気の向くままに

山、花、人生を讃える

「幼な児の心」

2009年10月30日 | 信仰
団参以来、古い「生長の家」誌を読んでいるのですが、つい最近徳久先生が『生命の実相』40巻を20日間で読んだと書いてあるのを見ました。

それを見たとき、一瞬、印刷ミスではないかと思ったのですが、夏目漱石が1時間に500ページ読んだという話を思い出して、印刷ミスではないと思い直し、その真剣さに心を打たれました。

ちなみに、
1時間に500ページというと、「そんなの単なる伝説だ」と思う人もあるかもしれませんが、以前に愛知県の教化部長をしておられた原田 昭先生が――先生は生長の家の本部に奉職する前は、トランペットの名手だったそうで毎日8時間練習されていたとのこと――はじめて見る楽譜でも、見た瞬間に全部わかる、という話をされていたので、伝説ではないと思っています。

話は本題に戻りますが、
昭和58年の新年号から、その徳久先生の「真理教室」というのが連載されていて、何回まで続いているのか最後まで見ていませんが、ともかくそれを読ませてもらっていると、別段目新しいことが書いてあるわけでもなく、聞きなれたことばかりなのに、はじめて教えられたような気持ちになるのが不思議です。

それで、徳久先生がいかに繰り返し御本を読んでおられたかをあらためて感じさせられるとともに、自分は頭の上では知っているつもりになっているが、その頭の上でさえも、なんにも解っていないんだなあということをつくづく感じさせられました。

それはともかく、その「真理教室」の15回目、「神癒」と題する3回目の記事にとても面白くて教えられる話が書かれていました。

徳久先生が昭和42年にブラジルへ駐在されたときのことです。
ブラジル人の信徒がまだ少なかったときで、個人指導を初めの頃は週に2回していたそうです。
ところが、どんどん奇跡が起きて、口コミで伝わって、個人指導を受けにくる人が日に60人も来るようになったとのこと。

徳久先生はポルトガル語が出来ないので、通訳を通して、しかも生長の家の教えは何も知らない相手に対して、どんな個人指導をされたか?そして、どうしてそんなに簡単に奇跡が起きたのか?
興味津々で読ませてもらいました。

「最初から難しいことを言っても解りゃしないので」と言って、徳久先生は、このように書いておられます。

○(個人指導の)第1回目の人には、どんな問題であっても、「私は神の子円満完全、必ず良くなる、ありがとうございます」という言葉を教えまして、1週間暇あるごとに唱えて、来週また来るようにと言って帰しました。

○勿論、それと同時に一人一人のために祈りましたが、人数が多いので、簡単な短時間の祈りをしました。「招神歌」をとなえて、その後で「あなたは神の子円満完全」と強く念じたのです。

とのこと。そして、「私自身、あまりよく癒されるので驚いた次第です」とのこと。

次に1回だけで治らないで2回目を来た人には、「あなたは誰かを憎んんだり、恨んだりしていませんか?」と尋ねると、ほとんどの人がそうだったので、1回目の言葉を続けるとともに、今度は「ゆるしの祈り」を教え、それを繰り返し、繰り返し、数多く唱えるほど良いと指導したとのこと。

そして、
○日に60人以上も来るようになると、朝の7時から、昼食も食べずに午後の5時までかかりました。

とのこと。
徳久先生の祈りの力もあるとは言え、理屈を言わず、素直に信じることの大切さを教えられ、「信」の力の偉大さをあらためて感じさせられました。

昨日は、谷口雅春先生の「神想観の真髄」なる記事を見つけ、夢中になってワードに入力し、A4二つ折りの小冊子に仕上げました。

それには、
○私たちが「自己の神性」を自覚するのは、肉体人間の努力によるのではなく、「内在の神の催し」即ち他力によるのである。肉体の「わしの努力」「俺の精進」などによって「自己の神性」を自覚しうるものではない。

○神想観を行ずるものは先ず「幼な児の心」になることが大切である。神想観とは決して自力の思念ではないのである。それは「既にある実相の完全さ」を素直な心で受けることである。

