気の向くままに

山、花、人生を讃える

「復活の日~もしも死んだ人と会えるなら~」を見て

2019年03月30日 | 人間死んでも死なない

一昨夜のNHKの番組「復活の日~もしも死んだ人と会えるなら~」は残念ながら期待外れでした。

 

私の想像では・・・、

もしかしたら、出川哲朗さんが8年前に他界した母親と実際に何か話をしたという体験があって、それをドラマ風に再現するのかも・・・という期待がありました。が、そうではなく、技術を駆使して人が鏡に映るように出川さんの母親を写し出し、それと出川さんが向き合い、母親と再会している気持ちになって、いろいろ話をするという、いわば疑似体験でした。そういうわけで、残念ながらこの番組は期待外れでした。

 

さて、その番組とは別の話になりますが、このブログ「気の向くまま」への訪問者数は通常120ぐらいですが、一昨日の集計結果は600を超え、昨日もまた300近い数字となり驚いています。内容が単なるテレビ番組の紹介なので、訪問してくださった方は「なんだ、つまらない」と思われたことと思いますが、その点をお詫びしますとともに、アクセス数が爆発的に増えたことについて感謝申し上げます。ありがとうございます。

 

さて、「あの世などはない。人間は死ねばおしまい」という人がいる一方で、「いや、ひょっとしたら、あの世はあるかも・・・」と思っている人もいて、そのような人が、「死んだ人もあの世で生きているというなら、その確証が欲しい」ということで、「もしも死んだ人と会えるなら~」という文言に興味をもち、このブログに来て下さったのかと思います。

 

 

ですが、このような文言が、これほど人を呼び寄せるとは思いもよらず、アクセス数を見て、正直とても驚かされました。

 

私は小学5年生の時、「小学生時代」だったか何だったか、本のタイトルは覚えていませんが、ともかく小学生を対象とした月刊誌の中に、インドのある少年が過去に生きていた時のことをよく覚えていて、少年が話したことが事実であることが確認されて、生まれ変わりの一つの証左として紹介されているのを読みました。そして「本当にこんなことがあるんだ!」と、子供ながらに感銘を受けたことをよく覚えています。

 

つい、先日読んだ本の中には

「生まれ変わりの話を聞いて、それを信ずることができる人は、自分が生まれ変わりを体験していることを、奥底の心が知っているからだ」という意味のことが書かれていました。

 

その真偽はともかく、もし、「生まれ変わり」が「ない」としたら、人はなぜこのような根も葉もない出鱈目な作り話に、自分だけでなく、多くの人が関心を持ったりするだろうかという疑問が残ります。

それに、ほんとうに「死んでおしまい」なら、当然ながら、生まれて来るのも偶然であって、目的をもって生まれてくるはずもありません。そして「人生の目的如何?」などと考えるはずもない。それなのに、昔から多くの偉い人が、人生の目的を知りたがり、考えてきました。偉い人だけでなく、誰もが一度はそんな疑問を持ったはずで、その点をどう解釈すればよいのだろうか。

 

昨日、海の中の潮の流れの早いところへ無数の蟹が集まってきて、潮の流れを利用しながら、それらの蟹たちが脱皮してゆく様子を見ましたが、その神秘を思うと、人間が肉体という衣服から脱皮してあの世へ行き、また新しい衣服を付けてこの世に生まれてくるということがあっても、一つもおかしくないと思いました。

 

いずれにしても、わたし達人間にとって興味のある話であることには違いありませんね。

読んでいただきありがとうございました。

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NHK番組「復活の日~もしも死んだ人と会えるなら~」

2019年03月28日 | 人間死んでも死なない

今日、テレビ番組欄を見ていたら、NHK総合の「復活の日~もしも死んだ人と会えるなら~」という文字が目に入りました。興味を覚えてネットで番組の詳細を見ると次のように紹介されていました。

 

ジャンル:バラエティ>トークバラエティ 


番組内容:
この番組は、僕、出川哲朗が死んだ母ちゃんと再会した、嘘(うそ)みたいな一日の記録です。たった一度きりの復活の日、あなたは故人と何を語り合いますか?


