気の向くままに

山、花、人生を讃える

ドラマ「伴走者」を見て

2021年02月07日 | ドラマ

去年の年末に『伴走者』というドラマが放送されました。BS-TBS開局20周年記念で制作されたドラマの再放送とのこと。良い作品かどうかわからないまま、念のために録画しておいたのだが、見ると、記憶に残る素晴らしい内容の名作でした。

 

物語は、欧州のサッカーチームに所属する一流の花形選手が、突然、失明するというアクシデントに見舞われる。そして彼のもとから潮が引くように、一人去り、また一人去っていくのだが、一人だけ彼の通訳をしていた女性が、そんな彼を見捨てて去ることが出来ず、唯一彼女だけが残り、彼女だけが失明した彼の苦悩を知っている。

 

彼は突然の失明によって、栄光のスターの座から、絶望の淵へと引き落とされた。
しかし、暗闇の中をさまよいながら、彼の本当の人生は、そこから始まるのだった。
彼は目が見えなくなって、それまでの栄光はただの泡のようなものだったと気づかされたのではないだろうか。

 

そして彼は無意識ながら、たとえ失明しても彼の中にあって消えることのない本当の栄光を見つけようと動き始める。
そしてパラリンピックのマラソン出場を目指し、マラソンに挑戦するのだった。

 

その彼の伴走役に選ばれたのが、実業団の駅伝チームに所属しながら、戦力外とされた、もう一人の主役だった。
そうして、二人の男のパラリンピック出場を目指しての挑戦が始まった。

 

二人の主役は、目に見えない本当の栄光をつかもうと、ライバルと競り合い、ひたすら走る。
そしてトップでコールするが、伴走者が勇み足で先にゴールしてしまい失格となる。

 

失明していた方の主役は最後に号泣するが、失格になったから号泣したのではない。
必死に走ったあと、倒れこんで無心になっていた時、目に見えない本当の栄光が、彼の中で輝き始め、何かが込み上げてき、人目も構わず号泣するのだった。それこそが闇の中でつかんだ本物の栄光だったのではないか。

 

このドラマは私にとって始めて見る役者ばかりでしたが、本当に見ごたえのある素晴らしいドラマでした。

失明と言えば、一昔前に上映された「武士の一分」という時代劇が思い出されます。
こちらは、お殿様の毒味役である一人の武士が、毒にあたって失明する所から始まりました。
目が見えなくなれば、もう自分一人では生きられず、ただ奥さんの世話になりながら生きるしかすべがない。
そう考えて彼は死のうとしますが、そこからまた別の人生が始まるのだった。

 

ちなみに、『伴走者』の出演者は下記の役者さん達です。拍手!

   日清食品陸上部    淡島祐一   吉沢 悠(ひさし)   
   失明したサッカー選手 内田健二   市原隼人
   内田のマネージャー役 高倉真希   北乃きい

 

以下は映りが悪いですが、テレビから撮った写真です。

  足の痛さをこらえ、必死に走る。左が伴走者、右が失明した元サッカー選手

  

 

  前を走るライバルに迫る

  

 

  ゴールインして倒れこむ二人

  

 

  号泣

  

 

  最後は、彼を見捨てず支えてくれた彼女にプロポーズ

  

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国を思う二つの考え

2020年05月30日 | ドラマ

下に紹介するのは、ドラマ『JIN (仁)』の中の、日本をよくするにはどうしたらよいのかということで、現代から幕末へとタイムスリップした医師の南方 仁(みなかたじん)と坂本龍馬が、真剣にやりあったときの会話です。

 

どんな場面でこの会話があったか言うと、
長州藩が、帝(みかど)を奪い政権を奪取しようとして企てた「蛤御門の変」で、京を護る幕府諸藩との戦いに敗れ、京を追われて長州に逃げ帰ります。そしてやがて幕府の長州征伐が始まるという長州藩にとって大ピンチの時、坂本龍馬の奔走によって薩長同盟が成立。そして龍馬が設立した貿易会社を通し、薩摩藩の名目でたくさんの西洋式銃を購入する。その銃が薩摩から長州へと渡る。そして、幕府と長州の戦いが始まり、人数では圧倒する幕府軍が長州藩の新式銃の前に蹴散らされてしまう。

 

