気の向くままに

山、花、人生を讃える

白駒池と山ガール

2011年07月21日 | 
朝食後、白駒池からゆっくり歩いて1時間の「高見石」へ向かった。
高見石は岩が積み重なった標高2,250メートルの自然の展望台である。

  

危なっかしい足取りで30メートルほど、積み重なった岩をよじ登る。
すると・・・、

  

森に囲まれてひっそりとたたずむ白駒池があった。

ただし、白状するとこの写真は白駒池ではなく、右側に写っている山ガールを狙ったもの。
この展望地は足場が悪い。そこへ入れ替わり立ち替わり登山者がやってくる。
登りきった入口あたりで立ち止まり、写真を撮ったりしていると、後から来る登山者に迷惑なので、わたしは奥へと進んだが、家内が怖がって、これ以上奥へ行くのは嫌だという。仕方がなく家内のいる中ほどまで引き返し、そこで展望を楽しんでいた。すると、あでやかな衣装の彼女たちがスルスルと奥へと進み、しかも足元の定まらない石の上で、撮る方も撮られる方も立ちあがって記念写真撮り始めた。わたしはこれは絶景というわけで、すぐさまカメラを取り出した。が、残念ながら急いだために、立ちあがっている時の写真は惜しくもピンボケになり、やむなく坐ったときの写真となった。
「怖がらない」彼女たちの若さが、衣装と相まってフレッシュで小気味よく、一瞬、「神秘の白駒池」も脇役となったのである。

しかし、白駒池を狙ったどの写真より、これが一番良かった。


しばらくここでの展望を楽しんだ後、白駒山荘へ戻り預かっていた荷物を受け取って、駐車場へと向かった。
さすがに天気の良い土曜日とあって、駐車場の方から白駒池へと向かう人が大勢いた。
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白駒池

2011年07月19日 | 
≪白駒池≫
  

蓼科山を下山して、この日は白駒池畔にある白駒山荘に宿をとった。
ここは標高2000メートルを走る国道沿いの有料駐車場から歩いてわずか15分だから、休日ともなればたくさんの観光客が訪れる人気スポット。この日は金曜日で、わたしたちが到着した頃にはちらほらと見えていた人影も、5時にはなくなり、静寂に包まれた。そして、この日の泊り客はわたしたち一組だけだった。(写真は山荘二階の部屋から撮ったもの)

 

≪早朝の白駒池≫
  

「日の出」を撮るつもりか、数人のカメラマンが朝早くからカメラを構えていた。
池の面を朝霧がゆっくりと流れている。(写真は日の出の後)

≪日の出≫
  

日の出のあと、池の周りを一周。その後、山荘のボートで水上の散歩を楽しんだ。

ボートは30分、700円とあったが、「他に客もいないから自由に乗って下さい」と親切に言ってくれたので遠慮なく使わせてもらった。そして、コーヒー代も「サービス」と言って受け取ってくれなかった。そういえば夕食も食べきれないほどの御馳走が並んで驚いたが、きっとあれも商売気なしのサービスだったのだろう。ともかく、気持ちの良い、若い親切な支配人だった。

≪苔とシラビソの森≫
  

池の周囲はシラビソやオオシラビソの原生林の森。自然保護区になっているとのこと。
下は緑の苔がびっしりと覆いつくし、種類も豊富。学術的にも大変貴重らしく、いろいろな大学から毎年研究者が訪れて調査しているとのことである。

池は普通に歩いて一周30分。半分以上は木道になっている。
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蓼科山山頂から

2011年07月18日 | 
≪八ヶ岳≫
  

15日朝7時より標高1800メートルの登山口から登り始め、2500メートルの蓼科山山頂には10時に到着。
標準タイムで2時間のコースを、休憩も含めて3時間というスローペース。今年初めての登山で運動不足が心配だったが、ゆっくり登ったせいで、あまり疲れもせず無事に登りきれてホッとした。

山頂に着くと、裾野を広げた八ヶ岳が目に飛び込んで、その雄大な眺めにほれぼれした。

≪山頂風景≫
  

山頂一帯は、「さあ、どこでも好きなところをお歩き下さい」というように、一面が石で覆い尽くされている。しかし、どの石も凸凹と好き勝手な方を向いていて歩きにくい。

≪霧ケ峰と白樺湖≫
  

≪山頂で≫
  
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避暑、信州へ

2011年07月18日 | 
≪御泉水自然園≫
   

標高1800メートルの静かな森は涼しく、澄んだ鳥の声が響いていた。

≪女神湖≫
   

朝食前の5時に湖の周りを一周した。早朝の静かな湖のたたずまいが何とも言えない。
標高1500メートルの朝は、Tシャツ一枚では涼しすぎて、その上に薄い長袖を着た。
一周の終点には湿原があり、木道を歩きながら湿原の花を楽しめたのは思いがけないおまけだった。
湖はゆっくり一周して1時間足らず。