詳 細:
出川哲朗が亡くなった母ちゃんと再会した、一日の記録。「信じられないですよね? 僕も会うまでは、いつものドッキリかと思ってました。でも、8年前に死んだはずの母ちゃんと話したんです。」……この番組は出演者がもう一度会いたいと願う故人と再会します。徹底取材と技術の粋を集め、ついに実現した、たった一度きりの復活の日、その時、出川はどうなった!?あなたなら、もう一度会いたい故人と何を語り合いますか?

 

放送時間:2019年3月28日(木) 午後10:00~午後10:48(48分)

 

一度も見たことのない番組だが、果たしてどんなものか? 

試しに見てみようかと思っていますが、もし。興味があれば、あなたもお見逃しなく。

 

「あなたなら、もう一度会いたい故人と何を語り合いますか?」

 

わたしなら、両親から大切に育てられたにもかかわらず、親不幸をしたので、その事をお詫びするとともに、大切に育ててもらったことに心からお礼を言いたい。こんな気持ちは届いているとは思うが、もうすぐ70歳を迎える今、もう一度会って、じかにお礼を言い、心から感謝の気持ちを述べたい、と思う。

 

○われわれは宇宙に満つる『神の生命そのもの』であると云っても、『仏性即自分』であると云っても、それが実現するためには陰陽の結びを必要とするのであります。父母陰陽の結びと云うものは、吾々『仏性』なる自分が神聖受胎する神聖なる機縁を与えて下さったのであります。これが父母の愛であります。吾々は親の肉体本能のために犠牲になったのではなく、親の愛が、愛の念波が、宇宙普遍の生命――仏性――を引出してここに神聖受胎せしめられたのであります。 (谷口雅春著「愛と光の生活」より)

 

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神様に手紙を書く

2019年03月22日 | 人生

50歳ぐらいの時、労働組合への出向を命じられた。

 

私はどちらかと言えば「武士は食わねど高楊枝」が好きなので、賃上げ要求を主な仕事とする労働組合への出向は気が重かったが、ある組合支部に3年在籍し、そこで10社を担当することになった。

 

仕事に慣れてきた2年目の秋のある日、ある小さな会社の組合員から電話がかかってきた。


「今年の初めにはボーナスは出すと言っていたのに、ここにきて社長が一銭も出せないと言い始めた。手当も削られ、ボーナスまで出せないでは、みんな困るんだから、何とかしてくれ」というのであった。

 

それでさっそく会社に出向き交渉に臨んだ。当時はバブルがはじけて以後、日本経済の低迷が続いていて、内航のタンカー業界は石油会社から運賃を下げられ苦しい経営が続いていた。

 

そういう事情を社長は一所懸命説明するが、こちらはこちらで、組合員を代弁し、手当も削られ、ボーナスも出せないではやっていけない、苦しいのは分かるが、それでは労働意欲もなくなる、などといってお互いに譲らず、そのうちにだんだんと頭に血が上り、声も大きくなり、まるで喧嘩口論のようになった。

 

間仕切りされた部屋の外では、6,7人の事務職員たちが仕事をしていて、私たちの大声はつつ抜けだったようだ。そして、事務職員の中に40歳ぐらいになる社長の娘さんがいて、その娘さんがたまりかねたのか、私たちがいる部屋に入って来てこう言った。

「お互いにだいぶ頭に血が上っているようですが、それではよい交渉は出来ないと思いますので、今日のところはここまでにして、後日、改めてということにしたらどうでしょうか?」

 

予期せぬ突然の仲裁に、私は頭から冷水を浴びせられた気がし、「しまった」と思いながら、迷惑をかけたと謝ることにも気づかず、あいさつも忘れ、無言でその会社を出た。

 

娘さんに仲裁に入られたことにより、わたしは弱い者いじめをするヤクザの借金取りか、あるいは時代劇ドラマの悪代官、悪徳商人になった気がして、どうにも情けなく、家に帰ってからも悶々としていた。そして「こんな無様なことになったのも仕方がないじゃないか」と無性に神様に言い訳したい気持ちになっていた。同時に、「こんな問題を、素人の自分がどうやって解決できるんだ!」と文句を言いたい気持ちでもあった。そして、ふと神様に手紙を書こうと思いつき、「そうだ!」と、すぐにパソコンに向かい、神様に手紙を書き始めた。それは「気持ちを伝えたい」とラブレターを書いた時のことを思い出させた。

