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気の向くままに

山、花、人生を讃える

「祈る」ということ

2021年02月04日 | 信仰

もう3年前になるかと思うが、救急車を呼んで家内を病院で見てもらう事になった。
診察の結果、肺がんが見つかったと聞かされた時は、一瞬、顔が蒼くなるのを感じたが、幸い、まだ初期段階とのことで、医師も「これは治るから大丈夫」と言ってくれたので、安心した。

 

私は、それでも手術をせずに済んで欲しいとの思いで毎朝祈った。が、祈りの効果はなく、手術することになった。
多少の自信はあったのに、まるで効果がなかったことにがっかりしたものだった。

 

しかし、だからと言って祈りの効果を否定するつもりはなく、ただ信仰が足らなかっただけのことと思っている。
そして何の効果がなかったにしても、なすすべもなく、ただ医者任せにするしか仕方がないというよりは、ともかく祈った点については良かったと思っている。これが無ければ次への一歩はあり得ないからだ。

 

もし、仮にこの時、医者が「あなたの奥さんのガンは、もう手遅れでどうにもできません」と言われたとき、祈ることも知らず、ただおろおろと心配するだけの自分だとしたら、情けないし、無念さを感じるに違いない。そして、なすすべもなかったことが、きっと悔やまれるに違いないと思う。

 

ちなみに、ガンなど祈って治るわけがないという人もいると思うが、しかし、それは病理学だけにとらわれた見解に過ぎないと思う。ガンなどは元々あったわけではなく、途中で生理作用か何かの影響で作られたものであるに違いないから、その生理作用に影響を与える精神状態が劇的に変わったりすれば、ガンが消滅する等のことはありうることだと思う。実際、「笑う」事が治療の効果を高めるとして、笑いを取り入れている病院がテレビで紹介されていたし、世界には医者が見放したガン患者が、本人か、その夫とか妻の信仰などで奇跡的に治ったという実例は探せばいくらでもあると思う。

 

それはともかく、治る治らないの結果は別にして、どんな場合でも、「お手上げ」などという事にはならないようにしたいものだと思う。
八方塞がりに感じられても、天の蓋はいつでもオープンにされているのだから。

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とんでもない誤解

2020年11月29日 | 信仰

1ヶ月もブログをお休みしていたら、さて何か記事を書いて更新しようと思っても、これといって書きたいことが思い浮かんで来ない。それで何か思い浮かぶことがあるかと思い過去記事を読んでいたら、下記のようなものが出て来ました。6年前のものですが、訪問してくださる方もその頃とは違うと思うので再アップさせてもらいます。読んでいただければ幸いです。

 

≪とんでもない誤解≫

人間は誰でも寛大になりたいのであって、狭量になりたいなどと思っている人はいないはずだと思うのだが、不思議なことに、世界には自分たちが崇めている神を、人間が神様の気にいらないことをしたら怒って罰を当てるなどと信じている人がたくさんいるらしい。

 

人間だって良い親なら子供に寛大であるはずで、もし、子供に怒ってしまったら、親として情けなくなるのが普通ではないかと思う。もちろん、怒らなければならない時もあるだろうが、しかし、どんな親でも子供に罰を与えたいとは思わないだろう。その癖、神様は罰を当てるものだと信じている。そして一方では、神は愛だという。考えて見れば不思議なことだ。神を信じていない人でさえ、なんとなく神様をそんなイメージで見ているようだ。

 

ニール・ドナルド・ウオルシュ著の『10代のための神との対話』という本の中で、「私は裁かない」と神が言うと、オスロの13歳の少女がびっくりしたように、こう答えている。

「神が裁かないですって?それが神様のすることだと思ってたわ!」

 

わたしも生長の家の教えを知るまでは、神がいるとは思ってなかったが、それでも、ばくぜんとした神のイメージがあって、そのイメージはこの少女と同じようなものだったと思う。だからこの少女が口にしたことは、実に素直だと思うし、とても共感できる。

 

「神ははたして人を罰するのか、それとも、全然そうではないのか?」
多くの人にとって、こんな疑問はどうでもよいかもしれないが、まあ、神様の言い分をちょっとだけ聞いてやって下さい。

 

これからいうことは、ニール・ドナルド・ウオルシュ著の『神との対話』シリーズの中で書かれていたことですが、まあ、こんなようなことを言っています。(いい加減な記憶ではありますが、大きな間違いはないはず)

 

○わたしは何人も罰したりはしないし、裁くこともない。人間は「悪いものは罰しなければならない」という考えに捉われていて、その考えをわたし(神のこと)にあてはめて「神は罰する」ものだと考えはじめた。この考えは、神を信じていない人たちにも広く浸透している。そして、さらにそこから、自分と考えの違う者を殺りくしてもよいと正当化するようになり、殺戮を神の意志だというものまで現われた。人類は長い歴史の中で幾度もそんなことを繰り返してきた。そんな歴史の繰り返しに終止符を打ちたいなら、神が人を裁いたり罰したりするという、あなたがたの神に対する信念を変える必要がある。

 

いやあ、これが本当なら、たかが迷信などと笑っておれないですね。
 ちなみに少女が「神が裁かないですって?それが神様のすることだと思ってたわ!」に対し、神の返答はこうなっています。

 

神:人間は長い間、ずっと、そう思ってきたね。でも違うんだ。それは真実ではない。それは大きな「誤解」の一つだ。あなたがたの思い違いなんだよ。「裁き」があるという幻想、そして、それは「非難される」という幻想につながっていく。『聖書』にも、「裁くなかれ、非難するなかれ」と書いてあるのにね。

 

≪補記≫

聖書のマタイ伝にはイエス・キリストの言葉として次のように書かれています。

○天の父はその日を悪しき者のうえにも、善き者のうえにも照らし、雨を正しき者にも、正しからぬ者にも降らせ給うなり。 (マタイ伝 第五章 四十五節)

 

また、親鸞聖人にはこんなふうに言っています。

○大悲倦(あ)くことなく我を照らす。

 「大悲倦(あ)くことなく我を照らす」、いいですねえ。この言葉を思い出すだけで神の愛に包まれている気がしてきます。

 

≪今回の追記≫

神罰はなくとも、人間は自分自身、気がとがめるようなことをすると、自分は悪い奴という観念が働いて、それによって自分自身を罰したりしやすいので、神罰はなくとも、できるだけ気がとがめるようなことをしないで、反対に、自分を褒められるようなことをすることが、運命をよくする秘訣なようです。

 

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「変化」の奥にあって「変化しないもの」

2020年08月27日 | 信仰

下の絵は、ちょっと失敗作だが、左はアオムシで、右はアゲハ蝶である。

    