≪女神湖から見た蓼科山≫
   

蓼科山は標高2500メートル。朝食をすませて、これから登る山。
雲ひとつない快晴である。
「雲よ、出てくるな!」と念じつつ、朝食のためにここから車で5分の民宿へと戻った。
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もう一つのとっておき

2011年07月07日 | 信仰
若い頃に子母澤 寛の小説「勝海舟」を読んで感動し、すっかり海舟ファンになったのだが、感動させられた一つにこんな話があった。

勝海舟は貧乏旗本で正月の餅も変えないぐらいだったから、読みたい本があっても買うことができなかった。当時は「これからは勉強するなら蘭学だ」という時代の流れだった。そして、勝海舟は熱心に本屋へ通っては立ち読みしていた。すると店の主人が、貧乏若侍の勉学への熱心さに感心したらしく、親切にも「貸してやるから好きな本をもっていけ」とかなんとか言ってくれたので、勝海舟は喜び勇んでオランダ語の辞書を借りた。

借りてどうしたかというと、その辞書をすべて書き写し、綴じて一冊の本となし、さらに同じものをもう一冊作り、その一冊を人に売って、そのお金で他の本を買ったという話だった。
これは有名な話で、勝海舟自身の談話にもあるから小説家の作り話ではない。

ところが今度宇治で練成を受けたら、それ以上の話を聞かされた。
『人類無罪宣言』(初版昭和48年)を読んで感激したことは前に書かせてもらったが、本文に感激したのはもちろんだが、それを編纂した楠本先生の「はしがき」を読んだ最初から感動した。
その「はしがき」には、『生命の実相』全40巻はもちろん、谷口雅春先生のたくさんの著書から「罪本来なし」について書かれた部分を抜き書きしたことや、それをまとめるのがそれ以上に大変で、投げ出したくなったこと、祈りを続けているうちに「目次」が浮かんで、まとめることができたことなどが書かれていた。

ところが、今度その楠本先生のお話を聞いたら、それで「おわり」ではなかった。
先生はいつから始まったか話されなかったが、ともかく今は「人間神の子」について書かれているところを抜き書きされているとのことだった。そして、こうも言われた。
「谷口雅春先生のご本はおよそ300冊、清超先生は150冊、清超先生のももうじき終わる」と。

つまり、「人間神の子」について書かれているところを、合わせて450冊の本から抜き書きし、もうじきそれが完了するということだった。

勝海舟は有名な先生の蘭学塾に入門を乞うた時、「江戸っ子侍は根気がないからダメだ」とけんもホロロに突き返された(後に入門した)ことに発奮し、辞書を二冊も書き写すぐらいに根気を鍛え、外国人から「世界でも第一級の人物」と言われるほどになった。

楠本先生は御年90歳。今なお練成には毎日の講話を受け持ち、公務の合間に、地道にこのような作業を続けておられる。そして、全国から悩みを抱えた人、もっと神性開発したいという人たちが先生を慕って集まってくる。

「奇跡の手帳」というのは先生の発案らしいが、その「奇跡の手帳」には、必ず毎日二つの事を書いているとのことだった。その一つは忘れたが、もう一つは、
「神様、どうぞわたしをお使いください」だった。

忘れたと書いたが、念のためにノートを見たらメモしておりました。(良かった)
いま一つは「人間は神の子である」でした。(じーん、涙目)

これを「奇跡の手帳」に書き始めてから今年30年になるそうだ。

先生は階段も普通に上がり降りされるし、歩くのだって早い。
別の若い先生が、これを「ペンギン走り」と言ったので、笑ってしまった。

それはともかく、こんな地味なことを続けておられるとは知らなかった。
このような立派な先生は、もう神想観だけで足りると思っていたのである。
そうではなく、このようなことを地道に続けられているからこそ、今の先生があるんだと知って、本当に勉強になりました。
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簡単すぎて忘れている

2011年07月06日 | 信仰
今度の練成会で、目から鱗だった話がもう一つありました。
それは何かというと、昨日話した先生による練成最後の結語におけるこんな話でした。