 

そして、事の成り行きを書き、自分の気持ちを書き、社長の言い分、組合員の言い分、その間に立ってどうしていいかわからないこと、そして最後に、どうぞ神様、双方にとって最も良いようにお導き下さい、というようなことを夢中になって書いた。2時間ぐらいして書きあがり、それをプリント・アウトし、便せんに清書し、封筒に入れた。

 

書き始めた時は悶々としていたが、書きながら、頭の中がだんだんクリアーにっていくのを感じ、書き終わったときにはすっきりしていた。そして布団に入って寝た。

 

翌日、その手紙を神棚に供えた。
そして、気がつけば、ウソではなく、大げさでもなく、本当に晴れ渡った青空のような清々しい気分になっていた。そして、神様に手紙を書くことはこんなにも効果があるのかと驚いた。しかも、その雲一つない晴れ渡った青空のような気分は、その日だけでなく、1ヶ月以上も続いてくれた。他にも仕事がある中で、本来なら再交渉を思い憂鬱なはずのところを、まったくそのことが苦にならないばかりか、ずーとそのような気分でいられたことは本当に有難かった。そして嬉しいことに、再交渉もしなかったのに、こちらの希望通りボーナスは満額支給された。

 

満額支給は会社が奮発してくれたからだが、私が晴れ渡った青空のような気分になれたのは、間違いなく神様のお蔭である。こうして、私は心に重荷を背負ったときには、神様に手紙を書くことを覚えた。神様に聞いてもらったと思うだけで、下駄を預けたように、随分気持ちが楽になるのである。

 

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ラブレターの思い出

2019年03月21日 | 人生

私が中学3年のとき、ほんのちょっとしたきっかけから好きになった同級生の女の子がいた。

 

中学を卒業して、わたしは男ばかりの全寮制の高校に入学した。男ばかりの全寮制というというところに魅力を感じたのである。

 

ところが、入学して間もなくの頃、ひそかに好きだったその彼女から手紙が来た。と言ってもラブレターと云う訳ではない。あまりよく覚えていないが近況報告であり、そちらはどうですか?という程度のものだったと思う。それでも、好きだった彼女から手紙が来たのは私の心に油を注ぐには十分だった。彼女から手紙が来なければ、心の中にしまっておかれるだけのはずだったのに、燃え上がるように火がついて、何度かの手紙のやり取りの後、ついに一か八かで、「好きだ」というようなことを書いた。

 

すると彼女からは、「あなたはあくまで私の大切な友達です」という返事が来て、あえなく失恋となった。

失恋したからには悲しいけれども、嫌われたくはないと思って、あっさりあきらめ、それっきりとなった。

 

ところが、私が4年生となり横浜で半年間の実習をしているとき、社会人となった彼女からまた手紙が来た。もちろんラブレターではないが、また私の心に火が付いたのは言うまでもない。

 

前回はわたしはまだ高1の子供だったが、4年生になったわたしはその時よりも大人になっている。私は好きでたまらない気持ちをどうしても彼女に伝えたい気持ちになっていった。しかし、「好き」とか「好きでたまらない」と書くのは簡単だが、それではいかにも軽すぎて、自分の気持ちとは大きなギャップがある。だから、「好きでたまらない」とは書けない。それを言わずして「好きでたまらない気持ち」を伝えなければならなかった。それで何とか自分の気持ちを言葉で言い表したいと思い、書いては破り、書いては破りを何度も繰り返し、そうして、どうにか「これなら」と思うものが書けて、それを投函した。

 

すると彼女からは次のような返事がきた。恥ずかしいが、今となっては笑い話なので書かせてもらうが、こんなふうだった。

 

「あなたの手紙を読んでいると汗が出てきます。もう少し淡々とした手紙が書けないものでしょうか」

 

他のところは覚えていないが、ここだけは今も鮮明に覚えている。そういうわけで、二度目もまた失恋となったが、なぜか嬉しさもあった。もちろん失恋した寂しさはあったが、自分の気持ちをどうにか言葉に表し、そして彼女に汗をかかせ、自分の気持ちを伝えることができたという妙な満足感があったのである。

