気の向くままに

山、花、人生を讃える

ある夕景

2022年11月20日 | その他

我が家の近くに、川沿いのリバーサイドパークというちょっとした公園があります。そこに数本のユリノキが植わっていて、夕景をバックにしたそのシルエットが美しく、私の好きな写真スポットになっています。そこから撮ったものが下の写真ですが見ていただければ嬉しい。(10月下旬撮影)

 

 

 

○高き理想、気高き感情をつねにもつことは若さをいつまでも保つ上に異常の効果があるのである。心が常に向上精神に燃え、いっそう高きもの、いっそう清きもの、いっそう天的なものに憧れるかぎり、その人の心は老いず、その人の心が老いないかぎり、その人の肉体は老いないのである。谷口雅春著 『生命の実相』より

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芸術の秋を気取って

2022年11月10日 | その他

芸術の秋を気取って絵を描きました。
わざわざ見てもらうような絵ではないけれども、誰か見てくれる人がいれば嬉しいのが人情というもの。
それに、ご本人は「おお、ずいぶんうまくなったではないか」とご満悦。
どうぞ、そんな孤独な老人の、ささやかな喜びを思いながら見てやってください。(笑)

 

下は絵を描き始めたばかりの2年前に描いたもの

 

お口直しに写真もどうぞ。

見ていただき、ありがとうございました。

 

○あなたが鏡を見るとき、そこに映っているのが天使である。

               ニール・ドナルド・ウォルシュ著 『神との対話』より

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実りの秋

2022年10月14日 | その他

実りの秋ですね。
今年は我が家の柿は大豊作で、まるで渋柿かと思うほどたわわに実をつけてくれました。
柿を写生して、俳句も作ろうと思いましたが、どうしても「柿食えば」になってしまって、一句も造れずでした。

 

赤とんぼの絵は模写で、今は既に刈入れも終わろうとしていますが、少し前は、ほとんどこれと同じ景色の中をゴミ拾いしながら歩いていました。
俳句は、昔つくったもので、赤とんぼ自身には自分の体の赤さが見えているだろうかとふと思い浮かんだものです。

 

世の中、何かと不祥事が多いけれど、もっと自分を尊び、自分を大切にしなければと思う。

他に迷惑をかけておきながら、得をするなどと考えているなら、それはとんでもない間違いで、そんな例は毎日見飽きるほど見ているはずなのに、凝りもせず、同じ過ちを繰り返している。

人間なんて所詮こんなものだと卑下したり、見くびったりするのではなく、もっと尊く、素晴らしいものだと自覚する必要があるのでは、と思う。

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超面白い実験

2022年08月17日 | その他

先日、NHKの番組で面白い実験が紹介されました。

それはスカイツリーの地上部と、それより450メートル高い展望室に、超高精密な光格子時計(日本人が発明製作した)なるものを置き、地上部と展望室とで時間の進み方の速さにどの程度の差があるか確かめるというものでした。

 

これは、地球から上空に向かって離れるほど、地球からの重力による影響が弱くなり、重力が小さければ、それだけ時間の進み方が「速く」なるというのが、アインシュタインの相対性理論の示すところですが、はたしてその結果はどうでしたでしょうか。

 

 

結果は、450メートル高い展望室の方が、1日に10億分の4秒、地上より早く進むということでした。

 

相対性理論が正しいことはとっくに証明され済みですが、今までは測定不可能だったこんなわずかな差を、光格子時計ができたことによって、測定し、確認できたというわけで、これは凄いと思い、紹介させてもらった次第です。

 

 

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嬉しい出来事

2021年08月13日 | その他

先日、生長の家の本部からうれしい連絡が来ました。それはアヤメを描いた絵手紙を生長の家の月刊誌に投稿していたのですが、今度の9月号月刊誌に掲載されることになったとのことで、一足早くその月刊誌と「愛と希望のメッセージ」という本が送られて来たのでした。

 

前回は去年の8月にサザエを描いて試しに投稿したところ、何とそれが呆気なく掲載されたので、サザエの絵が珍しかったからだろうと思っていました。が、今度はアヤメだから、絵手紙としては珍しいというわけではない。そしてまた、投稿者が少ないというわけでもないようだから、きっと良いところがあったのだろうと思ってうれしいのです。そして、私を知っている奴らがそれを見て、「オッ、あいつの絵が載っているじゃないか!」と、その少し驚いている様子を想像し、さらに「どうだ、見たか!」と自慢げに思っている自分を想像して楽しんでいる次第です。(笑)

