職場の彼も、釣りきち浜ちゃんも、「したいことをする」お手本なのだと思います。

生命の実相の中に、「わたしがこんなにしてやっているのに」という「のに」が問題であるということが書かれていますが、この「のに」というのは「しなければならないことをしている」人なのだと思います。

自分が主人公となり、「自分が勝手に、したいからしている」、ということになれば、「のに」は出てこなくなると思う。また、愛さなければならないからではなく、愛したいから愛するに変わってくると思う。

このように、
縛りからの解放→自由の自覚→主人公の自覚→自発的行為→さらなる解放

このようなサイクルに乗らせてもらって、人生、だんだんにうれしく、楽しくなってきているわたしです。

そうそう、タイトルが「責任感と無責任」としてしまったから、それらしい結論にしないといけませんね。では、

○責任感とは、責任を持つべきであると考えることではなく、責任を果たしたいという気持ちのことである。

○無責任とは、人が勝手に貼りつけたレッテルであり、ある立場からの一面感にすぎない。
そして、人は好むと好まざるとにかかわらず自分の人生に責任を持っており、無責任ということはあり得ない。


出かける予定でしたが、天候が芳しくないので中止し、これを書いてしまうことにしました。
聞いていただいてありがとうございます。




セリバオウレン(キンポウゲ科)  4月6日撮影
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責任感と無責任

2009年04月25日 | 人生
映画「釣りバカ日誌」を一度は見たことがあるという人は多いだろうと思います。

鈴木建設営業三課に勤める主人公の浜ちゃんは楽しく人生を生きているが、無責任男である。
彼の上司である課長は責任感のある真面目人間である。そして、いつも胃薬を飲んでいる。
課長が胃薬を飲むのは、その半分は、遅刻、早退、ずる休みの常習犯である浜ちゃんのせいだ。
浜ちゃんがいなければ、課長も胃薬から解放されるに違いない。

ところが、この浜ちゃん、営業三課の人気者なのである。
勝手気ままに、明るく、楽しく人生を生きている・・・からである。
人々は浜ちゃんにあこがれる。
「彼のように勝手気まま、自由に生きられたらいいなあ!・・・」と。
彼は、人々の夢の体現者なのである。それが人気の所以である。
(ちなみにわたしの夢と憧れはホームレスです)

しかし、だからと言って、こんな無責任でいいだろうか?
当人は、無責任に、自由に楽しくて生きて、それでいいのかもしれないが、課長は、その為にいつも胃薬を飲まされているではないか。
他の若い人が真似を始めたらどうする?
他の者に示しがつかないではないか?
などなど、こんな疑問もわいてくる。

実は私の職場にも、わたしと同じ年の、この浜ちゃんのような無責任な、そして楽しい人気者がいました。そして、わたしはこの映画で言えば課長でした(胃薬は飲んでませんが)。
彼は、ちょっと難しいような仕事からはいつも逃げて、云わば、やらなければならないことをしない人間でした。
そして、わたしは、やらなければならないことをしなければならない、責任は果たさなければならないと思っている、人間でした。
だが、彼は楽しくて人気者であり、職場を明るくする貴重な存在でした。
そこで、わたしはいつもあれこれ考えさせらていたのでした。

かれと、わたし。そして、「釣りバカ日誌」。
おかげで、このことから、素晴らしい答えを与えらました。
こういう問題が起きてくるのも、結局、自分自身を救うためだったんだなあと思います。

さて、その答えとは?