絵は、アオムシが蛹を経て蝶へと「変化」することを現わしている。(中間の蛹は省略)

 

アオムシが蝶へと変化することは誰でも知っていることだが、では、その変化の奥に、「変化しないものがある」ということに気付いておられるだろうか。

 

木の枝を這いずっていたアオムシが、花から花へと飛ぶ蝶へと変化する。
この様に外見はまったく違ったものになりながら、その奥には変化しないものがある。

 

もし、「変化」の奥に「変化しないもの」がなかったら、それは或るものが消え、別のものが現われたのであって、その場合には、「変化」したとは言わない。変化と言うからには、変化の奥に変化しないものがなければならないのである。

 

さて、次は人間が「オギャア」と生れた赤ちゃんから、次第に成長して成人となり、やがて老人になる人間の一生を現わしている。

  

生理学では、人間の全身の細胞は、説にもよるが15年もしたらすべての細胞が入れ替わると言われる。生まれたばかりの赤ちゃんのときと、青年や老人の時とは、まるで見た目も細胞もすっかり入れ替わってしまっている。

 

この場合も、肉体の変化の奥に、「変化しないもの」がある。
だから、15歳のときに借金した自分と、今の自分とは肉体的には全然別だから、「俺は知らないよ」と言ってもそれは通用しない。

 

これが、人間は肉体ではないということの証拠であり、肉体は地球上で生活するための「宇宙服」と言われる所以なのだが、うべなるかなと思う。

 

今生では男だった自分が、次には女となって生まれてくるかもしれない。このように、男から女へと変化しても、やはり私は私であって、男として生きていた時も、女として生きているときも、同一人物と言わなければならない。

 

では心はどうか。
心も、精神状態も肉体の新陳代謝と同じく常に変化している。精神的な成長もあるし、性格も、とんがっていた性格が円満になったりもする。恨んでいた心が、感謝の心に変わったりすることは信仰の世界では珍しいことではない。

 

朝顔の花なら、種を割って調べても、その花の形はどこにもないが、しかし、朝顔の種は必ず朝顔の花を開くのであってバラの花にはならない。種の中には、三次元を超えた世界に既に朝顔の花が備わっているから、地に植えれば、時間の経過と共に双葉が出、茎が伸び、花芽が出、蕾となり、やがて花が開くように、人間も色々な経過をたどりながら、その人本来に備わっている美しい花を開かす時が来るのだろう。この様なことを人間は無意識のうちにも知っているから、人生の意義を見出そうとしたり、努力したりもするのではないか。

いずれにしても、変化する外見の奥に、変化を超えた、変わらざる「私なるもの」がいて、それが「本当の自分」なのだろうと思う。

 

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熊と遭遇した或る信仰者の話

2019年07月08日 | 信仰

生長の家の本部講師○○先生は、クマと出合った時の体験を、次のように書いておられる。

  

私は群馬県教区に赴任中、八ッ場ダムの建設計画を知り、出講の帰途、一部がダムに沈む吾妻渓谷を見ておきたいと立ち寄りました。遊歩道に入ると「熊出没注意」の看板が・・・。鈴もない、闘うすべもない、逃げる自信もない。熊が出たらどうしよう。秋の日の午後、不安がよぎりましたが、まだ明るく、山中に進みました。山中を抜け、渓谷も見えてきて安堵しました。

 

その時、
「人のこの世の寿命はその人のこの世における役目のつづくまでは続くのである。いつまでもこの世に役目をもっている人、いつまでもこの世の仕事をもっている人、かくのごとき人々がこの世から去るということは、道理上ありうべからざることである」  (『生命の実相』24巻)

の文章を思い出し、かつて詠んだ私の辞世の句――

        使命あらば吾を生かせよ天津神 死ぬも生きるもすべて天国

を思い出し、「神に全宅すればよいのだ」と気付きました。クマへの敵視と恐怖は間違っていた。クマと私は神において一体。クマに出会ったら微笑めばよいのだ。

 

気持ちも落ち着き、歩いて行くと、10メートルぐらい先の茂みで、ガサッと音がして真っ黒いものが動いています。しばらくすると、小グマがかわいい顔を出しました。「なーんだ、小グマちゃん!」と微笑んでいると、別の子グマが顔を出し、私はまた微笑みました。が、少し経つと、2頭の背後からニョッと大きな親グマが現れ、私と目が合いました。えっ、まさか?クマが目前にいるのです。どうしよう、目を逸らしてはいけない!私は静かに正座し、じっと見ている親グマにも微笑んで合掌し、「クマさん、驚かせてごめんなさい。お食事中を失礼しました。ここでクマさん一家の幸せを祈らせていただきます」と挨拶して姿勢を正し、路傍のお地蔵さんのように固まって神想観(瞑想・祈り)を始めました。招神歌を唱え、宇宙の大生命が自分の生命となって生きている永遠不滅の自分を自覚し、善なる神の創造された宇宙の運行に身を任せ、御心のままに為さしめ給え…と観じて、そっと薄目を開けると、まだクマ親子は姿勢を崩さずにこちらを見ています。

 

あっ駄目だ、自分はクマが早くどこかに去ることを願う心があった。再度神想観をやり直し、神と偕に、クマ親子の幸せを時間の経つのを忘れて祈りました。20分ぐらいたち、われに返ると、前方にクマ親子は仲良くゆっくりと去っていくところでした。私は、その後ろ姿が見えなくなるまで祈り見送って、静かにそこを離れ、胸はドキドキ、足はガタガタでしたが、何か嬉しい気分で駐車場に向かい、渓谷を後にしました。

 

 これは一例で、状況によりいろいろな対処法があるでしょう。しかし皆さんには、ぜひ日ごろから幸せを招く神想観をお勧めし、皆さんの前途を祝して終わります。

 

 

わたしは幸い熊に出会ったことはありませんが、しかし、特に家内と連れ立って岐阜県の山に入るときは、「クマと出合っても目をそらせず、絶対逃げない。必ず家内は守る」と強く自分に言い聞かせていました。いつもそういう覚悟でいると、回を重ねるにつれ、何となく逃げずにいられる自信がついてきました。それはクマへの恐怖心がなくなるからではなく、「逃げたら、もっと怖いことになる」ということが、だんだんと深く潜在意識にまで入ってくるからだろうと自分では思っています。もちろん、実際にはクマと出合ってみなければわからないことですが。ただ、逃げずにいることは想像するほど難しいことではない気がするし、実際多くの人がそのような体験を語っています。

 

しかし、この先生のように熊を数メートル先の至近距離に居るのを目にしながら、目を瞑るなどという事は、そして「座る」などという、こんな話は聞いたことがありません。よほどの「信」がなくては、出来ることではないと思います。それで、衝撃ともに「素晴らしい!」と感動したのでした。

