気の向くままに

山、花、人生を讃える

フキノトウ

2023年02月22日 | 

数日前から、我が家の庭にいくつかのフキノトウが土の中から頭を出しはじめていた。

このフキノトウはいち早く春を感じさせてくれるので、これを見ると私はとてもうれしい。

私が子供の頃、父親は手で小さくちぎってみそ汁に入れるのが好きだったが、私もやはり好きで、父親が好んだ理由がよくわかる。そして、やはり親子だなと思いつつ、懐かしくなるのである。

 

 

○ひとに対して晴れやかに笑え、晴れやかな笑いは自他の栄養剤である。 

○周囲に対して微笑みかけよ。周囲もまたなんじににこやかに微笑みかける。 

○快活と憂鬱とは一つの心のうちでは同居できない。憂鬱が来たら快活はいなくなる。だから大笑せよ。
大笑して憂鬱を吹き飛ばせ。 

○憂鬱になってきたと思う瞬間、哄笑を爆発させよ。これが健康と若さを保つ秘訣である。 

                                                                                                     『生命の実相』22巻 より

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セツブンソウ

2023年02月07日 | 

セツブンソウは節分の頃に咲くことからセツブンソウと名付けられ、江戸時代のこの時期には、江戸庶民に人気があって良く出回ったとか。しかし、今の時代、山でも行かなければなかなか見られない。

白い花びらのように見える部分は萼片(がくへん)だが、この部分の直径はわずか1~1,5センチと小さく、見つけにくい。それだけに見つけたときはとてもうれしい。とにかく、写真でもわかるように、可愛らしい花である。

 

 

 

 

 

 

○光となって輝きたい者は笑うがよい。幸福でもないのに笑えないというな。笑わないから幸福が来ないのである。  

 

○植物の葉に緑を与え、その花にいろいろの色彩を賦(あた)え、その果(み)に美しい光沢と美味しい味を与えるものは太陽の光である。それと同じく人間の心にも太陽の光が必要なのである。心に必要な太陽の光とは、光の名に相応しい、生命の自然から湧き起こる明るい歓びである。 

 

○天照大神が岩戸隠れをせられて天地ただ暗黒に満たされたとき、その暗黒の真っただ中にあっても悲観せず、失望せず、陽気な音楽を奏でつつ明るい笑いを笑い、ついにその暗黒を笑いによって吹き飛ばした天宇受売命こそ生粋の古代日本人の標本であり、「生長の家」人の好標本であるのである。苦難に面するとも朗らかに哄笑せよ。やがて諸君はその苦難を征服することができるであろう。 

 

○輝くような明るい笑いは人生の不幸を吹き飛ばし、不治症さえ雲散霧消する不思議な効果をもっているものなのだ。 

 

○自己に宿る「太陽の魂」をその十全の光において輝き出ださしめよ。なんじに宿るキリストを磨き出だせよ。イエスは常に「汝ら歓び勇め」と言っていたのである。 

                                        (谷口雅春著『生命の実相』15巻より)

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もうじき梅の便り

2023年02月03日 | 
もう2月。
寒い日が続いているが、そろそろ梅の便りが聞かれる頃。
そう思うと、梅の絵を描いてみたくなった。
描いても出す宛はないが、自分の中に梅が咲いた。

   

     

         

○彼女は一日少なくとも3回、どんなことがあっても必ず心から声を出して笑うということに決めたのである。それで人と話している時など、ちょっとした機会があっても必ず心から笑うようにし、自分の部屋にいるときには鏡を見て笑うようにしたところが、まもなく健康が見ちがえるようになり、性格も一変して明るくなった。こうして主婦が快活になるとともに、その家庭は明るい愉快な幸福な家庭になってしまった。

 

○笑いはただその人自身を健康に愉快にするばかりではない。快活な人は周囲に幸福と健康とをまいて歩く。明るい朗らかな親切な笑顔を向けられては何人も幸福にならずにはいられない。そういう人が医者であれば、患者は医者の顔を見るだけでよくなったりするものである。