というように、何度も「「幼な児の心」という言葉を繰り返されて説かれていました。そして、自分に足りなかったのは「幼な児の心」(素直さ)であることに気づかせてもらい、行く道を照らしていただいたようで、嬉しい1日でした。
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気持ちを新たに

2009年10月28日 | 信仰
昭和38年に谷口雅春先生が南北アメリカ、ヨーロッパをご巡錫された時のこと。

ハワイのホテルの廊下を歩いている時、谷口雅春先生ご夫妻とすれ違ったボーイ二人が、「キリストのような人だ!」と言いながら、後に続く徳久先生のそばを通り抜けて行った。

生長の家のことも、谷口雅春先生のことも何も知らないハワイのボーイが、すれ違いざまに見た先生のことを、「キリストのような人だ!」と言いつつ通り過ぎて行ったことに感動した徳久先生は、そのことを谷口雅春先生に報告せずにいられなかった。

その話を聞いた先生は、ニコニコしながら、
「その人たち、キリストを見たことあるのかね?」とおっしゃられたとのこと。

しかし、私たちが「キリストのような人」と言うのは当たり前でも、何も知らない異国の人が、通りすがりにちょっと見ただけでそのようなことを口走るというのは、尋常なことではないと思う。


また、ニューヨークの国際連合本部においでになった時のこと。
広い建物の中を歩いて疲れてきた時、ちょうど図書閲覧室のようなところに適当なソファがあったので、そこへ腰をおろして少し休まれた。すると先生ご夫妻の側へ、とても品の良いアメリカ人女性が近づいてきて、
「ぜひ、お名前を聞かしてください。そして、できることなら、握手をしていただけないでしょうか?」
と言った。そこで先生に随行していた徳久先生が、
「どうしてですか?」と尋ねると、その婦人は、
「私はここで長い間働いておりますが、あなた方ご夫妻のような、神の叡智にみちた、平和な雰囲気の方にお目にかかるのは初めてです」と答え、先生はニコニコと手をさしのべて握手されたとのこと。

以上は、「生長の家」誌、昭和58年11月号の徳久先生の記事の中で紹介されている話で、以前にも読んだ記憶はあるのですが、あらためて感動させられました。

同時に、「自分はこの素晴らしいみ教えに触れながら、本当に真剣に道を求めているのか?いい加減のところで、何となく、無理だ、とあきらめの気持ちがあるのではないか。少しぐらい知ったところで満足してしまっているのではないか?」と、反省させられました。

いくら先生が素晴らしくても、いくらそのみ教えが素晴らしくても、周囲をうろちょろしたぐらいでは、み教えに触れた甲斐がない。

別の号には、昭和23年ごろの話として、
「その頃、先生は1日に7回ほど神想観をされていた」と、徳久先生が書いておられました。

私は今、仕事もないのに2~3回で、その内容も少し惰性的で、それでいい気になっていたので、ぜんぜん真剣さの足りないことを思い知らされました。
そして、
「まだまだ時間はある。たっぷりある。あきらめるな!あせるな!」
と、気持ちを新たにしました。

   ☆      ☆      ☆

以下は、「生長の家」誌、昭和59年新年号からの抜粋です。
「編集部構成」となっています。解りやすい説明だなと思って、抜粋させてもらいました。

(はじめの方の問答省略)

問:「戦争は心に於いて先ず始まる」としても、その起こっている戦争は実際に存在するのではありせんか?

答:それは、私たちの心の反映としてアラワレているものとしては存在しています。ところが戦争は、人間が人間を憎むことをやめ、物質に執着する心をやめ、戦争をやめようと思えばいつでも消えてしまうものなのです。人間の心で左右されるようなものは、人間の心の影であって、“実在”ではありません。それは“現象”というものです。

(この間の問答省略)

問:感覚で捉え得なければ、何によって私たちは「実在」を捉えることができるのですか?

