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気の向くままに

山、花、人生を讃える

信仰体験 2-③

2015年09月23日 | 信仰

それでは、ここでテキストを読ませてもらいます。(『美と健康の創造』P28 の後ろから2行目読む)

つまり、「神は常にわが護り、わが楯、わが砦となって我を護りたまう」と、このように神を信じることによって、「心配」や「取り越し苦労」はなくなる、と説かれているわけですね。

わたしはこのような心境には遥かに遠いんですが、それでも、自分が守られているということが少しは分かりかけてきました。それにはきっかけがあるんですが、谷口雅春先生の『善と福との実現』という本にこういうことが書かれていたんですね。「道を外れた生き方をしていると、壁にぶち当たって脱線していることを知る。脱線していることを知って正しい道に帰ろうとする。その時、帰るべき道は何となく知らされる。それが神の摂理である」と、このとおりではないですが、こういうことが書かれていました。

わたしが生長の家に御縁はいただいたのは、堕落した生活から立ち直ることができず「これから社会へ出るというのに、自分の人生はこれからどうなるんだろう。ひとつ手相の本でも買って占ってみるか」という訳で、名古屋へ手相の本を買いに行ったんですね。いい若い青年が手相の本を買いに行くなんて情けない話ですが、そこで『生命の実相』を見つけて読み始めたのが「生長の家」との出会いでした。

そのことが、時たま運が良かったのか、それとも神さまに導かれたのか、50歳頃から知りたいと思うようになりました。本当に神さまに導かれのだとしたらやはり嬉しいですからね、そうであって欲しいという期待があるわけですね。しかし、神さまが「わしが導いてやったんじゃ」とおっしゃって下さらない限り本当のことは分らんと思っていました。

ところが、60歳になってここを読んだ時、私は神様がその答えを下さったと思いました。そして『生命の実相』に出会ったのは、時たま運が良かったのではなく、神の摂理によって帰るべき道を何となく知らされ、『生命の実相』に出会うことができたんだと確信したんですね。その時、私は神様と見えない糸でつながっているような喜びをかんじたんですが、これは皆さんも同じだと思うんですね。中には腹の中にいる時から生長の家だったという方もおられますが、そういう方はまた特別何か良いことをしてきたんだと思いますが、多くの方は人生上の問題にぶつかって道に迷っている時、帰るべき道を何となく知らされて、生長の家に出会ったと思うんですね。

これを分りやすくいえば、親が子供の生長を見守っていて、その時の子供に相応しいおもちゃとか絵本を与えるように、神さまがわたしたちを見守っていて、ちょうどよい時に生長の家に導かれたんだと思うんですね。

そういうことが分かりはじめてから私の信仰が変わりはじめたんですね。

それまでの私は、今ここに実相の善いものがあるにしても、それが現実になるには、こちらがそれを受け取れるような心境にならなければいかんと、自分の心境の良し悪しに捉われ過ぎていた気がするんですね。それでとかくわたしは悲観的になり勝ちでした。しかし、今言ったようなことで、神さまは私たちに手を差し伸べて下さる具体的存在であると知るようになって、自分の心境どうこうよりも、神さまと繋がっている、神さまに見守られているという、そういう安心感や有難さを感じるようになりました。

そうやって信仰が変わりはじめたら、聖典を読んでいても、それまでとは違うところが目に留まるようになってきました。ひとつ例を挙げますと『生命の実相』の第18巻にこういうことが書かれています。

たとえばですね、わたしが今40歳で小さい子供が3人いるとします。そのわたしが今癌になって皆さんが祈って下さるとします。そういう状況で、谷口雅春先生はこう書いておられます。

○その人の悟りの目を早く開かせ、その人の霊魂の進化を速めるようになる場合には、いくら神様に祈っても治るものではない。神様から見れば霊魂の進歩ということが肝要事でありまして、肉体の見えたり消えたりすることはそれほどの問題ではない。こう書かれているんですね。

そのあと、こう書かれています。注目して欲しいのはここからです。

○むろん遺族が悲しむとか、経済上困るとかいろいろ複雑な関係問題もありますから、そういう影響を受ける人たちの霊魂の向上ということをも神様は考慮して、物質上の不幸にせよ、幸福にせよ、皆の霊魂の向上が最もよいと見定めがついた上で、「死ぬ」とか「治る」とかいう修正が現象世界に追加されるようになっているのでありまして、P45

