気の向くままに

山、花、人生を讃える

伊吹山へ

2021年07月25日 | 

22日、仲間4人で伊吹山ドライブウェイを利用して伊吹山山頂へ行きました。目的は日ごろの運動不足解消を兼ね、山々の眺望を楽しみながら山頂一帯を散策し、その後、弁当屋さんのおいしいおにぎりを食べ、コーヒータイムでのんびりくつろぎ、そして夕景、さらに、あわよくば星空も楽しもうという趣向でしたが、心掛けの悪いのがいたらしく、残念ながら山々の眺望はぼんやりしてよくなかったし、星空もさっぱりでした。が、琵琶湖の夕景が楽しめたし、仲間4人での山頂でのひと時はとても楽しい時間でした。

後記
連休初日とあって、山頂駐車場には夜を明かしてご来光を楽しむつもりらしい人たちの車がかなりありました。

思い出しましたが、10年前には夜暗くなってドライブウェイ―を降りて来る時には、街の夜景がとてもきれいで、また花火も3か所で挙がっていて、その初めての上から見る花火が珍しく、きれいで、妙な感じで夢の世界にいるようでした。数台駐車できるスペースに車を止めて、飽きずに眺めていたのを思い出しました。

 

琵琶湖の北部で、小さな島は竹生島

 

日が傾くにつれて湖面がほんのり染まっていくのを天女の気分で見入っていました。

 

これは10年前の写真ですが、一番奥に見えるのが加賀の白山で、今回もこのような眺望を期待したのですが・・・。

 

これも10年前の写真で琵琶湖中央を狙ったもの。

 


久しぶりの伊吹山

2021年07月06日 | 

6月10日、仲間3人で伊吹山(1377m)に登った。前回登ったのは6年前でこの時は家内と頂上まで登ったが、今回は久しぶりの上、 暑いさなかでもあったので5合目(標高900m)までにした。私は左手に日傘をさし、右手にストック(杖)をもち、「ゆっくり登ろう伊吹山」というわけで、登山口(標高200m)から5合目まで標高差700mを3時間要し、ようやく昼過ぎに到着した。途中、若い山ガールや山男たちの何人かが我々を追い抜いていったが、その後ろ姿から元気をもらいながら登っていった。

 

「伊吹山は日陰のない山」と文句を言う人もいるが、わたしはその開放感にあふれたところが大好きだ。
もう足で登ることもないかもと思っていたが、若い人から「案内して欲しい」と頼まれ、久しぶりに開放感溢れた雄姿を拝むことができうれしかった。

 

また絶えずホトトギスの囀りが聞こえいて、その声が懐かしかった。
そして、さすがに5合目では風も爽やかで、心配した日射しの強さも心地良いぐらいだった。
そしてコロナ禍が去れば、またトレーニングジムに通い、もう一度頂上まで登りたいと思ったことだった。

       

 

それにしても、10年以上前の写真を見ると一面の緑なのだが、この写真では随分地肌が見えるょうになっている。私たちが休憩しているとき、登山道の6合目付近を5~6頭の鹿が横切っていったが、鹿の食害が進んでいるようで気になるところである。


久しぶりの登山

2021年07月03日 | 

最近は、長年煙草を吸い続けたせいか(7年前に禁煙)、少し坂道を上ると息が上がるようになっていたので、
「我老いたり」の感じがしていた。
それで昔何度か登ったことのある養老山地の一画にある標高840mの「小倉山」を目指して、
どこまで登れるか、行けるところまで行ってみようとチャレンジしてみた。
すると、ゆっくりしたペースではあったが、山頂まで到達できたのでうれしかった。
そのせいか、久しぶりに見る山頂からの眺めにいたく感激、まるでエベレスト登頂を果たしたような気分だった。
おかげで10歳ぐらい若返った気分で、お祝いに小麦まんじゅうを買って帰った。 

          

この記事は5月11日のことです。そして絵にある山は小倉山とは関係ない別の山です。

 


霧雨の中、ミニハイキング

2020年06月13日 | 

昨日、自宅から車で40分ぐらいの「道の駅」へ、注文していた日本茶(100g×10)を受け取りに行った。
お茶を買うのに、わざわざ40分もかけて行くのは、一つはお茶が地場産で値段の割においしいからであり、一つは気分転換のドライブであり、同時に道の駅近辺の風景を楽しむことを兼ねてのことである。(娘も気に入ってくれているので半分ほどは娘に)

 

