気の向くままに

山、花、人生を讃える

冠山

2009年05月27日 | 
昨日は、岐阜県の冠山(1256m)に行きました。
冠山は揖斐川源流の山で、名前の如く冠の形をした山ですが、わたしには百人一首に描かれている女性の姿のように見えます。

標高約1000mの冠峠から、小さなアップダウンを繰り返しながらの、1時間30分程度の手ごろさで、実に雄大な展望を楽しめる人気の山です。
しかし、相変わらず視界は霞んでいて、雪をいただいた白山がかろうじて見える程度でした。

去年は6月中旬に来ましたが、少し時期をずらして、どんな花が咲いているかと楽しみでしたが、登山道沿いは、草や樹木の花、そしてこれから開こうとする蕾などがいっぱいで、今日も素晴らしい山行となりました。


冠峠と冠山。ここから登山がはじまります。



冠山の雄姿。小野小町か、清少納言か?



最後の急な岩肌を行く。



山頂で楽しい店開き。この日は蒸し暑く、けっこう汗をかきました。



向こうには、昨年完成したばかりの徳山ダムも見えます。(ただし、昨年6月の写真)



山頂近くにはタテヤマリンドウがいたるところに咲いていました。





登山道沿いには、チゴユリがいっぱい。





ユキザサも登山道沿いのいたるところに。これから最盛期を迎えるところでした。



ひとつだけ残っていた終わりかけのシャクナゲ。



コバイケイソウの蕾も膨らんできました。



サンカヨウ



スミレもいろいろ咲いていました。








朴の木の葉は、いかにも伸び伸びと大きく、豊かで気持ちがいい。



この山は、まだ秋には訪れたことがなく、見事な紅葉を見せてくれるナナカマドも多いので、今年の秋にまた来たいと思いながら帰路につきました。
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フルスイング「気力」

2009年05月25日 | ドラマ

さて、高畠導宏さんの2週間の教育実習はあっという間に終わりました。
教育実習が終わり、東京へ戻ると、プロ野球の球団からのオファがありました。
しかし、高畠導宏さんはそれを断り、教師の道を選び、翌年の春、59歳の新人教師として高校に赴任しました。

高畠先生の赴任の挨拶
「わたしはプロ野球という世界で野球一筋に生きてきましたが、昨年の教育実習で皆さんと出会い、挑戦者魂が再び沸き起こりました。夢を持ち、あきらめずに突き進めば、夢は必ず達成できるものです。
わたしはここに骨をうずめる覚悟で、皆さんと一緒にやっていきます。
皆さんの将来の糸口を探しだすための手助けを命がけでバックアップしていきたいと思います。」

というものでした。

高畠先生は、その挨拶の言葉どおりに、日々に、そして最後まで実践されました。
生徒たちを温かい目で見守り、そして、誰にも明るく積極的に話しかけていきました。スランプで悩む生徒には黙って見守り、相談された時には励まし、閉じこもる生徒には、何度も家まで足を運び、生徒の声に耳を傾けようとしました。

そして、ガンの宣告を受けながら、卒業式にはどうしても出たい、子供たちを見送りたいと、心配する奥さんをよそに、入院を伸ばし、卒業式の最後まで生徒たちと共に過ごしました。

その卒業式が終わった後の最後のホームルーム。ここで、高畠先生は生徒たちにはじめて自分がガンであることを打ち明けます。生徒たちはびっくりしながら、つづけて語る先生の言葉に耳を傾けます。

「こうして立っとるのも奇跡じゃと言われてしもうた。卒業式の後、東京に戻ることにした。東京で徹底的に治して、また戻ってくる。」
 そして、子供たちに贈る最後のメッセージを語り始めます。高畠先生の最後の言葉、どうぞ聞いてやってください。 
「ワシがみんなに贈る言葉はこれじゃ。」 (と、黒板に大きく「気力」と書きます。)
「気力とは何か?」
そう言って、生徒たちに聞いていき、ひとしきり、聞き終わった後、再び、「気力」について、自分の考えを力強く語り始めます。

「わしは、あきらめん気持ちこそ気力だと言いたい。
あきらめちゃあいかん! わしも、みんなもじゃ。9回、2アウト、ランナーなしでも、何点離されていても、あきらめん気持ち、これが気力じゃ。気力は人を思う気持ちで強くなる。人に思われることでもっと強くなる。わしはこの気力で病気と闘ってくる。必ず気力で病気を治してくる。みんなもこれからの人生、いろんな困難があるじゃろう。『もう、あかん』『もう、投げ出そう』、そう思うこともあるじゃろう。けどなあ、その時、この言葉を思い出してほしい。“気力”じゃ!。」

そう言いながら、高畠先生はおもむろにバットを取り出し、力を振り絞って、2回、3回とフルスイングします。肩で息をしながら休み、さらにつづけて、3回、4回とフルスイングします。
一息入れて、また繰り返します。
生徒たちは、そのフルスイングを、息を凝らして見ています。