答:「何によって」ではないのです。何にもよらずして捉えるのです。このことが非常に大切なことなのです。感覚器官という媒介によって捉えたものは「ものそのもの」ではなく、「この感覚器官を通して見れば、こう見える」という相対認識に過ぎないのです。従って、別の感覚器官を通して見ればまた別のすがたに見えるかもしれないのです。
・・・中略・・・
私たちが「存在の実相」そのもの、即ち「実在」を見るには、感覚器官という眼鏡を外し、眼の水晶体を外し、眼球を外し、視神経を外して、はだかの生命そのものに成りきって、自分の生命と実在の生命そのものとがカチカチと触れることによって実在が把握されるのです。これを絶対実在の絶対認識と私たちは言っているのです。五官による証明を待たないのです。

(以下省略)
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キノコ岩

2009年10月21日 | 
昨日は久しぶりに山へ出かけました。

春に行ったブナ清水からさらに先へ進んで、はじめての道を歩いてきましたが、落ち葉で踏み後が隠れて道のはっきりしないところもあったが、テープを頼りに予定通りのコースを歩けました。

登り始めた頃、猿がたくさんいて、周囲がごそごそ。
何度も近くで猿を見ましたが、こんなにたくさん見るのは初めて。
どうやら、猿の食事時間にお邪魔してしまったらしい。

900~1000m付近が紅葉まっ盛りで、素晴らしい山歩きが楽しめました。




キノコ岩。(人が邪魔っけですが、物差しがわりということで)
キノコ岩の下の大きな石は畳8枚分の広さはありそうでした。
ここから見おろす紅葉も素晴らしかったが、白っぽい石との関係で露出がうまくいかず、暗くなった。



稜線上にも大きな岩が打ち重なっているところがあって、その大岩の上から見おろす。



大きな石が、小さな石に危なっかしげにちょこんと乗っかっている。
よく落ちずにいるものだと思うが、いつからこうして在るんだろうと思う。



紅葉に染まった谷



紅葉の稜線を行く



サルナシの実


山を下りて駐車場へ戻ると、車のワイパーに「サルナシ」の実が置いてありました。(上の写真)

登る前に、駐車場の管理人のオジサンに、「今日はどちらへ?」と聞かれたので、「ブナ清水からその先へ行って・・・」というと、「ブナ清水が新聞に載ったので、この頃人が多くなりました」とのこと。

それから靴を履き替え歩き始めると、すぐ近くの橋の上にそのオジサンが待っていて、「あそこにサルナシの実がある」と教えてくれた。そして、「キウイの原種がこれで、実を二つに切れば、キウイとまったく同じ格好をしているのがわかる」と説明してくれたので、「食べられるの?」と聞けば、ちょっと酸っぱいが食べられるとのこと。
「これはいいこと聞いた。ありがとう」と礼を言って別れたが、親切にも、後で採って置いていってくれたものらしい。気持がとてもうれしかった。

家に帰って食べて見ると、酸っぱさもなく、実においしかった。キウイと本当に同じ味でした。
手持ちの図鑑には、「キウイ・フルーツよりもはるかに美味」と書かれていました。
≪サルナシはマタタビ科 つる性植物≫


車の中では、昔の愛知県教化部長、原田 昭先生の講話テープを久しぶりに聞いていきました。そのテープが帰りには裏面になって先生の体験談になり、その素晴らしい話と語り口の名調子に、運転しながらも危うく涙が出そうになるほどで、話が終わったときには、有難くてひとりでに合掌されたことでした。
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木村秋則さんの話

2009年10月13日 | その他
来年は名古屋で「生物多様性条約、第10回締約国会議」、つまり「COP10」が開催されます。
昨日はその1年前記念事業として 生物多様性フォーラムがセンチュリーフォールで開催されました。その記念講演で「奇跡のリンゴ」で有名な木村秋則さんの講演があり、抽選で当たっていたので家内と出かけてきました。(9月6日の記事で教化部長の話として出ています)

