気の向くままに

山、花、人生を讃える

皇居清掃奉仕 その3

2014年05月29日 | その他

皇居清掃奉仕団は年間で1万人近くになり、遠くは北海道、沖縄、時にはさらにその南の島からもくるらしい。

わたしたちと一緒になったのは5,6団体ぐらいだったろうか。総勢で200人程度だったと思う。

わたしが世話になった団体は27人で大半はわたしより年配者で、男性は団長とわたしの二人だった。

しかし、若い人ばかりの団体もあり、全体では若者の割合は4割ぐらい占めていて、頼もしい限りである。その中には、Tシャツの背中に「I Love Japan」と書いたユニフォームを着ていたチームがいた。

 

          I Love Japan

 

なんという心地よい響きだろう。わたしはこの言葉がすっかり気に入ってしまった。

 

          I Love Japan

          I Love Japan

          I Love Japan

 

心が躍りたくなるようだ。

わたしも背中に  I Love Japan と書かれたTシャツが欲しくなった。

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皇居清掃奉仕 その2

2014年05月28日 | その他

皇居清掃奉仕に出発する何日か前に、BSプレミアムで江戸城をCGグラフィックで精密に再現し、江戸城内を案内する番組が放送された。

それによると、諸大名の控えの間があり、その部屋の襖絵は、威嚇するように睨みを効かせたトラが数匹描かれている。その絵は、部屋に入った諸大名を威嚇するために描かれたものとのこと。

また徳川将軍が諸大名と謁見するための大広間があり、その大広間は上段、中段、下段とそれぞれに高さ21㎝の段差が設けられている。上段は「床の間」のようなもので将軍の座であり、中、下段並びに廊下には、それぞれの格式に従って諸大名たちが並ぶ。この段差も将軍の威厳を見せつける為に設けられたものらしい。

わたしはその時、「自分がその諸大名の一人だったら」と想像したのだが、気の小さいわたしはそれだけでも圧倒されそうな気がした。そして大名というのは大変だなあと思いながら見ていたのである。

こんなことを書きはじめたのは、徳川幕府の諸大名を威嚇するそのやり方を批判しようというわけではない。むしろ、再び動乱の世にしないためには、それも必要だったと思うし、徳川300年という江戸時代への憧れさえあった。

ただ、皇居清掃奉仕から帰って日が経つにつれて、じわじわと泣きたくなるような有難さの感じが湧いてくるので、今さらながらに、皇室のあり方と武家政治、つまり威嚇との違いを感じさせられているのである。

 

わたしが皇居清掃奉仕に加えてもらった動機は、ただ、かつての江戸城だったところを、そして皇居の中を一度でいいから見てみたい、という単純なものでしかなかった。そして、まず目を見張ったのは伸び伸びと大きく育っている木々の美しさだった。なんと素晴らしい!わたしはそれだけで「来て良かった!」と心が躍っていた。

しかし、家に帰って思い出されるのは、木々の美しさももちろんであるが、天皇、皇后両陛下のご挨拶があった後の、両陛下がその場を離れられる時のご様子である。

5団体ぐらいあったと思うが、土足のまま入る広い部屋の中で、各団体ごとに4列に横に並び、各団の団長はその前に立っている。両陛下がその正面に立たれると、一礼して「○○奉仕団、総勢何名」と報告する。すると「どんなことをされているんですか?」とやさしく質問されたりする。そのようにして5団体すべてが終了する。わたしたちは一番最後に御挨拶をいただいた。わたしは最後の団体の一番端っこの前列に立っていた。そして陛下が何を言われるか下を向きながら聞き耳を立てていた。わたしは団長ではなくその他大勢だから、別に緊張していたわけではないのだが、残念ながらその時に頂いたお言葉はまったく覚えていない。ただ、御挨拶のあと、そこから去られる時の様子だけ妙に印象に残っている。そして今頃になってその様子が思い出されてくるのである。といって、特別変わったものではなく、最後のわたしたち団体に一礼されて、少し下がったところで各団体の全員に一礼され、さらに部屋を出られる時にもう一度一礼された。それだけのことだが、そのシーンが思い出されると悲しく泣けてくるのである。

