生きているうちに人の死体を燃やす火葬場の中に入った人はめったにいないと思うが、私は高校に入学した最初の夏休みの前に、その火葬場の中に夜の闇に紛れて入ったことがある。今日はその思い出話を聞いていただきたいと思う。
私の入学した高校は三重県鳥羽市(郊外)にある男子ばかりの全寮制の高校でした。そこは山と海が接していてシーズンになればホタルが飛び交うほどの風光明媚なところで、今も、本当に好い所だったなあと懐かしく思い出される。
国道を挟んで山側に校舎があり、海側に寮が2棟あり、国道のすくそばまで入り江が入り込んでいて、そこには学校の訓練用のカッターや、時代劇に出て来る櫓を8の字型に漕ぐ伝馬船やヨットなどがつながれていた。
そこから少し離れたところには農家の畑があり、その畑を突っ切って海側に歩いて行くと、ちょっとした林があり、林を抜けたところに農家の作業小屋らしきものがあり、そこから少し先にこの村の火葬場があった。
そしてまず、準備段階として夜消灯後、先輩たちが新入生(4人部屋)の部屋にやって来て、わが校にまつわる怪談七不思議を話して聞かせるのである。いっぺんに7つ話すのではなく、1話か2話づつ聴かされるのだが、怖かったわけではなく、誰が考えたのか話の面白さや巧みさに感心しながら聞いていました。
そういう怖い話を準備的に聞かせておいて、夏休みの前になると、「肝試し」というわけで、夜暗くなってからその火葬場へ行かされるのだった。
私たちにはその火葬場へ向かう道に用はないから、そのとき以外に、その道を歩いた者はいない。そして、あらかじめ先輩が、次のように話す。
○あそこに林が見えるが、この道を歩いて行って、あの林を抜けたところに、おんぼろの小屋がある。その小屋には火葬場の番人をしている「せむし」の男が住んでいる。その「せむし」男が話しかけてくるかもしれないが、その男にナタで襲われたという話もあるから、いくら話しかけられても絶対立ち止まったり、振り向いたりしてはいけない。無視して通り過ぎ、焼き場の中に入って、その中に残っている灰を取って来い。(本当はせむし男などはいないのだろうが、疑いながらも半分は信じてしまう)
というのが、吾ら新入生に課せられる任務だった。
で、私は指示された通り、緊張しながら暗い林を抜け、不気味な小屋の前を通り、そして火葬場の前に到着した。そして背中を押されるように鉄の扉を開き、上半身をかがめて中へ入った。中は勿論真っ暗闇で何も見えない。手探りで灰を探すと、下はコンクリートになっていて、きれいに掃除してあり、灰は少しも残っていない。何か証拠になるものをと思ってさがしていると、金属の扉の錆があったので、その錆を少しもって帰った。
そして国道近くで待っていた先輩に、「灰がなかったので扉の錆を持ってきました」と言って、それを差し出すと、先輩は何も言わず、ただニヤリと笑った。もうその先輩の顔は忘れたが、あのニヤリの感じは今も覚えている。
今思い出すと、怖いというより夢中だったのだが、無意識のうちに、肝っ玉が小さいと笑われないようにという意識が働いていたのと、当時はお化けよりも先輩の方が怖かったのだろうと思う。
それに比べると、香港の学生たちの、愛と自由の為、巨大な権力に立ち向かうあの勇気に、ただ感心させられるのである。