気の向くままに

山、花、人生を讃える

どちらが本当の自分?

2014年08月30日 | 人生

人は生活している時の自分と、思ったり考えたりしている時の自分と、二つの自分がいる。

例えば、部下に対して怒ってしまった自分。その一方、あとで悔やんであれこれ考えている自分。こういう場合、どちらがより本当の自分だろうか?

あるいはまた、毎日神想観をしようと思っても、ついついさぼってしまう自分と、どうして、自分はこうなのか、自分は意思が弱いのか、どうしたら毎日できるようになるのか、などと思いつつ、とにかく毎日神想観ができるようになりたいと考えている自分。こんな場合、どちらが本当の自分だろう、とわたしは考える。そして、後者が本当の自分であるとわたしは思いたかった。

つまり、生活している時の自分と、思ったり考えたりしている時の自分と、どちらがより本当の自分かといえば、わたしは、思ったり考えたりしている時の自分こそ、本当の自分であると思いたかったのである。それは、外見にあらわれている自分ではなく、思ったり考えたりしているそちらの方の自分も見てもらいたい、わかってもらいたいという神への無意識の願望があったかもしれない。そして、その考えはまちがっているとも思えなかった。ならば、他に対しても同じである。結論は、「外見では人はわからない」ということになる。そんなところから、自然に、人は何を思ったり考えたりしているのだろう、などと、思うようになった次第である。

しかし、その一方で、「行動を見ればその人の性格がわかる」とも言われる。わたしもそう思っている。これは先に書いたことと明らかに矛盾している。

すると、また振り出しに戻る。人は生活している時の自分と、思ったり考えたりしている時の自分と、二つの自分がいて、この場合、どちらがより本当の自分といえるだろうか?

 

あなたは、どう思いますか?

 

ところで言いたいことはこういうことなんです。

人の寂しさというのは、思うようになれない自分への寂しさと、互いに理解し合えない、誰かとピッタリと心が重なり合わない、そんな二つの寂しさがあるんだろうと思います。

 

さて、こんな記事でも、もし、俺と同じことを考えているなどと思ってくれる人がいたら、とてもうれしい。

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最近思うこと

2014年08月28日 | 人生

最近はすっかりブログからご無沙汰しているが、例によって、現在Gooブログはアクセス解析無料サービス期間中で、1日の間にどんな記事にどれだけのアクセスがあったのかがわかるようになっている。

書いているものにとっては、どんな記事が読まれたかを知るのは興味あることである。そして、その読まれた記事を自分がどんなことを書いていたのかとあらためて読み、懐かしさを感じることもある。そんな時は、自分の過去の姿を鏡に映して見ているようでもある。

ブログを初めて5年が過ぎたが、ずいぶんな量になったものだと感心する。一時はワードにコピーして保存しようと考え、コピーし始めたこともあったが、数が多くて、これでは相当な時間がかかると思ってやめてしまった。

人は、他の人はなにを思い、何を考えているだろうと、ふとそんなことを思うこともあるのではないか。インターネット上に何かを書きはじめたきっかけは、そんな気持ちからだった。自分が寂しさ感じていたとき、「人は本当のところ、何を思っているのだろう?何を考えているのだろう?」と誰かと話がしてみたくなった。そんなときに、ちょうど良い掲示板を見つけたので、まず自分が書いて見ようという気持ちになって、書きはじめたのが始まりだった。もう15年か20年も前のことである。その頃、「花や木々は美しいのに、なぜ人は美しく見えないのか」ということを、こまごまと書いたのを思いだす。

        秋深く隣は何をする人ぞ  (芭蕉)

 

最近、わたしは「人も、人の歩んだ人生も、どれも美しいのではないか」と思い始めている。そして「愛はただのきれいごとではなく、人生は結局、愛なのか」とも思い始めている。わたしは今まで、自分の人生を「良かった!」と思えるようにしたいとは思っていた。しかし、何をもって「良かった!」とするかは、漠然としていた。人生を振り返って「良かった!」と思えるもの、それは、愛を持って生きたか、ということではないだろうか。

わたしは今65歳だが、ようやくそんなことに気づきはじめたところである。ずいぶん遅れた感じがするが、それでも気付き始めたことを神に感謝したい気持ちである。

 

○常識とは、所詮、私たちが若い頃に受けた教育が、私たちの精神に及ぼした偏見にすぎません。

○真理と美しさを探究することにおいてのみ、私たちは一生子供でいつづけることができるのです。

○わたしは天才ではない。ただ、好奇心が旺盛なだけだ。

    NHK 「アインシュタイン・ロマン」より、アインシュタインの言葉

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