気の向くままに

山、花、人生を讃える

コスモス、そして猫とホトトギス

2010年10月24日 | その他
下の写真は20日に木曽三川公園で撮ったもの。
この日は空が厚い雲に覆われて昼間でも夕方のように暗い日でしたが、コスモスが咲いているところだけが浮かび上がるように明るく、毎年おなじみとなっている風景なのに、今回は思わずあっとなるような素晴らしい眺めでした。





次は猫。
どんな猫かというと、こんな猫である。
隣(右)の写真のホトトギスを撮ろうとカメラを構えていると、「俺も撮れよ」と言わんばかりに突然にあらわれて近づいてきた。馴れ馴れしい猫だと思いながら、そのなれなれしさに免じて撮ってやろうとしたら、横を向いてしまったので、またホトトギスに焦点を合わせ治していると、また顔を出してきた。猫のくせにまるで私に用でもあるかのような素振りである。
それで思わず猫の顔を見た。
するとその瞬間、この猫は・・・、
なんと、わたしの両の足の間を悠然とくぐりぬけていったのだ。
それは、あっと思う間もない意表を突いたものだった。
そして、くぐりぬけたあと、「どうだい!」と言わんばかりに、座りこんでポーズをとったのがこの写真。つまり、猫を敵のように思っている私を一目ぼれさせてしまった猫というわけである。
 


ところで、この猫の写真を撮ったのは船頭平公園と呼ばれているところ。
この船頭平公園は、木曽川と長良川とは水位が違うので漁師が両の川を舟で行き来できるように水位調整するための水門が設けられているところです。
初めて訪れた時、この水門がゴッホの絵の「跳ね橋」に似ているところが気に入ってよく訪れるようになったのですが、小さいながらも静かで四季折々の花が楽しめ、また水に囲まれたとても感じの良い公園なので、今もよく訪れています。

以下は以前にこの公園内で撮った写真ですが、時期はまちまちです。

(左)ゴッホの「跳ね橋」を連想させる水門   (右)水門が開いたところ。
 

(左)水門の中。ここに舟が入ると、入口側の水門が閉じられ、出口側と同じ水位に調節されたところで、今度は出口の水門が開いて、舟が出ていきます。(右)公園から見た船着き場
 

(左)蛸の足を連想させる木。樹種はスダジイ  (右)アヒルもおるでよ。
 
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不離一体

2010年10月06日 | 人生
夏の名残りの「あさがお」が、まだまだ健在、というよりますます元気。
毎日50もの花を咲かせています。

今は、夏とは違って涼しくなったせいか、夕方まで咲いています。
これは午後の3時30分に撮ったもの。

種がこぼれて芽を出さないように、翌日には萎れた花柄を一つ一つ摘んでいます。




次は富士山の頂上からの御来光(9月5日)。
とは言っても、わたしが登ったのではなく、長男が職場の同僚と登ったときのもの。
山開き中の最後の日曜日だったらしく、天気も良く、大渋滞だったとのこと。
一面の雲海の彼方から顔を出し始めた御来光が素晴らしい。




昨日の「クローズアップ現代」は、妻に先立たれた男たちのことが取り上げられていた。
ゲストは聞き洩らしたが医学博士だったようで、「何度もそういう別れの場面を見てきたが、いざ自分にそれが現実となったとき、これほどとは想像しなかったぐらいに落ち込んだらしい。
また、このゲスト出演者に限らず、妻に先立たれた男たちの多くがそんな状況になるようである。

なるほどわかる気がするが、いざ現実となると、想像しなかったほど深刻な状態になるということなのだろう。
そうなっては困るが、どんな気持ちになるのか、経験してみたい気もしないでもない。
どんな悲しみか、そして、それがどれほどなのか?

そんなことを思いつつ、月に一度ぐらいは「今日が最後」というつもりになって、ありったけの感謝の気持ちをあらわしてみるのも良いかもしれない、などと考えたが、家内が気持ち悪がるといけないからやめておくことにした。

いずれにしても、生まれてくるのも一人だし、この世を去る時も一人である。
そして、知っていても知らなくても、例え幽明を境にしても不離一体であることに違いはない。
離れたり、くっついたりしながら、私たち人間はすべてと一体である本当の自分を思い出していくのだろうと思う。
家内は、わたしにとって、そのことを共に学び思い出していく最も身近な相手であり、もっとも身近な存在なのである。
感謝。
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お宝

2010年10月05日 | その他
先日、家内に誘われて「愛知トリエンナーレ」(現代アート展)に行きました。
とは言っても、わたしにはどこがアートなのか分からないものも少なくなかったし、大きな作品が多く、アートというより遊び心で作った作品という感じでした。その無駄が面白いと言えば面白いのだが。

だが一番面白かったのは、メイン会場の名古屋市立美術館と愛知県立美術館の二つの会場を結ぶ人力タクシーに乗ったことでした。この人力タクシーとは、知らなかったのですが、愛知トリエンナーレ用のエコタクシーとして導入されたものらしい。

で、乗る予定はなかったのですが、市立美術館を出て少し歩いたところで運よくその人力タクシーが目の前を通りかかったので、「いくら?」と聞くと、「無料ですが、トリエンナーレのチケットはお持ちですか?」と聞くので、今見てきたところだから持ってるよ」というと、「じゃあ、乗り場はあちらですが、そこまで乗って行きますか?」というので乗せてもらった。そして10分後(運転手の休憩時間らしい)、あらためて、そこから県立美術館へと向かいました。