 

ちなみに、普段私が描いているのは、ほとんどが絵手紙教室の動画を見て描いているのですが、投稿したものは現物を見て描いた自分の作品です。先生の評には「楽しい添え書きですね。鮮やかな色合いと凛とした佇まいに心が清まっていくようです」との有難い評をいただきました。

ちなみに生長の家は、何事においても善いところを見て讃嘆するという教えなので、評が甘いのはわかっているつもりですが、それでもやはりうれしい。72歳になるんですけどね。(笑)

 

以下、その掲載されるアヤメを描いた絵手紙と、最近描いたものですが、よろしければ見てやってください。

 

     

 

     

 

    

 

○五感は外界にあるあらゆる美しさというものを受け容れる機関でありまして、自己の肉体の触覚を弄ぶためのものではありません。外界にあるすべての美しさを受け容れると申しますが、受け入れてそれを感ずることができるのは、自分の中にその美しさと同じものが、すでにあるからであります。自分の中にあるあらゆる美しきものを外へ引き出す、これが教育であります。 (谷口雅春著『生命の実相』28巻より)

 

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暑中お見舞い申し上げます。

2021年07月30日 | その他

毎日、暑いですね。

オリンピックはメダルラッシュで喜ばしいが、コロナ感染者数の急拡大が気になりますね。
私の住まいは田舎で出歩くことも少ないからあまり心配もしていないのですが、医療に携わる方や、医療のひっ迫により、面接も出来なくなるなどといったこともたくさん出て来るのではと気になります。

それはさておき、下は最近描いた絵手紙ですが、杉のご神木の絵以外は、どれも絵手紙教室の動画を見て描いたものですが、こんな程度のものでも自分が描いたと思うと嬉しいもので、絵は精神的にもいいものだと実感しています。
上手下手はともかく、色どりだけをとっても、改めて色の美しさというものを感じさせられています。
心なしか、色に敏感になったのでは、な~ちゃって。これは冗談です。(笑)

最後になりましたが、暑中お見舞い申し上げます。

    

 

    

 

 

最後まで見ていただき、感謝。

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絵手紙と落款

2021年07月10日 | その他

最近は絵手紙を描くのを楽しみにしている。まだ絵の塗り方を勉強している段階で、You Tuveの絵手紙教室を見て描くことが多い。絵手紙だと1時間未満で描けてしまうが、描いている間は夢中になって暑さも忘れるぐらいです。

私の友達にも私同様、最近絵手紙を描くようになった者がいて、先日、描いた絵手紙の写真をラインで送ってきた。それが上手だったので、「こんなにうまく描けるなら落款を作ったらどうか」と半ば冗談のような軽い気持ちで言ったのだが、さっそく落款を作ったらしく、先ほどの絵にその落款を押し、再びラインで送ってきた。するとその落款の出来栄えもよくて、同じ絵が一層素晴らしく見えたので、自分にもぜひ作って欲しいと頼んだ。すると、やってみようということになり、出来たものをさっそく届けてくれたが、何と、3種類も作ってくれていて驚いた。

 

一番大きな四角いものは私のフルネームをひらがなで彫ってある。もう一つは、自宅のキンモクセイを剪定した枝で作ったとのこと。そして既に固くなっていて掘りにくかったとのことだが、少し曲がっていたり、小さな突起があったりで、いかにも野趣豊かなところが一目で気に入った。(写真中央)

そして、さっそく先日描いた絵手紙に小さい方の落款を使わせてもらったのだが、こうして落款があると同じ絵が立派に見えてしまうから不思議です。

     

     

 

そして絵手紙駆け出しの一年生が、このように落款まで持てて、ウキウキうれしい気分にならせて貰っているところです。

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今まで、ありがとうございました。

2021年04月01日 | その他

ブログからすっかりご無沙汰していましたが、しばらく休止してまた再開するか、店じまいをするか迷っていましたが、いつまでも宙ぶらりんのままにしておくわけにもいかず、ひとまず店じまいさせていただくことにしました。また、気が変わって再開することもあるかもしれませんが、ともかくひとまずは閉じたいと思います。

 

そんなわけで、今までご訪問してくださった皆様に心から感謝申し上げますとともに、益々のご健康とご活躍をお祈り申し上げ、お礼の言葉とさせていただきます。本当にありがとうございました。深く感謝申し上げます。