と、こう書かれているんですね。つまりですね、その時わたしが死んだら、残された妻や子供たちはどうなるか、負担に押しつぶされてしまうのか、それとも魂の生長を早めることになるか、その見定めがついた上で死ぬとか治るとかの修正が行われると、こういうことなんですね。

ここを読んで、わたしは神様は私たち一人一人のことを本当によく御存じなんだということを感じました。そうでなかったら、負担に押しつぶされるか、魂の生長を早めるか、そんなこと分る筈がないですからね。ですから、神様は全てを知って下さっている、わたしたちの長所も短所もすべて理解して下さっている、そういうことを感じてとてもうれしくなり、また、どっちへ転んだにしても、良いようにしかならないと、そういう安心感、有難さを感じさせてもらいました。

そういうことで、私は60歳になって、ようやく「神さまに守られている」ということが、すこしは分りはじめ、信じられるようになってきました。

まだ時間があるようなので、もう少し、テキストを読ませてもらいます。P186読む

このように書かれているんですが、私たちはみ教えにふれたおかげで、幾つになっても、「一層善きものたらんとする熱望、一層高きものへの憧れをもちつつ、最後まで生き甲斐をもちつづけることが出来て、本当にありがたいことだと思います。

これで話を終わらせていただきます。どうもありがとうございます。

 

≪補足≫『美と健康の創造』 P186には次のように書かれている。

○世の中で何が一番尊い貯蓄であるかといいましても、自分自身の進歩ほど尊い貯蓄はないのであります。自分の能力か進歩するだけでも、それは喜びなのであります。しかもその進歩した能力で人類に貢献しうる喜びというものは、また喩えようのないものであります。自己改善の努力、なお一層善きものたらんとする熱望、なお一層高きものへの憧れ――それらは人生を美しくし、人生に生き甲斐を与え、希望で輝かせ、人生を生きる甲斐あるものたらしめるのであります。

ついでに好きなところをもう一つ。

○太陽の輝きは、星々の煌めきは、花の美しさは神様のあなたに対するやさしい微笑みです。P172

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信仰体験 2-②

2015年09月22日 | 信仰

それからもう一つ、これは今の話から数年後のことで、その頃にはわたしは本来の職場に戻っていました。その乗船中ですが、12月25日、クリスマスの日、部屋のテレビのスイッチを入れたら、『冬のソナタ』やっていたんですね。番組が終わってタイトルが出て、「あっ、これがあの話題になった『冬のソナタ』か」と知ったんですが、それが全20回のうちの第9回目でした。わたしは職場が船ですから、連続ドラマは見たことがないんですが、その時は何回目かの再放送で毎日2時間づつ連続放映するというので、年末でもあったし、それ以後楽しみにして見ていました。この後また再放送があった時、娘に録画してもらって結局全部見ましたが、私にとっては「お前は愛がどんなものかほとんど分かっていないようだから、これを見るがいい」と神さまに薦められたんじゃないかと思うほど教えられるところがありまして、そのうちの一つを聞いていただきたいと思います。

皆さん忙しい方ばかりで見ていないと思いますので、はじめに簡単に内容を紹介させてもらいますが、これは二人の男と一人の女の三角関係で、三角関係と言うとあまり良いイメージではないので使いたくないんですが、手っ取り早くいうとそういうことなんですね。で、一方の男は放つ愛、もう一方の男は縛る愛を演じ、「愛とは何か」を主題にしていたと思うんですね。

で、縛る愛を演じる男の方ですが、彼は失恋しかかっていて、始めのうちは「ああ、気の毒に」と思いながら見ていたんですが、失恋しているのがはっきりしてきても、いつまでも未練がましく彼女を放そうとしないもんですから、「この男は情けない奴だなあ、お前はもう失恋しているんだから、男らしくあきらめて、早く彼女を自由にしてやれ」と、そう思いながら見ていたんですね。

そうしたら、その瞬間に、自分もこの男と同じことをやっていたと気づいて、ビックリしたんですね。それはどういうことかといいますと、当時、私は生長の家の活動はほとんどしてなくて、一方、家内の方は相変わらず熱心で、やれ今日は誌友会、やれ白鳩会、講師会だとかいって、生長の家ばかりではないですが、とにかく出かけることが多くて、わたしは「お前は生長の家ばかり出かけすぎる」とかいって時折文句を言っていたんですね。つまり、私も家内を生長の家に取られているような気がして、テレビの男と同じように、文句を言っていたんですよ。それで、自分もこの男と同じことをやっていたと気がついてびっくりしたんですね。