続く (2,3日あとの予定です)




ヒトリシズカ(一人静)
義経の愛妾、静御前の舞姿からの名称。 4月13日撮影
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水晶岳(954m)

2009年04月24日 | 
4月23日、近くで、手軽に登れる山を新規開拓しようと、久しぶりに初めての山へ向かった。
この日の天候は、山の上に雲が覆いかぶさり、時折晴れるのみであったが、昼ごろから次第に晴れ間が多くなった。終日風は強く、絶えず木々を揺らしていた。



芽吹き。




クロモジ(クスノキ科)  木の枝は香りがよく、爪楊枝に使われる。




最初のピーク。白い花崗岩の砂礫は遠くから見ると雪が積もっているように見える。
ここから 3kmの稜線漫歩が始まる。(標高900m)





ブナが数本固まっていた。




キャンプ場(登山口)のある谷を見下ろす。




断崖を彩るアカヤシオ。




アカヤシオはこんな花(ツツジ科)
この近辺の山はアカヤシオが有名。山の斜面をいろどり壮観。例年より1週間早いとのこと。





稜線からの山並。




四日市港、伊勢湾を望む。
双眼鏡では係留している船舶までよく見えた。




この日の最高点、水晶岳(標高954m)。標識も何もない。
まだ先が長そうなので、立ったままおにぎり2ヶ。




橋がかかったようなやせた尾根を行く。こんな道を歩くのは気持ちがいい。
アセビがあちらこちらで咲き残っていた。(写真左側。下の白い部分がアセビの花)




山肌が美しい。「山笑う」




稜線はまだまだ続くが、今日はここが終着点の峠。ここから元のキャンプ場へと下る。
その前に・・・




ここで、コーヒータイム。
誰もいない広々とした湿原状の大地。絶えず鶯が鳴いている。
そこでは、よく見ると・・・




ようやく、萌えだしていた。ゼンマイ・・・かな?




下り途中のミヤマシキミ(ミカン科)




シロモジ(クスノキ科)




ホソヘカエデ(カエデ科)




堰堤を滑り台のように流れ落ちる水。




着いた・・・。
主の帰りを待つ愛車。山が笑ってます。


草花はなかったが、眺望よく、地形は変化に富み、たっぷり楽しめました。



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解放のとき

2009年04月20日 | 人生
うららかな晴天の日曜日。
まさに山日和ですが、残念ながら、娘が来るというので自宅待機でした。

娘が来ると、見事な蘭の鉢植えを手にしていて、還暦祝いのプレゼントだとのこと。
デンドロビュームという種類だそうで、レモン色が見事です。すっかり魅せられてしまいました。
それにしても、男にとって娘はいつまでも花のような存在ですね。

ちなみに、のんびりと家にいる次男坊は、気のない口調で「あ、そうお。おめでとう」でおしまい。(笑)  ・・・いかにも、らしくて可笑しかったです。
わたしも、父の還暦のとき、「ふーん」でおしまいでした。

わたし本人はと言うと、いよいよ60歳になったか・・・という思いはあっても、それが還暦とはあまり結びつかず、「還暦?あ、そうお」という程度なもの。
ただ、60歳まではともかく大丈夫という、なんとない自信があったので、生命保険に加入しないできたので、まずはめでたし、めでたしと思っています。

ところで、女性は生まれつき「育てる、育む」という志向が備わっていて、いわゆる「愛」を持っているように思われるのですが、それに比べると、自分が例外なのかもしれませんが、男性は一般に自己中心的で、「自分の思うように」という志向で生きている気がします。
(他の男性の方違っていたらすみません。ちなみにわたしの血液型はO型です)。

もっと言えば、自分でもなかなか気づかないところに「支配欲」というようなものがあるのではないかという気がします。例えば「俺の言うことに従え!」というような。
少なくとも、自分はそうだったと今ははっきり言える。もちろん今でもたっぷりありますが。
そのことに気付かされたのは、自分が、多少なりとも開放されてからでした。

それから、開放されて気づいたのですが、「正しくあれ、清くあれ、男らしくあれ」と、何か外から強制されるようなものを感じていたように思います。純粋に内からの「かくあれ!」というものだったらいいのですが、そうではなく、外から、あるいは神からそれを要求されている・・・。そして、自分も他に要求するようなところが多分にあったように思います。