この日の天気予報は「曇り」だったので、道の駅に寄る前に「月見の森」というハイキングコースを歩いた。
歩き始めた時はおあつらえ向きの霧雨で、霧雨に濡れた緑の中を歩くのは、癒やし効果満点で気持がよかった。

(緑のシダがきれいだった)

 

わたしはこの時期の雨の中を歩くのは、風情があって心地も良いので好きである。
日射しの中を日傘さして歩くのと比較すれば、雨降りのときの肌に感じる空気のやさしさは格別で、全身雨に濡れたくなる位だ。

 

(月見台。ここは愛知県の西のはずれに接する三重県だが、視界がよい時には真西に聳える名古屋駅セントラルタワーが近くに見える)

(月見台からの眺め。今日は遠くは何も見えない。白く光って流れているのは揖斐川)

(コース途上に咲いていたササユリやアジサイも目を楽しませてくれた)

こうして、湿った山道を2時間ほど歩いた後、道の駅に寄り、そして途中にあるホームセンターにも寄って買い物をした後、家に帰って驚いた。

 

玄関に入って靴を脱いだら白い軍足(作業用靴下)が血に染まっていた。
「なんだ、これは?」と思った瞬間、ヤマビルだと気がついた。それだけではなく、後ろを見ると、ズボンも両足の膝から下の何か所かが赤く血に染まっていた。ズボンを脱ぎ、足を洗おうと風呂に駆け込めば、鏡に映った自分の首すじにも赤い血の跡が広がっている。

 

道の駅でお茶を受け取り、ホームセンターでも買い物をしたが、こんな姿で何も知らずに買い物をしていたことに気付いてまた驚いた。

 

ズボンの後には気づかないにしても、首筋にひろがった血の跡は丸見えだ。欲しいものがどこにあるかと二人の店員さんに聞き、またレジもしているが、誰も教えてくれなかったし、私を見て怪しむような気配も感じなかったが、気持ちが悪くて、見て見ぬふりをしていたのだろうか。

 

ヤマビルは吸う時に麻酔剤が出るらしく、蚊に刺された時とは違って、吸われてもまったく気づかない。その点はありがたいのだが、気づかないぶんたっぷり吸われるせいか、血がなかなか止まってくれないのが困る。結局、首筋2か所、左足5ヶ所、右足3ヶ所、合計10ヶ所もバンドエイドを貼ることになった。

 

久しぶりだから、梅雨時の山道はヤマビルがいることをすっかり忘れ、家に帰ってはじめて気づく鈍感さだったが、忘れていたことが返ってよかったと云うべきかもしれない。おかげで、楽しいハイキングができ、帰宅してびっくりという、ハプニングのおまけつきとなったのだから。

 


御岳登山と人魂の話②

2019年08月06日 | 

 

翌朝も雨が降り続いていて、最近奥さんを亡くし、奥さんの名前を彫りつけた杖を持った、私と同年代の男とコーヒーを飲みながら雨が止むのを待っていた。すると10時頃、学生風の男3人が、小ぶりになったのを見て、小屋を出ていった。が、30分もすると、雨に濡れてまた小屋に戻ってきた。結構風が強いとのこと。

 

「コーヒーが1杯分しかないが、良かったら煎れるよ」というと、「はい、いただきます」というので、さっそく湯を沸かして煎れてやると、3人で回し飲みをしていた。そして、お返しに「味噌パン」を分けてくれたが、その味噌パンがとてもうまかった。聞けば、2人は大阪の芸大生で1人はそのOBとのことだつた。

コーヒーを飲み終わった頃、いよいよ天気も回復し始めたので、5人そろって小屋を出て、なんとなく5人が一緒になって、三の池、五の池と、池巡りをしながら最北端の継子岳まで足を延ばした。

学生たちは、上からかぶるだけの合羽を着ていて、まるでマカロニウエスタンを見るようで、吾々は「荒野の用心棒」気分だった。その彼らがときどき奇声を発して万歳をするので、いつの間にか中年2人もつられて万歳をする。そして万歳のたびごとに童心に帰っていくようだった。

 

三の池にある祠の前では、両の膝が大きく口のあいているジーパンをはいた芸大OB氏が、奉納のため「南京玉すだれ」と「皿回し」を披露。それを見ながら後の4人は、誰もいないのを好いことに、やんやの拍手大喝采。彼は始めから、奉納するつもりでその道具を持参していたのだった。