わたしは、決して忠義面してこんなことを書いているのではない。いくら天皇陛下がありがたいといっても、こんなことはまったく予想していなかったし、第一こんな気持ちになるのは初めてである。それに泣けばいいってもんじゃない。

しかし、かつての日本人が、「天皇陛下万歳」と叫んだのが、なんだか今はわかる気がする。

 

ちなみにわたしたちの隣にいた若者ばかりの団体では、「どんなことをされているんですか?」との陛下のご質問に、若い女性の団長は緊張もせず明るいニコニコ顔で「はい、わたしたちは皆が元気で明るくなるようにと、地域の清掃活動をしています。その中には不登校児たちもいます」と答えると、両陛下はとても興味をもたれた様子で(皇后陛下は小さく半歩前に出られた感じ)、「それで、成績の方はいかがですか?」と聞かれる。団長は「はい、よくなって登校し始めた生徒も結構います」と。その後、陛下は何と言われたか覚えていないが、とてもお歓びになって、最後は「これからも宜しくお願いします」というようなことを言われました。

わたしも小さなことでいいから、とにかく天皇陛下に喜ばれることをしたい、そんな気持ちが湧いてくるのである。

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皇居清掃奉仕

2014年05月26日 | その他

先週の月曜日から金曜日まで、4泊5日で皇居清掃奉仕に行ってきました。

 

家に帰ってぐっすり眠って目覚めたとき、浦島太郎が竜宮から帰ったような、まるで夢でも見ていたようなそんな気分で目覚めた。

 

そこはかつて江戸城だった所。そして今は陛下のおわしますところ。

「つわものどもが夢のあと」であり、陛下のおわします宮城である。

そんな内部へと入らせてもらって、係りの人に案内されながら見学し、清掃作業をさせてもらった。

 

5日間のうち、1日は赤坂御用邸にも入り、園遊会の会場となる庭で記念撮影、そしてその庭をぐるりと一周し、少しの清掃奉仕の後には皇太子殿下のお住まいの前で、殿下のご挨拶をいただいた。

 

また4日目には、天皇陛下、皇后両陛下のご挨拶までいただけるという幸運。

怖れ多くも両陛下まで3メートルという至近距離、こんなことがありえようか。

こんな至近距離で拝顔するのはあまりに怖れ多い。団長と話をされている間、わたしは下を向いていました。

 

それに、宮城内のいろんな木々の美しかったこと!

毎日その美しさに目を見張りました。

どう言ってよいのか分らない。

ともかく普段目にしているものとは何かが違う、別世界です。

一つ一つは立派な公園や木々と同じなのに、違っている。不思議でした。

 

金曜日に帰って今日で3日目、土曜日には講師研修会があり、日曜日は子供たちが孫を連れて遊びに来て、夜には地区委員会があったが、「あれは現実だったのか」とまだ夢うつつの中にいる気分です。

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働く側の立場

2014年05月13日 | 人生

先日、近くの喫茶店にランチを食べにいき、週刊誌を読んでいたら「おもてなし」ということについて、興味深いことが書かれているのを読みました。

どんなことが書かれていたか、その大意を書けばこんなことでした。

その人は、都合でアメリカに住むようになった。すると、日本のような行き届いたサービスがないことに、「どうしてこんな程度のことをしてくれないのか」と最初は不満に思ったらしい。しかし、そのサービスの悪さにだんだん慣れてくると、別段不満にも思わなくなり、これはこれでいいのかなと思うようになったらしいのである。

そのことから、その執筆者は「サービス」や「おもてなし」ということに考えさせられたのでしょう。続いて、およそ次のようなことを書いていました。

○おもてなし(サービス)」ということは、それを受ける側にとっては有難いことで、結構なことではあるが、サービスを提供する従業員にとっては、それだけ負担がかかることになる。日本では、今さかんに「おもてなし」ということが言われて、従業員教育が行われているようだが、従業員にあまり負担を強いるのは疑問だし、サービスを受ける方も、働く側の立場に立ってあまり過度な期待をしないことが大切ではないだろうか」というようなことが、書かれていたのです。そうそう、アメリカでは、客よりも従業員を第一に考える傾向がある、とも書かれていました。