 

また、まことに勝手で恐縮ですが、フォローも解除させていただきますので、こちらへのフォローも解除していただきますよう、どうぞよろしくお願いします。

 

今まで本当にありがとうござました。心より感謝申し上げます。合掌

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パソコンも携帯も新品

2021年03月05日 | その他

いったん更新が滞ると、これと言って書きたいと思うこともなく、ずるずると来てしまったが、今日は久しぶりの更新。

 

1月19日から修理に出していたパソコンの代替品が、ようやく3月1日から使えるようになった。旧パソコンは何をするにしても動作が遅くイライラさせられていたが、修理に出すのも面倒なので、我慢しながら使っていた。しかし、バックライトが機能しなくなり修理の必要に迫られ、おかげで新品になって帰ってきたわけだが、さすがに新品は、起動や終了、ワードやエクセルの立ち上げなど、断然早いので使っていて気持ちがよいので、有り難い。

 

そして次は携帯の話だが、先日ドコモの営業マンが我が家に来て言うには、


「ご主人の携帯は古い機種で、もし故障した場合、メーカーが対応してくれなくなりまして、それはこちら側の都合によることなので、もし、この機会に新しいものに交換していただけるなら、無料で新機種(ドコモらくらくホン)に交換させてもらいます」

ということだった。で、月々の料金もすーと1480円、通話料も5分以内は無料とのことでした。
それで、急遽、スマホに取り換えることになり、昨日よりスマホデビューしました。

 

使用する機器が一新し、新しくなったせいか、私までピカピカの一年生になった気分になっています。

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私はガラ系フアン

2021年02月20日 | その他

今日、明日と暖かくおだやかな気持ちの良い日になりそうでありがたい。

 

昨日、修理に出していたパソコンについて、取替部品が多すぎて保証限度(パソコン費の半額まで)を超えて、4万円以上もこちらの負担が必要とのこと。ということで、新しいものと取り換えるとのことだったが、新品にすればまた、同じように諸設定の費用がかかるのであるが、仕方がなく交換してもらうことにした。この場合は、故障前の半年分ぐらいの写真や、本から抜き書きしていたものが失われることになるがやむを得ない。

 

現在は家内の古い機種を使用しているが、家内は携帯をスマホにしてからはほとんど使わなくなっているので、おかげで、私が部屋に持ちこんで気兼ねなく使わしてもらっている。

 

私の携帯はまだガラ系を使っているが、ガラ系で十分だし、スマホより小さくて携帯に楽だし、経費も安いというわけで、スマホにするメリットがない。2026年までには変えなければならないが、ぎりぎりまでガラ系様のお世話になるつもりでいる。

 

それにしても、どうしてガラ系を使えなくしてしまうのか。
そんなことを言うなら、もう携帯などいらないと言いたいが、そういうわけにもいかないところが、悔しいじゃござんせんか。

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キンカンあれこれ

2021年02月09日 | その他

昨日はキンカン200グラムで甘露煮を作った。私が作るものだから、キンカンを半分に切って種を出し、少し煮て、あとは砂糖をまぶすだけのものだが、私の唯一の料理と言える。

去年まではジャムにしていたが、今は朝食のパンに「とろけるチーズ」を使っているので、今年は甘露煮にしたと云う次第。

ネット上のレシピを見ると、砂糖の使用量はキンカンの半分になっているが、私の場合は二人で一週間しないうちに口に入ってしまうので、適当な甘さがあればよいと云う訳で、砂糖は35グラムしか使わなかった。

 

キンカンを煮て灰汁が出た後のお湯は捨てられるようだが、冷めた後でこれを飲むと、砂糖も入ってないのに甘みがあり、どんなジュースよりも旨く感じられて私は気に入っている。甘露煮よりも、こちらが楽しみなぐらいなのだが、灰汁は身体に良くないのかと思って検索してみたが、別にそうではないようで、ただ苦味を取ると云うだけのことのようだ。しかし、このジュースに苦味はなく、独特の味がしておいしいのである。

 

ところで、或る人のブログに「キンカン」は秋の季語と書かれていたので、本当かと思い確かめてみると間違いなく秋の季語になっていた。今頃の時期になると「キンカン」が話題になったりするが、秋には剪定の時以外に話題になることも無いので、あまりピンとこない。しかし、誰が決めたのか、そうなっているのだから仕方がない。(笑)