それまで私は、生長の家は夫唱婦随だし、といってもそこまでは要求しませんけども、ともかく私にすれば、折角休暇で家に帰ってどこかに行楽に出かけたいと思っても、おちおち二人で出かけることもできんという訳で、わたしが不満に思うのも当たり前だと思っていたんですよ。

ところが、自分もテレビのこの男と同じことをやっていたと気がついた時に、手にバナナを握っていたつもりが、実はそれが蛇だったと気がついたように、慌ててその蛇を振り払うように「もう二度と家内を縛るようなことはすまい、これからは完全に好きにさせてやろう」と思ったんですね。そうしたら、その途端に、それまで経験したことのない、何とも言えない自由なひろびろとした気持ちになったんですね。わたしはこの時、他を縛れば自分が縛られるということがハッキリ分りました。そして、その良い気持ちに浸っている時に、「ああ、これが神様の愛か!」と、「一切縛ることのない、ただ愛するだけ」というような、そういう神さまの愛にふれた心地がしました。それで、ナポレオンじゃないですが、今まで自分の辞書には「愛」という文字がどこにもなかったなあということに気づかせてもらいました。

まあ、そういうことで『冬のソナタ』は女の人に人気でしたが、あれは女性より、むしろ男の人が見るといいんじゃないかというのがわたしの感想でした。つづく

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信仰体験2-①

2015年09月21日 | 信仰

以下は原稿ですが、読んでいただければ幸いです。

 

皆さん、ありがとうございます。始めに、体験談を二つ聞いていただきたいと思います。

一つ目は、神さまに手紙を書いた話ですが、わたしは50歳の時に会社から○○組合という労働組合に出向を命ぜられて、そこで3年間在籍し、○○○の○○会社10社を担当していました。その頃は、バブル崩壊後の不景気が続いていて、どの会社も経営を維持するのがやっとという状態でした。そんな或る日、一つの小さな会社の組合員から「社長がボーナスを出すと言っていたのに、今になって一銭も出せないと言いだした。なんとかしてくれ」という連絡がありました。

それでその会社へ交渉に出かけたのですが、交渉しているうちにお互いにだんだん頭に血が上って声が大きくなり、交渉というより、喧嘩口論しているような様相になったんですね。社長にすれば、先行きが不透明ですから倒産の不安もあったろうし、わたしはわたしで組合員の負託にこたえなければいかんという訳で、お互い譲れなかったわけです。

それでその交渉している部屋は間仕切りされているんですが、天井近くは開いていて、近くで事務仕事をしている人たちに聞こえるんですね。その従業員の中には40歳ぐらいになる社長の娘さんがいるんですが、その娘さんがたまりかねたのか私たちのところにやって来て、「お互いにだいぶ頭に血が登っているようですから、それでは良い交渉もできないと思いますので、また後日、あらためて交渉ということにしたらどうでか」と、こう言ってですね、仲裁に入られたんですね。その途端、何か悪いことをしていたような恥ずかしさを感じて「失礼しました」とも何とも云えず、すごすごと事務所を引き揚げたんですね。そして道を歩きながら、娘さんに仲裁に入られたことが何とも情けなく、自分がやくざの借金取りと同じことをしていた気がして、家に帰ってからも悶々としていました。

そして、悶々としながら「こんな無様なことになるのも仕方がないじゃないか。分かってもらいたい、聞いてもらいたい」という気持ちと、「会社は経営が苦しいし、組合員にすれば、ボーナスなしではやって行けない。こんな問題を、どうやってこの自分が解決できるんだ」と、神さまに訴えずにはおれない気持ちになり、手紙を書こうと思いついたんですね。それでパソコンに向かい、手紙を書きはじめました。そして神さまにわかってもらいたいと思うもんですから、一生懸命、順序だてて事の顛末や社長の言い分、組合員の言い分、そして間に立っている自分の気持ちなどを書いていったんですね。そうしたら、悶々としていた頭もだんだん冴えて来て、書き終わった時には、「よし、これで良し」と自分の書いた手紙にすっかり満足して、それを印刷して封筒に入れ神棚に供えました。