アナウンサーのインタビューに答えるという対談形式でしたが、木村さんはいかにも農園経営者らしい、気取らない楽しそうな笑顔で話をされるのが印象的でした。

木村さんは機械関係の仕事をしていて農業をするつもりはなかったが、結婚した奥さんが農業をしていたので農業をすることになった。それで山を開墾して、最初にトウモロコシを始めた。すると、そのトウモロコシが何者かに荒らされ、或る日その現場を突きとめた。犯人はタヌキであった。棒で懲らしめてやろうとしたら、親ダヌキが出て来て木村さんの前に立ちふさがって逃げようとしない。木村さんはしばらくどうしようかと迷っていたが、結局、黙って逃してやったとのこと。

タヌキは臆病と聞いていたので、懲らしめてやろうと棒をもった人間に、子を庇うために一歩も引きさがらなかったタヌキの話は、とても印象的でした。それを見逃してやった木村さん、そしてタヌキ、最初から素晴らしい話が出て、話の中に引き込まれて行きました。

それからは、そのタヌキの通り道に、自分も歯抜けだが、市場には出せない歯抜けのトウモロコシをタヌキの餌として置いてやるようにした。それ以後、それ以外のトウモロコシは一切荒らされることが無くなった、と話されていました。そして、考えて見ればもともとは、そこはタヌキの縄張りだったんですね。それを私たちが開墾して奪ってしまったから、悪いのはこちらの方なんですよね、とも言っておられました。

リンゴの方では、無農薬、そして化学肥料を使わないようにして8年も収穫が全くなかったとのこと。
それでも、あきらめず頑張りとおして遂に成功させたわけですが、その間にいろいろなことを学ばせてもらいましたとのこと。

その一つ、スライドを映しながらの説明でしたが、明らかに虫食いのような葉っぱを映し出し、これは誰が見ても虫食いのように見えるが、実は虫食いではなく、葉っぱが病気にかかり、その病気がほかの葉に移らないように、リンゴの木自身がこのように自衛処置をしている、ということでした。

また、ダニを食べる「ダニ喰いダニ」というダニがいるのですが、今までこういうダニを食べてくれるダニを農薬で殺してしまっていたんですね、とも言っておられました。

50分という、そう長い時間ではではなかったのですが、深みのある話がいろいろ聞けました。
最後の方には、「リンゴの実をならせるのは自分じゃない。リンゴの実をならせるのはリンゴの木だ。自分はその手伝いをしているだけだ。そんな当たり前のことがやっとわかりました」と言っておられました。

当たり前と言えば当たり前ですが、その当たり前のことを、全身で腹の底から実感されたのでしょうね。
単に頭だけで知っているのと、腹の底から体で解ることとの違いを、実感させられる話でした。

帰りには、歩いて500メートルほどの距離にある「白鳥庭園」を散策。
20年ぐらい前に開催された「名古屋デザイン博」の会場となったところで、それ以来ですが、いい話が聞けた後での静かな日本庭園散策は、満たされた気分の気持のいいものでした。

   ☆       ☆       ☆ 

下の写真は、前日の11日に写したもの。
雲の下の光の縞模様が神秘的で、時間とともに火炎のごとく赤く染まっていき、まるで火が燃えているかのようでした。




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古い「生長の家」誌から・・・①

2009年10月06日 | 信仰
最近、古い「生長の家」誌を読んでいるのですが、読みながら、昔はこんな細かい文字を細かいとも思わずに、なんなく読んでいたんだなあと我ながら感心させられます。(それだけ老眼になったということですが)
それと同時に、今まで見ることもほとんどなかったのですが、素晴らしい記事が沢山あって、保管しておいて良かったとつくづく思わされています。

今日は52年7月号を読んでいたのですが、その中に素晴らしい体験談があって、体験談であるばかりでなく教えも凝縮されていて、あんまり素晴らしいので、写経のつもりでワードに全文入力させてもらいました。(いつでも読めるように、読みやすくしてプリントアウトもさせてもらった)

入力していると、体験談の中にある草や花たちが『一生懸命生きているんだよ』と言うところに来たとき、思わず目頭が熱くなってきました。

たとえパソコンでの入力でも、やっぱり目で読んでいくのとは違うところがあるのだと思いました。

入力し終わって読み返しているうちに、あんまり素晴らしいし、もう30年も前に掲載されたものだから此処へ紹介させてもらってもいいのではと思い、引用抜粋ではなく、全文をここへ掲載させてもらうことにしました。