 

○朗らかな笑いは、自然が与えた最良の強壮剤である。哄笑を爆発さすとき、憂鬱な心で押さえつけられていた生理作用はたちまち活発に活動をはじめる。血液の循環は順調になり、白血球の喰菌(しょっきん)作用は増加し、自然療能はさかんになる。

 

○ちょっとした洒落、ジョーク、諧謔などに触発されて哄笑が飛び散るならば、諸君は砂漠でオアシスを見いだしたように蘇生って再び元気よく仕事に掛れるであろう。聡明な上役は、仕事の合間に下役の気を引き立てるような罪のない諧謔を飛ばす。能率を望む実際家もまた笑いの効果を知らねばならない。上手な教育家は生徒を時々ユーモラスな話で笑わせながら授業を進めて行く。それで生徒に喜ばれてかえって成績がよいのである。上品なユーモア、巧みな頓智、無邪気な馬鹿話、悪気のない哄笑――これらは天が与えた自然の良薬である。

                                        『生命の実相』7巻より  谷口雅春著

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福寿草

2023年01月11日 | 

 

福寿草の花の最盛期は3月だが、ハウス栽培されたものが正月の飾りでよく見かける。いち早く春らしい雰囲気を感じさせてくれるのが好いのだろう。三重県鈴鹿山地北部にある「藤原岳」は『花の百名山』の一つとして知られている山だが、3月末頃から頂上付近一帯にフクジュソウが雪の中から顔を出し始める。4月初めには、その黄色い花がそこら中に咲き、登山者を喜ばせる。この時期になると、私は毎年のように登っていたが、今は懐かしい思い出である。この山で雪の中から顔を出している栽培でない、自然の中に咲くフクジュソウを初めて見たときの強い感動は今も忘れれない。

       

   

 

 

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彼岸花を見に

2022年09月22日 | 

車で30分ほどの、毎年行っている彼岸花の名所に行ってきました。台風のあとだし、見頃も過ぎているとは思いましたが、毎年の恒例のようなものなので、出かけてきました。そして予想通りではあったが、それでも、かろうじてセーフといったところ。良い気分転換になりました。以下は、どうってことはないですが、その写真です。

 

伊吹山と木曽川

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嬉しい「春の使者」

2021年02月14日 | 

「春の使者」とは一般的に何を指して言うのかとYahooで調べたところ、色々の樹木や山野草の花、あるいは渡り鳥だったりと色々で、特に「これ」と決まったものではないらしい。それで、人それぞれの「春の使者」があって良いのだと知った。

 

それで私にとっての「春の使者」は何かと言えば、やはり「蕗の薹」を一番に挙げたいと思う。何故かと言えば、私が子供の頃、父親が春先になると、この蕗の薹を指先でちぎり、みそ汁に入れてその風味を楽しんでいたのを思い出す、その懐かしさがあるからである。

 

この蕗の薹は、もうだいぶ以前から私の住む地域では見られず、山へでも行かなければ見られなくなった。
そして私が40歳を過ぎて山に登り始めたころ、蕗の薹を見つけると懐かしくて、思わず「あっ、蕗の薹!」と心が歓声をあげた。

 

その蕗の株を家内が友達からいただいて花壇に植えていたものが、一昨年は2つぐらい出来、みそ汁に入れて懐かしい風味を楽しみ、そして去年は6つできて、天麩羅にして食べさせてもらった。

 

昨日、そろそろ蕗の薹が出ている頃ではないかと思いつき、花壇を見れば、7つ程出来ていた。もっと増えることを期待していたので、去年より一つ増えただけなのでちょっと寂しいが、それでも無事に7つも出来てくれたのだから嬉しい。

  

『野草の名前』と言う本によると、蕗の古名は「山生吹(やまふぶき)」と言われていたようで、趣のある名だと思うが、現在は最後の吹(ふき)だけが残り、蕗になったと推測されている。

 

ともかくそんなことで、私にとって「蕗の薹」はうれしい「春の使者」なのである。

 