先生:「皆さんは、人間神の子を自覚するのは難しいと思っているでしょう?
でもね、これは簡単なんですよ。」

こう聞くと、わたしは「神の子を自覚するのは難しい」と思っていたので、「何か良いコツがあるのか」というわけで、思わず聞き耳を立てました。すると、次のように言われました。

先生:「生長の家は人類光明化運動といわれていますが、神の子を自覚するのが難しいことだったら、人類光明化運動になりませんねえ。誰にとっても簡単なことだから人類光明化運動と言えるんでしょう?」

なるほど、違いない。まったく、まったくその通りだ。
われわれが「神の子、あるいは仏」と自覚するのが難しいなら、イエス・キリストが山上でいくら熱弁をふるっても意味がない。無駄な努力だ。釈迦が悟りを開いて説法したところで、大勢に影響は無い。無駄な努力だ。弘法大師、親鸞、道元、入れかわり立ち替わり、誰が出てきたところで同じだ。このような賢き聖者たちが無駄な努力をするはずがない。
先生、それで?

先生:「みんな、簡単すぎて忘れてしまっているんだねえ・・・。」

・・・

先生:『生命の実相』の第一巻に書いてあるねえ。「その秘訣は・・・」と。

こう言って、先生は『生命の実相』の第一巻を取り出して、その部分を読み始めた。
「自己が神の子であって自己の生命は神の霊である」という事実に目覚めるにはどうしたらよいかという一つの秘訣はと申しますと・・・以下省略

その秘訣というのは、今まで何度も読み、また話の中で聞いてきたことだった。
そして時には「そうだな」と思い、少しはやってもみることもあったが、結局はためしにやってみたという程度で終わった。
「これは調子いいぞ!」と思っても、長続きはしなかった。結局、簡単すぎて軽く見ていたのだと思う。それだけなら、まだいいが、多くは「神の子の自覚を得る秘訣」とは反対の「ダメ人間の自覚を得る」ことをやってきていたかもしれない。

これを読んでくださっている方も、何度も読んだり聴いたりしているに違いないのですが、もし、「あらためて、その秘訣というのを聞きたい」と思われたら、『生命の実相』第一巻の141ページ、中ほどから書かれていますので、どうぞ見てください。


人は何かをしながらも多くの時間に何かを考えていて、その考えていることは白いことか、黒いことかのどちらかということが多い。白でなければ黒または灰色ですね。

笑わないでほしいですが、わたしは黒か灰色のことを考えていることが多かった。
つまり神の子の自覚を得る秘訣とは反対のことをせっせとやってきていました。
だが、今回はそれももう終わりだと思いました。今度こそは、秘訣を秘訣として腹に手ごたえを感じて聞くことができたし、はじめて「いいことを聞かせてもらった」と思いました。

蛇足ながら、思い出したので・・・。
初めて読まれる方は、「ははあ、要するに自己暗示か」と思われる方もいるかもしれませんね。
だが、「神との対話」の著者、ニール・ドナルド・ウオッシュも神に向かって同じことを言いました。
それに対する神の返事はおよそこうでした。
「あなたが考えたり思ったりすることのほとんどは、幼いころから植えこまれ、外から刷り込まれてコントロールされてきたものだということに気がつかないのか?外からコントロールされるよりも、自分でコントロールした方がよいのではないか?」と。

いやあ、まったく! と言いつつ、自分もやって来なかったし、これからも保証の限りではない。
だから、また忘れた頃に宇治へ行こうと思っている次第です。


追伸
具体的な話としてはとても書けませんが、どの先生も、どの講話も、予想を超えて本当に素晴らしく、どの先生も「救わずにはおかないぞ」というお気持ちが、あるいは静かに澄んで微笑みとなり、あるいは情熱となってほとばしり、本当に感謝の気持ちでいっぱいになりました。
入信初期以来の、本当に久しぶりの神性開発練成参加でしたが、例えれば、松陰道場の門下生になった気持ちであり、海舟塾の塾生になったような、あるいはそれ以上の歓びとうれしさです。感謝、合掌。

宇治練成道場についてはここをどうぞ。
書く時間があまりないので簡単に書かれているが、ともかく参加者の体験談を見たり、肉声で聞いたりすることができます。

  http://www.uji-sni.jp/  
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宇治短期練成でのこと

2011年07月05日 | 信仰
1日~4日と宇治の神性開発短期練成会に参加してきました。

質問箱があったので、係りの人に聞くと、質問を書いて出せば、座談会の時に先生から質問に答えていただけるということだったので書いて出しました。

書いた質問は、およそこんなふうでした。
「最近第二腰椎圧迫骨折という怪我をしましたが、今は完治しています。
質問ですが、骨の病気は先祖に関係するということですが、充分とは言えないまでも毎日先祖供養はしているので、どういうことだろう?とちょっと気になっています。それと第二腰椎というのは先祖との関係でいえば何をあらわしているのでしょうか。」