 

もう一つ、宮崎県はキンカンの日本一の生産地らしいのですが、その宮崎県の日南市のふるさと納税特設サイトには、キンカンの5つの効能が示されていて、その中に「血流の改善」として次のように書かれているとのこと。そのコピーをここに掲げさせてもらいます。

 【4】血流の改善
金柑の皮には、ヘスペリジンという成分が多く含まれていて、
・血管を縮め高血圧の原因となる、活性酸素を抑えるビタミンCの吸収を助ける
・しなやかなで強い血管を保ち、毛細血管への血行を促進する
・血中悪玉コレステロールを減らし、善玉コレステロールの数値を安定させる
という効果が期待されてます。

ということで、まだ沢山のキンカンが生っているのでせいぜい戴かせて貰おうと思っています。

 

下は「サル真似」の絵ですが、京都の「哲学の道」とか。

 

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田舎で見つけた作品

2021年02月05日 | その他

今日は冷たい風もおさまり、日も射し、少し暖かな日になりそうで有難い。

昨日は散歩にカメラを持って出かけ、こんな写真を撮ってきた。

  

少し遠くから見た時は、作られた案山子と分かっても、お巡りさんのように見えて、うまく作ったものと感心させられた。通りがかりの人が見て楽しいのだから、作った人はもっと楽しかったはずだと思う。(ポイ捨てをする人間は全然楽しくないが・・・)

何年か前に梅祭りに出かけた時には、途中でこんなモノを見かけ、車を止めて写真に撮らせて貰ったが、下の写真はいろいろあったうちの一つ。

  

 

年末・年始の番組で「英雄たちの選択」だったか、その特集で「縄文・弥生・古墳」時代を取り上げていて、いろんな表情をした土偶を見られて楽しかった。

 

それから、2年ほど前に見た別の番組では、現代人の血液を調べ、その結果、縄文人の血が17%だったか混ざっているという話をしていたので、土偶や埴輪を作った血が、現代においてはこの様なものを作らせているのかも・・・と、そんな考えが頭に浮かんだ。もちろん、何の関係もないただの空想に過ぎないが。

 

しかし、今はコロナ禍で一時的に停滞してはいるが、大量生産、大量消費の時代で、自分で作るより買った方が早くて安いということで、自分で何かを作るという事はなくなってしまった。だから、このような廃品を利用した手作り作品に、何とない親しみを感じたりするのは、そんな影響もあるかも知れませんね。

 

自分も、廃品をかき集めて鳥の巣箱でも作ってみようかな。

カラスの方がよほど上手で、カラスに「カーカー」笑われたりするかもしれないが・・・あっはっは。

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何々がやめられない

2021年02月01日 | その他

おはようございます。
今日は新年祭のあと二度目の名古屋に用事があって出かけます。
本来なら出勤の渋滞を避けて6時半に家を出て、「コメダ」でコーヒーを飲みながら時間調整するのだが、コロナの影響でそれも出来ないので、7時30分の出発。

 

その前に投稿しておこうと急いでこれを書いているところです。
先日、あるブログでバラの絵を見て、どうしてこんなふうに描けるのかと、不思議に思って見ていたのだが、昨夜、探したわけではないが、ネット上の水彩画教室で1輪だけのバラが描かれているのを見たので、ふと試しに、挑戦してみる気になりました。

 

描きあがって、「これはな~んだ?」と家内に見せると、

「わあ、上手!!・・・ちゃんとバラに見えてるよ」との評。

それですっかり気を良くしている次第です。

     

 

とはいっても、バラのように見えてもなんか変、という感じですが、まあ初めてにしては上出来ということで。

 

昨日、俳句作家の夏井いつきの「俳句旅」(?)だったか、そんな番組を見ていたら、80歳を超えたみかん農家のばあちゃんが、はにかむような笑みを浮かべて「いくつになっても俳句はやめられない」と言っていました。

 

拙者も80まで生きていたら、はにかみながら言ってみよう。

「絵がやめられない」   はっ、はっ、は

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今日の朝

2021年01月30日 | その他

今朝は氷点下となり少し冷え込み、カーテンを開けると庭はうっすらと雪化粧していました。

空は昨日とは打って変わって、明るく、美しい朝焼けの空。

東側のブラインドを開けると、いつもの如く朝の太陽が顔を出す直前でしたが、太陽が昇る位置からは垂直に光の柱が立っていました。初めて見る光景なので、早速カメラに収めたのが下の写真です。 (時間は7時)