 下の写真は昔、山で撮った蕗の雄花

  

  

  雌花  やがてタンポポのような白い綿毛となって飛んで行く。

  

『野草の名前』という本には。「山生吹」の「生」は生きるとか、生まれるの意味を持ち、「吹」は吹き出すとか盛り上がるなどという意味合いがあり、自生する蕗の様子を語っている、と書かれていて、蕗の薹や雄花、雌花から 成る程と思ったことでした。

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ロウバイとの出会い

2021年01月08日 | 

数年に一度の寒波らしい。が、予想最高気温2度というのは記憶になく、実際に13時現在の気温は2度である。

 

しかし、気温は低くても、庭には明るいお天道様の光がさし、庭のロウバイが例年より早く咲き始めている。ひょっとしてロウバイは寒いのが好きなのだろうかと思うのだが、そう考えれば、最も寒い時期に咲き始めるというのも頷ける気がする。となれば、まさに人生いろいろ、木もいろいろ、である。ともかく花のない時期に咲いてくれるのだから、こんな嬉しい花はないと思う。

 

ところで、このロウバイという花を私が知ることになったのには、こんなきっかけがあった。
それは伊吹山登山中のこと、私が何かの花を見ているとき、ある女性が話しかけてきた。その女性は鎌倉から来たという私より少し年配らしき女で、花の勉強をしているグループのインストラクターをしているとのことだった。それで花に詳しく、そんな人が傍にいれば、私にとってもいろいろ教えてもらえて有難いので、なんとなく最後まで同行することになった。

 

そして下山したとき、私は車だったのだが、彼女は最寄りのJR 駅までバスということだったので、バス停まで送った。すると田舎のことだから次のバスまでかなりの時間があり、それで喫茶店に案内し、そこでコーヒーを飲みながらバスの時間までお付き合いした。

 

そのお礼ということらしく、後で手紙とともに植物の絶滅危惧種の一覧を印刷したしたものが送られてきて、その中には、彼女が月刊誌に投稿して掲載されたというエッセイも入っていて、そのエッセイがロウバイに関するものだった。

 

その内容は、もう細かいことは忘れたが、電車に乗っている時、窓から黄色い花がちらほら見えて、隣の男性が、あの黄色い花は何でしょうかねえと聞いて来た。それで彼女が、「あれはロウバイという花で、年の初めにいち早く咲く花なんてすよ」というようなことを教える、まあ、そんな内容のものだったが、車窓から見える冬枯れの景色の中に春を待つ感じがよく出ていて、それこそ匂いまで漂ってくるようだった。それで、ロウバイとはどんな花だろうかと大変興味を覚えた、というのが最初の出会いでした。

 

それで、咲いているロウバイを実際に最初に見たのは名古屋の東山植物園だが、その時、やはり春がいっそう待ち遠しく感じられたのだった

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「金木犀」が私に言った

2020年10月15日 | 

今日は雲一つない秋晴れの快晴。
そして我が家の金木犀もようやく開花した。

 

剪定に行くと、松やマキと同じく、金木犀もたいがいの家にあるのだが、それは花が咲いたとき、辺り一面によい芳香を放つからだろう。我が家の金木犀もそうだった。

 

何時頃のことか行楽に出かけた時、金木犀が好い芳香を放っていて、その時、家内から「金木犀」と教えられた。そして、わが家にも欲しくなり、玄関前に植えたのである。それが今では1階の屋根より高くなったので、3年前から少しづつ低くし、茂った枝を間引き、透かすようにしてきた。

 

よその家に剪定に行くと、よく言われるのが「もっと小さくしてほしい」である。
花が咲いている時は良いが、そうでないときは大きくなりすぎて鬱陶しがられているのも金木犀の特徴である。一度大きくなったものを、小さく、小ざっぱり仕上げるのはそれなりに骨が折れる。しかし、「おかげで、さっぱりしました」と喜ばれると嬉しいものだ。

 