かなり長いので5回に分けますが、ご覧になられる方は、時間のあるときにゆっくり見ていただければと思います。

以下は「今、此処実相世界」というタイトルがつけられた、○○さんの体験談です。
(実名、住所が書かれていますが、ここでは念のために省略させてもらいます)

以下、小見出しから
≪谷口雅春先生のお写真の目が・・・≫

ありがとうございます。
わたしが生長の家地方講師を拝命したのは昭和40年の2月でした。
地方講師にもなったのだから、神想観も一生懸命やらなければいけないのです。
ところが、「吾、今五官の世界を去って実相世界に入る。此処がこのまま実相の世界である。神の無限の知恵の海、神の無限の愛の海、神の無限の調和の海・・・」とやっておったのですが、なかなかこの実相の世界に行けないのです。

わたしは会社の仕事が経理と労務関係なもので、会社での人間関係がうまくいかない。いやな奴が沢山いる。ひっぱたいてやりたい奴もいるのです。神想観をしていても、そのひっぱたいてやりたいのがよく出てきまして、「あの時、ひっぱたいておけばよかったなあ」とか、盛んに悔やんだりして、どうも神想観にならないのです。たまにはよい神想観もできましたが、うまくいかない方が多かったのです。講師になりながら、そんなモタモタした私でした。

ところがちょうど、昨年の8月10日に、わたしは会社を辞めることが出来まして、すぐ、12日から河口湖の練成会に参加させていただいたのです。神想観も満足にできないし、自分はここで生長の家を始めからやり直してみようという気持ちで、河口湖の道場に参りました。

14日でしたか、夜の真理講話を受けた後で、『祈りの間』で神想観をさせていただいたのです。
河口湖道場の『祈りの間』には“実相”のお軸がかかっており、向かって右に御神像の写真があり、左側に総裁先生ご夫妻の御写真が額に入って置かれてあります。私はいつものように“実相”の御軸の前で礼拝を致しまして、「吾は金剛不壊の存在である」と唱えました。心の中でそう唱えながら礼拝して、頭を上げますと、谷口雅春先生の御写真から先生の目がスーッと飛び出してくるのです。私の目の前にそれがパシッと止まりまして、暫くの間にらめっこをしている形になりました。すると、先生のその瞳からピカッと光が出まして、わたしの目を射るのです。とたんに私は、「済みません」と謝ってしまいました。その晩は、非常に素晴らしい神想観ができたわけです。

そして翌朝、道場に出てみると、皆さんの様子が全然違うんです。皆、非常に美しく見えるのです。道場の建物も昨日と同じはずなのに、ぜんぜん違って美しく見える。私は不思議だなあと思って、もう立ち尽してしまいました。
(下に続く。以下同じ)
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古い「生長の家」誌から・・・②

2009年10月06日 | 信仰
≪素晴らしい神想観の後で・・・≫

私は家に帰って来るや、すぐに、練成道場で教わりました神想観を始めました。
すると、2日目の神想観の時に、“招神歌”の第2節目に
「吾が生くるは吾が力ならず、天地(あめつち)を貫きて生くる祖神(みおや)の生命(いのち)」
という言葉がありますが、そればかり出てくるのです。私は出てくるまま、そればかりやっていましたが、その日はとても気持ちのよい神想観ができまして、「おや、これなら神想観がうまくいくかな」と嬉しくなりました。

それからまた次の、次の日の神想観の時は、その第2節目の言葉に続いて第3節目の
「吾が業は吾が為すにあらず、天地(あめつち)を貫きて生くる祖神(みおや)の権能(ちから)」という言葉が出てきました。
その2節目と3節目の言葉がわたしの中でクルクル、クルクル出てくるわけです。
どれほどの時間かわかりませんが、私はそれをズーッとやっておりましたところ、不思議なことに、私の中で、自問自答が始まっているのです。