 

そして、こんな人もいるという事を、ぜひ知ってもらいたいと思い、紹介させてもらいました。

最後まで読んでいただき ありがとうございます。

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ばあちゃんは観世音菩薩

2019年03月19日 | 信仰

先日、ある誌友会(勉強会)に出かけた先で、72歳の男性から、次のような話を聞きました。

 

彼、芳夫(仮名)さんは30歳のとき、肺結核とそれに伴う湿性肋膜炎になり、絶対安静と診断され、急遽入院した。ある日、胸にたまった水を抜いてもらったとき、少し楽になったので面会室に置いてあった「光の泉」という生長の家の月刊誌を読んだ。するとその中に、「肋膜の病は家庭の悲しみの涙である」と書いてあり、自分の事のように思えて、病室にもって帰り、じっくり読むと、まさに自分と同じ境遇の人の話が載っていたとのこと。

 

芳夫さんは養子で、帰宅が遅くなったり、少しでも酒を飲んで帰ると、義母が玄関の戸を開けてくれず、家から閉め出されることがよくあったとのことで、義母を憎んでいて、その自分の心が病気の原因と分かり、さらに面会室に置いてあった『生命の実相』を読み始めた。

 

『生命の実相』には、症状は病を治すはたらきであると書いてあり、それまで喀血するたびに「まだ死にたくない」と恐怖に震えていたが、それからは何となく気持ちが落ちつき、きっとよくなると思えるようになってきた。そして、若いときに勤めていた靴屋のお客さんで生長の家の信徒がいたことを思い出し、病院を抜け出してその人を訪ねると、練成会への参加を勧められた。それで病院に外泊許可をもらって練成会に参加した。

 

練成会に参加すると、「人間は本来完全円満な神の子である」と教えられ、すっかり感激し、憎んでいた義母に対しても感謝の思いが湧いてきた。そして帰って診察してもらうと、「これだけ急速に治った人は、あなたが初めてだ」と担当医が驚き、3年はかかると云われていたのに9ヶ月で退院できた。

 

しかし、退院して義母と一緒に生活を始めると、やはりその後も、義母との葛藤は続いた。が、一方では「義母は自分を生長の家に導いてくれた観世音菩薩」と思えるようにもなり、しだいに小言を言われることも少なくなってきた。

 

そして、(いつ頃か分からないが)義母が他界する前日、次のように言ったとのこと。

「いろいろ言って悪かったね。赦してください。近くに、婿養子の放蕩が原因で財産を失った家があり、そんなふうになってはいけない、婿に舐められてはいけない、と思って強さを装っていた」とのことだったので、芳夫さんは「ばあちゃん、俺は何ともお思っとらん」と言うと、義母は声を出して泣きだし、芳夫さんも泣き、長年の心の葛藤が一瞬に氷解した、とのことでした。

 

この話を聞いて、いくら意地悪に見えても、相手には相手の思いがあるのであって、表面だけで判断してはいけないんだということをあらためて感じさせられました。また、このようにお詫びを言って旅立てるばあちゃんは、まさに芳夫さんを導く観世音菩薩様だと思ったことでした。

           

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日本人の宗教観について思ったこと ②

2019年02月04日 | 信仰

昨日の続きです。

20世紀に入ってアインシュタインが、特殊相対性理論を発表しましたが、その理論によって、仮に光速(秒速30万km)に近い速度で1年ほど宇宙旅行して地球に帰ってきたら、地球の家族は何十年も年をとっているということがl理論的に証明され、それを「浦島効果」と名付けています。つまり、浦島太郎の物語はただのお伽噺ではないことが証明されました。

 

一方、相対性理論の発表と期を同じくして量子力学というミクロの物質の研究が進み、ミクロの物質の世界では、従来の人間の常識では考えられない不思議なことが起きていることが次々と発見され、そのたびに研究者たちを驚かせてきました。そして今や物理学は3次元4次元を超え、10次元、11次元の世界を予想し、それを実験で確かめようとしているところまで来ているとのことです。さらに、宇宙は私たちの宇宙だけではなく、他にもたくさんの宇宙があることが予想されていて、まさにSFの世界の様相を呈しています。つまり、SFが科学によって現実であることが証明されつつあるということです。

 

多くの人は目に見えるものを、見たその通りにあると思っていますが、しかし、人間の目は学校で教わるように、ごく狭い範囲の波長の光しか見えないし、聴覚も臭覚も限定された範囲しか感じることができません。現実の縦横厚みの3次元世界を写真に撮れば、1次元が省略されて2次元の平面としか映らないと同じように、人間が五感を通してみるということは、本当は10次元、11次元という高次元の世界を3次元に省略して見ているだけかもしれません。ともかくわれわれの五感は本当にあるがままの姿を見ていないことは確かでしょう。見る心と、見る道具(視神経など)によって変わってくるはずです。

 

古い物理は、自然は人間の精神に関係なく客観的事実として存在するというのが立て前でした。つまり物と心とは別であるという二元論的考え方でした。しかし20世紀に入って量子力学の研究が進むと、宗教や哲学が言ってきたように、自然と心(観察者)は一つである、つまり自然は客観的事実として存在するのではなく、観察者によって変化する、という一元論を唱えるようになりました。(物心一如)

 

お釈迦さまは「三界は唯心の所現」と説き、イエス・キリストは「汝の信仰、汝を癒せり」といい、また「汝の口に入るもの(食物)汝を汚さず、汝の口より出ずるもの(言葉や思い)汝を汚すなり」と言っています。日本では「笑う門に福来る」とか「泣きっ面に蜂」「人を呪わば穴二つ」などという諺がありますが、その真実性を最先端の物理学が証明したと言えます。 

 

それから、
シスター・渡辺和子さんは「いのちの大切さが叫ばれながら、今日ほど命が粗末にされているときはない」という話をされていました。神や仏、そしていのちとか、愛は物質的次元を超えたものですから、科学的な証明を待っているのでは、いのちはわからないのではと思います。

 

「科学的であるか?」ということも大事とは思いますが、それに偏ると肝心ないのちを見失ってしまいそうな気もします。『神との対話』では、「自分は何者か?」と自分自身に問いかけることの大切さが力説されていました。
道元禅師も正法眼蔵で「仏法を習うというは自己を習うなり」と説かれました。

 

我が子を虐待する父親が、もし、「自分は何者か?」と常に問いかけることができていたなら、虐待する自分を選ばなかったかもしれないし、教育委員会も、決断するときに、「自分は何者か?」とみずからに問いかけていたら、少女の助けを呼ぶ声を無視して、あの父親に渡すという自分を選択するようなことはなかったろうという気がします。