高畠先生はこのように、「気力」という最後のメッセージを子供たちに残して、東京へ戻り、5週間の入院生活を送り他界されました。

女子剣道部は今も試合の時、各選手がマジックで腕に「気力」と書き込んで試合に臨むとのこと。
そして、野球部は、高畠先生の残した7カ条を、練習の後、毎日全員で唱えるとのことでした。
高畠導宏さんは約束通り、きっと、子供たちの心に戻ってきているのだろうと思います。


最後まで読んでいただき、ありがとうございました。


追記
高畠導宏さんは、コーチ時代に、選手を育てていく上において何かの役に立つだろうと、「教育論」の通信教育を受け、教員資格を取得していたとのことです。


人に負けてもいいんだ。自分に負けなければチャンスはある!  (高畠導宏)




                  「聳ゆる剣岳」

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フルスイング「夢」

2009年05月24日 | ドラマ

昨年の年末に家内が録画してくれた「フルスイング」というドラマを見ました。
これは、その年の1月から2月にかけてNHKで全6回に渡って放送されたもので、視聴者に大きな感動を与え、そのアンコールに応えて年末に再放送されたものとのことです。

ドラマの主人公の名前は高畠導宏、58歳。
彼はプロ野球の打撃コーチを30年勤め、たくさんの選手を育ててきました。落合も、イチローもその指導を受けているとのことで、彼が教えた選手たちのタイトルホルダーは延べ30人を超えているとのことです。しかし、58歳の時、球団から突然の解雇を告げられました。

さて、これからどうしようかという時、九州福岡のある高校から、2週間の教育実習をしてみないかと誘われ、「気分転換にやってみたら?」との奥さんの薦めもあり、1ヶ月後その高校へ赴任しました。
そして、2週間の教育実習のあと、ついに59歳で正式に高校教師となったのですが、そのわずか1年と1ヶ月後に、すい臓がんのため、他界しました。
しかし、そのわずか1年の間に、彼は生徒のみならず、教師たちにも多大な影響を与えていきました。

彼の葬儀が終わって落ち着いてから、奥さんが、「前から一度聞きたかったんですが、彼はどんな先生でしたか?」と先生方に尋ねると、ある先生は「高畠先生は、生徒たちにたくさんのものを惜しみなく与えられた素晴らしい先生です。教師たちも学校もたくさんのものを与えられました」と、ドラマの中で語っていました。

実際に、ある工場で働く高畠先生の教え子は、
「やめたい気持ちがあっても、自分の心の中に高畠先生がいるからやめない。天国から見てる」と、語っていました。

また、女子剣道部の先生は、それまで、生徒の悪い所を直そうと思って、厳しく指導してきたが、高畠先生に「コーチは教えないことだよ」と教えられたとのこと。そして、「高めの球に手を出して三振する選手に、高めに手を出すなと言い続けると、必ず高めの球に手を出す。良いことばかり言い続けると、そのうちに手を出さなくなる」と、高畠先生の言葉を紹介し、その剣道の先生も生徒のいいものを引き出すように指導方針を変え、いい成績がおさめられるようになったとのことでした。

わたしも、このドラマの1回目から、ボロボロと涙がこぼれるほど感動させられました。

さて、高畠先生は、はじめは気分転換の、とりあえずというつもりだったものの、わずか2週間の教育実習にかかわらず、たちまち真剣になっていきました。

教育実習の初め、担任の先生に「15分の時間を与えるから、生徒たちに何か話してください」と言われ、彼はとっさに夢を持つことの大切さを話し、生徒たちに将来の夢を聞いていきました。しかし、多くの生徒たちは面白半分で、あまりまじめに語ってはくれませんでした。

しかし、高畠先生はそんなことぐらいではめげず、かえって熱心になりました。
まず、生徒一人一人の名前を覚えようと、生徒たちに声をかけながら、写真を撮っていきました。そして、名前をメモし、必ずしもまじめでない、サラリーマンとか、日曜大工とかいう彼らの夢を書きこんでいきました。はじめは嫌がる生徒もいましたが、そのうちに、生徒の方から「先生、写真撮って」と寄ってくるようになりました。

そうして、あっという間に2週間の教育実習が終わろうとしました。
その最後の日、高畠先生は「もう一度、夢の話をしたいと思います」と、生徒たちに語りかけます。

高畠先生の夢はプロ野球の選手になることでした。そして、中学、高校と野球部に入り甲子園を目指しました。しかし、甲子園には出場できず、就職して社会人野球部に入ったのですが、彼が入部した年にその会社の野球部が休部になってしまたとのこと。それで、今度は大学に入学、その野球部で優勝し、プロ野球から指名を受けて、とうとう念願かないプロ野球選手になりました。しかし、またしても、不運が見舞い、その1年目に肩を脱臼し、バットが思うように振れなくなり、4年で引退したとのことでした。