 

こういう記事を読んでわたしははじめて「働く側の立場」ということが視野に入ってきて、「なるほど~!」と目が開く面白さを感じたのでした。「おもてなし」という言葉は、美しい良い言葉だから、そのよい言葉の方ばかりに目がいって、「働く側の立場」ということがまったく視野に入ってなかったのです。

言われて見ればまったくそうだ、と感心したことでした。私はこれから働く側の立場になって、少々、こちらへの応対に不満を感じた時にも、すぐに、「ご苦労様です」と心の中で声をかけることにしようと思ったことでした。まあ、そんな気持ちにさせてくれるような、気持ちの良い記事でした。

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人生のさまざまな疑問

2014年05月08日 | 人生

人生ってなんだろう?

人間ってなんだろう?

なんで人間は生まれてくるんだろう?

死んだらどうなるんだろう?

どうしたら人間は幸せになれるのだろう?

なんで人間は不幸になったりするのか?

幸せってなんだろう?

運命ってあるのだろうか?

人生の出来事は偶然なのか、運命なのか、それとも他に何か・・・?

天国や地獄はあるのだろうか、それとも偽りか?

なんであんな良い人が不幸になるのか?

なんであんな良い人が早く死んでしまうのか?

能力や体力に恵まれた人と、そうでない人がいるのはなぜか?

人によって貧乏な国に生まれたり、豊かな国に生まれたりする違いは何か?

そのことに何か意味があるのか?

なにも悪いことしていないのに、船の転覆に巻き込まれたりするのは何故?

神や仏がいるというなら、なんで助けないのか?

勉強し、働くのに意味はあるのか?

そして、これらの疑問に対する答えは、あるのか、ないのか?

 

生きていると、一度はこのようなさまざまな疑問が頭をかすめることが誰にもあると思います。

昔、近所を伝道していた時、以前に学校の先生をしていたお婆さんが、福沢諭吉の「学問のすすめ」を取り出して、わたしに読みなさいと薦めたことがありました。読むと、その本のはじめにはこう書いてありました。「天は人の上に人を造らず。人の下に人を造らず」と。この言葉は有名だからそれぐらいはわたしも知っていましたが、その後に続く言葉を読んで、ちょっと驚きました。大体の記憶で書くとこんなふうでした。                                                                                          「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず。なのに人には上下(貧富や身分)あり。その上下は何によってそうなるか。それは学問のあるなしによる。だから人は大いに学ぶべきである」と、まあ、こんなふうに書かれていたのです。つまり福沢諭吉は「平等」よりも、「学問をせよ」と言いたかったのですね。

そういえば、フーテンの寅さんが、道で出会った和尚に「学問て何でしょうか」と質問すると、その和尚が「学問というのは、己を知ることだよ」と教える場面があったっけ。

さて、誰もが一度は頭をかするこれらの疑問に対し、「答えはあるかないか?」というと、実はあるんですね。こういうと、「真っ赤な嘘だろう」という人があるかもしれませんが、ほんと、あるんですよ。もしなかったら、こんな疑問も出て来ないはずですし、それにどこかに答えがあると予想するから、知りたいとも思うのでしょう。                           

では仮にこれらの答えがあるとして、それらの答えを、一応頭の中だけでも知って人生を歩むのと、まったく知らずに歩むとではずいぶん人生における姿勢が変わるとは思いませんか。変わるに違いないですよ、きっと。                                                                                   いま後向きなら、前向きになるに違いありません。

では、たまたまこの記事をお読みくださったあなたが、これらの答えがみつけられますよう、ご幸運を祈ります。

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国見岳

2014年05月06日 | 

5月3日、家内と山に出かけた。                                                                     家内とは昨年は一度も出かけなかったが、今年になって一度行ったら、また山を思い出して出かけたくなったようだ。