 

まとまらないことを書きましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。

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日本人の宗教観について思ったこと

2019年02月03日 | 信仰

2年ほど前、新聞に日本人の宗教観についてのアンケート調査の結果が掲載されました。

それによると回答者数は2000人で、次のような結果になっていました。

 

○神や仏の存在を信じますか? という質問に対して、信じると答えた人は58%、信じないと答えた人は42%。

○信仰している宗教はあるか? の問いに対して「はい」と答えている人はわずか16%。

 

にもかかわらず、

○神頼みしたことはありますか? という質問に対しては、75%の人が「イエス」と答えています。

 

この結果からは、ふだん神や仏を信じていない人でも、神頼みしたことのある人はかなりいることがうかがえます。

また、特定の信仰は持っていなくても、神仏の存在を信じている人もかなりおられることがわかります。

 

それから、

○神または仏の存在を「信じる」と答えた人で、神(仏)を意識するときはどんな時か? に対しては、次のような結果が出ています。

(1) 幸せに感謝する時

(2) 自然の美しさや神秘を感じた時

(3) 支えが欲しい時

(4) 危機に陥ったり、脱した時

 

○「信じない」と答えた人に対して、その理由はという質問には、

(1) 科学的でない

(2) 存在が証明できない

(3) 神頼みしてもかなわない

(4) 無神論者 (神がいるならこんな理不尽な世の中はあり得ないはず)

と、答えられています。

 

信じない理由として最初に「科学的でない」とありますが、今の時代にこれはちょっと私は首をかしげます。
日本人は科学が発達する以前の昔から、「浦島太郎」の物語について語ってきました。また海幸彦、山幸彦の物語もあります。浦島太郎は竜宮城へ行っている間は年を取らなかったが、故郷に帰り、玉手箱を開けたらお爺さんになったという話。

 

また、山幸彦は兄君の海幸彦から釣り針を借りて海で釣りをしていたとき、反対に釣り針を魚に取られてしまった。兄君のの大事な釣り針を失くし途方に暮れていたら、そこに竜宮城の神様があらわれて竜宮城へ行く道を教えられ、竜宮城に行き、竜宮城で失くした釣り針が見つかったという物語です。

つまりどちらも、時間、空間発生以前の時空を超えた世界、生み(海)の底へ行ったということをあらわしています。

 

長くなったので続きは明日にします。読んでいただきありがとうございました。

日本人の宗教観について思ったこと ②

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「月日は百代の過客にして、行き交う年もまた旅人なり」

2018年08月09日 | 信仰

A子さんは一歳の時に、顔から火鉢の中に落ち、火傷をし、火傷の跡が残り、生きる希望がなかったという。その影響で、人生を歩み始めてからも潜在意識は真っ暗で、悪いことばかりがやってきて、「苦しみは、こんなにいろいろあるんだと思いました」と語っている。

 

ある時、生長の家の教えにふれて練成会に参加した。そこで講師の先生から「人間は幸せになるために生まれてきた」と教えられ、救われた気持ちになり、前向きに生きられるようになったという。

 

しかし、それでも、自分に対する姑さんのいじめは変わらなかったとのこと。そしてA子さんは言う。

 

「一番つらかったのは、お姑さんの理不尽ないじめでした。最後は泣きながらこらえてこらえて看取ることができたものの、亡くなってから憎しみが一層強くなり、手を合わせることもできず、悶々としていました」とのこと。

 

それである日、神様に「私は姑さんを赦すことができません」と心の内をぶつけました、と言う。
すると、次の日の朝、まだ意識がはっきりしない頭の中で、何か音が流れているので、耳を傾けると「月日は百代の過客にして、行き交う年もまた旅人なり」という『奥の細道』の冒頭の言葉だった。それが何度も流れるので、その意味を考えると、「月日というのは旅人のように、今いるようでも、もう二度と戻らない。終わったんだ、と思いました」とのこと。

 

それからは「共に苦しみを通して、生長した同士のように思え、手が合わせられるようになりました」とのことでした。

 

これは、最近体験発表で聴いた話ですが、人生という舞台で、縁あって巡り会ったものの、憎くて仕方がなかった。そんな心を持っていてはいかんと思うものの、その憎いと思う心を自分ではどうしようもなかった。それで悶々としながら、その気持ちを祈るような気持で神様にぶつけた。すると「月日は百代の過客にして、行き交う年もまた旅人なり」という言葉が繰り返し聞こえてきた。それで、それはもう過ぎたことだ。それを通して、互いに生長したんだと知ることができ、姑を拝めるようになったという、本当に心打たれる話でした。

 

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「今井美沙子」さんの話に感動

2018年07月05日 | 信仰

シスター・鈴木秀子さんについて検索しているうちに、同じくカトリックのシスターであるらしい渡辺和子という人の「キリストの香り」と題するYou Tubeにたどり着き、このところ、それを毎日少しづつ聴いていました。

 

この人は9歳の時、目の前でお父さんが陸軍将兵によって30数発もの弾丸を浴び射殺されたとのこと。いわゆる2.26事件である。その後、29歳の時アメリカにわたり、シスターとなるべく5年間の修行生活をされ、そして晴れてシスターになられたらしい。このテレビでの講話をされたのは御年88歳であられたようだ。

 

毎回の講話の時間はおよそ12分ぐらいで聴くにはちょうど良い時間だし、心に染みる善い話ばかりなので、毎回感動しながら聞かせてもらいました。そして、わたしはクリスチャンではないけれども、「この人は人間国宝」だと思いながら聞いていました。これからも聞かせてもらうことになるだろうと思います。

 

それからシスター・渡辺和子さんの話を聞いているうちに、今度は違う人が出て来たので、試しにそれも聞いてみました。この人の名前は「今井美沙子」さんといいます。長崎五島列島の福江島で高校卒業まで住まれていたとのこと。この人はシスターではなく、仏教的に言えば出家の人ではなく在家の人であるが、この人の話がまた、また素晴らしいのです。まだ、すべてではなく10回までしか聞いていませんが、シスターとはまた違った、在家の、いわゆるどこにでもいそうな庶民の、それでいて、何とも言えない、温かみと味があり、「こんな世界が本当にあるのか」と思わせるようなお話です。あらためて世界の広さ、人の世の奥深さを知らされた感じです。

 

そして、実際にこの人の書いた本を読んで、そういう生活にあこがれ、島に移住してきた人もいるらしいのですが、さもありなんと思いました。わたしも移住はできないものの、できるものなら一度福江島を訪ねてみたいと思いましたし、この人の講演会が近くにあるなら飛んでいきたいと思いました。つまり、それぐらいいい話が聞けるということです。天草の方言が耳にとても心地よい。

