気の向くままに

山、花、人生を讃える

尊き母

2016年04月08日 | 信仰

 4月6日は私の67歳の誕生日でした。誕生日だからという訳ではないが、時たま、夫婦とも用がなかったので、例年の如く、船頭平公園で桜を楽しみ、木曽三川公園でチューリップ祭りを楽しんできました。

 そして、家に帰ると私宛に手紙が来ておりました。封筒の宛名には「○○先生」などと書かれていて、「はて、誰だろう?」と差出人を見ると、生長の家の84歳になる大先輩からでした。この大先輩から先日ある大役を頼まれたのですが、わたしはお断りしました。そして、手紙が来たので不吉な予感を覚えながら恐る恐る封を切って、その手紙を読みました。

その手紙を無断ながら紹介させてもらいます。

 

○合掌ありがとうございます。

 4月6日は○○先生の誕生日であります。お祝に照子奥様の詩を贈ります。その詩は『おみなこそ』という詩ですが、ご存じですかね。白鳩会の方々は皆知っていますが、男性の方はあまり知らないのであります。奥様なら歌えると思います。短い詩でありますから覚えられるかと思います。覚えられたら口ずさみながら庭先の花一輪を、父、母に生んでくれてありがとうとその花を捧げて下さい。きっと悦ばれますよ。

      おみなこそ生ける甲斐あり天地の

      なべての人の母にしあれば 

      なべての人の母にしあれば

 何べんも歌い続けられると昔のことを思い出し、涙が滲みます。奥様には結婚してくれてありがとうと、一輪の花を捧げて下さい。(以下略)

 

 以上が頂いた手紙の内容です。『おみなこそ』の歌詞は、「おみなこそ生ける甲斐あり~」までぐらいは白鳩の方たちが歌っているのを聞いて知っていましたが、その後はこの手紙で始めて知りました。そして、手紙を一度読んで、二度目に『おみなこそ』の歌詞のところに来たとき、思わず涙がこぼれて来ました。

 私の母は、お爺さんがなかなか厳しい人でしたから、母はいつも働きづめで、気が小さく心配性の母には気が休まる時もなかったのではないかと思います。父には結婚する前から好きな人がいたようですが、お爺さんに薦められるまま母と結婚したようで、夫婦仲は良かったとは言えませんでした。母は、晩年は精神を病んで60代の若さで他界しました。

 ときどき母は、わたしが赤ん坊の頃、お乳を欲しがってわんわん鳴いていても、お爺さんに怒られそうでお乳もやれなかったとこぼしていました。父が子供の頃、勉強していると、「勉強している暇があったら、百姓を手伝えっ、と怒られた」などと言っていたから、お乳もうかうか与えることができなかったのでしょう。父は師範学校を出ていますが、母は中卒で、教養があったとは言えません。性格的には良い人でしたが、「父が不満に思うのも無理はない。もう少し母に教養があったら」と私はたびたび思ったものでした。

 そんなわけで、私が母を思いだすときは、感謝よりも「可哀相な母」「不憫な母」いう思いが先にありました。そして、照子先生の『おみなこそ』の詩を読んだとき、はじめて「母なるもの」の尊さを感じ、「不憫な母」が「尊い母」に変じて、涙がこぼれてきたのでした。

 いままで、「不憫な母」としか思えなかったのが、「尊い母だったのだ!」と思えるようになったこと、この嬉しさ、わかってもらえるでしょうか。

 私はその手紙をくれた大先輩に感謝の気持ちでいっぱいになり、手紙に書かれているとおりにさせていただこうと思い、庭に咲いている一輪の花フリージアを仏壇に捧げました。ですが、すでに黄水仙の花が挿してあって、そこに黄色いフリージアではパッとしなかったので、スーパーの花屋さんに出かけ、仏花を買い、ついでに家内への花束をアレンジしてもらいました。

 そして、仏壇に花を供え、『おみなこそ』の歌詞を二度唱え、「産んでくれてありがとう」と感謝を述べた後、涙ながらに聖経を誦げさせてもらいました。始め、家内のことはまだ後でいいと思いましたが、考え直して、やはりこの機会にと思い、家内にも花束を捧げ、「結婚してくれてありがとう」と言いました。

 そして、わたしが家内に多少とも不満があったのは、意識しない心の奥に、お袋と比較して、母はあんなに苦労したのに、お前はきびしい舅もなく、出かけたい時にはいつも自由に出かけられて楽をしすぎるという思いがあったのではないかと、ふとそんなことを思いました。

 お袋が他界したのは私の誕生日と同じ4月6日で、その日、私は北海道に入港していて、一人で薄暗い機械室で仕事をしていました。そして誰もいないはずの機械室に何度も私のそばを人影がよぎる気配がしてその度に振り向くのですが、誰もいなくて変だなあと思って仕事をつづけていると、また同じように人影がよぎるのでまた振り向くということを、5回も6回も繰り返しました。そして、部屋に戻ると電報が来ているとの知らせを受け、急遽下船したのでした。きっとお別れに来てくれたのでしょう。

 昨日はさっそく大先輩に礼の手紙を書きました。そして、長男からは「誕生日おめでとう」と言うメールと共に孫の入学式の写真が送られて来ていたので、長男にも、いつか母の尊さに気付き、奥さんにも感謝できる人になってもらいたいと思い、以上のことをかいつまんでメールしました。

 なにはともあれ、この誕生日に、思いがけなくも母の尊さを知らされ、また、家内にも花束をささげられたこと、こんな嬉しいことはありませんでした。

     

         懐かしき日々よ声なき花吹雪  (これは20年も前につくった句です)

 

≪追記≫           

 私は最近、名誉なことではあるのですが、生長の家のお役を2つも3つも持ちかけられ、右するも左するもならず、どうにも悩ましく気分が重いので、神さまに手紙を書いたばかりでした。その日付を今見たら4月5日でした。神さまに手紙を書くだけで、気持ちはずいぶん楽になるものですが、誕生日に大先輩から頂いたこの手紙が、今は神さまから届いた手紙のような気がしてきました。合掌

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