今回は鈴鹿の朝明渓谷からブナ清水、キノコ岩をめぐって国見岳に登るコースで、昨年は、わたしひとりで同様のコースを同じ時期に歩いたが、今回はアカヤシオがほぼ満開で、実にすばらしかった。昨年はちらほらとしか咲いてなくて、こんなにいっぱいアカヤシオがあるとは気づかなかった。おかげで家内は大喜び。                                  「わあ~、凄い、凄い!」の連発で、彼女に言わせると、「無茶苦茶きれい!」であるらしい。(笑)                                                                                     わたしはこの「きれい」の前に「無茶苦茶」がつくのがミスマッチでこの言い方がすっかり気に入ってしまった。                             また、アカヤシオに向かって「こんなにきれいでどうするの~!」などとも言っていた。                                 「どうするの~」って言われたって、「リンダ困っちゃう」。(笑)

タムシバも終わりかけながらまだ咲いていたし、芽吹きは緑の宝石のようでまことに気持ちがよく、まさに春の花道と言ったところ。

 

最近、山登りは子供の遠足のようなものだと思うようになった。                                                      以前は、人と出会わない、「誰もいない山の中」「自分一人だけ」というのが野生児になったようでそこが快感だったのだが、最近は、山もある程度にぎやかな方が良くなってきた。にぎやかに人が山の中で楽しそうしているのは、見ているこちらまでも楽しくさせてくれるのである。つまり、みんなで楽しいのが、いっそう楽しい。ともかく、今回も快適絶好調の1日だった。

 

以下は、思うようにきれいに撮れてなかったは残念だったが、その時の写真。

≪ピンクに染まる≫ 

 

≪石の門とアカヤシオ≫

 

≪アカヤシオの道≫

 

狭い石の間をくぐってうれしそう。

 

仲良く記念写真

 

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トチノキ

2014年05月05日 | 

コールデンウイーク中は「トチノキ」が花を咲かせる時期で、久し振りにその花を見たくなって、昨日、地元の文化会館の敷地に植わっているのを見に行ったが、残念ながら、どういう訳か花は一つも咲いてなかった。見れないと思うと、余計見たくなるのが人情だが、かといって、この近辺でどこにあるのかまったく知らない。

トチノキとはどんな花を咲かせるのか、関心のない人はあまり見たことがないと思うのだが、一度見られてはと思う。

以下の文章は、昔、宇治の掲示板E-voiseに投稿したもので、懐かしくなって読み返し、せっかくだからとこのブログに転載させてもらったもの。自分にとっては、この7年ほどの前のことがありありと思いだされて、懐かしいかぎり。花のアップの写真もたくさんあったが、残念ながら、パソコンを壊して台無しにしてしまって、ここにお見せできないのが残念。しかし、わたしとトチノキのはじめての出会い、読んでいただければうれしいし、読まれた人は、きっとトチノキの花を見たくなり、見れば、きっと、幸せな気分に浸れることでしょう。

 

≪ああ、トチノキ≫

今月の始め、職場近くの公園の一角にホオノキに似た掌状複葉の葉が目に付き、そのふさふさした大きな若葉を惚れ惚れと見上げていました。その時、葉が風に揺れた拍子に花らしきものが目に入り、持っていた双眼鏡で覗きこみました。距離は5メートルほどでしたが、焦点が合った瞬間、思わずギクリとし、見てはいけないものを見てしまったように胸が高鳴ってきました。それはクリスマスツリーを思わせる高さ10cmは超えそうな円錐形(小さな花が集まって)の花で、枝から直立したように咲いている様は、自分の樹の花のイメージからすると予想外のものでした。それを10倍の双眼鏡で細部まで見えるほどのアップで覗いてしまったせいか、こんなふうに花に驚かされるとは思いもしませんでした。

仕事の時間が迫っていたのでしばらく見入ってから帰途に着いたのですが、いったい何と言う名前の木か知りたくてたまらなくなりました。家に帰れば図鑑はあるのですが、まだ何日かあとになり、1日も早く知りたいばかりで次の日が来るのも待ち遠しく、翌日、仕事の合間を縫って本屋に行き図鑑を買い、さっそく調べました。