 

わたしは中学3年の時、国語の宿題で「走れメロス」の感想文を書くことになったが、その当時は、文章を書くのが大嫌いで、どうにも困って苦し紛れに「何も感動しなかったから、感想文を書こうにも書きようがない」と書いて、こっぴどく叱られたことがあった。また普通高校へ進学しなかった理由の一つには、そんなことから大学の卒業論文というものに恐怖を感じていたからでもある。

 

しかし、必要に迫られて書いては破り、書いては破りとラブレターを書いているうちに、いつのまにか苦手意識はなくなり、心に思うことを言葉に表現できるようになりたいとさえ思うようになった。

とは言っても、相変わらず淡々とした文章は書けないのだが・・・。

この記事を読まれた方は、次の記事も合わせて読んでいただければ嬉しいです。

神様に手紙を書く

 

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男たちの願望

2019年03月20日 | 人生

私が会社を退職するとき社長に挨拶に行くと、社長は「退職するにはまだ早いが何をするつもりか」と聞くので、わたしは「ボランティアでもやりたいと思います」と答えた。
すると側にいた重役が、「重役たちもみんなそういうことをいうなあ」というので、わたしは一瞬不思議に思ったのをよく覚えている。

 

しかし、よく考えれば別に不思議ではないかもしれない。
男性は小さいころから、例えば私の世代で言えば、月光仮面のような正義の味方に心をときめかせ、憧れを抱く。
しかし、いつまでもそのような夢を見ているわけにもいかず、やがて、子供なりに「しなければならない」ことに追われるようになる。勉強や、部活、受験。そして就職。やがては結婚し、子供が生まれ、家族を支える立場になる。

 

そのようにして、夢は現実の彼方へと忘れ去られていくが、やがて退職して「しなければならない」ことから解放される年代になると、また子供の頃に抱いた願望が蘇ってくる。それが「退職したらボランティアでもしたい」となるのではなかろうか。

 

男たちの心の中には「義侠心」とか「正義の味方」願望が誰の中にもあるようである。それが、時に「男のロマン」と言われるものだと思うが、「水戸黄門」や「大岡越前」などの時代劇ドラマが、現役を退いた人たちに根強く人気があるのはそのためではないだろうか。現実にはなかなか果たせない夢を、テレビドラマを見ながら知らず知らずのうちに、自己とヒーローとが一体化され、自分の中にある「弱い者の味方」、「正義の味方」願望を、これらの時代劇ドラマが満足さてくれるからだろう。

 

しかし、誰の心にも、どうして幼いときから「正義の味方」とか「弱い者の味方」願望が生まれて来るのだろうか。考えてみれば、不思議である。

 

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ばあちゃんは観世音菩薩

2019年03月19日 | 信仰

先日、ある誌友会(勉強会)に出かけた先で、72歳の男性から、次のような話を聞きました。

 

彼、芳夫(仮名)さんは30歳のとき、肺結核とそれに伴う湿性肋膜炎になり、絶対安静と診断され、急遽入院した。ある日、胸にたまった水を抜いてもらったとき、少し楽になったので面会室に置いてあった「光の泉」という生長の家の月刊誌を読んだ。するとその中に、「肋膜の病は家庭の悲しみの涙である」と書いてあり、自分の事のように思えて、病室にもって帰り、じっくり読むと、まさに自分と同じ境遇の人の話が載っていたとのこと。

 

芳夫さんは養子で、帰宅が遅くなったり、少しでも酒を飲んで帰ると、義母が玄関の戸を開けてくれず、家から閉め出されることがよくあったとのことで、義母を憎んでいて、その自分の心が病気の原因と分かり、さらに面会室に置いてあった『生命の実相』を読み始めた。

 

『生命の実相』には、症状は病を治すはたらきであると書いてあり、それまで喀血するたびに「まだ死にたくない」と恐怖に震えていたが、それからは何となく気持ちが落ちつき、きっとよくなると思えるようになってきた。そして、若いときに勤めていた靴屋のお客さんで生長の家の信徒がいたことを思い出し、病院を抜け出してその人を訪ねると、練成会への参加を勧められた。それで病院に外泊許可をもらって練成会に参加した。