ところが、そうではなかった。
「ねばならぬがない教え」といわれている通り、外から強制するものは何もなかったのですね。
神様が書籍をとおして、そういう強制や縛りから解放してくれたのでした。

「わたしはあなたがたに何も要求していない。わたしが望むことはただ一つ。あなたがたの望むことが実現することだけだ。(その為に、言葉という道具を与えた)」

「わたしは、すべてのすべて。すべてがすでに備わっている。だから必要とするもの何もないし、何も要求するものもない」というわけですね。
で、わたしも神様に何も要求されていない。完全に自由。ただ、愛されている!
それが神様の愛だという。

ジーンときました。解放とともに神様の愛を感じ、涙がこぼれ落ちました。
初めて神様の「愛」を感じた瞬間でした。

うれしいですね。わたしたちは何者からも、何も要求されておらず、完全に自由なんですね。
どんな自分であろうと、ただ愛されている!

だから、わたしにとっての愛とは、まず、自分の接する人たちに「かくあれ!」と要求するのをやめること。できるだけ、無条件に「放つ」こと。それから、できればそういう神様の愛を、聞いてくれる人に話すこと。こういったことが、今のわたしにとっての「愛の基本」であるような気がしています。
ありがとうございます。

≪写真:ザゼンソウ≫
座禅しているように見えるから、ザゼンソウだそうです。
良くいく山に、ちょっと季節を変えて行ってみたら、この4月にやっと巡り合いました。
植物園で3月に初めて見たのですが、山では初めてでした。背丈はおよそ10センチほど。
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映画「ジェネラル・ルージュの凱旋」

2009年04月18日 | 映画
2月だったかに、「ジェネラル・ルージュの凱旋」という映画を見ました。
これは救急医療現場の問題点を取り上げた社会派映画で面白く見応えのあるものでしたが、主題とは離れた別のところで非常に感動させられたシーンがありました。

それはどんなことかと言うと、どこかで大惨事が起こり、ある病院の救急センターに救急車から受け入れ可能かどうかの連絡が入るのですが、堺雅人演ずるセンター長は受け入れ可能である返答をします。そして、惨事にあった救急患者が運ばれてきます。次から次へと連絡が入り、救急患者が次々に運ばれてきます。救急センターのスタッフの一人は、「これ以上は無理だ。やめてくれっ!」と叫ぶのですが、センター長は構わずに次から次へと受け入れ、最後には、電話応対者に向かって「全部引き受けろ!」と号令します。


話は、個人的な小さなものになりますが、
わたしがはじめて新米機関士として乗船して行った時、担当機器の一つに乗組員の食料となる肉や野菜を保冷するための冷凍機がありました。それで、まず注意されたのが、「不調になったら、その冷凍機のそばで寝るぐらいでないとだめだぞ」と言われました。乱暴なようですが、これがその頃の常識で、実際に不調になれば、いろいろ調整したりして寝ずに番をしていました。

また、車で言うターボチャージャーという機器がトラブルを起こした時は、機関部総員で連続2日間の徹夜で修理したことがありましたが、海上ですから、誰も応援に来てくれるわけでもなく、自己完結しなければならないのだから、過重労働などと文句を言うものはなく、酒盛りをした時には皆、満足感が漂っていました。

その後、フェリーに職場を変わったのですが、船が新しくなるにつれて近代化され、乗組員の数は減り、それに連れて時間と人手を要する仕事は陸上業者に頼まざるを得なくなり、だんだんにプロを志向することができにくい環境になっていきました。

プロか?それとも歯車か?
かけに出るか、安全策か?
組織という枠の中では、多くの現場で、このような命題を抱えているのかもしれませんね。


再び、映画「ジェネラル・ルージュの凱旋」ですが、
「これ以上は無理だ、やめてくれ!」と、スタッフの一人が叫ぶ。
その通り、誰が見ても無理だ。
しかし、救急医療センター長はかまわずに受け入れていく。
最後は「全部引き受けろ」と号令する。