高畠先生は生徒らに熱く語りかけます。
さあ、みんな思い出してくれ。夢はそれを持つ人間を強くして、励まして、迷った時に道を照らしてくれる。捨てきれんかった夢がワシを照らしてくれたんじゃあ。いろんな人の応援を受けてワシはプロ野球の打撃コーチになった。今度は選手を育てて、選手の夢を実現させることがワシの夢になったんじゃあ。それから30年間、無我夢中・・・。

さあ、ワシの夢の話はこれで終わりだ。
ここに君らの夢がある、とメモしたノートを生徒らに見せる。まだ若いできたてのほやほやの夢じゃあ。これがワシの宝じゃあ。これからワシは君らの夢を応援するでえ。どこにおっても、何をしとっても応援する。東京に戻っても、プロ野球のコーチに戻っても、君らの夢を応援する。 ええかあ、君らの夢を応援する人間が、この世に最低一人はいることをぜひ覚えておいてほしい。
そしてなあ、挫折したり、くじけそうになった時には、そのことを思い出してほしんじゃあ。

高畠先生の話に、いつしか真剣になっていく生徒たちのまなざし、そのまなざしには、激しく揺さぶられる心からの感動がありました。(つづく)



横浜「港の見える丘公園」にある日時計

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霊仙山

2009年05月21日 | 
昨日は滋賀県にある霊仙山(1084m)に登りました。
経塚山とも呼ばれ、古い時代には広い山頂周辺に寺があったとのこと。
琵琶湖の眺めが素晴らしいところですが、あいにく今日も視界が霞んでいました。

天気はよく、7時に登り始めて9時半に山頂に到着。
花が一段落しているせいか、この日も、お山のてっぺんでわれ一人、唯我独尊。
30度になるとの予想でしたが、山の上では、そよ吹く風が心地よい。

1時間ほど、のんびりして下山し始めると、ようやく一人登ってくる人がありました。

途中、すぐ向かいの斜面で一斉に何かが動く気配。
どうやらサルの群れがいるらしく、双眼鏡でのぞくと、いるわ、いるわ、10匹ぐらいはいる様子。樹木のてっぺんで葉を食べたり、ゆさゆさ枝をゆすったり。鹿も4,5頭いて、何があったのか、猿がキー、キーと大きく声を立てはじめると、鹿が逃げて行きました。

まだ時間が早くこのまま早々に立ち去るのも惜しいので、途中の緑いっぱいの木陰の中で、ゆっくり2度目のコーヒータイム。すると先ほどすれ違った人が、早々と下山していきました。

さて、この日も思わぬ山のプレゼントがありました。
ラン科のエビネが見られました。念のため図鑑で確認すると、「以前は山野でごくふつうにみられたエビネは取りつくされて、すっかり減ってしまった」とありました。
ラン科は今では、めったに見られない、どれも希少種です。

もう一つ、真っ白な、まだ蕾のようだったので、見つけた時には「どんな花が咲くのかなあ、惜しいなあ」と思いましたが、帰って、図鑑で調べてみると、どうやらギンランという、これもラン科の植物で、「通常、半開きのまま閉じる」と書いてあったので、「しまった、もう少しよく見れば良かった」と後悔しました。


さて、登り始めて間もなくの緑のトンネル。




中腹では、朝日の中、こんな花が迎えてくれました。レンゲツツジ(?)がちらほら。




見晴らし台に到着。はっきりしないけど琵琶湖が見えています。




見晴らし台から、ほんの少し行ったところで・・・エビネです。






さらに行くと、「お虎ヶ池」という池の神社。伝説があるのかな?




その池を覗くと、オタマジャクシがいっぱい。




山頂の一画から。(まぢかに伊吹山も見えてますが霞んでいるので省略)




下山時、向こうの斜面に猿の群れ発見。目一杯望遠にして、さて、写るかな。




今日出会った、その他の花たち。

山の上に咲いていた樹木の花のアップ  バラ科 リンゴ属  ?



ラン科 キンラン属 ギンラン


ラン科 サイハイラン属 サイハイラン
 


キキョウ科 タニギキョウ属 タニギキョウ  キク科 キオン属 サワギク


今日も最後まで見ていただき、ありがとうございました。


○あなたの価値を認めるのは他人ではない。あなた自身である。
まずはあなた自身と仲良しになることだ。
自分と仲良しになるためには、あなたの存在の尊さをあなたが認め、大切にしてあげることだ。
「愛と癒しのコミュニオン」より
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「愛と癒しのコミュニオン」

2009年05月17日 | 読書

鈴木秀子著書の「愛と癒しのコミュニュオン」という本を、昨年買って読みました。

その本には、「話を聞く」ということの大切さが書かれているのですが、元来、相手の話を聞くという気持ちが、はなはだ欠けていたわたしにとって、大いに勉強となりました。
その中に、「聞く」「傾聴する」ということの、象徴的で感動的な次のような話がありました。