 

下のアドレスをクリックすればYou Tube、今井美沙子さんの「白いごはんは多めに」と題する話が聞けます。

https://www.youtube.com/watch?v=-ySGggUiqmE&list=PL12z5ETpOGHkk6jkumwop53YZcASVzY3o&index=3&t=0s

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親には「大切な宝」

2018年06月13日 | 信仰

8~10日と練成会がありました。例によってわたしは受付で参加者の名前などを入力しながらモニターを通して講話を聴いていました。その中である女性講師がこんな話をしていました。

その講師が生長の家の話を聞くようになって間もないころ、道を歩いているとき友達に出会った。するとその友達Aさんが、

「あなた何か嬉しそうね。いいことがあったの」と聞く。

「いや、別に」と答えると、「でも何か嬉しそうよ」という。

それで、「別に嬉しいことがあったわけではないけど、心が軽くなるような話を聞いたから、それでかな」と答えると、友達は「心が軽くなるような話なら、わたしも聞きたいわ」というので、次の誌友会(例会)の時に彼女も誘って、一緒に話を聞いた。

 

その後、しばらくして、Aさんの家を訪ねると、何人かのコーヒーやお菓子を用意していたので、「お客様が来るの?」と聞くと、その友達はこんな話をしてくれたとのこと。

Aさんには息子がいて、その息子が暴走族のようなグループと付き合っていて、そのことを心配していた。そして、そのグループが息子を誘いに来ないようにと、排斥する気持をもっていた。ところが、彼女が言うには、生長の家の話を聞いてから、そういうように悪く思っていた子供たちも、それぞれの親にとっては大切な子供たちであることに気が付いた。それで、悪い子供ではなく、親にとっては大切な宝だと気づいて、今度来たら、コーヒーとお菓子で歓待しようと思った。それで、いつ来てもいいように準備している、という話だった。

 

それからさらに日がたった。そしてAさんが言うには、コーヒーとお菓子で歓待しようと待っているが、一度も来てくれないとのこと。そして、息子は、これから家の家業を継ぐことを決心してくれたという話でした。

 

「類は類を以て集まる。類でないものは反発する」の見本のような話ですが、それよりも、Aさんが、「悪い仲間」と思っていた子供たちは、それぞれの親から見たら「大切な子供たち」であることに気づき、そして、排斥するのではなく歓待したくなった、というのは本当によい話ですね。感動しながら、自分まで幸せな気分になったことでした。

 

アジサイも、そろそろ終わり。しかし、

○天も地も過ぎ行くが、あなたは過ぎ去らない。 『神との対話』より

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講演会、そしてセツブンソウ

2018年03月15日 | 信仰

3月10日は講演会でした。講師はまだ30代の、そして生長の家に入信して4年半という若い先生でしたが、さすが宇治に奉職されているだけに、やさしい話でありながら、体験をまじえた味わいのある話に春のような幸せな気分になりました。そして、誰でも知っているやさしい話でも、味わいのある話はできるものだということを教えられました。

生長の家に奉職する前は警察官で、その頃は、何かにつけて「バカヤロウ」が口癖だったとか。たとえば「なんだって今日は雨なんだ、ばかやろう」とか、「なんだってここで信号が赤になるんだ。バカヤロウ」とか、そんな感じだったそうです。そして、悪いところを見つけるのが癖で、生長の家に来るまでは「人の良いところを見よう」などと、そんなこと考えたこともなかったそうです。そんな日々だったから、宇治別格本山の研修員になって、「ばかやろう」が「ありがとうございます」に変わり、「悪いところを見る」が「良いところを見る」に変わり、さらに神に祈ることを知り、人生が一変したという話をされました。見かけは坊主頭のその辺のお兄ちゃんという感じですが、きっとこれから年輪を加え、ますます素晴らしい本部講師になっていくんだろうなあと頼もしく思いました。

講演会は午後2時からで、私は運営委員で早く来ていたのですが、あいにく他の大きな行事と重なってしまい、もう午前中から駐車場が満杯になり、せっかく来てくれた息子も近くにも車を駐車するところがなく、やむを得ず引き返し、話が聞けずじまいで、本当に残念なことでした。

さて、話は変わりますが、今年は例年になく寒い冬でしたが、暖房は入浴後から布団に入るまでの1時間半ほどしか使いませんでした。朝は5時半に起きていますが、どういうわけか、特に我慢をしていたというわけでもないのに、暖房の必要を感じず、自分でも不思議に思っているのですが、ともかく灯油が節約でき、二酸化炭素排出もそれだけ少なかったと喜んでいます。

そして、一気に春が来たような感じですが、講演会の翌日の11日は、春の陽気に誘われて、伊吹山の麓にセツブンソウを見に行きました。去年も出かけたのですが、今年も3月の声を聞き、「春の妖精」が見たくなって出かけた次第です。その後、これも定番の三島池から伊吹山の雄姿を拝み、そして最期は水郷アクアパークを散歩してきました。以下はその時の写真です。

 ≪セツブンソウ≫

 

 

≪伊吹山≫

 

 

≪水郷アクアパーク≫

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過去のすべてのものに感謝し・・・

2018年03月09日 | 信仰

私は、はじめて『生命の実相』を読み始め、読み進んでいたころは、それはそれは感激で、今でもその頃のことを思い出すのですが、そのせいか、他の人からも教えにふれたきっかけの話を聞くのが好きです。

今月出講したところでは、現在72歳になる人からこんな話を聞きました。

その人の子供が脳性麻痺だったか、正確には覚えていませんがともかく脳何とかという病気になり、そのことで心を痛めていた。そんなある日、仏壇の引き出しに生長の家の「白鳩」誌が入っているのを見つけ、何となく読んでみた。そして「いいことが書いてある」と思った。それで、もっと生長の家の本を読みたくなった。すると、彼は養子ですが、そこのばあさんが(その時は既に他界していた)生長の家を信仰していたことがわかった。そして近くに地方講師がいることも分かったので、その講師の家を訪ねていった。そこで『生命の実相』を読むように勧めらて読み、感動し、そして教化部で『生命の実相』40巻すべてをいっぺんに買ったとのことでした。彼は病院のレントゲン技師をしていたが、いまは養子先の金物屋を引き継ぎ、その仕事をしているとのこと。息子は車いす生活で、毎日作業所まで送り迎えしている。そして息子は作業所の仕事を楽しみにしているとのことでした。彼は70歳を超えているのに、まったく濁りのないとても澄んだ目をしていたのが印象的で、世の中にはこういう目をしている人もいるんだと感心したことでした。そんな人だからこそ、40巻すべてを一度に買ったんだろうと思いました。