そして、今二人の目の前で、傷つき落ちのびて来た幕府軍の兵士が、長州の兵に襲われます。

それを見ながら、そのままその場を立ち去ろうとする坂本龍馬に向かって、南方 仁が言います。

 

南方 仁:龍馬さん、やっぱり変わりましたね。前の龍馬さんなら敵味方なく助けたと思います。でも今は薩摩と長州のことしか考えていない。

 

坂本龍馬:先生、それは違うぜよ。

 

南方 仁:(竜馬の言葉を遮る様に)やってることだって武器商人じゃないですか。人殺しで金稼ぎしているだけじゃないですか。

 

坂本龍馬:先生、ほいじやきー・・・

 

南方 仁:あの人たちだって龍馬さんが売った銃で打たれたのかもしれないんですよ。

      

坂本龍馬:わしゃあ、この国を思うからこそやっとるがじゃあ。何べんも言うけんど、これはどうしても必要なことなんじゃ。

 

南方 仁:戦だけが国をまとめる手段なんですか?そんな方法でまとめるしか能がないなら、政権を執ったってうまく行くはずがない。うまくいかなくなったら、また戦を繰り返すだけなんです。暴力は暴力を生むだけなんです。

      

坂本龍馬:先に殺されたら、それで終(しま)いだがじゃ。わしゃ~、寺田屋で殺されかけ、思うたがじゃ。どんな考え方を持っとったっち、バッサリやられてしもうたら、それでおしまいだがじゃ~。まず相手を力で従わせんと、考えを述べることも出来ん。世を動かすことも出来んがじゃ~。

     

 

南方 仁:戦争をする人はみんなそう云うことを言うんです。

 

坂本龍馬:先生は特別なお人じゃきん、きれいごとばっかし言えるがじゃ~。

 

南方 仁:竜馬さんから見たら、私は特別なのかもしれません。だけども、私だって国をよくしようと思って戦っているつもりです。・・・・私なりに、ですけど。

 

二人の真剣なやり取り、記憶に残る名場面でした。

そしてまた、現代に生きる我々も、個人的な小さなことから、世界的なことまで、常に考えさせられるテーマでもあると思いました。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました

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ドラマ 『JIN (仁)』に夢中

2020年05月29日 | ドラマ

昨日に続いて今日もからりとした、まぶしい朝を迎えました。
田んぼは10日ほど前に水が張られ、カエルがにぎやか。
先日剪定をしていた時には、空高く雲雀がぴー、ぴーと囀っていましたが、その5月も間もなく終わりになろうとしています。

 

さて、私はこの5月、あるテレビドラマを楽しみにしていました。
それはTBSの「JIN(仁)」という番組の再放送で、連休後の土曜、日曜に3回分づつ放送され、そして明日からの土曜、日曜に最終回を迎えます。

 

これは大沢たかおが演ずる「南方 仁」という医者が、あるきっかけで幕末の江戸にタイムスリップという設定です。そして、その幕末、気づくとサムライ数人が真剣を抜いて斬り合いをしている。ロケかと思ったら、血が飛び散るのを見て、自分がタイムスリップしたことに気付く。そして目の前で刀傷を負った者を放っては置けず、手術してその傷をいやすことになる。そこから物語は次々と展開して行きます。

 

そしてこの幕末の時代に、目の前に現れるコロリ(疫病)に立ち向かい、脚気やガンをも手術し治療して行く羽目になる。そのように医術を通してその時代の庶民、あるいは時代を動かす幕府要人や諸藩の志士ともかかわりを持つようになっていく。

 

そして「なんのために自分はこの時代へと来てしまったのか」、そしてまた「自分の医術によって歴史が塗り替わってしまってよいのだろうか」、さらには「また元の世界へ戻れる日がくるだろうか」「また恋人に逢えるだろうか」と、苦悩しながら生きる医師と、幕末に生きる人々のさまざまな人生が描かれます。

 

まあ、下手な紹介ですが、ざっとこんなあらすじのドラマです。

 

そのほかの出演者は、
南方 仁を献身的に補佐する旗本の娘「咲」を演ずる綾瀬はるか、南方 仁の現代の恋人と、その祖先である吉原の花魁役を演ずる中谷美紀、そして坂本龍馬の内野聖陽など、いずれも好演技で大いに見ごたえあり、といったところです。

 

