気の向くままに

山、花、人生を讃える

しばらく休止します

2009年07月27日 | その他
このところ気落ちしていましたが、ようやく気分一新、活力が湧いてきたところです。

この機会に就職に向けて気持ちを集中していきたく、ブログはしばらくお休みさせてもらうことにしますので、お知らせします。

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採用ならず

2009年07月21日 | その他
応募していたパートの面接結果の連絡がありましたが、惜しくも、「採用」になりませんでした。
残念な結果となりましたが、それでもまだ少しの望みはあるようです。
というのは、不採用の場合の通知は履歴書を送り返すというものでしたが、履歴書は送り返されず、電話で連絡をいただいたので完全な不採用というわけでもなく、次のような話でした。

つまり、4月にオープンしたばかりで利用者数がまだ少なく、これから多くなり次第一番に連絡させていただくとのこと。他の就職口を探してもらってかまわないが、ともかく一番に連絡させてもらうとのことでしたので、次点候補として首はつながっているらしい。

採用通知をもらえるとしたら、いつ頃になるかと聞いたら、2~4ケ月先とのこと。
4ケ月も待っているわけにもいかないし、この数字をあてにするわけにもいかないが、もし、他に働き口が見つからなかった場合には、半年後になるにしても、採用される可能性は残っているので、その点では、少し助かりました。


話は変わりますが、下記はあゆみさんのブロクの記事のひとつです。
これは、あゆみさんが一分の身内だけに公開しているものですが、せっかくの素晴らしい記事をもったいないからと、公開を薦めていたのですが、ひとつの記事だけ許可してくれたので、紹介させてもらいます。(ただし、他の記事は、恥ずかしいから見ないで下さいとのことなので、よろしく)

http://blog.goo.ne.jp/yasui-93/e/246375942764f622f6a41930bc8475f7

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「神様が恋人だ」と言えるように

2009年07月17日 | 人生
昔、練成会で、
東京オリンピックが開催されたとき、アフリカのある選手が、水道の蛇口をひねるときれいな水が出てくるのに驚いて、こんな便利なものがあるならぜひ自分の国に持って帰りたいと思い、蛇口を指さし、これはどこへ行けば買えるのかと、ホテルマンに聞いたという話を聞きました。

このアフリカの選手はあまりの便利さに驚いて、水源があって、そこから流れてくるものだとは考えなかったのでしょうね。

わたしたちも、本当は生命の水源につながっていているのですが、それを知らずに、自分はこれだけの力しかないと自己限定していると、せっかくの豊かな供給に栓をしてしまうことになる。

というわけで、徳久先生は続いて次のような話をされました。

財布の中に奥さんが5万円入れてくれても、自分がそれを知らずに1万円しか入ってないと思っていたら、1万円の買い物しか出きませんね・・・。

なるほど、自己限定とはどんなことか、わかりやすい話だと思う。
人生は、皮を脱ぐように自己限定を取り去っていく過程と言えるかもしれない。
また逆に、自己が生命の水源地とつながっていることを思い出していく過程かもしれない。

片栗粉が透明になる瞬間のように、自己の生命と本源とのつながりを知るときはきっと来るだろう。
しかし、この世で生活していて、目に見えないものに関心を持ち続けることはそれほど容易ではない。
だいたい、あんなに惚れあっていると思えた恋人同士だって、1年も離れていたら、忘れられてしまうくらいだから、人間というのは移り気なものだと思う。

神様は、どうして人間をこんなに移り気におつくりになったのだろう。
神様は、きっと意地悪なのかもしれない。

いやいや、移り気ということは、それだけ自由が認められているということで喜ぶべきことかもしれない。幹細胞のように、胃になろうと、腸になろうと、心臓になろうと融通が利くということだから、これは喜ぶべき神様からのプレゼントと言ったほうがいいのかもしれない。

神が支配者であるなら、きっと、神に関心を持ち続けることしか知らないロボットのような人間になっていただろう。移り気ということは、ある時は「神様、神様」とおねだりし、あるときは、1年も2年も、神様なんてすっかり忘れてしまうこともできるということだ。
それでも、神様が「薄情な奴だ」などとおっしゃらないで、「いつでも戻っておいで」とおっしゃるなら、実に有難いことだと思う。

こんな神様だからこそ、やっぱり関心を持たずにはいられない。
そして、いつもつながっていたいと思う。
「神様が恋人だ」と言えるように。
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「宗教と科学の接点」-2

2009年07月11日 | 読書
「宗教と科学の接点」で、もう一つ印象深かった話。

○ある会社員が会社に行く気がしないと言うので相談に来た。
ところがカウンセラーに話しているうちに、自分の上司が不正を働いており、それを同じ課のものは少しの恩恵を受けたりして見て見ぬふりをしている。自分だけがそれに仲間入りする気がせず、さりとて密告するのも嫌だし、毎日が憂鬱で仕方がないと話した。
ところでそのカウンセラーは、まったくの素人だったので単純に考えてしまって、そのことを本人には内緒で会社の幹部にもらしてしまった。しばらくたって、例の上司は左遷され、相談に来た社員は喜んで会社に行くようになった。カウンセラーが喜んでいると旬日ならずして、その社員は欠席を始め重い抑うつ状態になり、結局は退社してしまった。