すっかり打ち解けた1行は、暗くなりかけた頃、ようやく登山口の標高1800mの濁河温泉(にごりご)に到着。
芸大OB氏が、自分は毎年夏になるとA旅館で泊まり込んでアルバイトをしている。今日は女将さんは留守で休業しているから、露天風呂もあるので入っていけと熱心にすすめてくれる。それで甘えることにし、温泉につかりながら星空を眺め、芸術談義に花を咲かせた。風呂からあがると、岩魚の御馳走まで用意してくれた。

すっかり夜もふけて、さて帰ろうとすると、今度はやもめ氏が、自分はここから近くの保養所の料理人をしているから、ぜひ泊って行ってくれと何度も熱心に勧めてくれた。が、私も少し疲れていて、家でぐっすり休みたかったので、名残を惜しみつつ別れた。奥さんを亡くして間がない彼は、ちょっと寂しかったのかと思うが、あとで、ちょっぴり後悔した。

家に帰って楽しい思い出の写真を焼き増しして、それぞれに、「お陰で楽しかった」という手紙を添えて送った。学生からはやはり「楽しかった」という返信があり、写真が趣味のやもめ氏からは、また、是非一緒に御岳山に登りたいという手紙と、たくさんのきれいな花の写真が送られてきた。その後何度か、手紙の往復があったが、残念ながら一緒に登る機会がないまま、だんだん疎遠になっていった。


あやしげな人魂様を見ることはできなかったが、しかし、1泊2日ながら、本当に心に残る楽しい山旅だった。

 

≪やもめ氏が送ってくれた写真で懐かしい1枚である  五ノ池で≫

 

これは何年か後、家内と登った時の写真で 三ノ池 (行者の白装束と真っ青な池とのコントラストが印象的だった。)


○宇宙のゲームに参加しているほかのプレーヤーがときどき、あなたといっしょになる。短い出会いであったり、ちょっとした通りがかりであったり、一時のチームメイトということもあれば、長年の知り合い、親戚、家族、・・・中略・・・そうした人たちの魂は、あなたが引き寄せているのだ。そして、あなたも彼らに引き寄せられている。 『神との対話』(ニール・土ナルド・ウォルシュ著)より


御岳登山と人魂の話

2019年08月05日 | 

今からちょうど20年前のある夏の日、私は木曽の御岳山(3067m)に登った。この山に登るのはこの時が初めてだったが、ある目的があった。それは西丸震哉という人が書いた『山とお化けと自然界』という本の中に、御岳山の賽の河原で深夜無数の人魂を見たというのであった。そして、その人魂について詳しく書かれているのを読んで、大いに興味を持ち、幽霊は見たくないが、そんなこの世ならぬものがあるならぜひ見たいと云う訳であった。

 

山小屋につくと、山小屋の主人らしく思える初老の爺さんと客人が茶を飲みながら話をしていたので、わたしは宿泊の手続きももどかしく、早速尋ねた。

わたし:本の中に、賽ノ河原に無数の人魂のようなものが出るという話が出ていたが、本当ですか?
主 人:ああ、以前にも大学生が同じことを聞いてきたことがあったなあ。その大学生はテントで一晩泊って行ったが、見なかったそうだ。わしも昔はよく見たけど、ここ20年ばかり見たことないなあ。かなり前だがテレビの取材もあったよ。

 

賽ノ河原というのは、その小屋からは目と鼻の先であった。石がゴロゴロした台地に、積み石がニョキニョキと無数に積まれていて、人がいなければ、昼間でも薄気味悪いようなところだ。

そのニョキニョキした積み石のことを、御岳行者たちは「人間業でできることではない。人魂様が積んだものだ」と噂しているらしいが、西丸震哉は「それは笑止のいたり。我々の経験から割り出せば1日8時間、10人がかりでやって1週間ぐらいでできるだろう思う」と書いていた。

 

人魂様の仕業かどうかはともかく、西丸震哉が見た人魂とはどんなものか?
彼も、御岳行者から人魂様の話を聞いて、確かめにやってきたのだった。
以下、『山とお化けと自然界』からの抜粋だが、凡そこんなことが書かれている。

○寒さで目を覚ますと夜の11時。テントから這い出ると星は満点にぎらぎらまたたいて、お化けのような積み石群が黒々と立ち並び、生き物みたいに鬼気迫る感がある。風は強くなっていた。人魂様は風が強い日に出るらしい。

○やがて人魂様がお出ましになってきた。考えていたよりもかなり貧相な人魂で、光はひじょうに薄く、大きさはコブシ大程度、ただし数は相当なもので、何百あるか見当もつかない。