気違いにならないとできないことですね。
でも、その気違い的行為に、本当に感動させられました。
しびれるような感動の中で、人は「気違いになって飛び越えたい!」という欲求が、深いところで渦巻いているのかなと思いました。


≪写真:芽吹き前の雑木林≫

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春の山で

2009年04月15日 | 人生
4月に入って晴天が続き、退職後しばらくは自分へのご褒美として、思う存分、山を楽しませてもらうつもりでいましたが、おかげで気候よし、季節良しで、思いっきり春の山を楽しませてもらっています。

雑木林の中のなんと明るくのどかなことでしょう。
もろもろの鳥は囀り、春の草花が、そして木々の花がわたしを迎えてくれる。
気温が高いせいで、4月の山というのに日差しが暖かくて本当に匂うような山の春に、否が応でも、うれしくなってきます。

家内も2回に一度ぐらいのペースで付き合ってくれるのですが、一人で行く時は、自分の思い通りに行動できるし、同伴の時は、喜びあえる相手がいてこれまた楽しいものです。

谷口雅春先生の「人間死んでも死なぬ」という本の中に、先だった夫から残された奥さんへの通信でしたか記憶は定かでありませんが、ともかく、生前二人であちらこちらよく歩いた思い出がとても美しく語られている場面がありました。わたしにはそれが深い印象となって残っていて、山を歩きながら、その印象がよみがえってくることがあり、そんな時には、自分が思っている以上に大切な時を過ごしているような気がしてきます。

小さな花をしゃがんで写真に撮るのは、手ぶれを起こしやすいし、ピントも合わせにくいので失敗のないように何枚も撮りまくるのですが、そんな時は完全に時間など忘れてしまっていて、ふと気付いたときには、時間なき世界に入っていたような気がして、一期一会の、なんだかすごい大切な時間だったような気がします。

先日、やはり夢中になって寝そべって花の写真を撮っていたとき、犬のような動くものがふと視界に入り、そちらへ目をやると、数メートル先を狸がとことこと登山道を横切り、そのまま斜面を下って行きました。
山中でこんな近くにタヌキを見るのは初めてのことで、「袖触れ合うもタヌキの縁」、まさに一期一会のうれしい瞬間でした。

若い頃は二人で散歩していると、近所の人が「まあ、仲がいいこと」などと、冷やかす人もありましたが、最近は夫婦でウォーキング楽しむ方も多く、微笑ましくていいですよね。
道端の花やのどかな風景を楽しみながらの散歩は、身近な中にも新しい発見もあり、本当にいいものだと思います。

勝海舟は回顧談の中で、平時によく市中を歩きまわり、それが楽しかったこと。そして、どこに何があるか市中の様子もよくわかって、いざ官軍を江戸へ迎え撃つという時、そのことが作戦計画に非常に役に立ったということを述べていました。(無血開城となって、喜ばしくもその作戦は使わずに済みましたが)

日本歴代のノーベル賞受賞者も口をそろえて、自然に接することを推薦しているのですが、たとえ短時間でも、忙しい日常を離れて自然に目をやるというのはとても素晴らしいことではないでしょうか。
ふと、立ち止まって我に返る、そんなところがありますよね。ありがとうございます。


○帽子がはらりと落ちる時、風があなたの顔を吹きすぎるとき、赤ん坊が初めて鳴き声を上げるとき、素晴らしい夕日が最後の光を投げかけるとき、そして、素晴らしい人生の最後の息をひきとる時、わたしは常に、時の終わりまで、あなた方とともにいる・・・・。
さあ、行きなさい。・・・
あなたの、今という一瞬一瞬を、あなたを通じて神が現れるという素晴らしい歓喜で満たしなさい。
                               「神との対話2」より


