気の向くままに

山、花、人生を讃える

情緒が飛び出す

2011年09月21日 | 信仰

古い歌で『侍ニッポン』という歌があります。
古い歌だからわたしも知らなかったのですが、誰かがカラオケで歌ったのを聞いて、わたしも気に入ってすぐ覚えてしまいました。

その一番の最初の歌詞はこんなふうです。

     人を斬るのが侍ならば
     恋の未練がなぜ切れぬ

と、なかなか粋な文句で始まっています。

これは歌だから実際はどうかわかりませんが、侍とはいえ、やはり恋の未練を断ち切るのは難しかっただろうと想像します。ところが、侍でもないわたしが恋の未練を見事に一刀両断したことがあるので、今日はその自慢話を書かせてもらいます。

数学博士の岡 潔さんの本は、谷口雅春先生が「明窓浄机」の中で推薦されていたので何冊か読みましたが、そのうちのどれかに、およそこんなことが書かれていました。

○窓を開けると向こうにダッチアイリスの花が見える。離れたところにあるのに、窓を開ければ即座に見える。実に不思議である。自分の情緒が飛びだしていっているからだろう。

と、このように書かれている一節があって、わたしはこの「情緒が飛び出す」というところがとても気に入りました。それでわたしもさっそく情緒を飛び出させてみようと思いました。

どうしたかというと、乗船中でしたので、船の上から海を見ながら、「今自分の情緒が飛びだして、ふわふわと海の上を散歩している」というイメージで、船から少し離れた海の上を散歩したのです。
すると、本を読んで感銘していたせいもあったのかうまくいって、けっこう海の上を散歩している気持ちになれました。それで、その面白さにすっかり味をしめて、その頃はよくそうして海の上の散歩して楽しんでいました。

その後、外航から国内の大型カーフェリーの会社に変わったのですが、東北とか、北海道の港に入港した時などに見る雪景色は、その頃の私には新鮮で珍しいものでした。それで、本に飽きた時などには、窓の外の景色に誘われて、情緒を飛び出させ、窓から見える雪景色の中を散歩して楽しんだりしていました。

さて、初恋が失恋に終わり、時を同じくして生長の家の教えに触れたわたしは、「二度と恋愛はすまい。求道一筋で行くぞ」と誓っていました。結婚も、「もしするなら恋愛ではなく、見合い結婚だ」というつもりでいました。

ところが運命のいたずらか、青年会活動をするようになってから、わたしの意中を占める女性があらわれてしまいました。わたしも少しは大人になっていたから、初恋のように胸を焦がすようなことはなかったが、しかし、恋愛感情というものは決して油断ならないものである。「これは困ったぞ」というのが、その頃のわたしの心境でした。そして、また「今のうちになんとかして消してしまわなければならない。神様よろしくお願いしいます」という心境でもあったのですが、しかし、一旦芽生えた恋愛感情がそうやすやすと消し去ることができるとも思えず、それであればこそ、「これは困ったぞ」というわけでもありました。

ところが、思いがけないところで、思いがけないことが起きてくれました。

ある日の仙台港停泊中、部屋の中から情緒を飛び出させ、数キロ先の小高い丘まで一気に飛んでいき、そこでふわふわ散歩している気分になって楽しんでいました。
すると、その時、突然に自分の中を流れ星が走ったかのように、恋愛感情がすーと消えてしまうのがわかりました。それは本当に流れ星が走って消えたような感覚で、同時に身も心もすーと軽くなったのでした。

丸い心とか、とんがった心とかいって、心にも形があるようですが、形ばかりではなく、実際、重さだってあるんですよね。だから、心の重荷がとれてすーと軽くなりました。

ともかくこうして、岡 潔さんの「情緒が飛びだす」から、思いがけない貴重な経験をさせてもらいました。意識して出来たわけではないけれども、ともかくサムライでも断ち切りがたい恋の未練を、断ち切ったわけですから、自分としても大いに誇りに思っている次第です。
(ちなみに、恋愛感情を断ち切れたおかげとわたしは思っていますが、その後、運命のように、あるいは神様に導かれるようにしてこの時の女性と結婚できました)

それはともかく、どうぞこれを読まれた方も、一度試しに、情緒を飛び出させて散歩してみてはいかがでしょうか。結構楽しいものですよ。それに、もし心に重荷を背負い込んでいる時には、すーと重荷がとれてしまうこともあるかもしれませんよ。