調べた結果、西洋トチノキ(マロニエ)と知りました。名前だけは知っていたので、「ああ、これがトチノキだったのか」と思いました。写真で見ると日本固有のトチノキとほとんど同じですが、違いは、白っぽい中にも点々と見えた赤い部分が、日本のトチノキでは黄色になっていました。
それからその名前を元に、別の本のトチノキのところを読むと、パリではこの花が咲くころ、日本で言う「花見」のようなことをするとも書いてありました。
しかし、自分が見たのは、大きな葉に隠れて人にも気づかれず秘仏のように咲いていたので、それを花見とはどうもおかしいなと思いましたが、「あれはまだ花の先駆けで、これからいっぱい咲いてくるのかもしれない」と思い、それで、そんな花がいっぱいに咲きそろったらどんな感じになるだろうかと、とても楽しみになってきました。

ゴールデンウイーク後、平常に戻った公園に行くと、トチノキはつんつくと空に向かっていっぱいの花を咲かせていました。それはまるで、仏たちが樹上で座禅をしているように見えました。西洋人なら白い衣をまとったたくさんのイエス・キリストにも見えそうな風情でもありました。
そして、眺めているその時から、また来年の再会が楽しみになってきました。(終り)

 

≪満開のトチノキ≫ 

上の写真は、以前にも小さなサイズで掲載させてもらったものだが、木が大きくて、また花の数も多いので、小さな仏たちが樹上で座禅しているとか、イエスキリストに見えたりすることもないが、山下公園で見た時のトチノキは近くで下から見たとき、本当にそんなふうに見えたものでした。ともかく花がつんと立っているから、樹上に妖精のような小人たちがいるようにも見えるのです。

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神様のお引き合わせ

2014年05月02日 | 信仰

昨日、幹部研鑽会での話がでたので、もう一つ。

昔、掲示板で知り合った人から、去年の末ごろに、愛媛県の講師会長をしておられる豊田建彦先生の講演を録音したCDを送っていただき、それを聴いてとても感動させられていたのですが、幹部研鑽会には、愛媛教区も宇治が会場になっているのを知って、ひょっとしてその先生に会えるかもしれないと期待していました。

豊田先生は、20年も博打にのめり込んで借金に借金を重ねてという具合でさんざん奥さんを泣かせた人。とはいっても奥さんは昼も夜も働きつつご主人の実相を祈り、信じつづけていました。一方先生は勝負事から足を洗えない自分に愛想をつかして、ついに自殺までしかけますが、邪魔が入って死ねず、ある日奥さんが神想観を終わってご機嫌が良さそうなのを見計らって性懲りもなく、「お金を頼む」というと、ついに奥さんの堪忍袋の緒が切れ、御主人の居合刀を振り回しつつ「いつかは立ち直ってくれると信じていたのにっ~!」と泣きながらの一括。その時、「もうとっくに愛想をつかされていると思っていたのに、まだ俺を信じてくれていたのか~」と、ついに目が覚め、心底立ち直ることを決心された。そしてゼロからの出発で、借金生活から道場を建て、ソーラーまでつけ、さらにその道場では、先生の個人指導で胃癌が治ったり、失明が治ったりと奇跡も続出し、さらに豊田先生のお誘いで講習会に参加される人は100人、200人、300人と増え続け、そして全国から御夫婦で講演の依頼を受け、忙しくご活躍されているとのこと。その講演にはほんとうに感動させられます。

そんな先生の素晴らしさに、万分の一でもあやかりたい、そんな気持ちで、是非一度お会いしたいと願っていました。そして、研鑽会当日、昼食の弁当を食べ終わったところで、さてどこへ行けばその先生に(運よく)会えるだろうかと、辺りを見回しながら立ちあがると、頭の禿げた人が、並べられた椅子の間の通路をこちらに向かって歩いてくるのが見えました。近づいたときに名札を確認すれば、まさしくその先生の名前。それで、あまりのドンピシャリに驚きながら、さっそく挨拶をさせてもらいました。わたしより5歳ぐらい若い先生です。

