気の向くままに

山、花、人生を讃える

曼珠沙華

2012年09月30日 | 

≪曼珠沙華咲く道≫

 この写真は28日に撮ったもので、場所は岐阜県海津市の津屋川沿いの堤防。写真マニアには「彼岸花」で遠くまで知られているらしい。この津屋川沿いの堤防道は眺めがよく、散歩するにはとてもいいところで、春先に2,3度この道をウオーキングしたことがある。

自宅からは、信号が少なく順調なら30分ほどで行けるところだが、彼岸花が咲く頃に訪れたのは今回が初めて。この日は平日で人もまばらだったが、仮設の休憩所が設けられていたし、町内の人が監視と案内を兼ねて要所に立っていた。その案内人の話では、カメラ愛好者は日の出前からやってくるとのことだった。この日の開花状況は4分程度。

 花に興味のない若い頃は、なんとなくこの花を薄気味悪い花と思っていた。「墓に咲く花」というイメージのせいもあるが、そればかりでもないらしい。というのは後年、俳句の本の中に「曼珠沙華あれば必ず鞭打たれ」という句を見つけて、思わず笑ってしまったことがあったのだが、なるほど、たしかに腕白盛りの子供なら鞭打ちたくなる花だと感心したのをよく覚えている。そして、その解説には、「花の色が毒々しく、しかも葉のない奇形が鞭打ちたくさせるのだろう」と書かれていて、なるほど、そういえば「葉がない」とはじめて知って、薄気味悪く感じたのはそのせいだったのかと合点したことだった。

 しかし、この曼珠沙華もいつごろからか、見つけてうれしい花になった。毒々しいどころか、遠眼からもすぐにそれとわかる真っ赤な色が、秋の空、秋の風景によく合っている。そして、空に向かうように真っすぐ伸びた立ち姿も、奇形どころか、そのシンプルさがまた良いと思う。

        俺はただまっすぐが好き曼珠沙華

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自分に絶望している若き人に

2012年09月12日 | 人生

わたしの高校生時代は灰色であったことは以前にもどこかで書いたのだが、何がそんなに灰色にさせたかと言うと、その一番のものは「勉強ができない病」に罹っていたからである。

船舶エンジニアという仕事につく自分にとって、勉強不足、知識不足は決定的な不安材料だった。

その頃の自分を見るに、とてもそのような仕事をやっていける自信がなかったし、国家試験さえ受かる自信もなかった。

今でもよく覚えているが最初の成績は40人中12番だったが、3年の本科卒業時は38人中の37番だった。

はじめはお遊びのような単純な、ただ勉強しないというだけのものだったが、だんだん深刻なものとなり、4年生になり社会へ巣立つのが現実味を帯びてくると、「どうして自分はこんなに落ちぶれてしまったんだろう?」「自信満々だった中学生の頃の自分と、今の自分とどっちが本当の自分だろう?」と考えるようになった。

そしてまた、「これから社会へ巣立っていかなければならないというのに、自分自身のことさえどうにもできないで、いったいこれから自分はどうなってしまうんだろう?」などと不安の中で、なんとか立ち直らなければと思い悩んでいたのである。

そして、立ち直るきっかけをつかみたいと思ったのか、本屋さんで「老子」「荘氏」あるいは「韓非子」等の中国の思想家たちの本を見つけて読み始めた。

その中に、老子だったか荘子だったかの本の中に、「無用の用」ということが書かれていた。それがわたしに小さいながらひとつの転機を与えてくれた。

そこにはおよそこんな意味のことが書かれていた。

「役に立つ樹はすぐ切られてしまうが、役に立たない樹は、いつまでも切られずにすんで大木となり、旅人に緑の木陰を提供することができるのである。これがすなわち、無用の用である」と。

わたしはこれを読んで、「無用の用」ということを知り、一種の開き直りの心境になることができ、切羽詰まった心境から、「今の情けない自分こそが本当の自分だったのだ。それでいい。もうもがくのはやめよう」と思い、少しは気が楽になったのだった。

そしてわたしは開き直っただけで相変わらず勉強できずにいたが、『生命の実相』を読むきっかけを得て、生長の家を知り、熱田神宮に早朝神想観に通い、「物質はない」「肉体はない」と知り、ひとりでに「勉強ができない病」から解放され、勉強する自分になっていた。(興味のある人はこのブログの2010年11月21日の「物質はない」と題した記事がありますから、読んでください。)

さて、後年、わたしは労働組合へ出向を命じられて、3年間その労働組合に在籍したことがあり、その頃に、勉強のため労働に関する研究論文を読んだりしたのだが、その中に一つ面白い記事があった。

