長く続いた梅雨空から解放されて、ようやく青空がのぞいた。今日の名古屋の予想最高気温は34度とのこと。私の住まいは水田の多い田舎だから、それよりは1~2度は低いはずだが、ともかく本格的な暑さを迎えることになるようだ。
夏の暑さは今の年齢の私には厳しいが、しかし、一方では初恋のような甘さ酸っぱさもある。
夏になると何故か「若い頃が懐かしい」という気分になるのである。
よく「夏の思い出」というが、「春の思い出」も「秋の思い出」も「冬の思い出」も、あまり聞かないから、これは多分、私だけのことではなく、日本人に共通した感慨かもしれない。
わたしの高校生時代にはグループサウンズが大人気だったが、私は一向に興味がなかったにもかかわらず、いや、それよりも若い女子たちにキャーキャー騒がれて喜んでいる軟弱な男たちという反感さえもあったのに、今、共通の時代を生きた同世代という仲間意識のようなものがあるし、当時のグループサウンズの曲を聞くと懐かしいのである。
グループサウンズばかりではなく、特に昭和40年代の曲は、その頃好きでなかった曲でも、懐かしく感じられるし、社会人になってからは歌謡曲にまったく興味がなかったのに、今は歌番組を録画して楽しんだりもしている。
私は学年が進むごとに落ちこぼれていった劣等生だったから、授業をさぼるのは割りと平気で、よく午後の授業をさぼってヨットで遊んだ。狭い岩礁の間を滑るように走るのはほんとうにスリルがあって、この時だけは「生きている」という実感があった。
しかし、また停学も3回くらい、最後は無期停学で、立ち直りたくても立ち直れずにもがいていた、謂わば灰色の時代でもあった。父親がそのたびにはるばる三重県の学校まで呼び出されたが、その頃の私は親の心配などは、気にもしていなかったように思う。親の心配よりも、自分が心配だったのである。
そして、卒業したすぐ、21歳の誕生日がまじかに迫った時、「一体こんな自分はこれからどうなるのだろう」と思い、一つ手相の本で自分の将来を占ってみようと云う訳で、名古屋の大きな本屋さんに出かけた。その時、『生命の実相』40巻がずらりと並んでいるのが目に入り、試しに読んでみる気になって2冊を買った。それ以後読んでは買いに行き、読んでは買いに行きを繰り返し、3月に読み始めて夏が終わるころには全巻を読んでしまった。感激のあまり本部に手紙を出したことも覚えている。
この本には「人間は神の子である」ということが、いろんな宗教教祖の教えや、哲学、心理学、医学、最新の物理学など、あらゆる方面から理路整然と説かれていた。それだけでなく、あらゆる人生の諸問題に就いても格調高く、しかも易しく説かれているので、読みながら舌を巻くばかりだった。複雑な概念を誰にもわかりやすく説く著者の頭の良さ、文章力のすばらしさに感動し、同時に、これで「自分は救われたぞ!」という感激がふつふつ湧き上がって来た。まさに暗闇に光を見つけた瞬間だった。そして、神が本当にいるということが、何か不思議であると同時に、それがとてもうれしかった。それは、この世の中は決していい加減の、偶然任せのものではないということであり、生きる価値を見出だした瞬間でもあった。
夏になると、若い頃が懐かしく思い出されるのは、そんな影響もあるのかと思いつつ、今年もまた当時のことが懐かしく思い出されてくるのである。