挨拶させてもらったとき、「頭が禿げているからすぐ分ったでしょう」と言われ、思わず、「あはは」と笑ってしまったことでした。

一時は愛媛県の道場まで飛んでいきたい衝動にかられていたのですが、思い切りがつかず、あきらめましたが、ここで念願の先生に逢え、わずかな時間ながら言葉を交わし、ご縁をいただき、本当にうれしいことでした。

感謝、感激。合掌。

 

 

写真はユリ科の「ミノコバイモ」という花。4月16日、藤原岳で。

藤原岳には毎年のように登っているが、今回はじめて出会った。                                                                        こんな記事を書いたあとのせいか、可愛い花も、「男の中の男」が山の中で一輪、花を咲かせているように見えてくる。

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男と女

2014年05月01日 | 人生

今日からはや五月、コールデンウイークですねえ。

4月からは剪定の仕事もたまにしかなく、わたしは毎日がコールデンウイークのようなものだが、それでも世間同様にゴールデンウイークを迎えている気分。それで幹部研鑽会のあとは、精神の張りも緩んでしまっています。で、昨日は録画してある映画「遥かなる山の呼び声」と「幸福の黄色いハンカチ」の二つも続けて見てしまいました。そして、自分たち夫婦と映画とをいつのまにか重ねて見ていました。

しかし、なんですねえ。この映画もそうだけど、男は、どうして女を泣かせてしまうんだろうねえ。一人になれば生きる気力もなくしてしまうくせに、なんでもっとはじめから優しくできないのかねえ。ハッピーエンドになればいいってもんじゃないよ。そう思うだろう?

いきなりここで芝居がかって。
「そこのあんた、あんたも奥さん泣かせてるんじゃないか。」

「そういうあんたはどなたさんか知らないが、しかし、それが男というもんじゃないか。」

「う~ん、言われてみれば、確かに。」 (おい、ここで相槌打ってどうするんだ)

ここまで、まだ頭の中が映画を見ている気分。

と、ここで突然思い出した。
先日の幹部研鑽会のこと。千葉教区の発表で、ますますの家庭調和を目指した運動が行われているとのよし。その具体策は、

≪レベル1≫家族互いに握手をしよう。                                                                                                                        ある家庭で、握手をするようになってお婆さんがとても喜んでくれるようになったとのこと。

≪レベル2≫讃嘆し合おう、だったかな。

≪レベル3≫互いに共感し合おう、だったかな。

その後、レベル5まであったと思うが、残念ながらよく覚えていない。感謝行も入っていたはずだが、ある人が1日、3万回「ありがとうございます」と唱えることを決意して、その期間は忘れたが、ともかくそれを実行しているうちに「癌が消えた」体験が出たとのこと。それから、その話を聴いた胃癌の人が、「どうせ死ぬなら」とやってみる気になって「ありがとうございます」を続けていたら、やはりその胃癌(1㎝5㎜の大きさの塊)も消えてしまったという、本人の写真を見せながらの事例報告が発表されました。

いやあ、皆さん素晴らしいですねえ。

 

思い出しましたが、いつか剪定作業の休憩時間に、話題が奥さんの話になって、一人が

「いやあ、昼に帰っても、勝手に何か食べとけってなもんだもんなあ」とこぼす。

すると別の一人が「どこでも同じようなもんさ」と相づち。

そこでわたしは「いやあ、俺は今でも愛されてるよ」と、さも当然だというように澄ました顔で言う。

すると、別の一人がすかさず「あんた、自分でそう思っているだけだろう」と混ぜ返す。

そこで、みんな大笑い。

 

いやあ、おもしろい。愚痴を言いながらも、みんなかあちゃんを愛しているんですねえ。だから奥さんの話題になるときは一番盛り上がる。その家の奥さんまで、輪に入ってきておもしろそうに聴いている。大きな声だから、隣近所に筒抜けだが、愉快なひと時です。

では、皆さんも、奥さんをお大事に。そして、旦那さんをお大事に。

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