そしたらですね、それからボーナス支給日まで1ヶ月半ありましたが、その間、ウソみたいにこれっぽっちも気にならず、本当に雲ひとつない青空のような心境でいることができ、それが本当に不思議でした。それでその後一度も交渉しなかったのですが、ボーナスはどうなったかというと、ちゃんと出たんですね。その時は本当に組合員以上にうれしかったですね。しかし、ボーナスが出たことは会社だって経営が苦しいのですから、神様がそうしてくれたとは思いませんが、とにかく、普通なら気になって仕方がないはずのところを、一つも心配せずにすんだことが本当に助かりました。後にも先にもこの時ほど真剣な気持ちで神さまに向かいあったことはなく、下手な交渉をしたおかげでこのようなよい経験をさせてもらいました。また、神さまに手紙を書くことがこんなにも素晴らしい効果があることも知り、その後、2回神さまに手紙を書いたことがありますが、この時ほどではありませんが、2回ともうまくいきました。つづく

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信仰体験 1-②

2015年09月18日 | 信仰

それからもう一つ、次の体験談ですが、私は『生命の実相』を読んで大変感激し、「生長の家」の教えはわたしにとって希望の光であり、恋焦がれている恋人以上の存在でした。ですから、見知らぬ外国へ行けるのは嬉しいのですが、反面、生長の家のある日本を離れることが寂しく、できることなら日本を離れたくないと思っていました。しかし、簡単に職業を変えるわけにもいかず、「これも自分の仕事なら仕方がない。潔く、自分の運命を受けよう」という気持ちでした。しかし、また運命の転換点が来ました。それは、今の話から2年後の乗船中のことでした。

昼食後の昼休みの時間に、自分の部屋のソファに持たれかけて、月刊誌の文芸欄を何気なく読んでいたら、芭蕉の「あかあかと日は面難(つれな)くも秋の風」という俳句が眼に入ったんですね。皆さんこれ見てなにか分りますか(大きな字で書いた俳句を見せる)。わたしもサッパリわからないんですが、分らんのに、この俳句が眼に入った瞬間、いきなりハンマーで殴られたような衝撃を受け、頭が真っ暗になったと思ったら、芭蕉が山道を歩いていく。そして傾いた秋の日差しが芭蕉の横顔に照りつけている。そういう光景が見えたと思ったら、それだけではなく、太陽からもの凄い気迫がほとばしり出ているんですね。それで「芭蕉は?」と思って芭蕉の方を見ると、芭蕉からも太陽からの気迫を跳ね返すぐらいにもの凄い気迫がほとばしり出ているんです。芭蕉はただ歩いている。太陽はただ照っている。それだけなのに、気迫と気迫がぶつかり合っている。それに気づいた瞬間、その気迫に打たれ、自分の身体を流れている血液が一瞬見えたと思ったら、その血流があっという間に海の大波になって唸りを上げて襲いかかって来るんですね。その時はもう本当にビックリして思わず「何事だ~!」と心で叫んでいました。そして、次から次へとその大波がうわ~ん、うわ~んと唸りを上げて自分に襲いかかってきて、ソファにすわっている上半身が前後に揺さぶられながら、もう本当にビックリして、「何事か」と思いつつ、ただ呆気にとられていました。そんな状態がしばらく続き、ようやくおさまってからも、自分が、寄せては返すさざ波になったように、いつまでもひたひたと脈打って、その余韻がおさまらないんですね。

それで、「一体なんでこんなことが起きるんだ!」と不思議で仕方がなく、考えようとしなくても不思議だ、不思議だと、不思議の思いが湧いてきて、来る日も来る日も不思議だという思いが続いていました。そんな或る日、ふと船内の掲示板の貼り紙に目が行ったら、そこにフェリー会社の、募集記事がありました。それで、そのフェリーに変わろうと、迷うことなくそういう気持ちになって、すんなりフェリー会社に変わることになりました。もし、今いったようなことがなかったら、わたしはその募集記事を見ても、全然目もくれなかったに違いないと思うんですね。実は時間がないので話を省略していますが、今いったような大波に襲われるという、そっくり同じことがもう一度ありまして、それで貼り紙を見て即座にこの会社に変わろうという気持ちになったと思うんですね。そういうわけで、生長の家のある日本を離れなくてよいようになり、また、それまでは1年のうち2ヶ月しか家にいなかったのが、今度は月に10日は家にいて生長の家の活動も少しはできるようになりました。