また、こんな話を聞かせてくれた人もいました。その人は九州から集団就職でこちらへ来ました。その就職先の社長夫婦が生長の家の信仰をしていて、彼は奥さんのアッシー役を頼まれたりすることがあり、そんなことから生長の家を知るようになった。あるとき、その会社の研修で生長の家の本部練成会(飛田給)に5日間の予定で参加させられた。行く前は嫌な気持ちだった。ところが、いざ受けてみると素晴らしい話ばかりで大いに感動した。そして社長にぜひとも10日間、最期まで受けさせて欲しいとお願いして、最後まで練成を受けることができ、感動し、入信したとのことでした。

その時の彼の感激はいかばかりだったかと、社長に「最後まで受けさせて欲しい」と直訴したという話を聞きながら、自分のことのように感激したことでした。彼はその頃、本がスラスラと読めなかったそうですが、『生命の実相』にはすべてフリガナがしてあるので大いに助かった。スラスラと本が読めるようになったのは『生命の実相』のお蔭です、と言っていたのが印象的でした。

 

話は変わりますが、出講の勉強でテキストの『如意自在の生活365章』読んでいたらP79にはこんなことが書いてありました。

○“過去のすべてのもの”に感謝し、“それらすべて”の今後の栄えのために祝福と感謝の愛念を送って、そこを去って行くとき、必ず、その人には、新しき一層善き人生が始まるのである。この世界は、神の造り給うた世界であり、神の支配し給う世界であるから、無限に“人のためになる仕事”また“自分が生き甲斐を感ずる仕事”がチャンと準備されているのである。それはその人の年齢の如何に関することではない。あなたが、なお地上生活の停年が来ない限り既にあなたに必要な仕事は今そこにあるのである。今そこにあるものを今ここに見出し得るか否かは、あなた自身の“心境”“心の態度”“心の傾向”如何にあるのである。「一切万事われより出でてわれに還る」である。

ここにある最初の「過去のすべてのもの”に感謝し」が私の心をとらえ、「そうだ、それはとてもよい事だ。過去のすべてのことに感謝しよう」と思ったら、それだけで嬉しくなってきました。そして、小学校からの先生一人一人を思い出し、また会社で世話になった人々を思い出しつつ「ありがとうございます」としばらく唱えるようになりました。まだ始まったばかりですが、とてもよいことに気づかせてもらったと嬉しい最近です。そんな時、4,5日前ですが、新年度シルバー人材センターの役員(2年)を頼まれました。ふつうならなんだかんだと逃げるところですが、気持ちよく受けさせてもらいました。神様、よろしくお願いします。

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神秘に打たれる

2018年03月04日 | 信仰

アインシュタインが5歳の時、父親がお土産にコンパス(方位磁石)を買ってきてくれた。そして、そのコンパスの針が、手で触れもしないのに勝手に動くのを見て、この世には目に見えない不思議な力があるのを感じ、神秘な感に打たれたとのこと。そして、そのことが後年物理学を志すきっかけになったのだそうです。

以前にもどこかで書いたと思いますが、私が生長の家の教えにふれる前、小・中学と仲のよかった同級生が、ある宗教に入っていて、その宗教の悪い噂は聞いてはいましたが、その同級生にどんな教えなのか聞きに行ったことがありました。そして、その後、別の日に幹部らしい人を交えて話を聞いたことがありました。どんな話だったかほとんど記憶はないのですが、相手の言ったことに対して「片手、片足がなくても、人間の値打ちには何の関係もない」と反論したことをよく覚えています。

たとえば、好きでたまらない恋人がいたとして、その恋人が顔にひどい火傷をし、顔が醜くなったとしても、それでもやっぱり気持ちが変わらないのが本当の恋愛だと、純情な青・少年年時代には多くがそう考えると思う。

しかし、「片手、片足がなくても人間の値打ちは変わらない」と反論した私も、「なぜ?」と聞かれたら、説明はできなかったし、「ほんとうの恋愛なら、たとえ火傷して顔が醜くなっても、好きな気持ちは一つも変わらない、それが本当の恋愛だ」と言う人も、「なぜ?」と聞かれて答えられる人はまずいないのではないかと思う。

その疑問は、生長の家の「人間は肉体ではない。ほんとうの人間は神の生命(いのち)である」という人間観になってはじめて「成るほど」と得心できるのだと思う。それは電灯が明るく輝くのは電灯自身が輝くのではなく、発電所から送られている眼に見えない電気が電灯の中を流れて輝いているのと同じで、その電気に相当するものこそが本当の人間であるというわけですね。

谷口雅春先生の『生命の実相』という本には、そのことが諄々と説かれていて、そして「神は本当にいたんだ!」という驚きとともに、神秘の感に打たれる。そして多くの人が、このような人間観、世界観があったのかと驚き、神秘の感に打たれ、もっと教えを理解したいと思って生長の家にやって来ます。

私はこのごろ、実際の自分ははなはだ不完全でありながらも、神想観で神と一体であることを念じ、また、日常生活の中でも、「完全円満な素晴らしい神と一体である、自分の内に神が生きている」と念じるとき、とてもありがたい気持ちにならせていただくことができ、「人間、神の子」の教えの有難さをしみじみ思います。

2月の練成会で、ある女性講師が講話の中でこんな体験談を聞かせてくれました。

彼女は4人兄弟で、彼女が一番上で18歳の時、1番下の子は3歳だった。そんな時、母親は子供たちを残して家出をしてしまった。彼女は「3歳の子をおいて家を出ていくなんて、どうしてそんなことができるんだ」と、母親を恨んだ。そして生長の家を知り、練成会に参加し、浄心行をするようになった。どうしても母を許せなかったが、浄心行で母に対する恨みを思いのたけ、書き連ねた。そして書き終わったとき、とてもすっきりした。そして彼女は講話の中で、こう言いました。

○母が生んでくれなかったら、私は今ここにいない。何をしてくれたからありがたい、これをしてくれたから有難いじゃないんです。産んでくれたそのことが有難いんです。

聞きながら、涙がこぼれそうになりましたよ。そして、「産んでくれたそのことが有難い」ということが、初めて私にも実感として伝わってきました。

世の中、A1か人工知能か知りませんが、そんなことに驚くより、もっと驚くべきことがたくさんあるのにと思います。もし、神がいること、そして、その神が自分の内に生きていること、しかもそれこそが本当の自分であるとしたら、人工知能どころではないだろうに、と思います。名人に勝つ人工知能などより、この彼女の話の方がよほど素敵で感動的な話ではないかと思います。