4、5年前と思うが、どういう加減か、2年続けて花を2度咲かせたことがあった。
1度散ったあと、またいつの間にかたくさん花をつけていて驚いたのだった。
剪定仲間に「金木犀は2度咲くことがあるのか」と聞いても、みんな「知らない」という返事だった。

 

ここまで書いて、念のためにインターネットで調べたら、そんな記事がいくつか出ていて、それほど珍しいことではないと知った。
が読んだ一つの記事には、2度咲いたときの1度目は、咲いて2日後に早くも散ったらしい。それで「散るのが早すぎる」と思っていたら、またもりもりと2度目の蕾をつけ、散った1週間後には花を咲かせたという。

 

私はこの記事を読んで、その早業に驚き、まさに木は「動いている」という感じがした。そして、あの木のどこからそんな蕾ができ、花を咲かせるのだろうかと、今さらながら不思議に思った。

 

すると、金木犀が私に向かって言った。
「あら、あなた、今頃そんなことに気がついたの。随分気づくのが遅いじゃない。
私だって、あなたに負けないぐらい毎日動いているのよ。あなたたちの目には、何にも動いていないようにみえるだろうけどね。
それに、それもあなた達人間に喜んでもらうためになんだよ。そういう努力、ちゃんとわかってよね。
あんた、私を斬っといて、お金貰うことばかり考えてんでしょう。嫌な奴!」

 

「はい、どうも、すみません」

 

   

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花とオッサン

2020年09月26日 | 

先日、友達3人を誘って「ワイルド・ネーチャー・プラザ」に彼岸花を見に行った。

今年は例年より少し遅いのか、まだ花より蕾の方が多かったが、それでもたっぷり日本の秋を楽しませてもらった。

 

ひとしきり写真を撮りながら散歩した後、

木陰のテーブルで弁当を食べ、湯を沸かし、食後のコーヒーを飲みながらよもやま話。

せっかくの良いひと時だったが、写真を撮るのを忘れてしまったのか惜しかった。

 

最初はここだけの予定だったが、盛り上がって水郷アクアパーク、木曽三川公園にも足を延ばした。

 

木曽三川公園はコスモスはまだどれだけも咲いてなかったが、キバナコスモスは見頃を迎えていた。

その花の前で、花には不似合いなオッサンたちをモデルにしてパチリ。

不似合いとはいったものの、撮った写真をよくよく見れば、花の前ですましこんでいる姿は、中々の傑作である。

 

今まで私は「花には美女」とばかり思っていたが、そうではなく、花にはオッサンがよく似合うことを発見した。

ということで、オッサン \(^o^)/ の巻・・・でした。 (笑)

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睡蓮を見に

2020年06月20日 | 

今日は朝から日が射し、梅雨の季節とは思えない爽やかな風が吹いていました。

 

昨日は兄と久しぶりに喫茶店に行き、「天王川に睡蓮がきれいに咲いている」と聞いたので、今日はさっそく家内を誘って車で20分の天王川公園へ行きました。ここは桜祭り、藤祭りでも有名なところですが、ここへ睡蓮を見に出かけたのは初めてでした。

 

私は多くの男性と同じように若いときは、まだ花というものに興味をもたなかったのですが、それでも睡蓮には何か魅力を感じていたし、見たいと思う花でもありました。それは、きっと他の男性も同じだろうと思う。つまり、花に関心がないという人でも、この睡蓮だけはみな好きなんだろうと思う。それだけ、他の花とは違う、独特の魅力があるのでしょう。

 

もし、男たちに「いちばん好きな花は何?」とアンケート調査をしたとしたら、睡蓮がナンバー1になるのではないだろうか。
と、勝手に想像しています。

 

(天王川公園、と言っても川ではなく池ですが、その池に咲く睡蓮)

 

(池の中の島に架かる橋。 池には鯉が沢山泳いでいます)

(睡蓮)

 

 

睡蓮を見たあとは、公園を一回り(2キロ)ウオーキングしました。
広いところだから密になることはありませんが、思ったより多くの人が朝の散歩、ウォーキングを楽しんでいました。

 