それは、著者が或るキリスト教の神父さんに、どうして神父になったのですか?と質問した時に、神父が語ってくれたという話です。

神父は名門の家にうまれ、兄と二人兄弟だったのですが、兄は学業の成績が良く、その神父は成績が悪かったとのこと。

小学校5年の終業式の帰りのこと、もらった通知表を見ると落第点がたくさんあり、さらに、親の呼び出し状がついていました。家の中に入りにくくてためらっていると、かわいがっていた犬が飛び出してきたので、少年は犬と一緒に野原へ向かいました。

少年が野原の中に座ると、犬もそばに座り、全神経を集中したように、少年の顔をじっと見上げていました。少年はその犬を抱きしめ、語り始めました。

「僕はお兄ちゃんのように頭もよくないし、どんなに頑張ってもできないんだ。村で有名なうちに生まれて、将来、人のためになるんだぞと言われ続けているんだ」

「本当に辛いんだ。先生に叱られて、両親に手紙を渡しなさいと言われて。お兄ちゃんみたいになりたいんだけど、出来ないんだ。お父さんもお母さんもわかってくれない。わかってくれるのはお前だけだよね」

犬はひたすら、世の中にこの少年しかいないという目で見つめていたそうです。

少年は続けて語ります。
「やってもできないことがどんなにつらいか、わかるよね。一生懸命頑張ったのに、お母さんに叱られたり、もっと頑張りなさい、と言われるんだ」

少年は胸の内のありったけを犬に向かって話し続けました。犬は少年の顔を見ながら、じっと聞きいっていたとのこと。
そして、少年は胸の中の思いを全部吐き出し終えたとき、こんなことを思いました。

「こんなに自分のことを分かってくれるものがいる。勉強ができるとかできないに関係なく、自分に対してこんなに忠誠と愛情を注ぎ、この世の中で一番大事な存在として扱ってくれるものが・・・」と。

その瞬間、少年の心がスーと霧が晴れるように晴れていき、突然神啓を受けたような感じになったそうです。

「神様は自分を、こんなふうに見ていてくださる!」と。

そして、この時の経験から、自分と同じように悩んでいる人に、神様がこんなに愛してくれているとことを伝えたくて神父の道を選んだということでした。

著者の鈴木秀子さんは、本の中で次のように書いています。

○人は、ストレスがたまったとき、それを吐き出す必要がある。最も効果的なストレスの吐き出し方は、人に話を聞いてもらうことなのだ。誰かが、そういう状況の時は、聞く方は、ただひたすら聞くことに専念することが重要である。解釈や提案などせず、ただ「なるほど」と言って、聞いてあげるのである。

これは、自分もよく経験してきました。所謂、愚痴るというやつですが、そんな時、相手が黙って聞いてくれた時には、もうそれだけでずいぶん気持ちが軽くなりました。
だけど、自分はどれだけ人の話を黙って聞いてやったかと大いに反省させられました。

著者は次のようにも書いています。

○「傾聴」することで、話し手は自分で解決していく知恵を出すことができる。
誰もが自らの問題を解決する能力を秘めているからだ。

○愛とは全身全霊を傾けて聞くこと、受け入れることに尽きる。
つまりその人と共に存在すること、それが愛。

わたしにとっては、目から鱗でした。
それまで、わたしには人の話に耳を傾けようなどという意志はまるでありませんでした。
もちろん、そんな意志はないままに、人の話を聞くことはあったでしょうが・・・。
これからもできるとは思いませんが、大切なことだというのはよくわかりました。


最後まで読んでいただきありがとうございました。

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竜ヶ岳

2009年05月15日 | 
昨日は、またまた、休暇が合わずに見られなかった花を見に行きました。
シロヤシオですが、三重県鈴鹿山地の竜ヶ岳に多いようなので、そこへ行きました。

この日の登山者は自分一人だったようで、誰にも逢わず、絶景の独り占めでした。

ただ、すこぶる風が強く、壮観な眺めを前にしながら、風に追い立てられるようで、「こんな素晴らしい絶景を前にして、そんなにせかすな」と、山頂でおにぎりをほおばり、湯を沸かしてコーヒーを飲んでいるうちに、くしゃみが連発してきて、風邪をひきそうでした。

さて、稜線に出ると、目指す山の反対方向には、こんな光景が広がっていました。
片面は一面の笹原、片面は緑の灌木と、稜線を境にして真っ二つです。
なんとも奇妙な美しい光景に、驚きと、感動がいっぺんにやってきました。




稜線を少し登っていくと、目指す山、竜ヶ岳(1100m)が見えてきました。
一面の笹原の中をシロヤシオが点々と続き、胸が、高鳴ってきます。




シロヤシオのアップ




竜ヶ岳がさらに近づいてきました。




頂上直下から歩いてきた方向を見下ろす。その左手斜面。




右手斜面。2枚






登ってきた道と反対方向へ下る途中のシロヤシオ、3枚








下山途中の尾根から望む釈迦ヶ岳。美しい山容で、登山意欲をかきたてます。
(この方向からは分からないが、寝釈迦に似ているとのこと)




