気の向くままに

山、花、人生を讃える

団参から帰って

2009年09月24日 | 信仰
団体参拝練成は4年ぶりの参加。
総本山到着と同時に感激が押し寄せた。ああ、やっぱり素晴らしいなあ。魂の故郷だ。
何もかもが洗い流され清められる気がする。

次の日の早朝行事。
闇夜に灯篭の光が幻想的。空を見上げればたくさんの星が瞬いている。
顕斎殿へ向かう人たちの玉砂利を踏む音が響く。この世とは思えない。

午前の行事に行く頃には、不老橋の朱色が朝の光を受けてひときわ美しい。顕斎殿もその光を真正面に受けて輝いている。何枚も写真を撮りまくった。
全身をどっぷりと境内の雰囲気につつまれるこのひと時、この気分、たまらないな。
次の日も、同じことを繰り返した。

講話、献労、その他、すべての行事が素晴らしかった。
(今回は念を入れて、浄心行の記載することもあらかじめプリントして、書き写すだけというように準備していった)
そして、あっという間に過ぎてしまった。
夢を見ていたような。

献労では、総本山でも上位と言われる急斜面の草刈りで、yoshimiさんと隣り合わせになった。
いいとこ見せなきゃあと思うが、yoshimiさんの方が先に上に着いてしまった。
あちゃあ、これでは男の面目丸つぶれだぜ~。

そう言えば、ロビーで家内とジュースを飲みながら、向かいの席に座っていた男の人と話をしていたが、家内が帰った後で白鳩会長が来られ、次に、うっち~ママさんのお父様も来られ、しばらく4人で雑談をしていました。もっとも、うっち~ママさんのお父様とは知らずに話していて、後で家内に聞いてわかった。
ともかく、素晴らしいお父様とお話ができて、光栄でした。


さて、総本山から帰ったら、なんだか虚脱状態になってしまった。
何にもする気が起らず、谷口雅春先生のお声が聞きたくなって、今は総本山落慶前後の頃の古い「生長の家」誌を出してきて、先生の「明窓浄机」を読みふけっている。

家内は、昨日出講で、明日も出講だと言う。
忙しそうだが、自分は暇。虚脱状態!
そんなときにあゆみさんが来てくれて、助かった。

今日は1日中ぼんやりしていたら、家内が気になったと見えて、「おとうさん、今日は散歩した?」と、聞く。
「してない」と言えば、「散歩ぐらいしなきゃあ」と注意された。
もっともだと思い、明日からまた頑張ろうと区切りをつけるために、これを書き始めたわけだ。


灯台    


灯台


灯台                          



追加

さて、新幹線に乗るときだったか、○○さんですか?
と、聞かれたので、はい、そうですと答えると、以前に少しだけ話したことがあると言われる。名前を聞いて思い出したが、2,3度コメントをいただいたことのある方だった。

その方が新幹線の中で、『「イスラエルの12の分かれ」の12とは何のこと?』と、誰にともなく聞いておられたが、わたしはその本を6月に読んだばかりながらうろ覚えだったので、答えられなかった。
それで、帰ってさっそく読みなおして見た。ブログを見ているとのことだったので、ひょっとして見てくださるかなと思い、その答えの載っているところをここに書かせてもらうことにしました。

『神ひとに語り給う』の「新天新地の神示」の説明で、
○「イスラエル」という言霊的意味の説明が91ページの最後の行から、
○「12」の意味が95ページの5行目から、
○「イスラエルの12の分かれ」についての全体的にまとめた説明が97ページの10行目から、書かれています。

声をかけていただき、ありがとうございました。
あの頃は投稿し始めたばかりの頃でコメントをいただいたのが、いっそううれしかったです。
家内に聞いたら、「もう、良く勉強もされているし、活動的だし、素晴らしい人だよ」とのことで、お顔からもそんな感じがしたのですが、そんな人に声をかけていただき、また、うれしくなりました。

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感動した話の覚書

2009年09月06日 | 信仰
昨日は、相愛会研修会に出席。
その研修会講話での感動した話の覚書。

≪その1≫
あるリンゴ農園を営む家族の話。
リンゴ栽培は10種類ほどの農薬を使うらしい。そして結構毒性の強いものらしくて家族の誰かがその農薬を誤って肌に冠った。そして、皮膚に異常が起きたことから、10種類の農薬をこれから1種類だけ使うことにしようということになった。

