初心者様からいただいたコメントへの返信ですが、長くなりすぎたことと、「小さな魂と太陽の話」の補足の部分もあるので、本欄へ書かせてもらうことにしました。
初心者様、うれしいコメントをいただきありがとうございます。
>今回のテーマは、人が信仰を続けるうえでもっとも大切なことではないかと、わたくし、個人的には思っているわけですが、意外と関心はもたれていないようですね。
>なぜこの現象世界は存在するのか。そこのところを明らかにすることからすべては始まると考えている・・・
いやあ、うれしいですねえ。同感です。
わたしと初心者様はよく似ているようですね。同じように考えている共感者がいてくれてとてもうれしいです。
楽園追放を「実は人類最初の祝福だった」という点についてですが、「神との対話」の中では、ざっと、次のように書かれていました。
「人間は、楽園に住んでいた。すべてが完璧で、文字通りパラダイスに住んでいた。
しかし、そこがパラダイスであることもわからなかっただろう。何故なら、あなたがたはパラダイス以外には何も知らなかったのだから。」
パラダイスをパラダイスと認識できるのは、パラダイスでない状態を経験することによって、何がパラダイスで何がパラダイスでないかを、はじめて経験的に知ることができるわけですね。
そのような意味で、最初の祝福だったということが書かれていました。
これは、初心者様が掲示板に書かれ始めた頃の「アインシュタインは宇宙定食が嫌い?」の中で書かれている、「自分が何者であるかということを知るのは、たとえ神様でも簡単ではありません。自分が何者であるかを知るためには自分以外の存在が必要だからです。」と、全く同じですね。
なぜ、自分がこの世に生まれてきているのか?
実相を顕現するため。
これだけではどうも腑に落ちなかったことが、「小さな魂」などの例え話によって、よく理解できた気持ちになりました。
と、同時に、「神真理を告げ給う」を初めて読んだ時と同じように、「知らせてあげたい」という神様の愛が感じられて、感動しました。
だから、初心者様の冒頭に引用させてもらった部分、とてもよく理解できます。
ああ、自分と同じだなあと思いました。
さて、
アダムとイブの楽園追放について、「あれは人類の最初の祝福だった」というとらえ方と、
初心者様の下記のとらえ方とは「同じと考えることはできないでしょうか?」とのこと。
「アダムとイヴのエデンの楽園追放の話は、実相が出てきたことよって人類の苦難がはじまった、といことを象徴的にあらわしたものだと私はにらんでいる。実相が出てくる前の旧来の秩序はそれなりの平衡状態にあって、アダムとイヴも旧秩序の中でそこそこしあわせに暮らしていたはずだ。そこへ実相があらわれてきて旧秩序とのあいだに戦いがはじまり、平衡状態は破壊されてしまった。これがエデンの楽園追放の真相なのだ、と私は考えている
それについて述べさせていただく前に、「霊魂進化の神示」から、その要点を以下に引用させてもらいます。
○「神の子」なる人間の実相を現象世界に実現するのが人生の目的である。 (1)
○神の子なる実相人間も、その投影を現象界に完成するには、大体一定の時間を要し、植物が日光に逢い、雨露に逢うが如く、或いは幸福に恵まれ、或いは虐運と戦うことによって、ついに実相人間の現象界への投影を完成するのである。 (2)
○現象世界に実相人間を顕現する過程を心次第で縮めることも長くすることもできるのである。
霊魂進化の過程を短縮するのは、念の浄化による。
念の浄化には、実相を悟ることが第一であり、物質欲にとらわれざるが第二である。 (3)
以上、(1)、 (2) 、(3)と、分けましたが、
(1)は、初心者様の言う「なぜこの現象世界は存在するのか」ということに、関係することですね。
「楽園追放は祝福」ということも、「小さな魂」の話もこの部分での話で、人間がこの世に生きていく上で、とても大切なところだと思います。
(2)は、実相が現象界へ投影していく過程の話。
また、なぜ苦しみや、虐運があったりするのかという話で、これを理解することも生きていく上で、やはり大切ですね。
初心者様の「実相が出てきたことよって人類の苦難がはじまった」というのは、(1)と言うより、以下に続く文章から考えるに、この(2)部分での話のように受け取れましたが、どうでしょうか。
「真理があらわれるとき、人生には風雪の季節がやってくる。これを避けて通ることはできないかも知れない。しかしたとえ風雪の季節であったとしても、それは実相が出てくるためのプロセスなのであるから、いさぎよく受けるよりほかはあるまい。」
これは、初心者様に「どうか?」と、聞かれたから答えているだけで、(1)であろうが(2)であろうが、どうでもいいことだと思います。ただ、(1)、(2)、(3)のうち、どの部分で話をしているかは、はっきりさせておいた方が、話が紛らわしくならなくていいと思うので書かせてもらっています。
(3)は、実相を速やかに現象界へ現し出すにはどうすればよいかという話。
「現象なし、実相のみがある」という話をされる時は、この部分で話をされているわけですね。
どれも、これも抜くことが出来ない大切なことばかりですが、個人個人によって、また、その時々によって、どの部分の話が、より救いをもたらしてくれるかは変わってくるかもしれませんね。
いずれにしても、いま、わたしと初心者様が感じていることは、似ている気がして、うれしくコメントを読ませてもらいました。ありがとうございます。
初心者様、うれしいコメントをいただきありがとうございます。
>今回のテーマは、人が信仰を続けるうえでもっとも大切なことではないかと、わたくし、個人的には思っているわけですが、意外と関心はもたれていないようですね。
>なぜこの現象世界は存在するのか。そこのところを明らかにすることからすべては始まると考えている・・・
いやあ、うれしいですねえ。同感です。
わたしと初心者様はよく似ているようですね。同じように考えている共感者がいてくれてとてもうれしいです。
楽園追放を「実は人類最初の祝福だった」という点についてですが、「神との対話」の中では、ざっと、次のように書かれていました。
「人間は、楽園に住んでいた。すべてが完璧で、文字通りパラダイスに住んでいた。
しかし、そこがパラダイスであることもわからなかっただろう。何故なら、あなたがたはパラダイス以外には何も知らなかったのだから。」
パラダイスをパラダイスと認識できるのは、パラダイスでない状態を経験することによって、何がパラダイスで何がパラダイスでないかを、はじめて経験的に知ることができるわけですね。
そのような意味で、最初の祝福だったということが書かれていました。
これは、初心者様が掲示板に書かれ始めた頃の「アインシュタインは宇宙定食が嫌い?」の中で書かれている、「自分が何者であるかということを知るのは、たとえ神様でも簡単ではありません。自分が何者であるかを知るためには自分以外の存在が必要だからです。」と、全く同じですね。
なぜ、自分がこの世に生まれてきているのか?
