気の向くままに

山、花、人生を讃える

夢中になった初陣

2010年02月05日 | その他
寒い日が続いていますが、2月3日、地元の遺族会の敷地の植木を5人で剪定しました。
わたしの記念すべき晴れの初陣でした。
天候はピンポイント予報では最高気温は5度、北風も強いとのことで心配しましたが、やりはじめたら、寒いどころか、夢中で汗ばむほど。

私が任されたのは、車の出入り口をはさんだ両側の、サザンカの生け垣でした。
昼休みをはさんで9時から16時までみっちりかかり、午後には腕の握力もなくなるぐらいでしたが、それも忘れて夢中でした。ときおり時雨もきましたが、夢中になっているので、時雨も、ただ目の前を通り過ぎて行くという感じでした。

長時間、こんなに夢中になったのは久し振り。
あとの何とも言えない充足感に、夢中になっている時間のスバラシサをしみじみ感じさせられました。
寒さと時折の時雨も、終わって見れば、初陣を飾ってくれる完璧な舞台装置でした。
あの世での回想のとき、このシーンでは笑みが浮かびそうである。


こんなに夢中になったのは、前回はいつだったろうと記憶を手繰ってみました。
10年ほど前ですが、エンジンのひとつの大きな整備作業をしているとき、別の問題が見つかり、これまた大きな作業となり、人手が足りないというわけで営業所の人間も駆り出され、20時の出港に間に合わせるべく、必死に取り組んだことがありました。

その日わたしは下船日で、通常なら、13時には下船できるはずでしたが、こんな状態で下船できるわけもなく、完全に復旧できるまで、休憩もとらず必死になりました。
そして、どうにか出港ギリギリに間に合い、取るものとりあえず、あわてて下船しました。

ところが船を見送って気づいて見ると、服は着替えていましたが、足もとは作業用の汚れた安全靴のまま。「しまった!」と思いましたが、後の祭り。新幹線に乗るのにいくらなんでも背広に安全靴では恥ずかしいので、近くのスーパーで革靴と靴下を買って履き替えて帰ったことがありました。
そうそう、ビジネスホテルで1泊して翌日新幹線に乗りました。
ともかく、この時は「やれやれ、間に合った」という安ど感に、上だけ着替えて、足もとをすっかり忘れていたのが、我ながらいかにも可笑しく、愉快でした。

話が横にそれましたが、剪定が終わった後、「どうかね?はじめての気分は」と皆から聞かれました。
私の答えは、「いやあ、さすがに疲れたけど、気分はいいですねえ」でした。

班長には「遅くて、すみません」と謝ると、「いや、初めは誰でもそんなもんだよ」と、なぐさめられました。いくら夢中になっても、あれやこれやで、なかなか思うようにははかどらないのですが、それでこそ、これからの楽しみがあるというもの。
秋からの剪定が、ますます待ち遠しくなったことでした。


話は変わりますが、先日、家内がどなたからいただいてきた手作りの「ういろう」を食べました。
それがおいしかったので、「あのういろう、うまかったなあ」と言った所為かどうかはわかりませんが、家内が「ういろう」に初挑戦しました。(今、できあがったばかり)
舌触りに弾力があり、甘さもほど良く、なかなかのお味。
見栄えはしませんが、まあ、見てやってください。


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笑顔、そして懐かしきおばあちゃん

2010年02月01日 | その他
先日、映画を見終わったら、ひどく空腹を感じたので、やむなく一番軽い290円のスガキヤラーメンを食べることにしました。16時という時間でしたので、さすがに客は自分以外に一人しかなく、店のスタッフも一人でした。

そのスタッフの女性、50代後半ぐらいと思いますが、ぱっと花が咲くような笑顔を見せられて、またまた笑顔というものに感じ入りさせられました。
「お待たせしました。ごゆっくりどうぞ」という間のほんの一瞬のことですが、脳裏には、一瞬にして焼きつけられます。

考えるに、店員さんの声を聞くともなく聞いているちょっとした精神統一状態にある時、あるいは精神が無防備の状態にあるとき、その笑顔が、心の奥まで一瞬にして入りこんでくるのでしょう。そんなときは、まるで、心の中に花が咲いたようです。

こんなことがあるたび、笑顔というものについて考えさせられます。考えると言っても、難しいことを考えるわけでなく、ただ、笑顔が与える大きさに驚き、自分も人に対して笑顔を向けたいと思うだけです。

と申しても、この女性のような笑顔をという高望みはしませんが、せめて、いつでも笑顔が浮かんでいるようにはなりたいと思います。ステキな笑顔に出会うたび、そう思うのですが、いつも忘れてしまっています。

映画のチケットを買う時、買い物をしたレジでの精算のとき、などなど。
思えばそのようなとき、わたしはいつも、我ながら無愛想でつっけんどんな顔をしているのではないかと思う。いつでも嬉しそうな顔をしていて構わないどころか、その方が自分自身もうれしくなっていいのにと思うのですが、いつも笑顔というものを意識していないと、なかなか難しいのでしょう。これを機会にあらためて意識的に努力してみようと思いました。


話は変わりますが、去年の9月でしたか、デイ・サービスの送迎車の運転手募集に応募し、次点で惜しくも落選したのですが、今日、その施設から「ようやく利用客も増えてきたので、まだ他にお勤めでなければ、お願いしたい」という連絡が入りました。しかし、もうシルバーで働く気になっているので、急に気持ちも変えられず、惜しい気もしましたが、お断りしました。惜しいというのは、運転手と言えども、施設を利用してくださる方たちに、慣れるに従ってだんだん笑顔を向けられるようになれそうな気がするからです。お断りしたものの、ちょっと未練が残ります。



      湯豆腐に水割り舌のなめらかさ

      金縷梅や咲けばあわあわ犬眠る      

瀬戸内海のドックに入り、仲間の内の数人が、おばあさんが一人で営む民宿に入ったことがありました。そのおばあちゃんがとても親切にしてくれました。小さいが美味しいミカンを好きなだけ食べさせてくれ、また、高いお金を出して外へ飲みに行くのはもったいないとのことで、毎晩のように、湯豆腐などの鍋物を御馳走してくれました。(食事は別で会社が用意)

和歌を詠むおばあちゃんで、そのいくつかがどこかの大学の先生によって琴曲にされ、レコードにもなっていて、それを聞いたりもしました。建物は古いものでしたが、小高い丘の上にあって海を見下ろせ、庭には梅やマンサクが咲き、いかにも瀬戸内らしい早春の長閑さがあり、琴の調べとが、よくマッチしていました。

10日ほどしてドックも終わり、民宿を離れる時、石段の上からおばあちゃんは手を振って見送ってくれました。そして、のちほど、家にまで立派なミカンを送ってくださいました。


      石段の高さや別れの春憂い

      別るゝや梅咲く丘の古き宿

おばあちゃんの親切に、気持ちが少し感傷気味だったのでしょう。
こんな歌もつくっていました。

      千草咲く丘べの宿の調べ歌 名は「栞草」心に響く

歌のタイトルは「栞草」、そのタイトルを思い出せただけでも良かったと思いました。
ノートには昭和62年とありました。長らく思い出すこともなく忘れていましたが、懐かしい思い出です。


今日はいよいよ2月。
公園には金縷梅(マンサク)の花が咲き始めていました。




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