ただ、写真ではよく見なければ気づかない位ですが、実物はもっとはっきり見えていました。

      

 

     お日様におっすとあいさつ冬の朝    

 

昨日描いた絵(模写)

    

 

○“わたし”はあなたである。“わたし”はあなたの存在の中核にあり、“あなた”のエッセンスである。それのみが本当に存在する“あなた”自身である。それが「一切衆生悉有仏性」の“仏性”である。“仏性”があなた自身の真実であり実相である。その“わたし”の生命のエッセンスにわたしは色々のアイディアの衣裳を着せて此の世に送り出すのである。このいろいろのアイディアの衣裳があなたの個性となっていて常に“あなた”と“他の人”とを識別する標識となっているのである。 

○“仏性”即ち、“わたし”の生命の純粋な本質だけでは、無色透明のガス体みたいに何物も表現することが出来ない。その表現を可能ならしめるために、“わたし”はアイディアで賦彩(いろづけ)するのである。その賦彩(いろづけ)が“個性”としてあらわれるのである。それゆえに、“あなた”の本体は無色透明の、どんな偏りもない、賦彩のない“仏性”そのものなのだけれど、此世に生まれる人間としては無くてはならぬ属性として賦彩されたものが個性である。それゆえに“あなた”が“個人”として存在する限り、“個性”はなくてはならぬ属性である。個性即ち特殊性を与えないでは表現は不可能なのである。表現されるためには、普遍者が自己限定して個別化されなければならない。“個”は“普遍者”とは異なるが“個”の中に“普遍者”があり、“普遍者”は共通であるから、その“普遍者”が“個”と“個”とがつながる媒介をするのである。それが互いの理解となってあらわれ、それが互いの愛となってあらわれるのである。   
                                                                                                           (谷口雅春著『神真理を告げ給う』より)

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原始への憧れ

2021年01月29日 | その他

昨日は1日中家に閉じこもり、1歩も外に出なかった。
部屋の中は13℃を切っていて少々寒かったが、我慢の大五郎。
You- Tubeで「早春譜」などの唱歌を聞きながら、優雅に絵の特訓。(大げさですが)

 

下の絵は北海道のどこかの春めいた頃の絵を模写したものです。
私にはちょっと難しそうに見えたけど、「良い景色だな」と思って挑戦してみました。

 

手前の青い色でくしゃくしゃとなっているのは「ヤマエンゴサク」という花が咲いている様子。
雪が降っているように見えるのは、原画はもっと小さい点の木漏れ日?なのに、無造作に描いたので雪のようになってしまいました。

     

 

北海道が出たのでついでに書かせて貰いますが、私が30代終わり頃のこと。
北海道に停泊中、20分程バスに乗って行くと、周囲にヨシの茂った少し大きな沼地があり、白鳥も来る沼地ですが、その沼地を前に立つと、原始の時代にいるような何とも言えない気持ちになります。

ある時、バスを降りて、そのお気に入りの場所に向かって歩いていくと、その路上の真ん中に何か花らしきものが見えました。近づくと、なんとリンドウが1輪咲いていたのでした。

この時、私は初めて花を見て感動しました。それはリンドウの花に感動したというより、園芸の鉢に植えられたリンドウしか見た事がなかったので、「えっ、リンドウって、こんな自然の中にも生えているんだ!」ということで、野生のリンドウに出会ったという事に驚き、しびれるような強い感動を感じたのでした。

 

後ほど、伊吹山でリンドウの咲いているのを見て、山では野生のリンドウが見られる事を知ったのですが、もう、平地で見られることはほとんどないのではと思う。
それにしても、人間は何で原始のような風景に出合うと感動するのでしょうね。

 

○あなたの肉体を、生きている姿で動かしているのは“わたし”である。“わたし”はあなたの心臓を鼓動させ、あなたの肺臓を呼吸させる。“わたし”があなたの肉体から去れば、どんなに肉体の機構が同じように健全な、故障のない相であっても、あなたの心臓の鼓動はとまり、あなたの肺臓の呼吸は止まる。あなただけではない、すべての生き物を生かしているのは“わたし”である。どんな微生物でもどんな巨大な動物でも、皆 “わたし”の生命が生かしているのである。 (谷口雅春著『神真理を告げ給う』より)

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