その論文によると、組織というものは、どんなに優秀な人間ばかり集めても、いずれ必ず、上、中、下のグループに別れるというのである。ここでいう「上」とは、指示されなくとも率先して仕事をこなす人、「中」は指示されたことだけをやる人、「下」は指示されたこともまじめにやらない人のこと。

わたしはこれを読んだとき、不思議な、何か奥深い意味があるような神秘な感じを受けたのだった。それで、わたしはどうしてこのことに神秘な感じを受けるのだろうと考えざるを得なかった。

それでわたしが思ったのは、組織というものは、上の部類の人だけではだけでは成り立たない、上があり、中があり、下があってはじめて組織は安定するのだと。

優秀な社員ばかりだとしたら、きっと息が詰まってしまうに違いない。中の人がいて、さらには仕事をなまけるような下の人がいるからこそ、上の人も息が詰まらず安定して仕事を続けられるのではないか。

そんなことを思いつつ、ともかく何か神秘めいたものを感じて、考えさせられたのだった。

今思うと、生長の家の教えから考えれば、上、中、下、と3つのグループに分かれているように見えても、より大きな目で見れば、これも三位一体のひとつではないかという気がする。一つの集団の中に先頭を行く人がいて、後をついて行く人がいる。それだけのことで、それは役割分担というものであって、価値の優劣ではないのではないかと思うのである。

ここまで書いて思い出したが、社会人になってからも、わたしはときどき「高校生になって自分が落ちぶれた本当の原因はなんだったんだろう?」考えることがあった。

そんな或る日、それが本当の原因と言えるかどうかわからないが、ふと思い出したことがあった。

始めにも書いたが、ともかくわたしは田舎の中学ながらその頃まではスポーツでも勉強面でもリーダー的存在だった。そして、そんなわたしにいつも影のようにわたしの後をついてくる一人の目立たない地味でまじめな同級生がいた。普段は仲の良い友達だったが、部活になるとわたしはよく彼を叱責した。叱責しても彼はいつもわたしの後をついてきていた。

そして、中学卒業後の高校入学前にふと思ったことがあった。

「わたしのように先頭を切る人間と、彼のように黙って後からついてくる人間とどちらが偉いのだろう?」と。わたしは思った。彼のように黙って後からついてくる人間こそ、本当は偉い人間ではないだろうか」と。だから、わたしは高校では地味で目立たない、黙って後から付いていく人間になろうとほんの一瞬ながら思ったことがあった。そんなことは忘れてしまっていたが、あるいはそんなことも少しは影響していたのかなと思った。

それはともかく、今考えても、まじめに人生について考える人ならば、誰もこのことに対して「否」と答えられる人間はいないだろうと思う。

人の目から見れば、人には優劣があるように見えるのは確かだが、しかし、「無用の用」ということを考えると、そんな優劣などというものは、根拠のないはなはだ心もとないものだと思う。

実際「神との対話」によると、人間は本当の自分を知り経験するために、いろいろなものに生まれかわるのだという。ある時は優等生、ある時は劣等生というように。優等生とはどんなものか知りたいと思うとき、優等生となって生まれ、反対に今度は劣等生とはどんなものか知りたいと思えば劣等生として生まれ、それを経験すると書かれている。(この喩えはわたしの思いつきで、このとおり本に書かれているというわけではない)

だから、劣等生だからと悲観する必要は全然ないのである。これを読むあなたがもし劣等生で落ちこぼれであるなら、むしろそんな劣等生の人生を選んだあなたは勇気ある人と言えるかもしれないのである。そして、もし、もう劣等性は卒業したと思えば、いつでも劣等生を卒業することができるのである。

ちなみにわたしが信仰する『生長の家』の聖典といわれる『生命の実相』の第4巻(谷口雅春著 日本教文社)にはこのようなことが書かれている。

○何が起きてきても、こういうことだけはいえる――各人にとって救いとならないことは一つも起きない。つまずく人はつまずくことによって悟り、苦しむ人は苦しむことによって救われ、悩んでいる人は悩んでいることが光明を拝する一過程になっているのです。みな神の子であって救われないものはない。あらゆる苦しみも、結局その人が神の子である実相を悟るために必要な余財でありますが、それには廻り道と近道とがある。

近道とは真理を悟ること。廻り道とは迷うことであって、近道を行くほどその苦しみが少なくてすむので、『生長の家』を読んで病気が治ったり、人生が楽になるのは、その人が神の子である実相を悟る近道を行くことになるからであります。  P168

 

以上は今朝の新聞に子供の自殺者が200人、その中に「自分の進路に悩んで」という人もあるのを読んで、自分の思ったことを思いつくままに書かせてもらった。

長々と書いたが、ある人にとって少しでも参考になるものがあればと思う。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする