気の向くままに

山、花、人生を讃える

ある決心

2018年08月24日 | 人生

シスター・渡辺和子さんはある日、修道院のエレベーターに乗るとき、行く先の「階」のボタンを押した後、無意識に「閉」のボタンを押していたことに気づいたと言います。

 

そして、階のボタンを押した後、自動的にドアが閉まるまでの時間を測り、そして、たった4秒であることを知り、4秒すら待てなかった自分に気づいたとのこと。

 

そして、次のように書いておられます。

○つまり、ドアが閉まるまでの4秒ぐらいの時間が待てないでいる自分に気づいたのです。そして、考えさせられました。「4秒すら待てない私」でいいのだろうかと。事の重大さに気付いた私は、その日から、1人で乗っている時は「待つ」決心を立てたのです。この決心は少しずつですが、他の物事も待てる私に変えてゆきました。待っている間に、小さな祈り、例えばアヴェマリアを唱える習慣もつけてくれました。学生たちのため、苦しむ人のため、平和のために祈れるのです。時間の使い方は、いのちの使い方です。待つ時間が祈りの時間となる、このことに気づいて、私は、何か良いことを知ったように嬉しくなりました。 (「心のともしび」の中にある「時を待つ」より)

 

また、別のところではこのようにも書いておられます。

○私は待つのです。それは、「4秒すら待てない」人間になりたくないからなのです。忙しさに負けて、自分の心を亡ぼし貧しくしないために、せめて1日に2度でもいい、修道院と学校との往復に、自分を「待たせる」ことによって、心にゆとりを持ちたいのです。時間に追われる自分でなく、時間の主人としての自分として、心を落ち着かせたいのです。エレベーターに乗っている間に、アベ・マリアを唱えることもできます。出会う人たちへの笑顔も用意できるのです。豊かな心はお金では買えません。心を豊かにするためには、ほんの数秒でいい、自分が自分を見つめる時間を必要とします。世の中は日に日に便利になっています。そのかげで私たちが失いかけている心の豊かさは、こうした日々の小さな出来事の積み重ねでしか、養われないのではないでしょうか。  (「心のともしび」の中にある「豊かな心を養う」より)

  

今まで、わたしもせっかちに、そして決して無意識にではなく、意識的に(乗ろうとしている人がいないときですが)、「閉」のボタンを押していました。

しかし、昨日、この素晴らしい一文を読ませていただき、感動を覚えながら、今後、「閉」のボタンを押さず、自動で締まるまで待とうと決心させてもらいました。

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懐かしい思い出

2018年08月23日 | 人生

わたしは昔、外国航路の船に乗っていましたが、キリスト教の慈善事業でシーメンズ・クラブというのがありました。そこには異国の船員たちの憩いの場として、卓球台、あるいはビリーヤードのなどの簡単な娯楽設備があったり、飲食のサービスがあったり、ごくまれには牧師さん自らバスを運転し観光案内をしてくれることもありました。

 

アメリカ西海岸の北部にあるポートランドに入港したときのこと、わたし達乗組員一行を丸1日、バスで観光案内してくれたことがあり、そのときの運転手(後で牧師だとわかった)が、終始ニコニコと笑顔を絶やさず、とても親切だったのが印象に残っています。

 

日本の船員はどういうわけか、宴会が始まると自然発生的にみんなが手拍子でうたい出すのだが、この時も大船に乗った気分になったのか、バスの中で自然と手拍子で歌い出しました。そしていつもの如く、気持ちが一つになり、息が合い、みんなが気分よくなります。その様子を満足そうに見ていた牧師が、「日本人は歌い出すとすぐ手拍子が始まる」と、不思議そうに、そして、それがおかしいと云わんばかりに、笑ったのを思い出します。

 

 このとき、どんなところを見学させてもらったのかは一つも覚えていませんが、ともかく牧師がとてもにこやかだったことだけは、深く印象に残っています。

 

実は牧師はその観光案内が終わった後、どういうわけか、わたしにニコニコ話しかけて来て、私は英語はよくわからないが、なんとなく洗礼を勧めているような気がしました。わたしはその頃すでに生長の家の教えを学んでいて、イエス・キリストを尊敬していたし、この牧師もとても好感の持てる人だったので、物珍しさも手伝って、素直に彼の後についていきました。そして2階の1室に入ると、そこで簡単な洗礼の儀式を受けることになったのでした。

 

実はこのことは永らく忘れていて、20年ほど前に何かのきっかけで思い出したのですが、それからまた忘れ、最近になって、また「そう言えば、クリスチャンの洗礼を受けたことがあった」と思いだしたのでした。洗礼を受けた印というのか、キリスト像の置物のようなものを貰ったのを思い出しました。その台座の後ろには、確かわたしの洗礼名が書かれていたと思います。しかし、何年あとだったか、いつまでももっていても仕方がないと思い処分してしまいまいた。

 

そして思うのですが、あの時の、たえず優しげにニコニコしていたあの牧師は、かなり修行のできた人だったに違いないと、いまになって思います。そうでなければ、あのように始終嬉しげにニコニコしておれるものではないと、わたしは思うのです。

 

以上は、ネット上の「心のともしび」の中にある、シスター・渡辺和子さんが書いておられる、短いがしみじみとした味わいのある話を読ませてもらいながら、日本に、このような方ががおられることを日本人として誇りに思いつつ、そう言えば自分も一度洗礼を受けたことがあったんだと、懐かしく、嬉しい気分になり、思い出話をさせてもらいました。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

 

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「月日は百代の過客にして、行き交う年もまた旅人なり」

2018年08月09日 | 信仰

A子さんは一歳の時に、顔から火鉢の中に落ち、火傷をし、火傷の跡が残り、生きる希望がなかったという。その影響で、人生を歩み始めてからも潜在意識は真っ暗で、悪いことばかりがやってきて、「苦しみは、こんなにいろいろあるんだと思いました」と語っている。

 

ある時、生長の家の教えにふれて練成会に参加した。そこで講師の先生から「人間は幸せになるために生まれてきた」と教えられ、救われた気持ちになり、前向きに生きられるようになったという。

 

しかし、それでも、自分に対する姑さんのいじめは変わらなかったとのこと。そしてA子さんは言う。

 

「一番つらかったのは、お姑さんの理不尽ないじめでした。最後は泣きながらこらえてこらえて看取ることができたものの、亡くなってから憎しみが一層強くなり、手を合わせることもできず、悶々としていました」とのこと。

 

それである日、神様に「私は姑さんを赦すことができません」と心の内をぶつけました、と言う。
すると、次の日の朝、まだ意識がはっきりしない頭の中で、何か音が流れているので、耳を傾けると「月日は百代の過客にして、行き交う年もまた旅人なり」という『奥の細道』の冒頭の言葉だった。それが何度も流れるので、その意味を考えると、「月日というのは旅人のように、今いるようでも、もう二度と戻らない。終わったんだ、と思いました」とのこと。

 

それからは「共に苦しみを通して、生長した同士のように思え、手が合わせられるようになりました」とのことでした。

 

これは、最近体験発表で聴いた話ですが、人生という舞台で、縁あって巡り会ったものの、憎くて仕方がなかった。そんな心を持っていてはいかんと思うものの、その憎いと思う心を自分ではどうしようもなかった。それで悶々としながら、その気持ちを祈るような気持で神様にぶつけた。すると「月日は百代の過客にして、行き交う年もまた旅人なり」という言葉が繰り返し聞こえてきた。それで、それはもう過ぎたことだ。それを通して、互いに生長したんだと知ることができ、姑を拝めるようになったという、本当に心打たれる話でした。

 

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「オール1の成績から先生になった」宮本延春さんの講演会②

2018年08月04日 | 人生

(昨日の記事からの続きです)

宮本延春(まさはる)さんは貧乏家庭に育ち、プレハブの家に住み、自転車も買ってもらえなかった。

中学を卒業後建築現場で働くことになったが、親方はすぐ怒るような人で、こういう人のもとで働いていても良いことはないというので、3年ぐらいで退職。最初にもらった賃金は7万円だったとのこと。

 

お母さんは15歳のとき、肝臓がんで他界し、父もまた18歳の時、他界、文字通り天涯孤独の身となりました。

 

その後、何歳の頃かわかりませんが、1ヶ月13円で過ごしたこともあるとのこと。その時何を食べたかというと、タンポポの葉を似て食べ、蛋白源としてアリを食べていたとのこと。強い風が吹けば吹っ飛びそうなプレハブ小屋に住み、自転車が欲しいので、廃品の中から壊れたパーツをかき集め、何とか自転車らしくして自転車の代用として使っていた。