実相を顕現するため。
これだけではどうも腑に落ちなかったことが、「小さな魂」などの例え話によって、よく理解できた気持ちになりました。
と、同時に、「神真理を告げ給う」を初めて読んだ時と同じように、「知らせてあげたい」という神様の愛が感じられて、感動しました。
だから、初心者様の冒頭に引用させてもらった部分、とてもよく理解できます。
ああ、自分と同じだなあと思いました。
さて、
アダムとイブの楽園追放について、「あれは人類の最初の祝福だった」というとらえ方と、
初心者様の下記のとらえ方とは「同じと考えることはできないでしょうか?」とのこと。
「アダムとイヴのエデンの楽園追放の話は、実相が出てきたことよって人類の苦難がはじまった、といことを象徴的にあらわしたものだと私はにらんでいる。実相が出てくる前の旧来の秩序はそれなりの平衡状態にあって、アダムとイヴも旧秩序の中でそこそこしあわせに暮らしていたはずだ。そこへ実相があらわれてきて旧秩序とのあいだに戦いがはじまり、平衡状態は破壊されてしまった。これがエデンの楽園追放の真相なのだ、と私は考えている
それについて述べさせていただく前に、「霊魂進化の神示」から、その要点を以下に引用させてもらいます。
○「神の子」なる人間の実相を現象世界に実現するのが人生の目的である。 (1)
○神の子なる実相人間も、その投影を現象界に完成するには、大体一定の時間を要し、植物が日光に逢い、雨露に逢うが如く、或いは幸福に恵まれ、或いは虐運と戦うことによって、ついに実相人間の現象界への投影を完成するのである。 (2)
○現象世界に実相人間を顕現する過程を心次第で縮めることも長くすることもできるのである。
霊魂進化の過程を短縮するのは、念の浄化による。
念の浄化には、実相を悟ることが第一であり、物質欲にとらわれざるが第二である。 (3)
以上、(1)、 (2) 、(3)と、分けましたが、
(1)は、初心者様の言う「なぜこの現象世界は存在するのか」ということに、関係することですね。
「楽園追放は祝福」ということも、「小さな魂」の話もこの部分での話で、人間がこの世に生きていく上で、とても大切なところだと思います。
(2)は、実相が現象界へ投影していく過程の話。
また、なぜ苦しみや、虐運があったりするのかという話で、これを理解することも生きていく上で、やはり大切ですね。
初心者様の「実相が出てきたことよって人類の苦難がはじまった」というのは、(1)と言うより、以下に続く文章から考えるに、この(2)部分での話のように受け取れましたが、どうでしょうか。
「真理があらわれるとき、人生には風雪の季節がやってくる。これを避けて通ることはできないかも知れない。しかしたとえ風雪の季節であったとしても、それは実相が出てくるためのプロセスなのであるから、いさぎよく受けるよりほかはあるまい。」
これは、初心者様に「どうか?」と、聞かれたから答えているだけで、(1)であろうが(2)であろうが、どうでもいいことだと思います。ただ、(1)、(2)、(3)のうち、どの部分で話をしているかは、はっきりさせておいた方が、話が紛らわしくならなくていいと思うので書かせてもらっています。
(3)は、実相を速やかに現象界へ現し出すにはどうすればよいかという話。
「現象なし、実相のみがある」という話をされる時は、この部分で話をされているわけですね。
どれも、これも抜くことが出来ない大切なことばかりですが、個人個人によって、また、その時々によって、どの部分の話が、より救いをもたらしてくれるかは変わってくるかもしれませんね。
いずれにしても、いま、わたしと初心者様が感じていることは、似ている気がして、うれしくコメントを読ませてもらいました。ありがとうございます。