(周囲に設けられた、眺めの良い遊歩道)

 

(藤棚の下は日陰で、眩しさもなく、いっそう気持ちよく歩けました)

                                            ――お・わ・り――

 

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花と蝶、この不思議な一致

2020年05月23日 | 

昨日は家のツツジの生垣を剪定した。
毎年、見事に咲きそろってくれるが、今年は秋の台風で蕾が落とされてしまったのか、パラパラ程度にしか咲かなかった。

 

下の白いツツジだけはどういうわけか、いつも通りたくさんの花をつけてくれたが、その真っ白な花に混ざって色のついた花が3つほどあった。他のピンクのツツジと交配されたからだろうが、せっかくなので写真に撮ったのが下の写真です。

 

話は少し変わりますが、先日、昔買った『植物は不思議がいっぱい』(春田俊郎著)という本を、久しぶりに取り出して読み始めましたが、その中にこんな面白いことが書かれています。

 

以下引用

○花が虫を惹きつける基本は、花の姿と蜜との2つであるが実際はそれほど簡単なものではない。(中略)
 例えば、オオムラサキツツジなどの大型のツツジの花の花粉の媒介者は、クロアゲハ、カラスアゲハなど比較的大型のアゲハチョウである。アゲハチョウの仲間がツツジにとまって吸引するとき、その管状の口が花の底にある蜜線まで届かねばならないし、吸蜜しているときに、その足や羽の裏にたくさんの花粉を付着させなければ意味がない。
 
そこで何10例にわたって測定してみた結果は、アゲハチョウ類がとまった姿勢のとき、ツツジの花の深さと、アゲハの口の長さは常に一致しているし、ちょうど蝶の胴体の位置にたくさんのオシベが伸びていて、蝶の好みに関係なく、蜜を吸えば必ず、胴にオシベの先端がふれる様になっている。

 

○日本にいる何種類かのアゲハチョウは、1年に2世代を繰り返す。つまり3月末から5月頃に発生するアゲハチョウは春型で、ツツジの蜜を主食としている。この春型のチョウが産卵し、幼虫、蛹を経て7月から8月にかけて夏型のチョウが飛び出す。ほとんど例外なく、同じ種類では、夏型の蝶の方が春型の蝶より大きいし、管状の口も長い。これは春型のツツジに対し夏型の蝶の主食は、オニユリ、ヤマユリの蜜であって、ツツジより花の構造が大きく、かつ、蜜線の位置がツツジより深いから、それに対応していると考えられている。

 

○マダガスカルに筒の長さが25㎝という非常に深い筒型の花があった。この花の蜜を吸い、花粉を運ぶには、どうしても口の長さが25㎝以上の昆虫がいなければならない。観察の結果、口の長さが25㎝のスズメガがいたのである。そしてその後、更に筒の長さが30㎝近いという非常に深い筒型の花が見つかった。しかし、それに対応できる長い口の蛾は発見できなかった。けれども自然の摂理から考えて科学者は、30㎝の口をもつスズメガが存在すると予告した。そして数十年後になってやっと、口の長さが30㎝というスズメガが発見された。そのスズメガはプレディクタ、つまり予言されたという意味の名称がつけられた。(引用終わり)

 

引用が長くなりましたが、花と蝶、一方は植物であり、一方は動物(昆虫)で、植物界と動物界というように界を異にする花と蝶が、まるで話し合いでもしたかのようにうまくできていることに、あらためて感心し、紹介させてもらった次第です。

 

さて、下の写真は、ガクアジサイで「写真を撮れ」とうるさくせがむので、「まだ早い」と思いつつ、仕方なく撮ったもの。
この場合は、花が人間に話しかけたというわけである。(笑)

     

 

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野の草をも、かく装ひ給へば

2020年04月18日 | 

全国に緊急事態宣言が出されて、たくさんの業種に休業要請が出される事態になっていますが、私の庭木の剪定仕事には休業要請はないようです。冬の寒い時期なら休業要請を出して欲しいところですが、気候の好いときなので「まあいいか」と思っているところです。