私が「私は神の子である。ここに座っているのは神様の生命(いのち)である」と、ハッキリ言うのです。するともう一人の私が「神想観をするときに座った、肉体をもったものが私である」とこう言うわけです。この問答を二人の自分が繰り返している。最初の私が「肉体ではない。肉体のように見えているだけだ」と、こう言う。「私は神の生命だ。ここにいるのは神のいのちだ」とまた言うわけです。それを何回繰り返したのでしょうか。そのうちにもう一人の私が「ああ、そうか!!肉体じゃないのか、肉体に見えているだけなのか。そうか解った、解った!!」こう言いだしたのです。その時に、腹の底から、私の腹の底から、ものすごい喜びがザーッと湧き上がって参りました。

こうして、なんだか素晴らしい神想観ができてしまったのです。
あとで時計を見てみると、1時間半ぐらい経っておりました。
私はいつも2階の部屋で神想観をするのですが、その日もそこで神想観を終えて右側のガラス窓を見てみますと、そこに庭の樫の木の枝とか葉があるのが見えた。「おや?」と思いました。その葉っぱの色がものすごくきれいなんです。不思議に思って、すぐ下に降りて行って庭に出て見ました。すると、自分の足元にある草だとか花だとか、葉っぱなんかの色が例えようもないほど美しいのです。昨日まで見ていた色と、色が違うわけなのです。

「美しいなあ」と思って、私が暫く、ボーッと見とれていますと、草だとか花だとかが、「一生懸命生きているんだよ。生命(いのち)を出しきって生きているんだよ」と言っているその言葉が、私の中へスイ、スイと入ってくる。その時、私はハッとこう思った。
「僕は一生懸命生きているのかなあ?一生懸命生きていないんじゃないかなあ」と。
すると、草や花の「一生懸命生きているんだよ。生命(いのち)を出しきって生きているんだよ」という声がする。そのうちに私は「ああ、そうか!!一生懸命いのちを出して生きなければいけないのか!!」ということがわかったのです。草や花からそれを教えていただいたわけです。

ところがこうも思った。「もし、この草とか花のいのちと私のいのちが異って(ちがって)いたならばどうなるのだろう?」と。しかし、もし異う(ちがう)ものなら、このように草とか花とかの言葉がこんなにスイ、スイと私の生命(いのち)の中に入ってくるわけもない。やはり一つ生命(いのち)だから草花から私に「一生懸命生きてるんだ」という心が、こんなに真っ直ぐに伝わってくるのであると思いました。
「ああ、そうだ!!草の生命も、私の生命も同じ一つ生命に生かされているのだなあ」と、その時、実感して解らせて頂いたのであります。
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古い「生長の家」誌から・・・③

2009年10月06日 | 信仰
≪此処がこのまま実相世界・・・≫

それから5日目、6日目と神想観をやって来て、8月28日の神想観の時、先ほどの招神歌の2節目、3節目をやっておりましたら、途中で、「大調和の神示を読もう」という言葉が出てきました。それで私はすぐに神想観をやめまして、『大調和の神示』をひろげて読み始めました。2回、3回と何となく読んだのですが、別に何も感じない。もう少し読んでみようと思って、繰り返し読んでいったのです。

そして「一切の人々に感謝せよ。天地の万物(すべてのもの)に感謝せよ」と書かれておりますところに来たとき、「はてな?僕は感謝してたかな?」という気がした。私は地方講師を拝命してから、その8月の末で11年半ぐらいになるのですが、毎日、「ご先祖様に感謝」ということで『甘露の法雨』を誦げて(あげて)いるわけです。それで、「お父さん、お母さん有難うございます」と、毎日、一生懸命やっていたのです。ところが、いろいろ考えてみると、果たして心の底からやっていたかどうかと気がつきました。

でも、「心の底から感謝する」とは、どういうことをしたらよいのか見当もつかない。私はそのまま大調和の神示を読み進んで行きました。5、6回目を読んでいて、「われは全ての総てであるからすべてと和解したものの中にのみわれはいる」という箇所に来たとき、私の中に“調和”という言葉がポッと浮かんだのです。「そうだ!! 神様は大調和だ!! 私も大調和だ!!」とこう気がついたのです。