「重ね岩」と、言われています。




下ってきた方向を振り返る。
左手に見える大きな岩が「重ね岩」です。



以上、最後まで見ていただき、ありがとうございました。

追加


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無題

2009年05月13日 | 人生
昨日、4月の初めに他界した叔父の半身、つまり叔母から電話があった。

わたしの家内がいるかというので、用で出かけているとわたしは答えた。
家内は民生委員をしているのですが、その民生委員はどういうことをするのかと聞くので、よく知らないが、年寄りの家を訪ねて様子を見に行ったり、何か世話をしたりするんだろうと答えた。

話が変わって、「お父さんと旅行に行った時の写真がたくさんあるので、二人で見にきて」と言いつつ涙声になって、電話が切れた。

叔母の息子は、どういうわけかまだ独身で、その息子と二人暮らしになったが、息子が会社へ行っている間、一人、写真を見ては泣いているのだろうか? 寂しさにいたたまれなくなって電話をしてきたのかと、落ち着かない気持ちになった。

こんな自分が行ってもと思ったのですが、伯父が行ってやってくれと、頼んでいるような気もしたので、とりあえず、顔を出してみた。いろいろな思い出話を、ときどき涙声になりながら話してくれたが、思ったより元気そうなので少し安心しました。

帰りがけ、また来てね、とのことだったが、後は民生委員にお任せ。
民生委員、頑張ってちようだい!


叔父の葬儀の時、久しぶりにわたしの父の妹の娘にあった。

山登りが好きで、ブログを出しているというので覗いて見ると、いかにも花好き、山好きというのがよく伝わってくる。クマガイソウの情報を教えてくれたのは彼女で、希少種が盗掘にあってはいけないので、花の情報はメールにしたいとのこと。
それで、メールでの情報交換が始まったのですが、そのメールの中に、

山歩き、楽しいから行く訳だけど、
単なるレジャーとは違いますもんね。
修行とも違うけど…
本来の自分を取り戻すような…


自分にとっても、まったく同感される言葉で、山歩きの本質をうまく言い表していると感心しました。


○目を凝らしなさい。耳を澄ましなさい。
次に聞く歌、次に読む記事、次に見る映画、次に出会う人の言葉、次に聞く川や大洋の波の音、耳に触れるそよ風のささやき、すべてがわたしの道具だ。すべての道がわたしに向かって続いている。
あなたが耳を傾けるなら話してあげよう。あなたが招くならそばに行ってあげよう。
そして、いつもそこにいたことを教えてあげよう。あらゆる方法で。

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迷いはどこからきたか?

2009年05月12日 | 人生
人間はこの世にあって、誰もが幸せであることを願っています。しかし、現実の人生の中では、いろいろ不安や悩み事が生じたりしてきます。

「迷い本来なし」と、喝破できれば問題はないのだが、そう簡単なことではない。

しかし、「迷い本来なし」と喝破できない人のために、ここにいい話があります。
すなわち、「迷いはどこから来たか?」という話であります。

普通、わたしたちは自分が歓迎すべからざる嫌なことが起きたり、また、他を非難するような心を起こすとき、自分は駄目だと思ってしまう。

ところが、そういう迷いは自分が駄目だからではなく、「本来仏であるからだ」ということが「神真理を告げ給う」の中に書かれています。それを概略すれば次の如くなります。

○神は自分の素晴らしさを表現せずにはいられない。
作曲家は自分のうちにすでに持っているところの素晴らしい音楽を外に表現せずにはいられないように。また歌手が自分の素晴らしい声で、歌を歌わずにはいられないように。

○神は、ご自身の素晴らしさを表現するための精神的基礎工事として、人間に時間空間の観念を与え、光の波動を物質的具体的存在として感ずるようにせられた。これは、神の素晴らしさを表現するためのキャンパスであり、地上天国建設の第一歩である。

○光の波を物質的具体的存在として感じる、すなわち「物質あり」と感じる精神的基礎工事が、別の面から言えば迷いの発生ということにもなる。

以上をわかりやすく簡単に言えば、本来仏である人間が、あえて迷いを覚悟の上で、地上天国建設のために地球に降り立った、それが地球上のわたしたち人間である。ということになるのではと思います。

わたしたちは、迷う。
しかし、迷ってもそれは迷っているのではなく、地上天国建設の一歩一歩である。

わたしたちは、迷ったから地球に生まれたのではなく、一人一人が、地上天国建設という使命をいただいて、この地上に誕生してきているんですね。そう思うと、なんだか晴れ晴れとしたうれしい気持ちになってきませんか。

昨日、伊吹山に登ったのですが、伊吹山は日本武尊(ヤマトタケルノミコト)のヤマタノオロチ退治の神話で有名なところです。そして、眼下に広がる琵琶湖を眺めながら、日本武尊に思いを馳せつつ、そんなことを思い、とってもうれしくなってきたのでした。ありがとうございます。




  おお! おお!