○補虫網をさっと振ると一匹たしかに入った。と、思ったら網の底から平気で抜けて行ってしまった。

○飯盒を取り出してきて、これで正面から飛んでくる奴の進路を阻んだ。驚いたことに奴は飯盒の底を平気で抜けて行った。まるで底が抜けているみたいで、一瞬も奴の邪魔をしなかったようだ。

○ヤケを起こして素手でたたきつけてみたら、手応えは全くないが、奴は手のひらを抜けそこなって景気よくはね返っていった。

○手でつかもうとしても、指の間が少しでもすいていれば、スーッと洩れてしまうのでまったく始末が悪い。

○捕まえるのは無理と分かって、しばらく見物しているとあわてんぼうの奴がぶつかってくるが、これもはね返ってしまう。どうやら生き物は通り抜けることができないで、はね返ってしまうらしい。

○テントの中で寝ていると、テントを抜けた奴が顔の上をツーと横切って反対側のテントの中へ吸い込まれて消える。テントの布から泡のように湧いて出てきてポンと飛び出し、消えるときは布に溶けていくようなもので、これが非常にスピーディーに行われるからとても面白い。

○人魂には自分の意思なんてないように見うけられる。追えば逃げる虫の方がよほど高等動物だ。

ざっとこんなふうですが、夜半目を覚ますと、残念ながら激しく雨が降り続いていて、外へ出ることできず、この世ならぬものも見ることができなかった。しかし、山小屋の主人が、以前にはよく見たと言うのだから、いたことは確かだろう。

ただ、貧弱な鈍い光というから、人魂ではなく、何かの動物の魂なのだろうかと想像するほかはない。そして、飯盒は簡単に通り抜けるが、人間や生き物の体は通り抜けることができず、跳ね返るというのだから、所謂この世的なものではないことは確かだろうと。開発が進んで、こういうものが見られなくなるのは、何だか寂しい気がする。  つづく

 


伊吹山からの夕焼け

2018年07月26日 | 

24日(火)、久しぶりに伊吹山(1377m)からの夕景を見たくなり、かといって歩いて登る元気もないので、車で山頂駐車場まで行くことにした。

道中すこぶる順調で、午後1時30分に家を出て、山頂駐車場には3時15分に到着した。猛暑のせいか、この時期にしては駐車している車が少なく、だだっ広い駐車場に数えるほどしかなかった。

レストハウスでコーヒーを飲み、少し時間をつぶしてから、のんびり花の写真を撮りながら100mほど登り、40分で山頂に到着。

しかし、上空は青く澄んだ上天気だが、あいにくと下界は視界が悪く、山並みや琵琶湖もどんよりとかすんでよく見えない。花々はまだ時期が早いのか、鹿の食害の影響か、あるいは暑さや水不足のせいかわからないが精彩がない。そして、いつの間にか鹿の食害を防ぐための金網のフェンスが到る所に設けられていて景観も台無しで、変わり果てた姿に驚いた。3年前に登ったときには、まだこのようなフェンスはなかったが。

しかし、これも植物保護のためには仕方がないことかもしれない。帰りに夜のスカイラインを走っているとき、3回も鹿に遭遇し、鹿が増えているのを実感した。

山頂から、暮れて行く琵琶湖や山並み、そして夕焼けを見る予定だったが、視界はよくないし、うかつにも懐中電灯も忘れたので、おにぎりで腹ごしらえをした後、別コースをゆっくり散策しながら駐車場へ戻った。そしてレストハウスのテラスから夕焼けを楽しむことにした。

以下はその時の写真です。

 

山頂への途中から駐車場方面を望む

 

北方面の山並み

 

山頂付近の花畑。色とりどりに花が咲き乱れる所だが、時期が早いのか、メタカラコウのみが目立っていた。

 

18時58分、日没前

 

19時10分、夕焼けが始まったが、いったんはこの程度で終わるかに見えた。しかし、この後、突如として真っ赤に輝き出し、うれしいサプライズだった。

 

写真はあまりきれいではないが、実際は真っ赤に夕焼けて、移り変わる空の変化をたっぷり楽しむことができました。以下はそのクライマックス時の写真。

19時16分  夕焼けの空の下、かすかに琵琶湖が見えている。

 

19時17分

 

19時20分

 

19時25分

 

スカイラインは以前と違って夜間営業してないとのことで、9時にはスカイライン入り口のゲートを出なければならず、そのため8時に駐車場を後にした。

 