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留守家老の食卓

2011年09月18日 | その他
家内は16日から団参に出かけ、息子は有給を取って「西の方へ旅行に行く」とのことで、わたしは、今、ひとり留守家老である。

    妻二タ夜あらず二タ夜の天の川   (草田男)

さて、昨日は雨音で眼が覚めたが、今朝は家内からのメールで5時前に起こされた。
奥津城参拝が雨で中止になったとのことだが、こちらも夜中に少し降ったらしい気配。
しかし、日の出の時間には陽が射しだして、今日も暑い1日になりそうである。

団参前、家内は特に忙しそうだった。
団参に行く前にやっておかなければならない畑仕事があったらしく、昨日までの3日間は、日中の暑さを避けて、朝早くから畑仕事にでかけていた。

日中は日中で何かと用があり、今まで一人住まいだった90歳の母親が10月中頃に我が家に引っ越すことになり、その準備にも追われていた。元気だった母親もこの暑さにまいったらしく、ついにわが家へ来るつもりになったらしい。

わたしも前回の記事では「暑い中で仕事ができて有難い」と書いたが、13、14、15日と暑い中でのきつい仕事が続いて16日にはさすがに食欲がなくなっていた。
夕食は永谷園のお茶漬け海苔というのを自分で買い、久し振りのお茶漬けとなったが、食欲はなくても、いざ食べ始めたらそのおいしかったこと。あっというまにかき込んでしまった。
お茶漬けってこんなにうまかった?

というわけで、昨日の昼も前々夜に続いて、梅干し、沢庵、お茶漬けということで、

    妻二タ夜あらず二タ夜の茶漬けかな

みたいなことになった。

今朝の新聞には豆腐の絹ごしと木綿ごしの違いについて書かれた記事があった。
わたしはこれまで、木綿で漉したのを木綿ごし、絹で漉したのを絹ごしとばかり思っていたのだが、そうではないらしい。    

新聞記事によれば、
木綿ごしは豆乳を固めたものを崩して木綿で漉し、「ゆ」と呼ばれる不純物を取り除いたもの。
対して、絹ごしは少し濃いめの豆乳をそのままゆっくり凝固させて、「ゆ」も一緒に豆腐に入れた状態のものらしい。

つまり、木綿ごしはたしかに木綿で漉しているが、絹はそうではなく、見た目や食感からの例えらしい。
栄養面では、木綿はタンパク質、カルシウム、脂肪が豊富。絹はカリウムやビタミンB1が多いとのこと。

豆腐は普段からよく我が家の食卓にも上っているが、こんな記事を読んでいたら豆腐が食べたくなった。
では、今日の昼は豆腐にしよう。(朝食は昔から食べていない)
ちなみに、ライスは「電子レンジで2分」という便利なものがあって、実に有難い世の中である。

それにしても一人だと静かで、夜ともなれば、チロチロとなく虫の声が部屋の中にいてもよく聞こえてくる。耳を澄ませていると、涼しげで心地よい。さぞ、月もきれいだろうと思って外へ出てみれば、厚い雲、薄い雲が絶えず行き来しているらしく、それにつれて月の光が雲に反射明滅して、小さなオーロラを見ているようだった。
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やあ、久しぶり!

2011年09月12日 | 人生
台風12号が過ぎてから晴天が続いているが、8日からシルバーの剪定作業が始まった。
久し振りの仕事で緊張した朝を迎えたが、無事に初日を終えることができてホッとした。

木に登り、片手は枝につかまり、枝をかわして上体を伸ばし、かがませ、もう一方の手で伸びた枝を切り落としていくのは、慣れていない身体には結構な重労働でさすがに疲れたが、帰ってからさっそく水風呂に身体を沈めた。ああ、この充足感!

そう思った時、ふと高校時代のあるシーンが甦った。

それは高校1年か、2年の春の遠足でのこと。
周辺には何もなく、ただダム湖があるのみだった。
そして、付近には一人の悪友意外に同級生もいない。

その時、悪友が悪魔のような声でわたしにささやいた。
「おい、泳ごうか。淡水だから気持ちがいいぞ~」
「おお、それはいい」と、
さっそく素っ裸になって水の中に入った。
そして、湖の中の方へ向かって二人で泳いでいった。

うーん、あれは気持ちが良かったなあ。

そう言えば、どこからか小さな観光船がやってきたので、手を振りながら「おーい」なんて大きな声で呼びかけたんだ。そうしたら、向こうも手を振ってくれたんだった。
その大声で気付いたのか、教官に見つけられて、「すぐ上がってこ~い」と怒鳴られてしぶしぶあがったけど、教官も怒りながら苦笑いしていたような。ひょっとして自分も泳ぎたかったのでは・・・。