(帰りに百名水である泉神社湧水を汲み行き、その神社の境内にあった杉。樹齢の記載なし)

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伊吹山

2009年05月11日 | 
退職して、はや40日が過ぎました。
いやあ、早いものですね。
ついこの前は、ようやく草が萌えだしたばかりだったのに、春の草花は次々と咲いては散っていきました。そして、すでに初夏の花が顔を出そうとしています。
裸だった木々も花を咲かせ、緑の若葉をふさふさと茂らせています。

ああ、いいですねえ、この季節は。
まさに、みずみずしく、いのちが萌えいずる季節ですね。

咲き誇った生垣のツツジが散りはじめ、20年前に、妹が北海道旅行の土産に買ってきてくれたニッコウキズゲの仲間のエゾカンゾウという花が、早くも黄色の花を咲かせ始めました。
そして、花屋さんには、もうアジサイが並んでいます。

外航の時にはいつも春に休暇を取り、2ヶ月の休みがありましたが、職場を変わってからは、10日と少しの休みで海上に戻り、次に下船した時にはもう季節が変わっておりました。
だから、このようにたっぷり春を堪能できたのは35年ぶりのことです。
水を得てゲロゲロ鳴くカエルのように、わたしも、ゲロゲロと昨日も山へ行きました。

伊吹山(1377m)の登山道は草原の中をジグザグに登ります。






そして、道沿いにはいろいろな花が・・・
3合目にはホタルカズラ    3、4合目あたりはオドリコソウがいっぱいでした。 






頂上付近には
フデリンドウ               アマナ




そして、ニリンソウと下は一面のニリンソウ



その他、いろいろ季節の花がいっぱいでした。


ちょっと、視界が悪いのですが、琵琶湖の海岸線(写真上の境界線)、




登って来た3合目を見下ろす。




そして、これが3合目から見た伊吹山です。この山には、もう43回も上りました。
この日も、5月のさわやかな風が心地よく吹いていました。




伊吹山、今日もありがとう。


      ケキョケキョと睦びかわすや春の山

      谷を行き尾根踏み越えて春惜しむ



この1週間、夕は聖経の代わりに「神真理を告げ給う」を仏前で1章づつ、拝読させてもらいました。

○今、あなたは地球上の“現世”というページの上で活躍している人物である。と同時に、神の『心』のうちに常にあり、神から忘れられることなく慈しまれ、愛され続けているのである。

○あなたは神の『心』のうちに常に在り、神の『心』の中から遁れることは出来ないし、神の『愛』の
中から遁れることも出来ないのである。あなたは常に神から愛されている「神の愛し子」であるのである。このことをあなたは忘れてはならないし、このことをあなたは常に憶い出して感謝しなければならないのである。

とあり、ジーンときました。


○言っておくが、あなたはこの世のものであって、この世のものではない。

○天国も地上も過ぎ去るが、あなたは過ぎ去らない。



最後まで見ていただき、ありがとうございました。
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簗谷山

2009年05月07日 | 
岐阜県のほぼ中央に位置する簗谷山(1213m)に、めったには見られなくなった希少種のクマガイソウが見られるというので、5月4日の早朝、家を出ました。

登り始めて20分、枯葉の積もった前方斜面に緑の一叢を発見。
もしや、あれが・・・?

近づくと、




あれえ、何か目障り。まあいいか。



初見参、クマガイソウ(ラン科)。







新緑の森の中では、澄んだ、変化のある素晴らしい囀りが、心地よく響いていました。
クロツグミと思ったら、クロツグミは夏鳥とのことで、違っていました。
何という鳥か、気になります。

稜線に出ると、まずカヤシオ・・・・、




ブナに・・・






ミズナラの古木・・・




そして、山頂へ。
周囲は山、また山の大展望でしたが、この日は曇り空で視界もあまりよくなかったので、いい写真はとれませんでした。
絶景を眺めながら腹ごしらえして、反対側のコースを下り始めると・・・
熊五郎ドンの爪痕





無事に谷に近づくと、最後は、ヤマシャクヤク。






連休なのに思いのほか人気がなく、すれ違ったのは3組だけでした。
立派なブナやミズナラにもたくさん出会えて、今日も大満足の1日でした。
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若い時を振り返って

2009年05月05日 | 人生

わたしは、中学生の頃まで、作文や読書感想文を書くのが大嫌いで、三年生の時、「なにも感動しなかったから、書くことがありません」と書いて、大目玉をくらったことがありました。

そのくらい嫌いだったということですが、それで、冗談のような話ですが、その頃、「大学の論文はどのくらい書くのか?」と、友達に聞いたとき、その友達は「知らんけど、100枚ぐらい書くんじゃないか」というので、それを聞いて、「大学へは行かないぞ」と決めました。

それで、父が「商船高校を受けてみるか」と言ったとき、そこなら大学へ行く必要のないことを知っていたので、即座にそれに飛びついて、そこへ進学することになりました。

寮へ入って1ヶ月ほどした頃、中学で同じクラスのひそかに憧れていた彼女から手紙が来ました。わたしは一変に舞い上がり、何回かの手紙のやり取りの後、とうとうラブレターを書いて、そして失恋しました。