案内によると、8月11日からお盆の間、夜間も営業し、しし座流星群の観察会があるとのこと。天気さえよければ、この頃は新月だから、天の川も見られるかもしれない。駐車場の混雑は覚悟しなければならないが。

 

以下は2009年8月の伊吹山からの夕景ですが、この時は、夕焼ける雲が一つもなく夕焼けは見れなかったが、暮れていく山並みや琵琶湖の夕景を堪能しました。

 

琵琶湖北部と竹生島

 

琵琶湖中・南部

 

暮れ行く山並み。一番奥は白山(2,702m)。その手前は能郷白山

 

最後まで見ていただき、ありがとうございました。


「海上の森」ハイキング

2018年06月07日 | 

3日の日曜日、何年か前に開かれた万博「愛・地球博」の会場の近くにある、「海上(かいしょ)の森」に行きました。同行してもらった森林インストラクターの説明によると、海上の森は、以前は「海所の森」と表記していたとのこと。そして、昔この辺りは海だったことも知りました。山なのに「海上の森」と表記し、しかも「かいしょのもり」と読むなんて変に思っていましたが、説明を聞き、「なるほど」と納得しました。

この日の名古屋の最高気温は30度と暑い1日でしたが、歩いたコース(4キロ)はアップ・ダウンもなだらかな歩きやすい道で、しかもコースのほとんどが木陰だったので、さして汗をかくこともなく、ほど良いハイキングでした。

10時に出発して、インストラクターの説明を聞きながら森の中を歩き、やがて昼が近づいた頃、森を抜け出て視界が開けました。すると、そこには突然別世界へ出たような、いかにものどかな里山風景がありました。

 

そして、小さな水田では女の人が田慣らしをしていました。それが下の写真です。

わたしは里山で育ったわけではないが、いかにも懐かしく、ほんとうに癒される心地がしたことでした。この辺りでは、6月中旬ごろには平家ボタル、源氏ボタルも飛び交うとのことでした。

 

 

そして、ちょうど昼に民家風の「里山サテライト」(無料の休憩所)に着き、ここで昼食。板敷の床にいくつかのテーブルがあります。

 

 

敷地内には珍しい井戸があり、せっかくだからと水を汲みだして顔を洗ったら、冷たくて気持ちよかった。(殺菌してないから飲料水にはむかないとのこと)

 

その後、もう少し歩いて砂防池を見学。これは山から流れる土砂をこの池で受け止め、○○川(名前忘れた)に流れ込むのを防ぐために造られた人工池とのこと。池の中に枯れ木が立っていて、上高地の大正池のようでした。

 

今回のハイキングで、深く印象に残ったのは、森を抜け出て視界が開けとき、そこにあった里山風景であり、そして女の人が昔ながらの田慣らしをしている、いかにものどかで平和な光景でした。それは「別世界」というより異次元世界へ入り込んだような感覚でした。


伊吹山と盆梅展

2016年02月04日 | 

昨日は三島池からの伊吹山を見に久し振りのトライブに出かけた。

三島池の昼近くの気温は6度だったが、青空が広がる上天気。

今年は雪が少ないが、ここからの伊吹山はいつ見ても美しくて惚れ惚れする。

 

 

そして2月と言えば盆梅展です。室内に入ると梅の匂いがぷーん、早春の香りです。

 

 

 

 

盆梅展会場の近くをぶらぶら歩いていたら、あれ、どこかで見たような。

そう、生長の家国際本部とそっくりの建物。だけどこれは保育園です。

 

写真を撮っていると園児たちが寄って来ます。

するとまた、他の園児も集まって来て口々に話しかけてきます。

実ににぎやかしく、笑みがこぼれます。

最後は若い美人先生まで何事かと寄って来たので、迷惑をかけてはいけないと思い、挨拶をして早々に立ち去りました。もっと写真を撮りたかったんだが・・・。

春夏秋冬、毎日伊吹山を見ながら育っていくんだね。君たちは幸せだ!