 

練成会に参加すると、「人間は本来完全円満な神の子である」と教えられ、すっかり感激し、憎んでいた義母に対しても感謝の思いが湧いてきた。そして帰って診察してもらうと、「これだけ急速に治った人は、あなたが初めてだ」と担当医が驚き、3年はかかると云われていたのに9ヶ月で退院できた。

 

しかし、退院して義母と一緒に生活を始めると、やはりその後も、義母との葛藤は続いた。が、一方では「義母は自分を生長の家に導いてくれた観世音菩薩」と思えるようにもなり、しだいに小言を言われることも少なくなってきた。

 

そして、(いつ頃か分からないが)義母が他界する前日、次のように言ったとのこと。

「いろいろ言って悪かったね。赦してください。近くに、婿養子の放蕩が原因で財産を失った家があり、そんなふうになってはいけない、婿に舐められてはいけない、と思って強さを装っていた」とのことだったので、芳夫さんは「ばあちゃん、俺は何ともお思っとらん」と言うと、義母は声を出して泣きだし、芳夫さんも泣き、長年の心の葛藤が一瞬に氷解した、とのことでした。

 

この話を聞いて、いくら意地悪に見えても、相手には相手の思いがあるのであって、表面だけで判断してはいけないんだということをあらためて感じさせられました。また、このようにお詫びを言って旅立てるばあちゃんは、まさに芳夫さんを導く観世音菩薩様だと思ったことでした。

           

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梅林へ

2019年03月10日 | 

今日はあいにくの雨となりましたが、昨日は春うららかな、すこぶる上天気でした。

その昨日、梅の見ごろはもう過ぎたとは思いましたが、上天気に誘われて近くの県立植木センターに出かけました。

ところが、同センターの梅は確かに盛りが過ぎていましたが、すぐそばにある別の梅林はちょうど見頃を迎えていて、禅宗『無門関』の中にある、極楽浄土を喩えて詠んだうた、

 

                     江南三月の風光 百花爛漫 鷓鴣(しゃこ)長閑に鳴く

 

を思い起こさせる陽光であり、眺めでした。

 

以下はあまり写りはよくないが、その時の写真です。

 

植木センターの梅林。見ごろは既に過ぎていました。

 

向こうのピンクは満開の寒緋桜。手前の、いくつも腕を伸ばしたような裸の樹形が面白くて撮りました。

 

センダンの木。空に向かって伸び伸びと枝を伸ばしている姿が力強く、見ているだけで気持ちが良いのでした。

 

以下は、植木センターのすぐ近くにある梅林。ここは今が盛りで、紅白の枝垂れ梅がとてもきれいでした。

 

 

余談ですが、新選組の土方歳三は梅で1句    

      この世のものとも見えぬ梅の花

と詠んだそうだが、これからみると剣はうまくても俳句の方はあまりうまくなかったようですね。

しかし、鬼の副長のこの稚拙なところがかわいくていいのかも・・・。

 

それはさておき、我が家では黄水仙が例年より1週間早く、盛りを迎えました。
黄水仙が咲くと、 庭が一ぺんに温かく、明るくなった感じがします。

 

 

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天才カラス君 

2019年03月04日 | その他

1週間ほど前、「なるほど珍百景」なる番組でいろいろな動物の愉快な仕草を見せてもらって実に楽しかったが、中でも、犬が足し算や掛け算をするのには驚きました。

 

飼い主が簡単な足し算、掛け算の問題を出すと、犬は答えの数だけワン、ワンと吠える。例えば、答が「11」なら11回「ワン」と吠え、そして飼い主が手にもっている餌をスッと口にくわえるのである。飼い主は問題を出すだけで、何の合図もしない。犬は答えの数だけ吠えて、勝手に餌を加えるから、犬は自分で正解であることを知っているようです。しかも、単に正解を知っているだけでなく、ワン、ワンと吠え、最後のワンが11回目であることを知っていなければならないのですから、凄いことだと感心しました。

 

先日、こんなことを家内と話していたせいか、今日、テレビを見ていた家内が「6チャンネルで天才カラスが出るそうだよ」というので、さっそく部屋のテレビのスイッチを入れました。

 