ちなみに彼女の母は今80歳を超え、○○に住み、舞妓や芸者さんたちの着物を縫う仕事をしていて、元気で、裕福に、そしてカラオケなどしながら楽しく生活しているとのこと。よかったですね。蛇足ですが、別に男ができて家を出たわけではないそうです。きっと何か事情があったのでしょうね。いずれにしても、すべては神の栄光顕われんがためですね。

○この何事にも絶対に必要な直覚力を養成するにはいかにすべきか。幼時より子供の「神秘がる心」を押し消さないようにすることだ。神秘なることを神秘として教えよ。深く考えれば実に神秘であるところの現象を、当たり前の茶飯事だとして、見逃してしまうような習慣をつけてはならぬ。人間を心臓というモーターで動く機械だと教えてはならぬ。草木をただの毛細管現象で生長する機械だと教えてはならぬ。神仏を偶像であると教えてはならぬ。あらゆる物にやどる生命の神秘を教えよ。神秘に驚異し、生命を崇敬し、その生命の神秘に一歩でも近づくことを名誉と思い、生命を合掌礼拝するように子供に教えよ。 (『生命の実相』第14巻 P161)

 

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 『不殺傷菜食者 3』

2018年03月01日 | 信仰

mikoさんの「不殺傷菜食者」をここに載せるのは第2弾までにするつもりでしたが、第3弾を読んでいましたらこれまた素晴らしく、男女の違いはあれども、自分もこのように愛深く、やさしき人間になりたいと感動せずにはいられませんでした。それで、またアップさせてもらうことにしました。

以下は『不殺傷菜食者 3』です。(当時プリントアウトしていたものを、写経するような気持でワードに入力し、それをアップさせてもらっています。)。

 

「不殺傷菜食者 3」

私のささやかな願いの投稿に、様々な反応を下さり、大変嬉しく感謝しております。『不殺生』について少しでも、多くの方が思いを巡らすご縁になれば、この上ない私の喜びであります。ありがとうございます。今回、食に関する以外の『不殺生』について投稿させていただきます。

『不殺生』を決意したときから、肉食をしないということもさることながら、私は虫を殺さないということも心掛けています。『不殺生』を決意する以前の私は、アリや蚊などが自分の目に映ればすぐに、何も考えることなく反射的にぶちっと潰したり、パチンとやっつけたりしていました。それまでの私にとって、それらの生命は明らかに自分を害する殺すべき『敵』だったのです。生まれたときからそういったことを疑いもせず、それが当たり前で過ごしてきたのですから無理もありません。

それに振り返ってみると、自分自身が実際『不殺生』を実践するまで、ベジタリアンや人間にとって害虫であるはずの虫の命を守る行動などに対し、心の中で距離を置き、どこか冷めた目で見ていた私がいたように思います。正直、不殺生採食も害虫たちを殺さないことも、実際に始めるまでは「栄養面では大丈夫だろうか?」「蚊や蜂の攻撃やアリやクモの侵入を、ただ受け止めることなんて本当にできるだろうか?」こういった思いを含め、「億劫だな、面倒だな、不安だな」などと私は思っていました。

しかし。すべては繋がっているいのち・・・生命礼拝・生命尊重・・・その思いは強く、谷口雅春先生の『心と食物と人相と』の御本にも巡り会い、私は決意を後押しされ、『すべての命あるものとの調和』を心に描き、『生命礼拝・生命尊重』を実践しはじめました。

例えば、洗面台にいた蚊に向かっては「ここでの体験を堪能したら出ていってくださいね」と声をかけ、「私はあなたを殺しません。ですから、どうぞ私たちの血を吸う代わりに、この水を存分にお使いください」と心の中で伝えてみたり、台所のちょっと困った場所におられるアリなどの場合は、「すみませんね」と言いながら、ティッシュなどでやさしく包んで外に移動させたりしています。我が家は昔ながらの古家で、ありとあらゆる害虫の出る今まさにその季節なのです。

しかし、『生命の実相』(第2巻だったと思います)に載っていた「すべての生物その所を得て相侵さざるは神の道なり」という祈りの言葉を支えに、ひたすら実践に勤しんでいます。すると実践するたび、不思議とあれほど憎っくき『敵』だった虫たちのことを「一個の生命が今を一生懸命生きているんだなあ」と愛おしく思えている自分がいることに気づきました。それは、私にとって衝撃でした。そう思える自分の心が「いかに平和で穏やかな気持ちに満たされていることか!!」私にとって何とも言えない嬉しい嬉しい驚きでした。「やってみないとわからない」、それが私の学んだことの一つです。

『虫たちを殺さない』それを実践する私に、友人がこんな話をしてくれました。

知り合いのおじさんの家に行ったら、軒先に大きな蜂の巣があった。でも、その蜂の巣、足れ下がっている部分がなんだか変な具合。よく見ると、ボンドで止めてある。おばさんに聞くと、「そうなの~、あの人モノ好きで、蜂がかわいそうだって言って、わざわざ落っこちた蜂の巣を拾ってボンドで治してあげたのよ。まったく変わり者なんだから~」とのこと。しかも、蜂の巣を修繕したおじさんは、蜂たちにまったく刺されなかったそうだ。ちなみに、「なんであんなことをするのかね~」と蜂に敵意を持つおばさんは、特に何の刺激もしないのになぜだかよく蜂に刺されるらしい。

この話を聞いて、なんだかちょっと嬉しい気持ちになりました。変わり者と変人扱いされるほど、生命の大切さを愛深く実践されているのかもしれないなあ、と。それならいっそ、おバカになるべきかもしれませんね。

我が家には小さい庭があり、少しばかりの畑を作っていいます。見よう見まねで作り始めたばかりですが、葉ものは虫たちの食べ放だいとなっていて、ほどんど芯しか残っておらず、全滅状態です。その状態を見かねた父母たちは、良かれと思い虫たちを捕殺してくれていますが、今までさんざん殺されるものとして扱われてきた彼らに対し、せめてもの償いと思い、「好きなだけ召し上がって下さい」と、私自身は全く何もしません。残念ながら、これらの野菜が、今旬の食卓に上がることはないでしょうが、それはそれでいいと私は思っています。私もちょっとおバカと映るでしょうね。水撒きなどでブンブン近寄ってくる蜂や蚊たちには「私はあなたたちを害する気は全くありません」と心の中で伝え、先ほどの祈りの言葉を唱えながらやり過ごしています。

調和しようとする心は伝わるのか、以前のようにむやみやたらに刺されることが減りました。刺されたとしてもかゆみが後を引くことがほとんどありません。またどうしても殺してしまった場合には、その虫の魂に向かって「このようなことになるので、もうこの場所には来ないように(人間に近づかないように)と仲間たちに伝えてください」そう言って葬っています。