それで、どうして自分にこんなことが起きるんだと不思議で仕方がなかったんですが、2年ぐらいしたある日ふと気がついたわけですね。それは何かというと、この時の乗船前に、わたしははじめて毎日のように戸別訪問しながら愛行をしていたんですね。当時私はまだ25歳の独身でしたから、戸別訪問するといいうことは大変な勇気がいりました。しかし、その恥ずかしさと戦いながら続けているうちに、その恥ずかしさにもだんだん慣れて来て、始めは自分の知らない住宅ばかりを廻っていたのが、今度はさらに勇気を出して自分のも一軒一軒訪問し、最後には自分の家の両隣まで戸別訪問したんですね。そういうことで知らず知らずのうちに四国八十八か所を回ったような精神状態になっていて、神さまに感応しやすい状態になっていたのではないか、というのが私の解釈です。

 

ええ、話は変わって最近のことになるんですが、ちょっとこういうことをいうのは恥ずかしいのですが、人生を振り返ってですね、「ああ、自分の人生は良かったな」と思えるものは何かと言ったら、それは結局、自分が「愛をもって生きたか、どうか」それじゃないかと思うようになってですね、思いついて、昨年の5月から7.8年ぶりぐらいに駅前で月に3回ほど愛行するようになりました。

今までは愛行しても成果がないと、歓びが自己満足に思えて来て長くは続かなかったのですが、今度は成果があろうとなかろうと続けていこうと思っています。

次にテキストのP47を開いていただきたいんですが、ここの2行目に「神の摂理」という言葉が出ています。今時間がないので、ここは後で読んでいただきたいんですが、「神の摂理」とは何かということですが、それは一つではなくいろんな意味で使われているんですね。それで、典型的なものを一つ挙げますと、『生命の実相』の第1巻、154ページにこう書かれています。

○神は宇宙を摂理の手で支配されてい給うので、あらゆる世界の出来事は、みんな神の手で蜘蛛の糸をひいたようにあやつられています。 P154

わたしは最近まで神様は実相世界にいらっしゃるんであって、この現象世界には神様はいない。現象世界は単に人間の心が現わす世界であると、そう思って、神様がなかなか近くには感じられなかったのですが、この「神の摂理」ということを知るようになってから、この現象世界と雖も神の摂理の御手の中にあるということで、神さまが近くに感じられてきて有難さを感じるようになりました。

 

これで話を終わらせていただきます。どうも有難うございます。

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信仰体験 1-①

2015年09月17日 | 信仰

以下は今年の3月に体験講話をさせていた時の原稿ですが、読んでいただければ幸いです。

 

皆様、ありがとうございます。

体験講話ということで、30分お話しさせていただきます。

 

わたしは中学を卒業後、○○県の○○市にある、○○高校という学校に入学しました。そこで5年間学んで卒業したら、国家試験を受けて、卒業生のほとんどが外国航路の船に乗るというそういう高校なんですが、入学してからのわたしは、成績は下がる一方で、あげくに、父親が三度も学校へ呼び出されるという親不幸なことをしておりましたが、立ち直ることもできず、最下位でその学校を卒業しました。

3月に卒業して4月には国家試験が控えていましたが、勉強する気もなく、暇つぶしになるような面白い本はないかと名古屋の本屋さんへ出かけたときに、そこで『生命の実相』が眼にとまって、試しに読んでみる気になって2冊を買って読み始めたのが、今から45年前のちょうど今頃の時期でした。それで、これは凄い本だというわけで、それからは、読んでは買いに行き、読んでは買いに行きを繰り返しまして、4ヶ月ほどで全巻を読み終わって、感激いっぱいの気持ちで本部に葉書を出したところが、近所のおばさんが神誌をもって訪ねて来て下さるようになり、それで入信させてもらいました。

それで国家試験は1年に4回あるんですが、勉強は相変わらずする気もなく、親には勉強しているようなふりをして部屋に閉じこもり、ひたすら『生命の実相』を読んでいたので、4回とも不合格でした。そして次の年の4月に試験慣れしたせいもあってようやく最低の3級に合格して(後ほど最高の1級取得)、会社は卒業前に決まっていましたのでその会社の船に乗船しました。そして10ヶ月乗船したあと休暇になったのですが、その休暇中に、わたしもついに救われる時がきたんですね。どういうことかといいますと、朝の一番電車に乗って熱田神宮へ早朝神想観に行こうと思いついて、通い始めたんですね。神想観は入信後に岡崎の練成や飛田給の練成も受けていたので、神社でも神想観をするということを聞いていて「昔の剣豪が瞑想しているみたいで格好いいなあ」と思っていたので、それで私もですね、信仰を深めて自分に自信をつけたいと思って神想観に通い始めたわけです。