横浜で実習していたとき、高校を卒業し就職した彼女から再び手紙が来たのですが、まだ彼女が好きだったので、また火が付きました。彼女を思うと胸が締め付けられるようでした。どう書いても、自分の気持ちを言葉に表すことができず、手紙を、書いては破り、書いては破りししながら、気持ちを言葉にしたいと一生懸命でした。彼女も真剣にわたしの手紙に付き合ってくれていましたが、半年ほど続いた後、結局は失恋とあきらめ、手紙を出さなくなりました。

わたしが卒業して21歳になり、友達から彼女が結婚したという話を聞いたときは、「これで終わったな」という気持ちと共に、シーンと静まり返った気持ちになりました。

おかげで、あれほど文章が苦手だった私も、なんとか気持ちを言い表すことができるようになったし、こんなに夢中になれる女性にめぐり逢えたことを、実に幸せだったと思う。彼女には、「ありがとう」と心から感謝したい。

職場などで恋愛の話になると、多くの女性と付き合った方がいい、という人がけっこういたが、惚れるということは、そういうことではあるまいと思う。

卒業とほぼ同時に「生命の実相」を知り、就職浪人中に半年で全巻読み、入信しました。
それは昭和45年のことで、三島事件が起きたのもその年だったと思う。
全共闘が暴れている頃で、谷口雅春先生の愛国の書が、その40年代にはたくさん世に出されていました。
それらの本を夢中になって読んでいましたが、その感化を受けて、愛国心などとは無縁だった私にも、自分の中に愛国心が芽生えてきたようでした。

生命の実相を知る前の19、20歳の頃、戦争の本などを読んでいましたが、第二次大戦中の日本軍の勇ましい戦いぶりなどに胸を踊らせ、死を恐れぬ日本国を思う気持ちに憧れたりしていましたが、その気持ちがどんなものかは想像できませんでした。ただ、その頃は、自分も死にたい気持ちがあったので、このように勇ましく死んで行けたらいいなあと、そういう人たちを羨ましく思ったりしていました。

愛国心が自分の中に芽生えてきたとき、「自分の中にも愛国心があった!」と、とてもうれしく思いました。

また、「現象がいかにあろうとも、日本建国の理念は現象に先立ち、不滅であり、永遠に変わらざるもの」という思想は、「永遠に愛することができる、変わらざる対象」を見つけた喜びでもありました。

人との恋愛はどんなに恋い焦がれても終わる時が来る。しかし、国を愛するとき、終わりが来るということはない。当時は、そんな喜びでした。

しかし、そんな喜びも、やがては自分を天狗にさせ、自分ではそんなつもりは毛頭なかったのですが、だんだんに愛国者、あるいは憂国者気取りになっていきました。
愛国心を右翼のように言う人たちの言動に腹立たしくなったり、他国を批判する気持ちも強くなってくるなどして、心が穏やかでなくなっていき、またそんな自分に嫌気もさしてきました。
それで、愛国心は忘れて、人間神の子の道を進もうと思うようになりました。(思うようには進めなかったのですが)

しかし、たとえ偏狭でも、ともかく愛国心を目覚めさせていただけたことを心から有難く、幸せに思います。
一度芽生えた愛国心はたとえ小さくても失われることはなく、遅々としながらも胸の奥で育ち続けていると思う。

人は、自分を夢中にさせてくれる「素晴らしいもの」を求めているに違いないと思う。
しかし、その「素晴らしいもの」は、現象を見ている限りは見つけにくいし、そんな「素晴らしいもの」があるとは信じられないのかもしれない。自分もそうだったし、時たま、生命の実相に出会うことができただけで、そうでなかったら、わたしもまた今頃はどうなっていたか分からないと思う。
なかなか「み教え」を他に伝えることができず、残念に思っているのですが、せめて、若者たちの気持ちは理解してあげたいと思っています。

次に長々と引用させていただくのは、ニール・ドナルド・ウォッシュというアメリカ人の著書、「神との対話」という本からですが、非常に感銘を受け、考えさせられ、また神の慈愛あふれるまなざしに涙させられたところでもありました。読まれている方もあると思いますが、紹介させていただきます。

○あなたがたの世界は物騒になった。それはそのとおりだ。だが、学校で教えたことのためにそうなったのではない。学校で教えなかったから、そうなったのだ。
あなたがたは、愛がすべてだと学校で教えなかった。無条件の愛について学校で語らせなかった。

○若者たちはあなたがたの暮らし方を破壊している。若者とは常にそういうものだ。だから、あなたがたは彼らを抑えるのではなく、励まさなければいけない。

○熱帯雨林を破壊しているのは若者ではない。彼らは熱帯雨林の破壊をやめさせようとしているのだ。
・・・・略・・・・
オゾン層を破壊しているのも若者ではない。・・・・略・・・・
弱者や恵まれない人たちの問題を無視し、すべての人々を養って余りあるこの地球に暮らしながら、毎日何百人もの人々を餓死させているのは、若者ではない。・・・略・・・・
偽りに満ち、人の心を操る政治を行っているのは若者ではない。
彼らはそういうことはやめてくれと言っている。やめてくれといっているどころか・・・哀願している。