 

そんな生活をしていたころ、誰かに誘われて、建築会社に正社員で雇われることになった。正社員だから健康保険付きで、「安心して風邪もひける」と嬉しかったらしい。そしてそこの親方か社長か知らないが、とても良い人だったらしい。宮本さんが毎日同じ服を着てくるので、
「洗濯しているか?」と聞かれ、
「雨が降ったとき、その雨水で選択している」と答え、
「風呂に入っているか?」と聞かれて、「雨が降ったとき・・・」と答えると、
その親方か社長は、
「うちの洗濯機を使え」「うちの風呂に入れ」「飯を食べに行こう」と何かと親切にしてくれたのこと。
社長が親切にしてくれるので、社長に喜んでもらいたいというので、一生懸命働いた。

 

そして23歳の時、「アインシュタイン・ロマン」というNHKで放送されたビデオを見た。そして「相対性理論」をもっとよく知りたいと思い、数学を勉強したいという気持ちがふつふつと湧き起こった。

(10年前の読売新聞の記事では、近くで働いている恋人がそのビデオを貸してくれたとのこと。そしてその恋人は記者のインタビュニュー答えて、「彼は“知恵の輪”をするする解く才能があったので、ひょっとしたらと思い、そのビデオを貸しました」と答えていた。)

 

そんなことで24歳になった宮本さんは定時制高校へ通うことになるが、そのためには、他の人より早く仕事を切り上げなければならず、社長はそれを許可するばかりでなく、時には学校への送り迎えもしてくれたとのことでした。

 

定時制高校へ通い始めて、宮本さんは「名古屋大学の物理学科」合格を目指すことになった。自分が毎日通うことができ、しかも物理学科があるのは、この大学しかなかったからだそうです。しかし、定時制高校の先生方は、まじめには受け取ってくれませんでした。なぜなら、定時制高校も長い歴史があるが、ここから国立大へ入学したものなど一人もなく、まして中学の成績がオール1ですから、それも無理はありませんでした。でも宮本さんは本気でした。

 

そして、一発で見事に希望通り、その名古屋大学に合格し、物理学科で学ぶようになったのでした。

 

ここまで話を進めた後、宮本さんは、「オール1でまったくやる気のなかった私が、なぜこのようにやる気になれたか?」ということに話が移りました。そして、人間の「欲求」について次の5段階があるという話をされた。

 

ピラミッド型の一番下に①生理的欲求があります。その上に ②安全の欲求 さらにその上に③所属と愛の欲求があり、その上には④評価欲求があり、一番上に⑤自己実現の欲求がある。

 

宮本さんの場合で言うと、新しく入社した会社の社長の親切で、生理的欲求、安全の欲求、所属と愛の欲求、評価欲求も満たされ、それが最後の自己実現への欲求にまで進むことができた、と分析された。

 

次に、「評価欲求」には「自己評価」と「他者評価」があり、この2つは表裏一体の関係にあり、子供の場合、親の子供への接し方によって、子供の自己評価が変わってくる。だから親の接し方はとても大切だと話された。

 

そして、最後に「自己肯定感」について話された。この「自己肯定感」があると、ルールを守ろうという気持ち、思いやりの気持ち、そして学習意欲も湧いてくるのだそうだ

 

では、子供たちの、「自己肯定感」を育くむにはどうすればいいか?

①  Doing 子供の行動を評価してあげる。つまり、良いことを見つけて褒めてやる。

②   Having どんな個性や特徴をもっているか。その個性、特徴を評価する。

③   Being  「在り方」ともいう。ここではDoingもHavingも何もなくても、ただ、あなたがいてくれるだけでよい、という気持ち。この気持ちが一番重要。

 

「ただ、あなたがいてくれるだけでいい」これが、子供、あるいは他に対する最大の評価である。

そして最後にはこうも言われた。

「あなたがあなたでいるかぎり、あなたは愛される存在だ」

 

最後まで読んでいいただき、心より感謝申し上げます。ありがとうございます。

 

 

 

【追記】
ある日、安倍総理大臣から宮本さんに「話を聞きたいから官邸へ来て欲しい」という電話があったとのこと。宮本さんは、いろいろしなければならないことがあって出かけられないので、総理の方からきてほしいというと、総理も忙しく「それはできない」とのことだったので、官邸へ出かけたとのことでした。