名古屋の繁華街を通るので、車の交通量は多く、そんな中を人力タクシーで行くのだから妙な気分です。まるで100年前の人間が、怖々(こわごわ)あわただしい現代風景を見ているような感覚でした。
おまけに、その人力タクシーの運転手は、家内が「あんな女の子に、私たち二人も乗って大丈夫だろうか、なんだか申し訳ないね」と、心配するほどの華奢で可愛い女の子ときていたので、これもいかにも逆さまな感じで、普通ならあり得ないこと。
こうして、人力タクシーで名古屋繁華街を行く30分間の旅となりましたが、楽しい時間でした。カメラを持参しなかったのを、二人でさんざん後悔したことでした。

昨日は、「出張、なんでも鑑定団」を見に行きました。
テレビじゃなくて、生です。
わが町は今年の3月に三つの町が合併して市になり、その記念行事の一つとして、この人気番組を「わが町で」と呼んだのです。そして家内が応募していたのが大当りとなったので見に行きました。
ただ、家内はこの日は都合が悪かったので、変わって娘が同伴者となりましたが、予想以上に笑わせてくれて2時間もあっという間でした。娘も「楽しかった」と喜んで帰って行きました。
11月2日に放送されるそうです。2時間が20分程度になるそうなので、面白さは半減されるかもしれませんが、気が向いたら見てください。


ところで、わたしのお宝は・・・・これ。

今まで『甘露の法雨』のお守りをいろいろ買っていますが、結局、肌身離さずとはいかなかった。というより、ほとんど持ち歩かなかった。
それで遠に自分には無理とあきらめていたのですが、今回の団参でネックレスが欲しくなって思いきって買いました。これで、ようやく『甘露の法雨』と“切っても切れない仲”となった次第。こういうのを不離一体とも言うんだよね。うれしいなあ。

ついでに、
家内は「鈴」を買ったらしく、今朝、仕事に出かける時、その鈴を振ってくれました。
なかなか気分のいいもので、思わずニヤけてしまったことでした。
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御縁

2010年10月01日 | 人生
今回の団参中、小菊さんに逢うことができました。いくつかの偶然が重なって・・・。

実は私自身は、お逢いしてみたい気持ちもありましたが、逢いたくないという気持ちもありました。
逢いたくないというのは、全くの自分の都合、つまり自分の正体、自分の現実は知られたくないからですが。

そんなことから、特に「お逢いしましょう」というような約束はしていませんでした。
約束していなければ、お互いにブログでしか知らない同士ですから、先ず逢える可能性はないと思っていました。それでも、もし逢うことがあれば、それはどんな偶然からだろうと、楽しみでした。

わたしに考えられたのは、だれかがブログの話をしていて小菊さんの名前が出て、ちょうどそこを私が通りかかって耳にした時・・・。
だが、そんな都合の良い偶然があるだろうか?
あったらまさに奇跡ですね。

さて、団参の最終日の前日、雨天の中、奥津城参拝がありました。
その後、住吉霊宮を参拝し、温故資料館をゆっくりと見学させてもらいました。
その住吉霊宮に着いた時、背後の山並が雨に煙り、3つの灯台が薄いガスの中に見え隠れしているその様子がなかなか良かったので、家内をモデルに立たせて写真を撮っていました。その時、近くにいた同じ地区の誌友が、「一緒に撮ってやろうか」と声をかけてくれたので、「じゃあ、せっかくだから」と、家内と並んで撮ってもらっていました。

すると・・・ちょうどその時に住吉霊宮の参拝を終えたらしい小菊さんが通りかかったのでした。
そして、人違いかもしれないところを勇気を出して、わたしたちに声をかけてくだいました。
多分、このブログに掲載した、山で二人並んで写っている写真と重なったのかと思います。

最初に家内に話しかけられたので、わたしはてっきり家内の知り合いかと思い、気づくのが遅く申し訳ないことでしたが、ここで偶然が起きるとはまったく予想もしていませんでした。

御縁というものは不思議なものです。
楽しみにはしていても、名前も知らず、実際に逢ったこともない人を、800人もいる中から見つけるなどということは、余程の偶然でも起きない限り難しいと思っていましたが、その偶然が重なって、本当になってしまいました。

第一に、団参中、家内は他の白鳩さんと行動を共にしているので、わたしと連れ立って歩くのはこの時だけでした。昨年は、この時も別行動していました。

第二に、ときたまわたしと親しい誌友さんが近くにいて、「一緒に撮ってやろうか」などと言ってくれたので、「じゃあ、せっかくだから」というので撮ってもらったのですが、このように声をかけていただいても、目的の半分以上は記念写真というより景色を撮ることなので、断ることの方が多い。

第三に、そこへちょうど小菊さんが通りかかったこと。あるいは逆に、小菊さんが通るタイミングで私たちが並んで写真を撮ってもらっていたこと。(これが決定的な一番の偶然ですね)

第四に、他のほとんどの人はもう温故資料館に向かっておられて、そのあたりにはほとんど誰もいなかったこと。もし、わずか10人ほどでもその前を傘をさして歩いておられたら、あるいは気付かれることもなかったかもしれません。

こうして、必然の偶然が重なってお逢いすることが出来たのですが、それでも人違いの可能性もあったわけで、声をかけていただき、本当に嬉しく思いました。

もうひとつ、昨年と同じくyoshimiさんご姉妹も参加されておられて、少し話が出来たのですが、お二人から讃嘆の雨をいただいて、舞い上がってしまうほどでした。
これもうれしい、記憶に残る良き思い出です。

感謝、合掌。





        ありがとう 今ありがとう 神いのち

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