このドラマの再放送があることは知ったのは、偶然に訪れたブログで紹介されていたからでした。
どなたのブログか覚えていませんが、ありがとうございました。

 

タイムスリップということは、私にはそれ自身が得体の知れない魅力を感じるし、その上、若い頃に夢中になって読んだ歴史小説の勝海舟、坂本龍馬、新選組などが出てくるとなれば、年甲斐もなく夢中になっても仕方のないこと、見ているうちに、自分が現代に生きているのか、幕末に生きているのかさえも分からなくなってしまうほどです。

 

実はこのドラマは、数年前の再放送のときに、偶然、途中から見始めたのですが、どんな結末だったのか、意味がわからなかったせいか、よく覚えていないのです。まあ、そんなこともあり、明日からの土、日の放送を今から楽しみにしているというわけです。

 

話は変わって・・・
写真はアマリリス。花の大きさを測ったら、横幅の一番大きい処で170mmもった。この写真の幅が153mmだから、それよりも横幅が大きいのだから、かなり大きな花です。(縦に測ればもっと大きい)

  

 

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タイム・スリップ

2013年04月29日 | ドラマ

最近、土曜日を楽しみにしていました。そのわけは土曜日にTBSのテレビドラマ『仁』が再放送されていて、それを見るのが楽しみだったからです。

テレビドラマが楽しみになったのは「冬ソナ」以来のこと。まあ、これも再放送で毎日連続してみられたのがよかったのだが、今回は毎週の土曜日に3回分づつ再放送されていました。てっきり日曜日と思っていたので、途中の2回をうっかり録画し忘れ、先日最終回を見て、あらためて惜しいことをしたと思いました。

物語は現代の医者が幕末にタイムスリップして、見るに見かねて怪我人を治療したのがはじまりで、幕末の時代にできる限りの現代医術をつくし、その医術を学びとろうとする人たちとの交流が物語の土台でした。そして、その時代の歴史を動かした坂本竜馬たちとのかかわり合いが巧みに絡み合って、医療ドラマでありながら、歴史ドラマの味わいもあって、とても面白い物語でした。

主役の「南方 仁」を演じた大沢たかおもよかったし、内野聖陽の竜馬も実によかった。そして綾瀬はるかもよかった。大河ドラマ「八重の桜」は見ていなかったが、「はるか」のファンになったらしく、これから「八重の桜」も見ようという気になっています。ははは

若い頃、題名は忘れたが、時たま本屋で勝海舟が現代にタイムスリップするという本を見つけ、勝海舟が現代を見、現代に生活したらはたしてどんなことを話し、何をするだろうかとわくわくしながらこの本を買って帰ったことがありました。内容は期待どうりというわけではなかったが、それでも十分楽しめ、特に勝海舟がハイジャックに遭遇する場面では、言葉が見つからないのですが、ともかく心が躍ったものでした。

タイムスリップということもいずれは夢ではなくなるだろうが、ともかく、面白い。

わたしももしタイムスリップするならやはり幕末に行きたいと思う。江戸川べりで湯を沸かしてコーヒーでも飲めれば最高だろう。

                        花の雲鐘は上野か浅草か  (芭蕉)

なんてつぶやきながら。

 

下の写真は幕末の隅田川の土手に咲いていた「アマナ」です。

というのは冗談で、4月中頃に藤原岳で撮影したものです。

思ったより雪解けが早く、フクジュウソウはもう伸び切っていました。しかし、キクザキイチゲ、アマナがたくさん見られました。

孫がこの4月から幼稚園に通うようになり、そろそろ「生まれてくる前、どこにいたの?」などと聞いてみてもよいころかなと思っています。

     春風や人も華やぐ山の道

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フルスイング「気力」

2009年05月25日 | ドラマ

さて、高畠導宏さんの2週間の教育実習はあっという間に終わりました。
教育実習が終わり、東京へ戻ると、プロ野球の球団からのオファがありました。
しかし、高畠導宏さんはそれを断り、教師の道を選び、翌年の春、59歳の新人教師として高校に赴任しました。

高畠先生の赴任の挨拶
「わたしはプロ野球という世界で野球一筋に生きてきましたが、昨年の教育実習で皆さんと出会い、挑戦者魂が再び沸き起こりました。夢を持ち、あきらめずに突き進めば、夢は必ず達成できるものです。
わたしはここに骨をうずめる覚悟で、皆さんと一緒にやっていきます。
皆さんの将来の糸口を探しだすための手助けを命がけでバックアップしていきたいと思います。」