するとカラス君が公園の水道の蛇口をひねって水を飲んだり、シャワーを浴びたりするのを紹介していました。

 

それは東大の名誉教授が合計79時間観察して撮影した貴重な動画らしく、その間、同じ1匹の天才カラス君は21回水を飲み、4回シャワーを浴びに来たとのこと。水を飲むときは飲みやすいように水量を絞り、シャワーを浴びるときは蛇口を大きく開く。その蛇口を開けたり絞ったりの調整を嘴でするのである。

 

カラス君は、人間がやるのを見て覚えたのでしょうが、同博士はこれをイギリスの学術誌に発表し、研究者たちを驚かせているとのことでした。

 

以下は、そのテレビの映像を写真にしたものです。

 

≪おいしそうに水を飲むカラス君≫

 

≪人間はこんなにうまい水を飲んでんだあ!ゴク、ゴク!≫

 

≪さあ、たらふくおいしい水を飲んだから、今度は水量を調節して・・・≫

 

 

≪シャワーを浴びようっと。≫

 

≪皆さん、ここが天才カラス君が来る水飲み場ですよ~≫

 

と、いうわけで、

私もこの犬やカラス君のように、かしこくなりたいよ~ カ~、カ~・・・の、巻でした

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感動した「ある夫から妻への手紙」

2019年03月01日 | 人生

 感動した「ある夫から妻への手紙」

 

以下に紹介するのは、ある県の生長の家白鳩会(婦人の組織)の幹部をしておられるA子さんの話。

 

Aさんは遠縁にあたるご主人との縁談があり、結婚した。

両家とも「生長の家」の教えを信仰している。

A子さんが30歳を過ぎて地方講師になると、その活動に忙しくなり、家を留守にすることが多くなった。するとご主人は、

「お前が喜ぶことをいつもしたいと思っているのに、いつも邪険にして、俺と生長の家とどっちが大事なんだ」と不機嫌になって怒鳴ったりするようになった。

しかし、A子さんはA子さんで、「私だって一生懸命やっているのに、不機嫌になって大人げない」と主人を裁いていたとのこと。

 

とはいえ、とA子さんは言葉をつないで、

「主人は言葉通り、私を喜ばせようと、いつも私を助けてくれました。例えばダイヤル式電話で何軒かの家に連絡するのは大変だろうとプッシュホンに替えてくれたり、手書きでは捗らないだろうと、名簿や資料作りのためにワープロやパソコンを買ってくれ、使い方まで丁寧に教えてくれました」などなど。

 

そして、「忘れもしない平成23年2月4日の深夜」と言葉をつづけます。

「主人は寝室の書斎で仕事をしていて、電灯の光がわたしに当たらないように黒い傘を差し掛けてくれていました。その時、主人の思いやりを感じ、心遣いのない自分を大反省しました。その日から、日記に『神の子、田中○○さん (ご主人の名前)、ありがとうございます。うちの主人は日本一、世界一、宇宙一、あなたのお蔭で幸せです』と毎日書くようになった」とのこと。また、それだけではなく、あるとき、ご主人にラブレターも書いた。

 

すると、ご主人から次のような返事がきたとのこと。その素晴らしい手紙を読んで、私まで感動して涙が・・・。そして、自分も真にこのような夫にならなければと思ったことでした。それで自分の胸に刻み込むべく、そして、ときどきは思い出すように、その手紙をここに載せてもらうことにした。

 

以下が、その夫からの手紙です。

 

○世界中で、一番かわいい君へ

 毎朝、総本山の鈴を鳴り響かせ、日本一、世界一、宇宙一と元気に景気良く送り出して呉れて、ありがとう。毎日おいしい食事を、ありがとう。どんな時も笑顔でいて呉れて、ありがとう。≪中略≫

 仕事で悩んだとき、親身に話を聞いてくれ、神癒祈願を出し、上司や部下、仕事先の名前を霊牌に書いて、ご先祖様に祈って呉れた時は本当に嬉しかった。

 たまには二人でゆっくり過ごすことも、お忘れなく。全人類の幸福と全世界の平和という高邁な理想に向かって、ひた走る君にエールを送ろう! 

 君にあえて本当によかった。 君の応援団長より

 

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