何年か前、「自殺者の数が毎年3万人を超えるようになり、それが10年続いている」ということでニュースになったことがありました。それで、その後相変わらず3万人を超えているのか、それとも減少しているのか、気になったので厚生省の自殺者数の推移を調べてみました。
それによると平成10年から23年までは毎年3万人を超えているが、平成24年度は3万人を切り、以後年々減少し、平成29年度には2万1千まで減少していることを知りました。年齢別では特にどの年齢層が多いということはないようですが、性別では女性より男性の方が圧倒的に多いのがわかります。
若い時代は「死にたい」願望が大なり小なりあると思うのですが、わたしにもそれがありました。思い出話になりますが、高校時代の私は勉強もせず、悪いことばかりを覚え、3度も停学を喰らい、立ち直らなければと思いつつ立ち直ることもできず、希望のない日々を送っていました。しかし、否が応でもやがては社会へ巣立っていかなければならず、4年生になった19才の時、もがくように人生について考える本を読むようになりました。最初に読み始めたのは野末陳平氏の『荘子入門』と『中国の思想家たち』という本でした。その中に老子か荘子に「死ねばみな白骨」という言葉があり、私はこの言葉が大好きになりました。「ああ、そうだ!社会に貢献する優秀な人も、くずのような落ちこぼれの自分も、死ねばみな同じ白骨じゃないか」と、そう思うだけで嬉しい気持ちになり、勇気も湧いてくるようでした。
また、「無用の用」という言葉も私を喜ばせました。本には、「役に立つ木はすぐ切られるが、役に立たない木はいつまでも切られない。切られないからやがて大木にまで成長し、旅人はその緑の木陰で休むことができる」と書かれていて、落ちこぼれの自分には慰められる話でした。
そう言えば、シスター・鈴木秀子さんの著書「愛と癒しのコミュニゅオン」という本の中には、こんな話が紹介されていました。簡単に言うと、病院で何年も寝たきりの青年のもとに、ある日同級生が珍しく訪ねてきました。そしていろいろ話して帰るのですが、帰り際に「来てよかった。実は会社の仕事のことで悩みがあったのだが、君と話しているうちに元気が出て来た。ありがとう」と言って帰っていった。それで青年は「自分にも役に立つことがあった」と、はじめて気づいたという話でした。
さて、決定的にわたしの「死にたい」願望を追っ払ってくれたのは、作家の柴田錬三郎でした。その頃、プレイボーイという週刊誌に「柴錬の一刀両断」という人生相談のコーナーがありました。ある時、一人の大学生から、「もうこんな日本に生きているのがつくづく嫌になったので死のうと思っている。柴錬先生はどう思いますか?」という意味の相談がありました。それに対する柴錬の回答が実に素晴らしいものだったのです。凡そこんな回答でした。
○吉田松陰は24才で国禁を破って国外への密航を企てた。25歳で松下村塾を開き、29才で死んだ。高杉晋作は25才で奇兵隊を結成して、29才で死んだ。坂本龍馬は○才で海援隊を組織し、33才で死んだ。(などと5名ほどあげた後)・・・君は今まで親の脛をかじり続け、やっと大学生で21歳になった。それでいよいよこれからという時になって、死にたいというなら、さっさと死んでしまうがいい。(年齢は違っているかもしれません)
と、ありました。当時19歳の私もこの大学生と同じように「死にたい」願望があったので、柴錬のこの回答を読んだとき、まさに青天の霹靂で、飛び上がらんばかりにびっくりし、「死にたい」願望は一瞬にして吹っ飛んでしまったのでした。今思っても実に名回答だと感心するのですが、皆さんはどう思いますか?