気の向くままに

山、花、人生を讃える

「神への道しるべ」

2023年12月04日 | 人生

以下は、谷口雅春著『生命の実相』第2巻の「神への道しるべ」と題する章からごく一部を抜粋したものですが、参考になればと思い、紹介させていただきます。

 

○われわれは自分の心のうちにあるものしか見ることができません。またたとい触れてもそれを感ずることができません。もしわれわれが神を見ることができ、あるいは神を感ずることができますならば、その人のうちに神が宿っているからであります。 

 

○われわれが現実世界の状態や、現実世界の人間の不完全不円満にあきたらないで、円満な世界や人格をもとめようとするのは、不完全な現実世界とはぴったり調和することのできない完全円満なあるものをわれわれの内にもっているからであります。われわれが完全円満なあるものを内部にもっていなければ完全円満な人格や状態を予想することができないのであります。このわれわれの内にある完全円満なあるもの、これがすなわち神であります。 

 

○このようにわれわれが現状に不満足であって、いっそう完全円満なものを予想する性質をもっている限りわれわれの内には神が宿っているのであります。このようにわれわれ人間にはみな神がやどっているのでありますが、その神性の開発されている程度はいろいろでありまして、そのために世界の宗教には、いろいろの宗派がわかれ、礼拝の本尊となるべき神仏にも、いろいろのあらわれ方があるのであります。それはちょうど、われわれが活け花をするときに、花を活ける人の心の内に開発されている「美」が活け花になって、そこに内在の美が外に客観的に現われる時に、いろいろのあらわれ方をして、いろいろの流派となるのと同じであります。

 

○人間の心の内部にある「美」が外界に投射し出され客観化して「活け花の美」となりますと同じように、人間の心の内部にある完全円満さ、すなわち神性が外界に投射せられて、それが客観化されたのが神であります。無神論者の中には神とは人間のつくったものであって、神が人間をつくったのではないという方がありますが、それも一理はあるのでありまして、人間に本来神性がなければ神をつくることも想像することもできないのであります。人間の内部精神に美がなければ活け花を美しく活けることもできないのと同じであります。 

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 わたしが神の実在を信ずるようになったのは、『生命の実相』全40巻を読んだのかきっかけでしたが、中でも、上の箇所は大きな影響を与えたと思う。そして、結局最後の40巻まで夢中になって読み続けました。

 今私は74歳で、後期高齢者に入る一歩手前だが、たとえ信仰といえるほどのものでないにしても、神の実在を信じられるようになったことは本当に幸運なことであったと、心より有難く思っています。

 いと気高きものの存在を認め、心に希望をもち、目標をもってこの人生を生きることができたら、それはとても幸せなことなのだと思う。

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