 

昨日剪定に行った家では、紅白のハナミズキが咲いていて、「ああ、もうハナミズキの季節がやって来たのか」と思ったのでした。コロナ、コロナと騒いでいるうちに、季節は既に晩春になっていたんですねえ。

という訳で、今日は花の写真を記事にしたくなりました。、以下は、最近撮った花の写真です。

 

「マツバウンラン」 繁殖力旺盛で迷惑に思っているのですが、可愛い花です。
適当な数だけ生えてくれれば大事にしたいと思うが、現実はせっせと抜いています。(笑)

     

 

「スミレ」 品種が多くて・・・ まあ、スミレでいいでしょう。
これもまた可愛いくて、咲けばうれしい花ですが、しかし種子を飛ばしまくってますねえ。
私に言わせれば、「じゃじゃ馬」というところか。

     

 

「ジャーマンアイリス?」かな。正確には知らないが 好きな花の一つです。

     

 

「椿」 品種は知らないが、八重でなかなかきれいなので気に入っています。

          

 

上の花のアップ。3月31日に撮ったものですが、2週間は綺麗に咲いていて、最近ようやく色が変色しはじめました。そして、まだ蕾もあるので、長く楽しませてくれます。

     

     

ライラック  日本名は「ムラサキ・ハシドイ」、今年は綺麗に咲いてくれました。

     

 

次は、花ではなく聖書の1節。私はクリスチャンではないが、イエスの言葉で好きなのはたくさんあって、その中でも最も好きなところです。格調高く、そして花のような美しい響きがあり、まるでイエスが今にも語りかけて来るようです。

○野の百合は如何にして育つかを思へ、勞せず、紡がざるなり。されど我なんじらに告ぐ。榮華を極めたるソロモンだに、その服装(よそほひ)この花の一つにも及(し)かざりき。今日ありて明日爐(ろ)に投げ入れらるる野の草をも、神はかく装ひ給へば、まして汝らをや、ああ信仰うすき者よ。さらば何を食(くら)ひ、何を飲み、何を著(き)んとて思ひ煩ふな。是みな異邦人の切に求むる所なり。汝らの天の父は、凡てこれらの物の汝らの必要なるを知り給ふなり。まづ神の國と神の義とを求めよ。さらば凡てこれらの物は汝らに加へらるべし。この故に明日のことを思ひ煩ふな、明日は明日みづから思ひ煩はん。一日の苦労は一日にて足れり。

 

 

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カタクリの群生とギフチョウ

2020年04月05日 | 

3日に続き4日の昨日も花見日和だったので、久しぶりに少し遠出をして、岐阜県関市にあるカタクリ群生地に行った。
距離は少しあるが高速を利用すれば1時間で行ける距離である。

 

このところ山にはすっかりご無沙汰しているし、カタクリもここ数年はお目にかかっていない。
そこへブログでカタクリ群生地の記事を見かけたので、出かけたくなったわけである。

 

現地には予定通り1時間少しで到着。
カタクリの群生の様子は写真では見ていたものの、一面に群生している様子を生で見て、その見事さに驚いた。
行く前は正直に言えば、群生している姿より、山の中にひっそりと2,3輪咲いているのを見た方が、出会いの喜びはあるし、春の妖精らしい風情があって好いと思っていた。ところが、群生している姿を目の当たりにすると、自然のすばらしさに驚くばかり。何と贅沢なことと感動した。
時期は既にピークを過ぎていたが、それでも一面に咲き誇るさまに、ひたすら感動していました。

以下はその時の写真

 

 

 

 

 

そして天然記念物に指定されているギフチョウにも、はじめてお目にかかることが出来た。
立派なカメラを持ったおじさんが、あそこにギフチョウがいると教えてくれたのである。

 

人は、自分が見て嬉しければ、他の人にも喜んでもらいたいと教えたくなるらしい。
今まで、こんな感じで教えられて得したことが何回もある。

 

