気の向くままに

山、花、人生を讃える

夏の思い出

2012年07月31日 | その他

毎年、夏になると水難事故が多く発生するが、わたしも一度姉とともにおぼれかけたことがある。

それはわたしがまだ泳げないときだったので、小学校入学前ぐらいのことだと思う。

4つ年上の姉と二人で木曽川の浅いところで遊んでいた。その浅いところで遊びながら、その浅いすぐそばに深いところがあることは二人とも気づいていた。が、姉が冒険心を起こしたのか、その深い方へ行くといってその深い方へ向かった。わたしは子供ながらにびっくりして「そっちは深いから危ないぞ」と姉を静止しながら、姉の後を追ったが、姉は「大丈夫、大丈夫」と言いながらその深みに入って行った。

ところがそこはすり鉢状になっていて、あっという間にその深みにはまってしまった。気付いたときにはもう引き返そうにも引き返せない。姉はパニックになってあっという間に手足をバタバタさせていた。しかし、後を追ったわたしもすでに深みにはまりかけていた。が、何故か私は冷静で深みにはまりながら、沈んではつま先立ちで足をつんつんさせながら、必死で足の立つ所まで引き返すことができた。そして姉をふりかえると、姉は水の上に浮かんではいたが顔を水面につけたまま、手足をばたつかせることもなくじっとしていた。わたしは「おぼれている」と思いながら、離れたところにいるはずの母親を呼ぶということにも気が付かず、ただ呆然と見ているだけだった。

 するとその時、突然に「それは泳いでいるのか、おぼれているのか?」という大きな声が聞こえた。

声の方を見ると、堤防に工事人ふうの大人が一人立っていて、わたしは「おぼれている」と答えると、その大人は一気に堤防を駆け下りてきて、そのまま水に飛び込み、姉を助けてくれたのだった。

大人は「お母さんはどこにいる?」と聞いたので「あっちにいる」とわたしが答えると、お母さんに話して医者に診てもらった方がいい」といって、そのままその大人は立ち去っていった。

その後、わたしは母に話したことまでは覚えているが、姉が医者に診てもらったかどうかは覚えていない。多分診てもらったことはまちがいないと思うが、とにかく助けられて砂場に引き上げられた時には、姉は意識もあって、少し水を飲んだぐらいの程度だったと記憶している。

おふくろは、「助けてくれた人はどんな人だった?」と聞いたが、それに対して私がどう答えたかは覚えていない。その時の光景は鮮やかに記憶に残っているので、今でこそ日焼けした、白いシャツ姿の工事人ふうの男と答えられるが、その頃のわたしにはそんなふうに答えられるわけがない。

しかし、思い出すと、見事な助けぶりだったと感動する。何よりも堤防の上からよく気がついてくれたものだと思い、今さらながら、感謝せずにはいられない。

母の実家は木曽川の近くにあり、毎年夏になると木曽川で泳ぐのが楽しみだった。

小学校5,6年の頃には、泳ぎもずいぶん達者になっていて、母の実家の従兄と、その友達と総勢5,6人で誰が言い出したのか、ともかく木曽川を向こう岸まで泳いで渡ろうということになった。

わたしより一つ上の従兄は、私を心配して「大丈夫か」と聞くので、「大丈夫だ」と答え、向こう岸に向かって泳ぎ始めた。全体の1/3ほどまでも行ったろうか、かなり泳いだころ、だんだん流れが速くてとても向こう岸までたどりつけないとわかって、途中でUターンした。それからが大変だった。泳いでも泳いでもなかなか岸が近づいてこなかった。誰かが「流れに沿って斜めに泳げ」と言った。そして全員が斜め方向に向かって泳ぎ始めた。従兄は時折、泳ぎながら「大丈夫か」とわたしに声を掛けてくれた。

へとへとになって無事に岸にたどり着いたが、こうして思い出していると、その光景や、従兄が掛けてくれたその声が、まだ昨日のことのように思えてくる。「ああ、懐かしき少年の日よ」である。

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「横暴」はやめさせなければならない

2012年07月18日 | 信仰

先日は娘夫婦と、大相撲を見に行った。これで相撲観戦は3年続いて、夏の恒例のごとくなりつつある。もともとは相撲にあまり関心はなかったが、観戦するようになって関心を持つようになった。

 相撲観戦のいいところは、半ば名物となった力士の特徴ある動作や、力相撲、大相撲になったとき、また勝負が決まりかける瞬間など、そのたびに館内には大きな歓声やどよめきが起こるのだが、そのような相撲観戦ならではの雰囲気も一つの面白さだろうと思う。