≪写真:イワカガミ≫
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困った時の神頼み

2009年04月12日 | 人生


長い人生のうちには、何度か「困った時の神頼み」をしたくなるような状況を迎えることがあると思う。そのような時、どのような方法であれ、困った時の神頼みができる人は幸せな人だと思う。
わたしも大なり小なり何度か困った時の神頼みのような真似をしてきて、この最後の一手のあることの有難さをしみじみ思うようになりました。

こう書くと、「困った時の神頼みで功徳があるか」と、問う人があるかもしれない。
そんな人には、わたしは迷わず「ある」と答えたい。

これまでの人生でわたしが最も不安になったのは、息子が或る問題を起こした時で、その時には、神想観(一つの瞑想法)をしたそのすぐ後からまた不安が押し寄せ、また神想観をせずにはいられないという状況でした。結局、この時は数時間のうちに4回も5回も神想観を繰り返し、解決するまでの数日、そういう状況が続いたことがありました。

神想観中は、ひたすら神に心を振り向け、大調和の世界を観ずるのですが、それによって、短時間とは言え、まず、不安な現実を「離れる」という功徳があり、次には心の平安をいくらかは取り戻すことができるという功徳があると思う。

その結果、「しなければならないことをともかくやろう」という気持ち、この場合は勇気と言った方がいいと思いますが、不安なうちにもちょっとした勇気も出てきて、なすべきことをなし、終わってみれば、結果オーライということになっている。

この結果については、神頼みの功徳と言えるかどうかは、はっきりしない。
しかし、①不安な現実から離れることができる。②不安を離れ、大調和を観ずることによって心の平安が生まれる。③取り戻した心の平安から、行動する意欲、勇気が生まれてくる。この三点は間違いなく自分で体験されうる功徳だと思う。

ただ、このような「都合のいい時だけの神頼み」や「都合のいい時だけの大調和」を観じ念じたりするのは、いかにも虫が良すぎて良心が疼き、「もう二度と人の批判はいたしません」、「これからはきっと神想観を続けます」と神に、そして自分自身に誓うのでしたが、わたしの場合は、長い間「のど元過ぎれば熱さ忘れる」で来てしまいました。決していい気になっていたわけではなく、そんな自分を情けなく思っていました。

しかし、困った時の神頼みの有難さと、良心の疼きを経験しながら、ある時から続けることができるようになり、まあ、これも困った時の神頼みの功徳の一つかと思っています。


○「神はすべてのすべて
  すべてのものに神ましまして
  われを導き給う」


★写真は「カタクリ」の花
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ブログを始める

2009年04月11日 | 人生
わたしはこの3月で退職し、そして、4月6日で60歳の誕生日を迎えました。
毎日畳の上で神想観、聖経読誦ができると思うと、なんだかとてもうれしい。
在職中は悲しいこと、醜いことなどいろいろあったのですが、振り返ってみれば、すべてが懐かしくて花吹雪のようです。

今日読んだ「生命の実相」の中に、
○宇宙には動かすべからざる法則が支配しているのである。その法則は人間の作った法律のようにごまかしたり、くぐり脱けたりできぬものであり、絶対終始一貫かわらざるものであるのである。・・・
終始一貫性はある意味では純潔の美徳であり、ある意味では誠実の美徳である。
宇宙は純潔と誠実との美徳によって支えられているというも過言ではないのである。

と、書かれていました。

たちまち、「純潔と誠実」という美しさの中に包まれていくような気がしました。
そして、「そうだったのか。今まで、そしてこれからも、「純潔と誠実」という美しさの中で生きていくのだな」と、人生を讃えたい気持ちになりました。

真理の言葉には美しい響きがあり、いくたび、それらの美しい響きに勇気づけられてきたことか。
わたしも、できる限り美しい言葉で人生を讃えていきたいと思う。

こうした喜びに包まれるようなとき、何か書きたい衝動が起こっても、ブログを始めるにはどうしたらいいのかわからず、億劫な気持があったのですが、ともかく思いきって始めてみることにした。

≪写真:セツブンソウ≫
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