ざっとこんなことを書かせてもらった。

座談会は判別で行われ、わたしの班を指導して下さる先生は、願ってもない谷口雅春先生の『生命の実相』やその他たくさんの著作から、「人間、本来罪なし」について書かれた部分をすべて抜き書きして、『人類無罪宣言」と題する一冊の本にまとめられた先生でした。
わたしは昨年の暮れに、この『人類無罪宣言」を久し振りに読んで感激し、暇にまかせて続けて3回読み、さらに、各章ごとに抜き書きまでしていました。

さて、その班別座談会の時が来た。
先生はまず私の名前を呼びあげられ、わたしが「はい」と手をあげて返事をすると、質問を読み、要訳だが、このように言われた。

先生:生長の家を熱心にやってるのに、こんなことになってしまった。どうして?という人はよくあるねえ・・・。「生長の家をやってるのに」ではなく、「生長の家をやっているからこそ、これだけですんだ」と考えたらどうですか?と

医者は、「悪ければ複数の骨折だが、あなたは一つですんだから、まだ良かったよ」と言われたので、あるいはそれもそうかもしれない。
しかし、わたしは「これでひとつ業が消えたのだ」とある程度は得心していたから、その点はあまり気にしていなかった。

それよりもわたしが知りたかったのは、わたしの怪我と祖先との関係である。本当にこの二つの間に何らかの関係があるのかどうか。あるとすればどんなことか。わたしはそれが知りたかったので、こう言った。

わたし:「なんで?という気持ちも少しはあるのですが、それよりも今度のわたしの怪我と祖先との関係が少し気になっているのですが・・・。
先生:毎日先祖供養はされているのでしょう?
私:はい。
先生:なら、いいじゃないですか。

先生はこうおっしゃって他の話をされ、それから最後に「感謝ですよ。感謝すればいいのですよ」と話を結ばれ、次の質問者の質問に移られた。

わたしは、自分の怪我と祖先との関係で何か言っていただけると期待したのだが、肝心のその点については触れられず、こちらの知りたい欲求に答えてもらうことができなかったので、外れくじを引いたような気分だった。

すると次の日、その先生は講話の時、こんな話をされた。(先生の御年は90歳とのこと)

その時の要訳
○大部前のことだが、転んで大腿部を骨折してねえ・・・。骨折しているとは思わなかったが、医者に診てもらったら、骨折で三ヶ月の入院と言われたねえ・・・。骨は先祖に関係しているといいますねえ・・・。(こう言ってニヤッと笑われた)
この本山の総務が先祖供養していない・・・。そうなったら大変だあ。すぐ辞職しなきゃいけませんねえ・・・。

(続いて言われた)
入院したらねえ・・・、その次の朝早くに練成部長が見舞に来てねえ・・・。「三ヶ月も入院、困った困った」というんですよ。次の日には北陸でわたしが講演することになっていたしねえ・・・。練成をどうするんですかというわけですよ。それでわたしが言ったねえ。「困った、困った、では困ったことしか出て来ないよ」「どうすればいいんですか?」「喜べばいいんですよ。・・・僕がいない間、君が僕のかわりをやればいい。君のかわりは○○君ががやればいい。○○君のかわりは△△君がやればいい」、そう言ってねえ・・・。神性開発のいい機会だったんですよ。

ざっと、このように話をされ、まるで痛快事のように、

   「三ヶ月入院、うれしいなあ!楽しいなあ!あっはっはっ」ですよ。

楽しげにこう言って、さらにいたずらっこのように「ふ、ふ、ふ」と笑われた。


わたしはこれを図々しくも一番前の席で、しかも先生の真正面で、聞き耳を立てて聞いていたんですよ。
だから、今度の怪我で多少とも引っ掛かっていたものが、この時に、きれいさっぱり氷解してしまいました。

そうだった!すべての出来事は良くなるために起こっている。文字通りに喜ばしいことだったんだと得心出来ました。そして、先生はその事を良くわかるようにと教えてくださったのだと、本当にうれしくなりました。

以上、
    「三ヶ月入院、うれしいなあ!楽しいなあ!あっはっはっ」 

の巻きでした。


≪追加≫ 先祖との関係? おかけでどうでもよくなりました。
     ただ、先祖にも今まで以上に感謝の気持ちが湧いてきました。



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