以上のような具体例を示した後、河合さんは次のように述べている。
○相談に来た会社員は、上司のことを嘆き、それを攻撃したり、どうすべきか悩んだりすることを自らやりぬくことによってこそ意味があったのだ。本人に内緒で事を運んだカウンセラーは、いうなれば当人の生きる意味を奪ってしまったのであり、強い抑うつ状態になったのも当然である。

人生の奥深さを感じさせられる、とても印象深い話で、今まで本で読んできた人生の意味についてのいろいろな言葉が脳裏を駆け巡りました。

人生は思い通りにならないからこそ意味がある。(飯田史彦)
むやみに苦しみが取り去られないのには意味があるのである。(生命の実相)
人生のすべては完璧だ。特に完璧だと思えないところにこそ、完璧性を見なさい。(神との対話)

ちなみに、最近大流行の、自分だけもうけて人はどうなってもいいというような、大人たちのやり口にうんざりしていたわたしは、そういう嘘やごまかしを発見したら「どんどん密告したらいい」と、密告を奨励する気持ちでいましたことを告白します。
これを読むと、単純に密告すればいいというのも、大いに問題がありそうですね。
人生、実に奥が深いですね。


ついでにもう一つ。
この本の「ホログラフィック・パラダイム」という小見出しのところで、著者の河合隼雄さんは、初心者様が掲示板で紹介しておられたデイヴィッド・ボームについて、次のように紹介されていました。

○理論物理学者のデイヴィッド・ボームは、われわれが普通に知覚している世界は、一種の顕現の世界であり、その背後に時空を超えた全一的な、彼の言う暗在系を有しているとの画期的な考えを持つようになった。われわれが五感を通じて知る世界はいろいろな事物に分類され、部分化されているが、それらのものは暗在系に対する,明在系である。

○明在系においては外的に個別化され無関係に存在しているような事物は、実は暗在系においては全き存在として、全一的に、しかも動きを持って存在している。これを彼はホロ・ムーブメントと名付けた。
暗在系のホロ・ムーブメントは五感によって把握できないものである。

そして、河合隼雄さんが次のように述べておられるのが印象的でした。

○ボームの言葉を借りると「物質も意識も暗在系を供用している」のだから、すべての事象は人間の意識とつながっているわけである。

まるで、生長の家で説かれる実相(暗在系)と現象(明暗系)と同じですね。
つまり、理論物理学者ボーアと、「宗教と科学の接点の著者」河合隼雄、そして生長の家が、細部には違いがあるかもしれないが、根本のところでは一致しているのがとても興味深く感じられました。

最後まで読んでいただきありがとうございました。
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宗教と科学の接点

2009年07月10日 | 読書
あゆみさんに紹介された、河合隼雄著「宗教と科学の接点」を、先ほど読み終えました。

河合隼雄という名は、初めて耳にする名前でしたが、心理療法の仕事をしている人らしい。

河合隼雄さんによれば、
医療科学は、患者を客観的に観察し、病気の原因を探り、除去する。しかし、その観察対象は肉体的症状までで、意識は観察外とされている。
しかし、心理療法に来る患者に対しては、そのような治療方法ではうまくはいかないことのほうが多い。
観察するだけでなく、患者と共にいながら、患者の意識の底にたまっている感情を自由に放出させるように、誘導し見守るとのこと。

「宗教と科学の接点」という本の題名は、
科学的な客観的観察にとどまらず、さらに奥へと進んで、意識や魂の領域にまで患者と共に入り込む、というところからきているようです。

著者自身の言葉を借りれば
○治療者は自分の自我の判断によって患者を助けようとすることを放棄し、「たましい」の世界に患者と共に踏み込むことを決意するのである。

そして、治療者はほとんど何もしないのであるが、ぜんぜん何もしないのではなく、
○このような治療者の態度に支えられてこそ、患者の自己治癒の力が活性され、治癒の道が開かれる。

と、書かれていました。
さて、この本の中で、特に印象に残った話が2つありました。
そのひとつ目。

著者が、日本人の宗教心に関するシンポジウムに出席した時のこと。
そのシンポジウムで宗像巌という人の水俣病についての発表があり、それについて、次のように紹介されいました。