というものでした。

高畠先生は、その挨拶の言葉どおりに、日々に、そして最後まで実践されました。
生徒たちを温かい目で見守り、そして、誰にも明るく積極的に話しかけていきました。スランプで悩む生徒には黙って見守り、相談された時には励まし、閉じこもる生徒には、何度も家まで足を運び、生徒の声に耳を傾けようとしました。

そして、ガンの宣告を受けながら、卒業式にはどうしても出たい、子供たちを見送りたいと、心配する奥さんをよそに、入院を伸ばし、卒業式の最後まで生徒たちと共に過ごしました。

その卒業式が終わった後の最後のホームルーム。ここで、高畠先生は生徒たちにはじめて自分がガンであることを打ち明けます。生徒たちはびっくりしながら、つづけて語る先生の言葉に耳を傾けます。

「こうして立っとるのも奇跡じゃと言われてしもうた。卒業式の後、東京に戻ることにした。東京で徹底的に治して、また戻ってくる。」
 そして、子供たちに贈る最後のメッセージを語り始めます。高畠先生の最後の言葉、どうぞ聞いてやってください。 
「ワシがみんなに贈る言葉はこれじゃ。」 (と、黒板に大きく「気力」と書きます。)
「気力とは何か?」
そう言って、生徒たちに聞いていき、ひとしきり、聞き終わった後、再び、「気力」について、自分の考えを力強く語り始めます。

「わしは、あきらめん気持ちこそ気力だと言いたい。
あきらめちゃあいかん! わしも、みんなもじゃ。9回、2アウト、ランナーなしでも、何点離されていても、あきらめん気持ち、これが気力じゃ。気力は人を思う気持ちで強くなる。人に思われることでもっと強くなる。わしはこの気力で病気と闘ってくる。必ず気力で病気を治してくる。みんなもこれからの人生、いろんな困難があるじゃろう。『もう、あかん』『もう、投げ出そう』、そう思うこともあるじゃろう。けどなあ、その時、この言葉を思い出してほしい。“気力”じゃ!。」

そう言いながら、高畠先生はおもむろにバットを取り出し、力を振り絞って、2回、3回とフルスイングします。肩で息をしながら休み、さらにつづけて、3回、4回とフルスイングします。
一息入れて、また繰り返します。
生徒たちは、そのフルスイングを、息を凝らして見ています。


高畠先生はこのように、「気力」という最後のメッセージを子供たちに残して、東京へ戻り、5週間の入院生活を送り他界されました。

女子剣道部は今も試合の時、各選手がマジックで腕に「気力」と書き込んで試合に臨むとのこと。
そして、野球部は、高畠先生の残した7カ条を、練習の後、毎日全員で唱えるとのことでした。
高畠導宏さんは約束通り、きっと、子供たちの心に戻ってきているのだろうと思います。


最後まで読んでいただき、ありがとうございました。


追記
高畠導宏さんは、コーチ時代に、選手を育てていく上において何かの役に立つだろうと、「教育論」の通信教育を受け、教員資格を取得していたとのことです。


人に負けてもいいんだ。自分に負けなければチャンスはある!  (高畠導宏)




                  「聳ゆる剣岳」

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フルスイング「夢」

2009年05月24日 | ドラマ

昨年の年末に家内が録画してくれた「フルスイング」というドラマを見ました。
これは、その年の1月から2月にかけてNHKで全6回に渡って放送されたもので、視聴者に大きな感動を与え、そのアンコールに応えて年末に再放送されたものとのことです。

ドラマの主人公の名前は高畠導宏、58歳。
彼はプロ野球の打撃コーチを30年勤め、たくさんの選手を育ててきました。落合も、イチローもその指導を受けているとのことで、彼が教えた選手たちのタイトルホルダーは延べ30人を超えているとのことです。しかし、58歳の時、球団から突然の解雇を告げられました。

さて、これからどうしようかという時、九州福岡のある高校から、2週間の教育実習をしてみないかと誘われ、「気分転換にやってみたら?」との奥さんの薦めもあり、1ヶ月後その高校へ赴任しました。
そして、2週間の教育実習のあと、ついに59歳で正式に高校教師となったのですが、そのわずか1年と1ヶ月後に、すい臓がんのため、他界しました。
しかし、そのわずか1年の間に、彼は生徒のみならず、教師たちにも多大な影響を与えていきました。