 


雨の明神池

2015年08月02日 | 

7月23日、雨がしとしと降り続く中、横尾山荘から上高地バスターミナルへと向かった。7時に小屋を出発し、バスターミナルへ着いたのは11時45分。雨は時折激しくなったが、そんな中でも、傘や簡易雨合羽をつけて散策している人が少なくなかった。山に向かう韓国人グループも分っただけで3団体はいたし、中国人、西洋人もいて、日本の観光スポットだけになかなか国際色豊かだった。

夏の上高地は、タクシー運転手によると上高地発のバスの待ち時間は2時間、3時間にもなるとか。わたしも暑い中、1時間並んで待ったことがある。今回は雨のお陰で、待ち時間なしですんだが、やはり上高地はいいところだとあらためてその思いを強くし、季節を少しずらしてまた来たいと思った。

わたしが読んだ本には、上高地は、はじめ「神垣内」であったらしい。また明神池のある穂高神社では「神降地」と表記してあった。まだごく一部の人にしか知られていなかった頃の上高地に思いをはせながら歩いていると、そんな記憶もないのに、見るものすべてに圧倒されている古代人の原始感覚が甦って来るようで、心の高鳴りを覚えずにはいられなかった。

以下は上高地明神池での写真です。

 

 

 

 

黄色い花は「メタカラコウ」。夏になると伊吹山にたくさん咲くが、水辺に咲く風情はいっそう美しい。

 

 

 

 

 


涸沢カールへ

2015年07月27日 | 

横尾山荘(標高1600m)に宿泊した翌日、そこから涸沢カール(標高2300m)までを往復しました。涸沢カールは穂高連峰の懐にあり、カールは山肌が氷河によって削り取られた窪地のことで、山の風景の中でも日本一と言ってよいくらいの人気スポット。夏もよいが秋の紅葉シーズンはテレビで見るだけでも圧巻である。それだけに登山者が多く小屋の混雑を思うと、一度は行きたいと思いながらなかなかいけない。それで、横尾から涸沢カールまでを日帰り往復することにしました。穂高の頂までは行けないが、私たちにはそれで十分である。

天気は下り坂で夕方には雨が降り出すとの予報。もしガスがかかってその絶景が見えなかったでは、あまりに残念なので、バテない様にゆっくり歩きながらも、休憩はあまりとらないことにしました。おかげで、結構花の写真を撮ったりしながらも、3時間30分でカールに到着し、半分ほどはガスに包まれていましたが、半分はその絶景を眺めることが出来ました。

 

≪横尾谷にかかる新谷橋を渡る≫ (7時22分) 横尾山荘から1時間、ここを渡ればいよいよ登山道となるが、天気もよく快調である。

 

 

(8時51分) 小屋を出発して2時間半、写真は望遠だが視界が開けたところで、穂高が見えてきた。すでにガスがかかりはじめている。急がねば。

 

 

≪雪渓を行く≫ (9時38分)もうカールは目の前。おーい、待ってくれよ~。

 

 

いつの間にか家内が撮ってくれたが、レンズを向けられているとも知らず、結構へたばってますね。(笑)

 

 

≪カールと北穂≫ (10時04分) ついに涸沢ヒュッテ到着。まだ、最盛期前でテントの数は少ない。晴れていれば写真の北穂を右端に、涸沢岳、奥穂、前穂と3000m峰が連なる180度の大展望となるはずだが、残念ながらガスに隠れて見えない。しかし、「ついに来たぞ!ここが憧れの涸沢カールだ。うれしい!」、そんな気持ちだった。

 

 

同じく北穂。

 

 

「涸沢ヒュッテ」のテラスと「屏風の頭(2565m)」

 

 

ひとしきり展望を楽しんだ後、昼食にラーメンをオーダー。人気メニューだそうだが、成る程と納得のおいしさでした。

 

夕方から雨だというが、山の天気は分らないからあまりのんびりもしておられない。それに、登りより下りが危険。2時間ほど滞在して、別れを告げました。

≪雪渓≫ これだけ雪渓があると、いかにも夏山らしい。しかし、早くもここを下る途中に雨が降り出し、あわてて雨具を着用した。どうもわたしは雨に好かれているらしい。

 

 

≪ハイ、ポーズ≫ 下り半分過ぎたところで休憩。「じぇ、じぇ、それはいったいなんのポーズじゃ!」「おら、山さ行けて嬉しんだべ!」

 

 

と、いうわけで降りしきる雨に打たれながら、16時近くに横尾山荘に無事到着。疲れたが、素晴らしい1日でした。しかし予報は明日も雨。しとしとぴっちゃん、しとぴっちやん、のんびり歩こう上高地。


上高地は晴れ!