○世界を変えようという若者の叫びや願いが聞き入れられず、叶えられないとき、若者の理想が押しつぶされるとき、愚かでない若者は次善の行動をとる。あなたがたを説得できないのなら、と、あなたがたと同じことを始める。

○彼らが暴力的なら、それはあなたがたが暴力的だからだ。彼らが物質主義者なら、それはあなたがたが物質主義者だからだ。彼らが狂気じみたふるまいをするなら、それはあなたがたが狂気じみたふるまいをするからだ。
若者と年長者の違いはただ一つ。若者は大っぴらに行動するというだけだ。

○第一に、彼らを霊的な存在として扱いなさい。彼らは、物理的な存在に宿った魂だ。魂にとって、肉体に宿るのはやさしいことではない。肉体になれるのも優しいことではない。とても窮屈で狭苦しいものだ。だから子供たちは息苦しくて不意に泣きだす。その泣き声を聞いてやりなさい。理解してやりなさい。そして、子供たちにできるだけ「ひろやかな」心を持たせてやりなさい。

○どうして、子宮から出たとたんに赤ん坊をたたくのか?本当に、そうしなければエンジンが動き出さないと思っているのか?どうして、母親から赤ん坊を引き離すのか?身長や体重を測ったり、つつきまわすのはもう少し後にして、まず、母親という、いのちを与えてくれた存在の、安らぎと心地よさを味わわせてやってもいいのではないか?・・・・略・・・・
どうして、子供たちに動きや音楽、芸術の喜び、おとぎ話の神秘、生命の驚異を教えないのか?
どうして、子供の中に自然にあるものを引き出さずに、不自然なことを強要するのか?



最後まで読んでいただきありがとうございました。合掌

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イワザクラとヒトツバタゴ

2009年05月02日 | 
先日、山へ行き、初めてイワザクラという花を見ることができました。
こんな花です。(4月28日)



谷沿いの大きな岩壁の割れ目、高さ3メートルほどのところに4株ほどありました。ただ、花の終わりかけで、完全に残っていたのはこの1株だけでした。峠で会った人と話しをしていたら、ネット上では秘密の場所になっているとか。
絶えず小刻みに風に震えていて、その様子が何とも可憐でした。  


公園では、ヒトツバタゴの花が満開になっていました。
ヒトツバタゴはどこにでも自生している木ではなく、中部では愛知、岐阜、長野、九州では対馬とのこと。
最初発見されたとき、何の木か分からず、「なんじゃ、もんじゃ」と言っていたので、別名ナンジャモンジャとも言われているそうです。
真っ白で、本当にさわやか。今頃にふさわしく、毎年見るのを楽しみにしています。
こんな花です。(5月1日)










これが何本も並んでいると、実に壮観です。(風に揺れているので写りはよくありませんが)




見ていただき、ありがとうございました。
よきゴールデンウイークをお過ごしください。



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前回記事の補足

2009年05月01日 | 人生
「責任感と無責任 2」の中で、

>他への「責任は果たすべき」という要求も捨て、「人はお互いに自由なんだ」ということを、よくわからせてもらいました。

と、書きましたが、この言葉は誤解を生みやすそうな感じもするので、少し補足させてもらいます。

ある人がお金を貸して、借りた人がそのお金を返さなかったら、返すように請求するのは当たり前のことで何も間違ったことではない。しかし、いくら請求しても返してくれない人もいます。そのような時、生長の家では「返してもらおうと思うのはやめなさい」と指導したりします。
(徳久先生は常識を超えた世界、有無相対を超えた世界とか言っておられましたが)

わたしの場合も、これと同じように、本に書いてあった言葉にびっくりして「責任を果たすべき」という心を捨てることがてきました。

職場では、それぞれに役割があり、また社内規定などもあって、役目を果たし、時間を守ったりするのは当たり前のことで、それを守らない者がいれば注意するのも当たり前のことで、反対に注意しないのは、職務怠慢かもしれない。とは言っても、実際にはそれでうまくいかないことが出てくるので、そういう時には宗教的世界へ入る必要に迫られてくるかと思います。
しかしながら、そうかと言って、その宗教的世界のことを、そのまま常識的世界へあてはめると、それもまた、身動きできなくなってしまう恐れもあるような気がします。それで念のため、このようなことを付け加えさせていただきました。

もうひとつ。
「責任を果たすべき」という強い言葉を使っていますが、何度も注意の必要に迫られていると、だんだん「責任を果たすべし」という強く要求する気持ちになっていたので、そのまま、こういう言葉を使わせてもらいました。

以上、蛇足のような気もしますが、気になりましたので書き加えることにしました。
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