しかし、農薬を使わないことにはいろいろな被害にあって、リンゴの生産がうまくいかない。農薬代わりの対策をいろいろ工夫してやってみるが、どうしてもうまくいかず、だんだんに実はならなくなり、花も咲かなくなり、木は弱っていくばかり。とうとうリンゴの木そのものが、今にも枯れんばかりになってしまった。木が枯れてしまったら本当に一家破産になってしまう。しかし、もはや万策尽き果て、どうしていいかわからず途方に暮れた。その頃には、変人として村八分の状態にもなっていた。
思わず、木に抱きついて「頼む!枯れないでくれえ!」と懇願した。

ある日、山中を歩いていると、リンゴが遠くに実っているのが見えた。
「山中のリンゴなら農薬も肥料もないはずだ」と、そこへ駆けつけると、それはリンゴではなく、別の木だった。しかし、その時、ふと気がついた。幹の周りの地面には草が生えていた。

「草を生やせばいいのだ。草を生やせばそこに湿度が保たれ、温度も低くなるはずだ。これだ!」
と、気がついた。そしてその通り、幹の周りに草を生やすようにした。すると、数年後に花を咲かせ、さらには実もなるようになったとのこと。

雑草と見える草々が、果樹にはなくてはならぬ存在だったとは、草むしりにけっこう時間を費やしているわたしにもうれしい話だった。

されはさておき、
木場教化部長は、「人間神の子、無限力」の実例としてこの話をされた。
「もう駄目だ、万事休す」というところから、本当の無限力が出て来るのである、ということだった。

御岳信仰をしていた私の大叔母が、70歳ごろのことと思うが御岳に上った時、途中で、もうこれ以上を登れないと頂上を断念して一休みしていた時、ふと見ると傍らに見たこともない、きれいな真っ赤な花が咲いているのが目にとまった。思わず「まあ、何ときれいな花!」と、驚いたらしい。
その花に見とれているうちに元気が出てきて、登ろうという気になった。そして、もう一度その花を見ようと思ったら、その花はどこにもなかった。
大叔母は、「おかげで疲れ知らずで登れて、あれは不思議なことだった」と話してくれたのを思い出した。

≪その2≫
バチカンの10人ぐらいの枢機卿の中に、一人の日本人がいたと思う。
多分その人の話だと思うが、その人が何歳ごろの話かは聞き洩らしたが、10代の若い頃の話だと思う。
その頃、一家は親類の家に居候していて、両親もとても肩身の狭い思いをしていて、両親が気の毒に思えて仕方がなかった。そして、「よし、俺が家を建ててやろう」と思ったらしい。

ある日、リュックを背負って、近くで建て替え工事をしていた教会へ泥棒に入って、釘をザックの中に詰め込んでいたそうだ。すると背後に人の気配がする。「しまった!」と、瞬間的にお袋さんの悲しそうな顔が目に浮かんだらしい。背後に立っていたのは神父さんだった。

観念して、そのままじっとしていると、驚いたことにその神父さん、何も言わず、一緒になって釘をザックに入れはじめたとのこと。そして、ザックがいっぱいになったら、何も言わずに見送ってくれたとのこと。

翌日の朝、その少年はその教会へ神父さんを訪ねて行った。そして、その神父さんに言った。
「今日から私を弟子にしてください!」と。
それが、今日のわたしの始まりであるということらしい。

これは、安藤 満本部講師の話。

「この神父は、説教はおろか、キリストの話もしなかった。ただ身をもって、愛を行じた」と、この話を締めくくられた。

そして、いろどりひかる☆さんのブログでおなじみになった熊本の宮本講師の話を出された。
宮本講師は、1年間で60余名もの聖使命会員、さらに同じく60余名もの普及誌購読の仲間をつくられたとのこと。そして、それは普段の愛の実践の賜物であるとの話をされた。

≪その3≫
話の最初の方を聞き洩らしたが、どこかの大学教授か何かだろうと思うが、生長の家の「炭素ゼロ運動」の視察に来て、その取り組みの徹底さに感動されて、頼みもしないのに、生長の家の地球環境へ取り組みの素晴らしさに感動して、あちらこちらの講演で話しているとのこと。

その講演を聞いた中に、ある大手宗教団体の幹部がいた。そして、そんなに生長の家の環境への取り組みが素晴らしいなら、生長の家から講師を派遣してもらって話を聞こうじゃないかということになった。
そして、講師が派遣され、その教団幹部を対象に講演会が催された。するとその話が、また感動を呼んだらしい。そして、今まで3回、その教団から講師派遣の依頼があって講演会が催されているとのことだった。

すがすがしい美談に、うれしくなった。
(教団名はここでは伏せることにした)

読んでいただいてありがとうございます。

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