○宗像巌は水俣病や水俣の人々を「客観的対象」として研究する態度ではなく、水俣の人々の中に入り込んでゆくことによって、水俣問題の中心点に触れたのである。

○彼は「漁民の日常生活に参加していくと、これらの人々の心の中では自然の存在が極めて重要な意味を持つものであることが次第に分かってくる。・・・・それは人々の魂に深い感動を与える宗教的意味をおびた対象である。・・・・美しい絵画的構成をもった風景は、この地に生まれ、長年月にわたり海を身近に感じて生活してきた漁民の心の奥に、不思議な安定感と永遠性を感じさせる世界を構成してきているのである」と述べている。

引用は以上ですが、
むかし、わたしは公害訴訟のニュースを聞くたび、「何でも国家に保証させようとする」という観点でしか見ていなかったことを思い出して、大いに恥じ入るとともに、「水俣病や水俣の人々を客観的対象として研究する態度ではなく、水俣の人々の中に入り込んでゆくことによって、水俣問題の中心点に触れたのである」というところに感銘させられました。

また、「この地に生まれ、長年月にわたり海を身近に感じて生活してきた漁民の心の奥に、不思議な安定感と永遠性を感じさせる世界を構成してきているのである」というところには、水俣病以前のもっと大きな問題が隠されていたことを知って、なんでそんなところに気付かなかったのかと、自分の無知さを改めて知らされるとともに、遅まきながら、知ることができて良かったと思いました。

話は変わって、
初心者様のコメントの中で、『情島物語』という歌のことが書かれていたので、検索すると、次のような歌詞でてきました。
「3番の歌詞」

  ポストのような灯台に
  カモメが運ぶラブレター
  そんな日暮の風景に
  汚さないで残っている
  情けあふれる情島
  忘れられない情島

素晴らしい歌詞ですね。わたしもこの歌が聴きたくなりました。
これがわたしのもとに舞い込んだ神様からのラブレターだといいのですが・・・。
実は、そんな気がしてとてもうれしい。
カモメさん、いや、初心者様ありがとう。
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納得です。

2009年07月02日 | 人生
○神様が幸せに出来るんだったら、なんでこんなにたくさんの人々が苦しまなければならないの?

これは、神様に、ぜひとも聞きたい質問ですね。

「神との対話」の著者も、同じような質問をしていました。
「どうして、世界はこんな状態なのか?どうして神は放置しておくのか?」

その長い、いろいろな対話の中から、記憶をたどりながら拾い集めて、思い出すままに列挙してみました。

●あなたがたはわたしに似せて創られた。

●あなたがたの本質は自由であり、愛である。あなたがたは、わたしが与えた創造の道具(思考、言葉、行為)を使って、あなたがたの世界を創造する。実際、あなたがたは意識的、無意識的にかかわらず、その道具を使って、それぞれが自分の世界を創造し、また一人一人の思いが集合して広い世界の在り様を創造している。
社会のすべてはあなたがたの自画像である。あなたがたが今の世界を創造しているのだから。

●わたしはあなたがたが創造したものを見ているだけで、良いだの悪いだのと価値判断したりはしない。
また、ああせよ、こうせよと指図もしない。
わたしはあなたがたが望むものを創造できるようにと力を貸すだけだ。

●世界には、あなたが言うように確かに不利な人はいる。だが、魂の面から言えば不利な人はいない。
誰もが、自分の魂の生長のために、それぞれに適した環境を選んでいる。
その不利な環境や状況にいる人を、あなたが助けたいと思うなら、助けようとすることもできる。

●世界がこんな状態であるのは、あなたがたが創造したからだ。
また、あなたがたが今の世界に満足しているからだ。
食べるものもなく、毎日たくさんの幼子が母親の腕の中で死んでいくというのに、あなたがたは意に介さない。
見て見ぬふりをしている。
地球に食料が欠乏しているわけではない。あなた方の国(ここではアメリカ)は、一国を養って余りあるほどの食料を毎日捨てている。また、あなたがたに、今の世界を変える力がないわけではない。
力はあるのに、その意志がないだけだ。

●あなたがたは、今の生活を持続させるために、毎日たくさんの森林を伐採している。
それであなたがたの息子たちがどうなろうとお構いなしだ。そうだろ?
われわれは自分の暮らしを守るために、一生懸命頑張っただけだ。そうだろ?

●わたしは、いまだかつて間違いは犯していない。わたしの創ったシステムは完璧に作動している。



以上ですが、
「あなたがたは見て見ぬふりをしている」

これには、正直びっくりしました。

会社を早く辞めたかったのは自分がもう働きたくないという気持ちもあったけど、これを読んだ影響もあったと思う。何かすることはないか、何かしたい、という気持ちがありました。

しかし、ごらんのとおりですね。どこかに適当なパートはないかなと探し始めました。
だからと言って、この結果を嘆いたりしているわけではありません。
何が待ってくれているかは辞めてみなければ分からないですからね。
辞めただけでもわたしは満足しています。
そして、結果を確かめることができて、納得しています。


蓮華蔵世界の象徴「蓮の花」
 

  

  

 
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