すると、無意識のうちに、「ありがとうございます」と、腹の中からポンと出た。
私はすぐさま合掌して、「ありがとうございます。ありがとうございます」と繰り返しました。

そうすると先ほど申した憎らしくてひっぱたいてやりたいと思っていた人が最初に頭に浮かんできました。ところが、ひっぱたくという気持ちが出なくって、「そうだ、あの時、こんなことでお世話になったんだ。有難かったな。ああ、こんなこともしてもらったなあ」と、有難いことばっかり思い出す。
それがスッと消えると、また次の憎らしかった人が出てくる。何しろ、イヤなやつが沢山おりましたから、どんどん出てくる。それに1つ1つ自分は感謝しているのです。自分でも不思議なわけですが、有難かったことしか思い浮かばないから自然に感謝できてしまうのです。それが終わると、もうその人は出てこない。こんなふうに私は、はじめて皆さんと、その場で和解できてしまったのです。

以来私は、毎日、日に15回ぐらいづつ、この『大調和の神示』を読んでおります。今でも続けていますので、もう何千回になると思うのですが、だんだんに色々なことが解ってくる。“調和”とか “和解”ということは、やはり、相手のお方を生かすと同時に、私も生かされてくることだから、それは“愛”である。“自他一体”である。“調和”ということは“愛”ということなのである。こういうことが素直に私の心に入ってくるわけです。この調和が現れた時に、その中に神様がスッと顕れてくると書かれていますが、私が調和の心に満たされている時、神様はいつもここにいらっしゃるということが解ったわけです。

一番最初、神想観がうまくいかなかったとき解らなかった「此処がこのまま実相世界である」ということが、「ああそうか、こうして感謝している時、神様はいつも此処にいらっしゃる。此処がこのまま実相世界なんだ!!というふうに素直に解らせて頂いたわけであります。
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古い「生長の家」誌から・・・④

2009年10月06日 | 信仰
≪神様の顕れた世界には・・・≫

次の月の9月に、私は東京第一教区の講師会長後藤先生のお宅の誌友会に派遣されました。
後藤先生は、「今日はギックリ腰の人が来るからネ」と言われましたが、私は特に気にも留めず、自分のそのように神想観における体験を話しさせて頂いたわけです。話が終わって、2、3名の人の質問にお答えして、さて、ギックリ腰の人はと見廻したのですが、もう帰られたようでした。

すると翌朝、後藤先生から電話がありまして、「昨日のギックリ腰の人のギックリ腰が消えちゃったよ。神経痛もあったのが一緒に治ってしまったと言っているよ」と言うのです。私は、神様の素晴らしさに本当にびっくりしました。その人の心が感謝に方に向いたら、そこに神様が顕れて、神様の世界にはギックリ腰なんかありませんから、スッと治ってしまった。
私もそれで「なるほど、感謝ということは大切なんだな、自分ももっともっとやらなければ」と思い、毎日感謝、感謝で生活させて頂いております。

それからまた2ヶ月ほどして、私は生長の家本部の木曜誌友会で、後藤先生の代理でお話をさせていただいたのです。その時、横浜にお住まいの中田さんというご婦人が来ておられて、話の終わった後で質問をされました。

「実は、私は嫁とうまくいかないんです。どうしたらいいでしょう?」と。
「あのネ、ありがとうございます。ありがとうございますと1万べん言って癌さえ治った方もいますよ。やってみませんか」と、私が何気なく言いますと、「嫁がやればいいのですね」と、その方は仰言るわけです。「いいえ、あなたがやるんですよ」「嫁がやればいいでしょ」「いや、あなたが・・・」と、何度も繰り返した揚句、中田さんはついに「じゃ、私がやります」と言って、お帰りになったのでした。

≪まず自分が感謝して・・・≫

それから1ヶ月たった12月9日の木曜誌友会は、やはり私の担当でして、そこへ中田さんが見えているのです。話が終わった後、前へ来られて「私、体験を話したいのですが」と言われて話された。