大好きな生長の家の皆さんにお願いです!どうぞ、一匹の虫から始めてみて下さい。虫たちに愛を現わすことを実践してみて下さい。おバカになって「すべての生物その所を得て相侵さざるは神の道なり」という祈りの言葉を唱え、憎っくき『敵』だった]虫たちを愛おしいと感じてみて下さい。そこにいるのは虫ではなく、『一個の生命』だったと気づくことでしょう。そこには、目に見える現象の垣根を越え、『一個の生命』をいとおしい、そう感じられる自分の心が必ずあるはずですから・・・。そして、そう思える自分の心が、【いかに平和で穏やかな気持ちに満たされることか!!】平和な調和した世界は、その心を持ってしか表せないことを、お一人でも多くの方が実感して下さることを願っています。

拙い自分の体験から、実感したことを思わず綴らせていただき大変恐縮です。読んでくださりありがとうございました。

 

以上で、mikoさんの『不殺生菜食者』は終わりです。

プリントアウトしていたものを、ワードで入力していると、ひしひしとその心持が伝わってきて、特に最後の「平和な調和した世界は、その心を持ってしか表せないことを、お一人でも多くの方が実感して下さることを願っています」には、感動せずにはいられませんでした。どこの誰かは知りませんが、心より感謝申し上げます。ありがとうございます。

ちなみに文中の「すべての生物その所を得て相侵さざるは神の道なり」は『生命の実相』第12巻、129ページにも出ていて、この祈りの言葉を書いて立札をしたところ、ネズミが来て食物をかじられる被害が、それ以来なくなったという話が出ています。(2巻は確認していません)

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『不殺生菜食者 2』

2018年02月24日 | 信仰

今日はmikoさんの『不殺生菜食者』の第二弾をアップさせてもらいます。

感動と共に、読むだけでも浄められる心地がして、これを保存しておいてよかったとつくづく思います。イエス・キリストも、釈迦も、もし何も語らなかったとしたら、偉大な教えも、その足跡も何も残らなかった。それと同じ意味で、この投稿文を心から有難く思う次第です。以下『不殺生菜食者 2』です。

私の育った家庭は、どちらかと言えば食というもの(特に肉食)には、まったく関心のない家でした。ですから、子供の頃はハンバーグが大好きでした。しかし、生長の家の教えも知り、の際の動物たちの涙も知る大人になった私は、肉食をすると体に反応が出て戻してしまうようになり、自分の魂が肉食をすることを身体を使って拒否しているのだと感じるようになりました。その頃から、私は肉食を段々と減らすようになり、ハンバーグで言うなら、使用するお肉を、牛から豚へ、豚から鶏へと変え、量もなるべく少量にして豆腐ハンバーグへと移行してきました。そして、肉食をする際は必ず感謝の思いを添えていただくようになりました。すると、体の拒否反応は出なくなっていました。

しかし、その頃の私はまだ『殺生・不殺生』『生命』などについて思いを深く巡らせていたわけではありません。当たり前のように食していた動物たちが、実は涙を流していたのだと。涙を流しながら、私達人間のために犠牲になって肉を捧げてくれているのだと。なんと可哀そうなことだろう・・・、ああ、ゴメンナサイ!そんな思いをさせていたなんて!なんの懺悔もそして感謝の気持ちも抱かずにただ当たり前に食していた私を許してください。これからは、なるべく食することをやめ、食する際は感謝を捧げます・・・。そんな感じで、私の不殺生への道は始まり、続いていくのでした。

そんな中、前回の投稿文章に書きましたように、子供たちの生命に関わる様々な事件が起きるたび、“生命を守りたい”そんな強い気持ちが私の心の中に湧き起こりました。そして、「殺すものは殺される」という法則を考えたとき、友人が私に言った「目の前に来たからと言って、食料として殺された自分の子供の屍肉を食らう母親はいない」という言葉が、ストン!と私の中に入ってきたのでした。

女性であるわたしには母性というものが宿っています。すべての生命の母であると思える女性特有の母性・・・。その言葉は、私のこの母性を大きく揺るがしました。目の前に出されたもの、与えられたものを感謝して食せばいい。私にはそう思うことがもうできなくなりました。

だからと言って『不殺生』が絶対正しいから、すべての人がそうなるべきだと強要する気持ちはありません。私には小学生の子供がおりますが、不殺生菜食の強制はしておりません。自宅では動物性の食材を一切使いませんので自然と採食になりますが、学校給食ではそういうわけにはいきません。いっそのことお弁当を持たせようかとも思いましたが、子供自身が私の姿勢を見て自然と肉食をやめたくなったとき、その時、どうするべきかを考えることにしようと思っています。ただ、給食でお肉やお魚が出たときには、あなたのために命をくださるのだから、必ず「いただきます、ありがとう」と心の中で言ってね、と話しています。好き嫌いのまったくない子供ですが、最近は「お肉嫌だなあ」と言って残すこともあるようです。

ハンバーグ大好きだった私が、不殺生菜食者になるために歩んできた行程を振り返るとき、その時その時に応じたステップがあるように思えます。何も知らず、知らされる機会もなく、ただ当たり前に食していた段階から、感謝を捧げていのちを頂くという段階があり、やがては導かれ大調和の世界を描く要因になっていくのだと・・・。あくまでも、その個人の魂が自然にそう導かれたとき、あるべき形になればいいなと願っております。生長の家を知らない友人などにも、第一のものを第一にしなければ・・・という強い意志のもと、流産児たちへの思いと、生命礼拝・生命尊重からの不殺生菜食への取り組み、私のありのままをお伝えさせていただいております。

すると不思議なもので、だしの取り方がこんな本に載っていただとか、ベジタリアンのいいHPがあるよとか、畑で取れたお野菜を使ってねとか、遠方の友人などはわざわざ手書きの美味しい野菜料理のレシピを郵送してくれたりと、思い思いに協力してくださり、「絶対菜食までは無理かもしれないけど、少しでも減らしていけたらいいな」と言って、できるだけ採食に近づけようと、私に同調してくださる友人たちが増えています。

「またまた、そんな変なことに凝って・・・」と呆れ顔で私に言った実家の母も、次の日には「だしをとるのに安くてたくさん入った干し椎茸があったから買っておいたよ」と、私の行動に否定的なのかと思いきや、なんだかんだ言っても私の一番の善き協力者です。親というものは本当にありがたいものだとしみじみ思いました。

不殺生菜食者という今の私の姿勢が、少しでも良き影響を周囲に及ぼすことができたならと、ただ神様に全托し邁進して参ります。ありがとうございます。

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