彼の葬儀が終わって落ち着いてから、奥さんが、「前から一度聞きたかったんですが、彼はどんな先生でしたか?」と先生方に尋ねると、ある先生は「高畠先生は、生徒たちにたくさんのものを惜しみなく与えられた素晴らしい先生です。教師たちも学校もたくさんのものを与えられました」と、ドラマの中で語っていました。

実際に、ある工場で働く高畠先生の教え子は、
「やめたい気持ちがあっても、自分の心の中に高畠先生がいるからやめない。天国から見てる」と、語っていました。

また、女子剣道部の先生は、それまで、生徒の悪い所を直そうと思って、厳しく指導してきたが、高畠先生に「コーチは教えないことだよ」と教えられたとのこと。そして、「高めの球に手を出して三振する選手に、高めに手を出すなと言い続けると、必ず高めの球に手を出す。良いことばかり言い続けると、そのうちに手を出さなくなる」と、高畠先生の言葉を紹介し、その剣道の先生も生徒のいいものを引き出すように指導方針を変え、いい成績がおさめられるようになったとのことでした。

わたしも、このドラマの1回目から、ボロボロと涙がこぼれるほど感動させられました。

さて、高畠先生は、はじめは気分転換の、とりあえずというつもりだったものの、わずか2週間の教育実習にかかわらず、たちまち真剣になっていきました。

教育実習の初め、担任の先生に「15分の時間を与えるから、生徒たちに何か話してください」と言われ、彼はとっさに夢を持つことの大切さを話し、生徒たちに将来の夢を聞いていきました。しかし、多くの生徒たちは面白半分で、あまりまじめに語ってはくれませんでした。

しかし、高畠先生はそんなことぐらいではめげず、かえって熱心になりました。
まず、生徒一人一人の名前を覚えようと、生徒たちに声をかけながら、写真を撮っていきました。そして、名前をメモし、必ずしもまじめでない、サラリーマンとか、日曜大工とかいう彼らの夢を書きこんでいきました。はじめは嫌がる生徒もいましたが、そのうちに、生徒の方から「先生、写真撮って」と寄ってくるようになりました。

そうして、あっという間に2週間の教育実習が終わろうとしました。
その最後の日、高畠先生は「もう一度、夢の話をしたいと思います」と、生徒たちに語りかけます。

高畠先生の夢はプロ野球の選手になることでした。そして、中学、高校と野球部に入り甲子園を目指しました。しかし、甲子園には出場できず、就職して社会人野球部に入ったのですが、彼が入部した年にその会社の野球部が休部になってしまたとのこと。それで、今度は大学に入学、その野球部で優勝し、プロ野球から指名を受けて、とうとう念願かないプロ野球選手になりました。しかし、またしても、不運が見舞い、その1年目に肩を脱臼し、バットが思うように振れなくなり、4年で引退したとのことでした。

高畠先生は生徒らに熱く語りかけます。
さあ、みんな思い出してくれ。夢はそれを持つ人間を強くして、励まして、迷った時に道を照らしてくれる。捨てきれんかった夢がワシを照らしてくれたんじゃあ。いろんな人の応援を受けてワシはプロ野球の打撃コーチになった。今度は選手を育てて、選手の夢を実現させることがワシの夢になったんじゃあ。それから30年間、無我夢中・・・。

さあ、ワシの夢の話はこれで終わりだ。
ここに君らの夢がある、とメモしたノートを生徒らに見せる。まだ若いできたてのほやほやの夢じゃあ。これがワシの宝じゃあ。これからワシは君らの夢を応援するでえ。どこにおっても、何をしとっても応援する。東京に戻っても、プロ野球のコーチに戻っても、君らの夢を応援する。 ええかあ、君らの夢を応援する人間が、この世に最低一人はいることをぜひ覚えておいてほしい。
そしてなあ、挫折したり、くじけそうになった時には、そのことを思い出してほしんじゃあ。

高畠先生の話に、いつしか真剣になっていく生徒たちのまなざし、そのまなざしには、激しく揺さぶられる心からの感動がありました。(つづく)



横浜「港の見える丘公園」にある日時計

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