まあ、安倍総理も、少しは教育のことを心配しているんだなと思いました。

それから、先生は「話を聞かせてくれ」と言いますが、話を聞いて、真剣に対処してくれる先生か、いい加減のところでごまかす先生か、そういうことは子供たちにもちゃんとわかるそうです。そして、いい加減なところでごまかす先生にうっかりしゃべると、後で大変なことになる、ということも話をされていました。

 

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「オール1の成績から先生になった」宮本延春さんの講演会 ①

2018年08月03日 | 人生

今、「オール1の成績から先生になった」という宮本延春(まさはる)さんの講演を聞いて帰ってきたところです。

 

家に着いてからある人のブログを拝見したら、名古屋の最高気温が40度を超えたということが書かれていて、この記録的暑さの中、冷房がしっかり効いた公民館で、素晴らしい話を聞き、とても良い時間を過ごさせてもらたと知りました。

 

宮本さんは1969年生まれで、両親は実の両親ではなく、もらい子だそうです。母はとても優しくいい人でしたが、父は呑み助のすぐ怒鳴るような人だったらしい。そして、親戚づきあいはどういうわけかまったくなく、家庭は貧しかったとのこと。

 

宮本さんが小学2年の時、前の席の体の大きな女の子が給食費を忘れ、宮本さんに「お前の給食費をよこせ」といわれ、返事をできないでいるうちに金を取られた。給食費を取られてしまったから、仕方なく親に話し、学校へ伝わり、職員室へ呼ばれ、そこに女の子もいて、その場で形だけの仲直りをさせられた。つまり、これでこの話は1件落着にされた感じで、不満もあったらしいが、女の子のグルーブからの仕返しが怖かったらしい。

(まあ、先生にしてみれば、まだ小学校2年の女の子を、そうきつく注意するわけにもいかなかったかもしれませんね)

 

同級生から何か無理を言われたとき、どう返事してよいかわからず返事ができないでいると、相手は、「こいつは何を言っても言い返せない奴」と考え、ますます図に乗っていじめがエスカレートしてくるということとも話されましたが、いじめについては、これ以上の話はされませんでした。

 

(それにしても、小学2年生の女の子が、こんなことをするのかと正直驚きました。きわめてまれな例だろうとは思いますが)

 

ところでいじめにあっている子は、相談相手があるとすれば、親か、先生しかいないそうで、親にも心配かけてはいけないと思ってなかなか言えないらしい。もし、子供からいじめにあっているという話を聴いたら、親としてどうすればいいかというと、宮本さんはおよそこんなふうに教えてくれました。

 

○そうか、つらかったろうな、よく話してくれた。お父さんはいつでもお前の味方だから、もし、これからもいじめにあうようなことがあったら、きっとお父さんに話してくれ。なあに、いじめる奴より、いじめられる方が強いに決まっている。いじめる奴なんか、ほんとうは弱いんだ。

 

ということで、共感的理解が必要だと話をされ、それを細かく言えば、①肯定から始める ②価値観を押し付けない ③子供の気持ちに寄り添うことだそうです。そして、指示命令ではなく、選択肢を提案するのがよいということも言われました。

 

また次のようなことも言われました。

○子供は成績がいくら悪くても、それで自殺しようとは思わない。自殺を考えるのは不安や恐怖があるからで、そういう不安や恐怖はいじめが原因である、と。

 

小学生の宮本少年は学校へ行くといじめられるので、ときどき学校をさぼって――毎日では学校をさぼっていることがばれるので――本屋さんで立ち読みして時間を過ごしたらしい。

 

ある時、巡回中の婦警に質問され、交番へ連れていかれた。そして婦警から男のお巡りさんに変わった。そのお巡りさんから「どうして学校をさぼるんだ?」と質問されるのを期待した――なぜ期待したかといえば、自分がいじめにあっていることを話せば、話が広がり、いじめがなくなるかもしれない――そう思ったが、男の警察官は「なぜ、学校へ行かないのか?」と聞くのではなく、ただ「小学生が学校をさぼるなんて怪しからん」と、叱るだけだったようです。

「オール1の成績から先生になった」宮本延春さんの講演会②

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