気の向くままに

山、花、人生を讃える

「願いは成就する」

2012年02月20日 | 信仰

わたしはあの世へ旅立つまでに、きっと
「うれしくてしかたがない、ありがたくてしかたがない」
というようになれるまなってやろうと思っています。

イエス・キリストが十字架にかかるとき、
まだこの世のあらぬ前(さき)に、わが汝と偕にもちたりし栄光をもて、今御前(みまえ)にて我に栄光あらしめ給え」と祈ったそうですが、

わたしも先日ふと思いついて、神想観の後でこれを真似て念じてみました。
「まだこの世のあらぬ前から、わたしは神と一体であり永遠の存在である。未だかつて人を傷つけたことなどないのである。傷つけられたことも無いのである。罪を犯したことも無く、穢れもなく、完全円満なるものである。罪を犯したように見えていたのは悪い夢を見ていたに過ぎないのである。わたしは永遠に神と離れることなく、常に一体であり、今も一体である」というようなことを念じました。

思いつきでほんの数分念じただけでしたが、本当に「この世のあらぬ前から、神と一体であった」ような感覚が湧いてきました。

その後は、この時のような感覚は湧いてきませんが、しかし、最初のときの感覚は残っているので、その時の感覚を思い出しながら念じるようにしています。

考えて見れば、「心からの願いは成就する」というのは本当だと思うし、「本当に必要なものは与えられる、いやすでに与えられている」というのも本当だと思う。わたしも、だんだんにそういうことが信じられるようになってきました。

ここぞというときには、いつも助けられてきたと思う。
ただ、それが人によっては「神に助けられた」とは思わないだけで、実際には誰もが、神に助けられているのだと思う。そうでなかったら、神は不公平だということになるが、神が不公平だということはあり得ない。しかし、神に助けられたのをただの偶然だと思っている限り、その人から、いつまでも不安がなくなることはないだろう。都合のよい偶然なら、いつもというわけにはいかないから。

わたしは9年前に自宅を火事で焼いた(火災保険は入ってなかった)。そして、新築した(借金で)。
その数年後、30年勤めた会社をいやになって辞めた。
誤解されるといけないので書かせてもらいますが、窓際になったわけではない。わたしが退職願を出したら、重役が慰留に来たし、会社に残ってもらうためにはどうしたら良いのか、条件があれば言ってくれ」とまで言ってくれました。
30年勤めた会社だし、経済的理由もあって、気持ちの切り替えができれは残りたい会社でしたが、どうしても気持ちを切り替えることが出来ず、経済的理由だけでは、働く意欲をなくした会社に残るのは潔しとせず、さんざん悩んだ末、意を決しての退職願いでした。だから、慰留されても気持ちは変わりませんでした。

そして退職後、失業保険も切れるからそろそろ身の振り方を考えなければならなくなった頃、わたしは何を(仕事のこと)したいのか自分でもよくわからなかったので、「神様ならご存知の筈ですから、私に相応しい仕事を与えてください」と祈りました。
そしたら、その翌日、本当にその翌日、思いもかけない電話がありました。
その電話の内容は、ある会社からの「うちの会社に是非来てほしい」というものだったので、この時は本当にビックリしました。そして、この時ほど強く神を感じたことはありませんでした。人間と話しながら、神様からの電話を頂いているようで、脳裏に神様の顔が見えそうなぐらいでした。
(何故私に電話が来たかという具体的なことは「後記」で書いておきました)

そして、再就職したその会社も60歳になったのを機に退職しました。
経済的には、そのままこの会社で働いていた方が良かったのですが、わたしは畳の上で神想観をし、先祖の前で聖経をあげたかった。そして、何よりも、信仰を本物にしたい、お役に立ちたいという思いがありました。

今、まだまだ先は遠いものの、その願いが徐々にかないつつあるようでうれしい。
それに「剪定」というはじめは考えもしなかった面白みのある仕事が出来るようになっただけでなく、欲しかった軽トラまでプレゼントしてもらった。

○わたしはあなたの内にあり、あなたは私の内にある。
○あなたが願うことはわたし(神)が願うことである。
  (『神真理を告げ給う』より)


だから、あとは
本当に「嬉しくてしかたがない、有難くてしかたがない」と、万物を拝めるようになりたい。
それが願いであり、「きっとなるぞ!」という決意である。

そして、棺桶に入ったと見えるとき、わたしは空から叫ぶ。
『やったぜ、ベイビー!』と。

(以上、わが内に神を感じつつ記す)