2015年07月26日 | 

沢渡から上高地バスターミナルへは相乗りタクシーを利用。前席に私たち夫婦、後部は子供二人の家族連れ。「えっ、そんなに乗れるの?」と心配したが、意外と窮屈でもなかった。バスターミナルまでの乗車時間は20分ぐらいだろうか。その間、運転手が「また乗ってもらいたいから」とガイドよろしくいろいろ話を聞かせてくれました。そして、釜トンネルで幽霊を見た人は運転手仲間には大勢いると言うので、「運転手さんは見た?」と聞けば、「見ましたよ。トンネルの中で人の姿や顔が映って見えるんです」ということでした。もしそれが本当なら、是非一度見てみたいものだと好奇心が湧くのですが、見ると夜中にトイレへ行けなくなるかもしれないので、見ない方がいいでしょう。ちなみに、運賃はひとり1050円でバスと変わらない料金。運転手のガイドが面白かった分、得した気分でした。

 

さて、幽霊の話はともかく、この日の上高地は梅雨明けのような素晴らしい上天気でした。そして、この日の宿泊地である横尾山荘までの約11キロの道のりを花や風景の写真を撮りながら歩き、目の覚めるような素晴らしい眺めに、ザックを背負っているのも忘れるほどでした。以下はその時の写真です。(撮影時間順)

 

≪河童橋付近からの穂高連峰≫ こんなにスッキリ見えるのも珍しいのでは。もう少し白い雪が残っていれば最高だが、欲は言うまい。(言ってるじゃないか!)  (10時43分)

 

 

≪河童橋付近から見た明神岳≫ (10時43分)

 

 

≪明神池≫ (12時35分)  明神池は入場料300円が必要。わたしははじめてでしたが、とても素晴らしいところで感激しました。帰りにも寄ったので、雨に煙る明神池を後ほどアップする予定。

 

 

≪ギンリョウソウ イチヤクソウ科≫ 山に登りはじめ、はじめて見たときは「なんだ、これは?」と、異様な姿に、気持ち悪さと、変わったものが見られたという嬉しさがあった。その後、家内に見せてやろうとこの花のある山へ連れて行き、見せてやると「なに、これ花?」と、やはり驚いていた。そして、久し振りにこの花を見つけ、「わあ!懐かしい」とすっかり感激していた。ちなみに、色違いの「キンリョウソウ」というのがあるようだが、まだお目にかかったことはない。 (13時36分)

 

 

 ≪モミジカラマツ キンポウゲ科≫ カラマツソウと花はほとんど同じだが、葉がモミジのような葉をしているところが違うらしい。 (14時01分)

 

 

≪キツリフネ ツリフネソウ科≫ (14時06分)

 

  

≪明神岳 2931m≫ 大部奥へ進んで明神岳全体が姿を現した。(14時10分)

 

  

≪梓川畔で≫ (14時10分) 開けた空間、梓川の清流、青い峰、ホントに気持ちの良いところでした。

 

 

≪森を抜って流れる清流≫ 尾瀬湿原の拠水林のよう。やがて梓川に合流。(14時23分)

 

 

 バスターミナルを10時30分に出発して横尾山荘に到着したのは16時ごろ。標高差は100mしかないが、重さ8㎏のザックを背負ってこれだけ歩くとさすがにちょっと疲れました。年でござるよ(ひとり言)。


猿軍団に遭遇

2015年07月24日 | 

21日から2泊3日で上高地から穂高岳の懐、涸沢カールまでトレッキングを楽しんで来ました。すると河童橋から1時間ほど歩いた明神橋付近で思いがけない猿軍団に出会いました。以下はその時の写真です。

 

思いがけないサルに出会って外人さんも嬉しそう。子供が面白がってちょっかいを出したら、ギャッ―と猿さんが威嚇、子供がビックリしていました。

 

 

われ関せずで足元を通りすぎていく。こんな近くで野生の猿にお目にかかるのははじめて。大スターを追っかけるようなまなざしでカメラのシャッターを切りました。

 

 

明神橋に近づくとしきりに河原の方からギャーギャーと何かが騒ぐ声がする。すると、前から突如と猿軍団。「おい、ここは猿の惑星かよ!」

 

 

 

 

つり橋のワイヤーを伝って見事な軽業を見せてくれるが、すばしっこくてなかなかシャッターを押せない。そう簡単には写真に撮らせないというのか。うーむ、敵もサルもの、おぬしできるな!

 

 

おい、猿君よ、いい格好だねえ。すまないが写真にとらせてもらうよ。こんな近くでめったに見られるもんじゃないからねえ。ハイ、カシャ!