1ヶ月前、お帰りになった中田さんは、まず、3人の御子息さんの名をあげて「ありがとうございます」を始められたというのです。
「ちょっと待ってください。私はお嫁さんに“ありがとうございます”を1万べんと申したのですが」
「だって、夫婦は一体でしょ。嫁の夫の方に感謝すれば、ズーッと繋がって行っていいんでしょ」

それでもまあ、とにかく“ありがとうございます”を始められた。
それが、3千回ぐらいになった時、中田さんはご主人にも感謝しなければと思ったと言われる。
18年程前に離婚したご主人なのですが、その方にも、“ありがとうございます”を始めた。
そして、ちょうど1万回ぐらいになった時、急に、お嫁さんのお父さん、お母さんにお礼を申し上げなければいけないと気がついたという。すでに亡くなっておられて、前にもお墓参りに行ったのですが、どうしてもお墓が見当たらなかったそうで、一度も墓前に参ったことがなかった。
しかし、この日は一生懸命探し歩いて、とうとうお寺さんを見つけた。

お墓を掃除して、墓石をきれいに洗ってあげ、『甘露の法雨』を誦んだと言われます。その後で、墓石に向かって、「お父さま、お母さま、有難うございました。手塩にかけてお育てくださった大切なお嬢さんを、うちの嫁として私は頂いております。本当に素晴らしい嫁なんですよ」と、素直にお礼が言え、嫁を讃められたと言われる。

こうして寺を辞して帰宅されると、お嬢さんがニコニコして深切なのですね。
何かいいことでもあったのかなと思っていると、それがその後毎日だというわけです。
そのままわだかまりも消えて、素晴らしくうまくいくようになってしまったと、こういう体験談でした。

それに、もう一つおまけがついた。ちょうど1万回“ありがとうございます”を言った頃、別れたご主人から、孫にといってフルーツを突然送ってこられた。未だかつて無かったことだそうで、中田さんはご主人とも和解できてしまったわけなのです。

こうして今までの地獄のような生活から、感謝することによって神様が現れ、一転して極楽の新天地が開けたという、素晴らしい体験をなさった中田さんでした。
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古い「生長の家」誌から・・・⑤

2009年10月06日 | 信仰
≪もっともっと愛行を・・・≫

『甘露の法雨』には「神があらわるれば乃ち(すにわち)善となり、義となり、慈悲となり、調和おのずから備わり、一切の生物処(ところ)を得て争ふものなく、相食む(あいはむ)ものなく、病むものなく、苦しむものなく、乏しきものなし」と書かれています。

感謝のあるところ、神は顕れ給い、調和も自ずから備わり、新天地が開ける。ですから私も、もう毎日感謝、感謝で暮らしています。そうすれば神様はいつでも此処にいらっしゃり、何をしても神と偕にするわけですから、もう楽しくて、生き生きして、体はとても軽い。

昨年暮れに、宝くじを買いに人々が殺到して、死傷者まで出る騒ぎがありましたが、人々はお金で幸福が買えると錯覚している。幸福らしきものは買えるかもしれないが、その“らしきもの”を得ようと、あんなに列をなす。この生長の家の御教えなら“永遠の幸福”が得られる上に、何と行ってもこれは空クジなしであるのに、人々は気がついてくれないのです。宝くじほどの列をなしてくれないのは実に実におかしな話です。

ですから私は、もっともっとこの御教えを人々に伝えること、もっともっと感謝行をやって、愛行していかなければならないなあということを痛感いたしました。有難うございます。

(以上は、昭和52年1月に実相研鑽会で発表されたものとのこと)
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ある日の会話

2009年10月05日 | その他
昨日は久しぶりの快晴。

天高く空晴れ渡る。



おお、鳥さん飛んでますね!

「はーい、わたしたち空があるから飛ぶんだよ」

な~るほど~!





やあ、樹木さん、シルエットがきれいですねえ。

「はい。なんてったって、わたしたちはジュ~モクの的って言われるくらいですから。」

ナヌ・・・?  ナヌ、ナヌ・・・?

ギャッハハ、こりゃおかしい。樹木さんが洒落言った。   (樹名はユリノキ)

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