 外人さんが珍しくないのもうれしい。「日本の大相撲はどうでしたか」と感想を聞いてみたくなる。

観客は男性、女性ほとんど半々ぐらい。

昨年までは力士たちは裏玄関から入場していたが、今年はファンサービスで観客と同じ正面玄関からの入場だった。その玄関前の広場に行列ができていて、力士たちがその行列の中を歩いて玄関に入って行く。わたしたちは数人の力士を見送ったが、実にあでやかな浴衣姿で、その美しさに驚いたぐらいだった。大関も入場してきたので、横綱の入場も近いと思ったが、夏の日がカッ―と照りだしたので、「これはたまらない」と中に入ってしまったので、横綱の浴衣姿を見られなかった。

 帰りにツインタワーの13階で食事をしたが、窓からは夕暮れの市街地の向こうに山並がくっきりと見えていた。いい眺めだった。

 

 ○世界のほぼすべての人間たちが、自分自身のパワーを否定している。それを持っていることを信じようとしない。世界がこんな状況にある理由はそこなのだよ。

 ○人生のなかでの「大失敗」が、あとになって、じつは大きな恵みだったと気づかないまま、人生を終わる人はいない。あなただって、きっといつかわかるはずだ。結局は、「失敗」なんてものはないってことをね。  (『10代のための神との対話』より)

 こういう言葉を聞くと、大きな癒しを感じるのが不思議だ。「神様、ありがとう」といいたくなる。

実は「いじめ」に関する質問・回答はなかったかと思って探してみたのだが、その相談はなかった。しかし、「神との対話」の中で、神はこんなことを語っていたのが記憶に残っている。

 正確ではないが、簡単に言えば、こうだ。

「あなたは神に気に入られたいから、あるいはまた相手を傷つけたくないからといって、我慢する必要はない。多くの人が愛する人間でありたいという理由で、我慢をし続け、絶望の人生を送っている。だが、そんなことをわたしが望んでいるわけではない。あなたが我慢している限り、相手の横暴をやめさせることはできない。愛さえあれば、という人もいるがそれは単純すぎる見方だ。長い人生の中では、平和を愛するために、時には平和とは反対のことをしなければならない場面も起きてくる。」

ひっくるめて言えばこのようなことが対話の中で語られていた。つまり、横暴をいつまでも続けられると相手に思わせては、相手のためにもならないということである。

 ちなみに、地球ではない、宇宙のどこかの高度に進化した文明では、「肉体は自分ではない」とはっきり知っているから、もし仮に低い文明から攻撃されることがあったとしても、戦うことはなく、ただあっさりと肉体から抜け出してしまうとのこと。そして、またすぐ再生するとのことだった。

しかし、地球人はまだそのような高い悟りの程度には達していないから、無抵抗が必ずしも善とは言えない。そして、「神との対話」の中の神は「あなたはあなたの悟りのレベルで努力しつづけなければならない」と語っていたのが印象的だった。

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俳句あれこれ

2012年07月17日 | その他

         わが夢と背比べせん雲の峰

勝海舟の晩年の句に

       雲の峰すぐに向こうは揚子江

というのがある。これは時の政界が小さなことで争っているので、「もっとスケールの大きなことを考えよ」というので、この句ができたものらしい。

冒頭の句は、数年前にそれに刺激されたわたしが頭でひねりだしたもの。

実感ではなく文字通り頭でひねり出したものだから、気にいるも気に入らぬもなく、ただパソコン上に書いておいただけのものだが、先日、この句を見つけて、おお、なかなかいいじゃないかと思った次第。

このところ消費税の是非、政党分裂、原子力発電再稼働の是非、「いじめ」となかなか世の中騒がしい。わたしも関心をもたずにはいられないのでニュースを見ているが、見ながら心の中で「嘘を言うな」「なんでそんなことを」と呟きながら、つい気持ちが曇りがちだったが、この句を見つけたとき、わたしの情緒が空に飛び出して、雲の峰と背比べしているような大きな広い気持ちになれてすっきりした。

やはり歌(俳句)は良いなあと思う。

ちなみに総理大臣をしていた頃の中曽根康弘さんの句には

       残雪やマッキンレーに雲が湧く

 というのがある。これも雄大で忘れられない好きな句である。

そうそう、岡潔さんにはこんな句がある。

       水やればひたと吸い入る墓の苔

これは、幼子のような素直さでひたと吸い入る苔の様子を讃美したもの。

句も美しいし、情景が目に浮かぶようだ。

わたしも、さらに心をひらいて、ひたと吸い入る苔になりたいと思う。

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