そのギフチョウは3メ-トル先の枯葉の上に乗っかってじっとしているので、かすかにしか見えない。
カメラを望遠にしてメクラ押しでシャッターを押していると、その内にだんだん人が寄って来て、その内の地元らしい人が長い木の枝を持って、その枝に止まるようにと近づけた。するとまだ羽化したばかりで飛び立てないと思っていた蝶が飛び立ってしまった。
しかし、やがてまた近くに留まってくれたので、1メートルの近くから写真に収めることが出来た。それが下の写真です。

 

というわけで、今日は初めてカタクリの群生地を堪能させてもらうことが出来、そしてギフチョウにもお目にかかることができ、とても良い日でした。

 

Today is the happiest day in my life

 

○目覚めた時に、次の言葉を20回ぐらい繰り返して祈るのがよい。

「今日はあらゆる日のうちで一番幸福な日である」  

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花見

2020年04月04日 | 

3日は穏やかな好天に恵まれたので、午前中にシルバーの仕事で松を1本剪定して、午後からは近くの満開の桜を見に行きました。

 

そこは水の氾濫を防ぐため、一つの河川を木曽川と長良川とに分断した背割堤にある桜並木ですが、北に向かって右に木曽川、左に長良川が流れ、その2つの1級河を分断する背割堤に沿って1500メートルほどの桜並木が続きます。そしてその1本1本が結構な大木ですから、その眺めは壮観です。

 

足元は1面のスギナで、まるで緑の絨毯だし、その緑の中に黄色いタンポポと菜の花が咲き、見上げれば桜花爛漫という訳で、まさに、この世の天国でした。

 

私が初めてここに来たときは、満開のときにも訪れる人もないような所でしたが、堤防の道が舗装されて、少しづつ知られるようになってきたようです。しかしまだまだ、のんびり静かに桜を楽しめるところです。

以下はその時の写真です。

 

 

 

北に向かって左手を流れる長良川。かすかに、中央から左に寄った位置に伊吹山もうっすら見えています。

 

この広々とした眺め!

 

こちらは右手を流れる木曽川の舟溜まり。  
静かな眺めに芸術家の血が騒ぎます。もちろん冗談ですが。

 

 

それにしてもやっぱり桜はいいですね。

 

 

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春の花

2020年03月13日 | 

昨日今日と温かい春の日射しに包まれて、行楽日和となった。

そして我が家では黄水仙、木蓮、紅梅(八重)、沈丁花などが咲き、いよいよ春らしくなってきた。

昨日は久しぶりに1時間ほど山歩きをし、今日は足が痛くなるかと思ったが、ゆっくり歩いたせいか何ともないのでありがたい。

今年は字の役からも解放されるので、少しは山歩きもしたいと思っている。

山中はコロナウイルス感染の心配はないからその点は安心だ。

過去の写真を見て山歩きの気分を楽しもうと思ったら、どういうわけか、次の写真を開く「次へ」の「>」記号がでず、順送りができなっている。「明日になればよくなっていた」ということになればよいのだが。

 

以下の写真は以前に写したもの。

結婚前、家内がフリージアの花を持って船まで面会に来てくれたことがあった。

その時に初めてこのフリージアという花を知ったが、以来、わたしはこの黄色い花が好きになった。

いかにも春らしい雰囲気を持った花だと思う。

 

この木蓮は横浜の山下公園で撮ったもの。

 

○われわれを生かすのは明るい思想である。さし昇る朝日のごとくさわやかな思想である。さし昇る朝日のごとくさわやかな精神こそ日本精神である。生命は暗黒の中にも光を見る。暗室に置かれたる豆もやしは、外から洩れるわずかな光を求めて、光の方へ光の方へと向いて行く。そして光のない間は細く長くかよわく貧弱に伸びていくにすぎないが、ひとたび光を得たときには、太くしっかりと逞しく勢いよく生長する。生命には光が必要なのである。光が全然ないときには、伸びかかった豆もやしも数日間で枯れてしまう。再び言う。生命には光が必要なのである。  『生命の実相』37巻より

 

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