≪後記≫
再就職した会社の重役は、かつてはわたしがそれまで勤めていた会社の上役だった人で、その人が退職後に再就職し、その会社の船員が辞めて困っていた時、助っ人を求めて先の会社に電話をしたら、わたしが退職したのを聞いて、さっそく、こちらへ電話をくれた、という次第でした。

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『よろこびの発見』

2012年02月18日 | 人生

久し振りに更新する気になりました。
といっても特別なことがあったわけではないのですが。

もう春はそこまで来ている筈ですが、相変わらず冷たい日が続いています。
しかし、昨年は名古屋ってこんなに寒かったかなあと思ったのですが、この冬はその寒さにも慣れたのか、昨年ほどには寒さを感じず、わたしの部屋の暖房時間が大幅に減りました。夜はほとんどの日が風呂へ入る直前の9時になってはじめて暖房を開始します。朝もほとんどが早朝行事の時間だけ。そして、設定温度(ファンヒーターです)も昨年の13℃から11℃まで下げました。暖房中の部屋の温度は11~12℃ぐらいで、普通なら寒い筈ですが、今年は何故かこれでちょうど良いぐらい。
「できるだけ地球にやさしく」という意識は勿論ありますが、だからといって、特別我慢しているわけではなく、自然にそうなりました。
剪定作業のおかげでもあるかなと喜んでいます。

昨年は腰の怪我のせいもあってほとんど山へ行けなかったが、今年は出かけたいと思っています。
春山の季節が近づきつつあって、楽しみなことです。
2日前、近くの「植木センター」というところを覗きましたら、鉢植えの福寿草があり、見ているうちに欲しくなって買ってしまいました。懐かしい春の花に、山へ行けるまで待ち切れなかったのです。

昨年秋から90歳の義母が我が家に同居しています。
認知症の気があるので、医者に診てもらったところ、まあ、年相応だということだったらしい。
物忘れが激しく、どこへ行ったかといつも引き出しの中をあれこれ探しているようです。それだけならいいのですが、そのたびに家内が隠したと思うらしく、家内に詰め寄ったり、憎まれ口をたたいたり・・・。といっても本人は憎まれ口ではなく、大真面目らしい。そして、またそんな憎まれ口を叩いたこともすぐに忘れてしまうようだ。そういうわけで、家内は心配したり閉口したりしながら、どう向き合っていったらいいのかと、いろいろと勉強させられているようです。

わたしにとって痛いのは、二人で自由に出かけられなくなったこと。
日帰りの山なら一人で出かければいいが、小屋泊まりの山旅は一人ではさびしい。
この際、山登り専用の恋人でもつくってしまうか・・・。ははは。

先日、出講に行った後、ふと思い出して徳久先生の晩年の講話ビデオがあったのを思い出して久し振りに見ました。タイトルには「徳久先生最後のご講和」とあった。ビデオを見ると、冒頭に、「91歳になるが、有難いことに年齢のことはまるで念頭になく、いっちょう恋愛でもしてやろかと思っているぐらいです」などと挨拶されていた。91歳でも徳久節健在だったのが、なにか嬉しかった。

徳久先生で思い出しましたが、義母の家から運び出した古い本の中に徳久先生の『よろこびの発見』というのがあり、読んだら実に素晴らしかったので、ときどき読み返したいと思って新版を買いました。そしてまた読みました。そして、出講でも、素晴らしい本だからとお薦めさせてもらいました。



○私は目を見ひらいて、私自身が生きているということを、もう一度ふりかえってみた時、いままで何の変哲もなく当たり前だと思っていた、この「生きる」ということが、じつに不思議な事実だということを発見したのである。そう考えてもう一度自分をふりかえってみると、呼吸していることも、ご飯を食べることも、大小便をすることも、心で何か思うことも、すべてのことが不思議になってきた。こんなことは医科大学でいとも簡単に説明され解決されていたはすであったのに、いまの私にとっては全然解決されていない、新しい事実となってしまったのである。すべてが不思議なのである。しかし、それでいながらすべてのことを喜べるのである。感謝できるのである。同じ世界にいながら、新しい世界へ生まれかわったのである。

(『よろこびの発見』より引用。徳久克己著 日本教文社 ISBN-4-531-06314-7)

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