書いていて思い出したが、朝の掃除の時間に廊下にたっぷり水を撒いて、滑る、滑るって他愛もなくはしゃいで遊んだこともあったなあ。あの時もやっぱり同じ体育の先生だった。いやあ、懐かしい!
怒っても、憎めない先生だったなあ。


昔の思い出はさておき、水につかりながら思った。
暑い中、寒い中を外で仕事ができること。これは有難い、と。
仕事でなければ、「暑いのはいや、寒いのはいや」となるところだが、仕事となれば嫌も応もなく、仕事をしているうちに、暑さも寒さも忘れて「どこ吹く風」になってしまう。それだけでも小気味のよいことで、さらに運動させてもらって、お金までいただけてしまう。いやあ、いい仕事であると、またあらためて喜んでしまった。


さて、また話は変わるのだが、あの時の自分が、こんなふうにブログを書いていると思うと、どうも妙な気もちがしてくる。それで、昔の自分に挨拶してみた。


今の俺:やあ、久し振り、元気かい。
あの時の俺:やあ、久し振り。もちろん元気さ。それにお前と違っていつまでも若い。
今の俺:なるほど、それは結構。 あれからどうしてた?
あの時の俺:お前の中で、いつもお前を見守っていたよ。
今の俺:それはかたじけない。これからもよろしく頼む。
あの時の俺:なあに、礼には及ばん。俺はお前で、お前は俺だ。
      それに、お前が書く記事を楽しみにしているよ。
今の俺:そういわれると心強い。ありがとう。
    久し振りに挨拶もしたので、今日はここでおしまいにするよ。またな。


ということで、わけのわからぬことを書いてしまったが、しかし、これが青春というものかもしれない。

と、またわけのわからぬことを書き始めそうなので、これにて本日は打ち切りなり。  
         
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自分が求めたからでした。

2011年09月07日 | 信仰
8月のはじめの相愛会の一泊見真会で体験談をすることになり、その原稿を書いている時、とても嬉しいことに気づかせてもらいました。

それは、「どうして自分が生長の家の教えに触れることができたか?」ということですが、今までは、いくらあれこれと推測したところでわかるはずもなく、ただ「幸運だった」というより他はなく、その幸運を有難く思うのみでした。

ところが今回その原稿を書いているとき、生長の家の教えに触れることができたのは、ほかならぬ自分自身が求めたからだということに気付きました。

というのは、生長の家の教えに触れる半年前、あることをきっかけに信仰に救いを求める意識が強烈に湧きおこったことがありました。そのきっかけとなったものは単なる杞憂だったことがわかりましたが、しかし、「杞憂に過ぎなかったから良かったものの、それが杞憂ではなく本当だったとしたら・・・」と、そう考えると、やっぱり「信仰が必要だ」と強く感じさせられました。
それで、ある宗教の門を叩いて入信しました。ただ、本を二冊読んで興ざめし、半年で脱退したのですが、ともかく「自分が求めた」ことと、生長の家の教えに触れたこととは、これまでつながることもなく、ただ幸運とのみ思っていました。それが、今回原稿を書いていて、はじめて、
「そうか!自分が求めたからこそ、それに神様が応えてくださったのだ!」と気づいて、驚くとともに、神様と気持ちが通じたように嬉しくなりました。
「偶然の幸運」としか思えなかったことが、実は「神様が自分の求めに応えってくださったのだ」とわかったのですから、そりゃあ、うれしいですよね。

そして、(正確ではありませんが)
「神はあなたが求めるに先立ちて、あなたに必要なものを与えてい給う」
と言ったイエスの言葉が、より真実に感じられたことでした。


≪追記≫
ある宗教の脱会から生長の家の教えに触れるまで、なんとなく1年ぐらい経っているような気がしていましたが、記憶をさかのぼってみると、脱会後、本当に間もなくの期間(1ヶ月もない)しかなかったことに気づきました。
ただ、脱退したことでホッとし、その後は、信仰のことなどは何もなかったかのように、すっかり念頭から離れ、消えてしまっていました。そして、全く別のことから本屋さんで『生命の実相』見つけて読んだのが教えに触れた始まりだったので、そのことと、「自分が信仰を求めた」ことがあったこととは全くつながらず、気づかずにきてしまったのだと思いました。
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