その通い始めて5日目ぐらいの時、息を吸いながら「神の無限の生かす力、わが内に流れ入る、流れ入る」とやっていると、勝手にスーと息が入ってきて体が風船のように膨らみ始めたと思ったら、沸騰したヤカンの白い湯気がスーと消えるように自分の身体が消えてしまったんですね。そういう様子が脳裏の中で観えるんですね。それで、「あっ、身体が消えた、そんな馬鹿なことが」と思って、眼は閉じたまま、頭から順番に確認していくんですね。そしたら、透明人間になったかのようにやっぱり頭も胴体も消えて無いんですよ。そして本来自分の体のあるところを朝のひんやりした空気がすーすーと吹き抜けて行くのがわかるんですね。それから自分という意識も、周囲2,3メートルぐらい離れたところの、あっちにもこっちにもあるように感じるんですね。腰はというと、針の穴のように小さな点になっていて、その下から脚はまったく普段通り、いつものようにちゃんとあるんですね。そういう状態が神想観の間中、ずーと続いていました。それから、帰りの電車に乗って、行きに読んでいた『生命の実相』の39巻の続きを読んでいましたら、こういうことが書かれていました。

ある年頃の娘さんがいて、その娘さんの太ももに大きなタムシ出来ていて、薬を塗ってもですね、どんどん広がって行くばかりだ。これでは恥ずかしくてお嫁にもゆけないというので、母親が心配しておった。そこへ「生長の家」に行ったら治るという話を聞いてですね、ある先生のところへ行って、来意を告げたら、その先生は「病気はないんですよ」という。ばあさんは「いえ、あるんです。あるから治してもらいに来たんです」という。先生は「いや、病気は神様が作らないからないんです」「いや、あるんです」と、アル、ナイの押し問答になるんですね。そして最後に先生は「どれ、もうその病気は消えたか、見せてごらんなさい」というと、もうそのタムシが消えていた、という話なんですね。

そこを読んだ時、「タムシが一瞬に消えるのは、肉体はないからだ!」と思った瞬間に頭をハンマーで殴られたような衝撃を受けしばらく頭がくらくらしていましたが、その衝撃がおさまってから、目をひらいて、本当に肉体や物質はないのかと確かめるように電車の中を見廻すんですね、そしたら目にはいつもと同じように見えているんですが、それが固い物質の固まりのようには感じられないで、実体のない映像を見ているような感じなんですね。それで静かに呟くように「肉体はないんだ、物質はないんだ」と思った時に、身も心もすーと軽くなって、電車を降りる頃には「ついに肉体がない、物質がない」ということが分ったぞ、というわけでもう嬉しく嬉しくてしかたがなくて、小躍りしたいような気持でした。そして、それが乗船後まで続いていて、それからはすっかり付きものが落ちたように、あれほど勉強したくなかったわたしが、ごく自然に、当たり前のように勉強する自分になっていました。

『生命の実相』第12巻 P83~84に、次のように書かれています。

○誰でもたいてい何をしたらよいか悪いかは知っている。悪いと知ってその悪いことを止めることができるくらいなら、法然上人も親鸞上人も「煩悩具足の凡夫」だとか、「罪悪深重の凡夫」だとかいってお嘆きにならなかったのであります。悪いと知ってもその悪いことを自力の努力では止めることができないというところにこそ、宗教的救いがあるのです。悪いと知って一歩一歩改善してゆくのは道徳的救いでありますが、宗教的救いというのは飛躍の救いであります。自力の一歩一歩の改善ではどうしても救われようのない自分だと知った時に、その「改善しなければならないような悪い自分」というものは「虚仮の自分」であった、言い換えると、「ウソの自分」「本来無い自分」であったと知る――その時、忽然旧我が消えてしまって、本当の自分――尽十方無碍光如来と同体の自分というものが顕れて来るのであります。

 

こういうように書かれていまして、どうしても自分では立ち直ることができなかったわたしもですね、救われたいという思いで『生命の実相』をひたすら読ませていただいているうちに、現実にこのような救いが現われたというわけですね。(続く)

コメント (8)
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