 

「さる君、レディが来た。行儀よくしてろよ。」「なんだよー、モンキーに向かってモンキー言うのか」

  雄大な景色の中の、思いがけないショーに大満足の1日でした。

  そして、サルも涙を流すだろうか?と、またこんな疑問が湧いてきたことでした。


伊吹山

2015年06月10日 | 

6月7日の日曜日、久し振りに伊吹山に登った。伊吹山は50回近く登っているが、そのほとんどは林道を通って三合目まで車で行き、そこから歩いて山頂まで2時間という手軽さだった。しかし、その林道が一般車は通行できなくなり、登山口から歩いて登らなければならなくなり、コースタイムは4時間とそれまでの倍の時間がかかるというので、つい遠ざかってしまっていた。

 そして、今回は6年ぶりの伊吹山登山ということになるが、「ああ、この風景、この風、この匂い」という感じで実に懐かしかった。この時期に伊吹山に登れば必ず聞こえるのが、ホトトギスとカッコ―の囀り・・・。そして、この時期に咲く花たち。懐かしい再会だった。

 そして驚いたのが、その賑わい。梅雨入り前の日曜日ということもあるだろうが、それにしてもこの時期にこれほど大勢の登山者がいるとは予想しなかった。しかも、若い人が多かった。人気のない静かな山もいいが、登山者が多ければ、それはそれで活気があって楽しい。

 ただ、今回はあいにく7,8合目あたりからガスがかかり、山頂付近はときおり数メートル先も見えないぐらい濃いガスに包まれ、肌寒く、山頂であまりのんびりできなかった。そして山々の展望はまた次回の楽しみということにあいなった。

 

クサタチバナ (ガガイモ科) 

 

ヤマカラシ (黄色い花)

 

イブキシモツケ (白い花)

 

 

 

8合目から見た登山道

 

行き交う登山者たち

 

ファッショナブルな山ガール(右端)。とても絵になっていました。

 

キバナハタザオ

 

琵琶湖と竹生島(ちくぶじま) 2合目付近

 


山の中のレストラン

2015年05月24日 | 

4月のある日、自宅から車で40分ぐらいのところにある「月見の森」から、歩いて展望台への道を登って行くと、展望台とは別の方向へと続く分かれ道があった。さて、この道はどこへ続く道か、近々確かめてみようと思っていた。

そして4月の末、その道をたどっていくと、稜線上に「山の中のレストラン」とでも呼びたいような、ステキな休憩所があった。眺めは良し。まさに「山の中のレストラン」とわたしはすっかり喜んでしまった。

そして、生長の家の「山歩きがしたい」と言っていた誌友を誘って一度、それから家内も誘ってもう一度、1ヶ月の間に3回も訪れた。自分の足で歩いて、思いがけないものを発見した時はうれしいものだ。そして、こんな近くに手軽に山歩きが楽しめ、そしてそこには青空レストランがあるということであれば、おのずから他の人も誘いたくなるというもの。以下はその「青空レストラン」の写真である。

 

稜線に出ると谷を隔てた向こうに勇守山(約500m)が見える。別の日にひとりで登ったが、山頂には「白滝大神」を祭る鳥居と祠があった。展望はないが、うっそうとした木々に囲まれ、標高は低いながら野性味のある山だった。

 

駐車場からゆっくり歩いて1.5時間ほどで一つ目の「青空レストラン」に到着。家内と来た時、ここで昼の弁当を食べていたら、70歳ぐらいの男がやってきて話をしていると、その男が一人でこのベンチを作ったとのことだった。途中に伐採した木があったが、その男はその伐採された木を見て、このまま放置するのはもったいないと思い、道具を買い、ヒノキの皮をむいて鋸で切り、これらのベンチを作ったとのことで、大いに感心させられた。昼近くになると木陰になるから、ちょうどよい。

 

上の写真と同じ場所にあるが、最初に来た時まだこのベンチはなく、2度目に来た時にはあったから、これはまだ作られたばかりの新品。はるか名古屋の街並みや濃尾平野を見渡しながらのコーヒータイムは極上のひと時となる。

 

ベンチからの眺めで、流れている川は揖斐川。標高は400m。

 

さらに進むと、「根っこの道」

 

さらに進むとこんな看板がぶら下がっていた。

 

たどり着いたら、これがレストハウス「青空」。先の青空レストランから30分程度。標高は450mぐらい。これは先ほどの男とは別の人が作ったらしい。汗をかいた衣類を干す物干しもある。写真と反対側のすぐそばに中電の37番の鉄塔がある。

 

鉄塔からの眺め。

 

えっ、感想ですか?

そうですねえ、幸せのあまり、思わず「ホー、ホケキョ!」と声が出そうでございました。(笑)