或るお婆さんの話だが、その婆さんは嫁のすることが一々気に食わず、腹が立って仕方がなかったという。
それで或るとき、宗教家にその事を話したというのであるが、以下は、その婆さんと宗教家の問答であり、谷口雅春著『親鸞の本心』という本からの引用です。
「一体誰が腹を立てさすのですか」と宗教家が問う。
「嫁が一々私に気に入らぬことばかりをするものですから」
「嫁が気に入らぬことをしたら腹が立ちますか」
「腹が立って致し方がありません」
「それでは其の立つと云う腹は誰の腹ですか」
「それは私の腹が立って仕方がありませぬ」
「あなたの腹はあなたが立てたり立てなかったりするのであって、嫁が立てるのではないでしょう」
「嫁が腹を立てさせるのです」
「そんなことはありますまい。たとい嫁がどのようなことをしようとも、あなたが腹を立てなければそれで好いのでしょう。そのあなたの腹を立てるものの正体は一体なんですか。それを一つ考えて御覧なさい。」
「・・・・・・・・・・・・・」
「あなたは腹が立つとき気持ちがよろしいですか」
「気持ちが悪くて悪くて、全く地獄の苦しみです」
「その地獄から逃げ出したいと思いませんか」
「逃げ出したいので先生に御相談申し上げているのです」
「そうでしょう。あなたの腹の中には、腹を立てて自分で自分を地獄へ突き落している『自分』と、その地獄から逃れたいと思っている『自分』と、二種類の自分がいるようですね」
「はい・・・・・」
「その二つの自分のうち、どちらが『本当の自分』か静かに座って考えて御覧なさい。これから毎朝正座して30分間『本当の自分は、腹の立てる自分ですか、腹を立ててるのを嫌う自分ですか』と自問自答して答えて御覧なさい」
こう云われて、その婆さんは毎朝々々、教えられたようにして正座して、本当の自分を見出すことにつとめたそうです。
そして今まで仏様は十万億土の彼方にいると思っていたが、自分の本性が仏様であるとわかり、それとともに、他の人も仏様じゃと分かり腹が立とうにもたちようがなくなってしまった。そして嫁いじめをやめ、嫁御大事と互いに拝み、拝まれ、本当に極楽世界の生活を送ったということでした。
以上、婆さんと宗教家との問答がとても面白いので、紹介させてもらいました。
○何故人間が理想郷を求めずにはいられないのか、人間が何故「欣求浄土(ごんぐじょうど)」の心が起こるかと云えば、斯くの如き浄土が既にわれわれの「生命の既成体験」の中にあるからなのである。吾々の生命は、その既にある体験の中で、既に斯くの如き浄土に住んでいるからなのである。「欣求浄土」は、既に吾らのいのちの体験に於ける、望郷の願いであり、魂のホームシックに他ならないのである。