気の向くままに

山、花、人生を讃える

アインシュタイン博士はどう思われますか?

2015年11月18日 | 信仰

 少し前の記事で、「電子のような小さな質点がいくら集まっても、線や面や立体を構成できない」という谷口雅春先生のご文章を書かせてもらったが、その後、その電子の大きさと、隣あった電子との間隔はどの位か知りたくなってインターネットで検索して調べて見た。そして、Eテレの科学講座のテキストの中でこんなことが書かれていた。

○原子の種類によって、原子核や原子全体の大きさは様々です。例えばヘリウム原子の場合、野球場をヘリウム原子全体の大きさだとすると、原子核は中央にある二塁ベースに乗せた米粒ほどの大きさになります。そして、周辺にある電子は、それよりもかなり小さい大きさです。

 このように書かれていた。つまり1個のヘリウム原子の大きさを野球場の大きさとすると、その原始核の大きさは米粒の大きさだと云うのである。ということは、ヘリウム原子がいくら密集していても、米粒ほどの大きさの原子核はそれぞれ野球場一つ分の距離を隔てて点在していることになる。

 野球場では大きすぎるので、もう少しスケールを小さくして原子1個の大きさを畳2枚分(一坪)の大きさとしたら、原子核の大きさは人の眼でかろうじて見えるぐらいの大きさだろうか。なるほど、これならたしかに、いくら原子が集まっているといっても、面や線や立体を構成するのは不可能に違いない。そうすると、やはり私たちはあるはずのない面や立体を見ていることになる。

 となれば、量子論が唱える「自然界に客観的事実はない、それは見る心によって変化する」ということもうなづける。しかし、それに対してアインシュタインは「だったら、月は私たちが見るから在り、私たちが見なかったらないのか?そんなはずはない。私たちが見なくても(客観的事実として)、月はあるはずだ!」と、疑問を呈した。

 そのアインシュタインの疑問に対して、生長の家ならどう答えるだろうか。多分、以下のように答えるのではないかと思う。

 私たちが見ている月は、放送局からの眼に見えない電波がテレビジョン装置に触れて月の映像を映し出すのと同じように、神のアイディアによる月の理念――神のいのちの振動が、私たち人間のいのちに触れ、いのちを刺激し、そして脳髄受信装置を経由して、視覚的映像となって月がそこにあるかのごとく見える。それは視覚神経を通し、脳髄によって(見る道具)、あるいは見る心によって翻訳再生された月だから、私たち人間が見なければ月はない。それは見る道具と、見る心によって変化する月であって、月そのものではない。その意味からいえば、量子論が正しい。

 しかし、アインシュタインが「私たちが見なくても月は在る筈だ」と言ったように、確かに月はあるだろう。私たちが月を見るのは、夢遊病者が幻覚を見ているのとは違う。しかし、「私たちが見なくても在る月」とは、見る道具や、見る心によって翻訳再生された月でなく、神のいのちが想念した「月」なるアイディアである。その月は私たちが見ているような物質的な月ではなく、神のいのちの響きである。これが「私たちが見なくても在る月」である。

 そして、同時に私たち人間の本質も神のアイディアであり神のいのちの響きであり、存在の奥底において月(万物)と私たちとは一体であるから、私たちは「そこに月がある」と認識できる。月と私たちがまったく別のものであったら、月がそこにあると認識することもできないし、「月が美しい」などということはあり得ない。月がそこにあると認識し、美しいと感じることが出来るのは、別々に見えて、存在の奥底において、一体であるからである。

 と、生長の家ではおよそこのように教えられているのですが、アインシュタイン博士はどう思いますか?

 話に聞くところによると、博士は5歳の幼い頃、父からコンパスをプレゼントされ、そのコンパスの針が、手で触れもしないのに北の方角を指し示すのを見て、「この世には目に見えない不思議な力がある」と感じさせられ、神秘な感に打たれたそうですね。そして「それが私の生涯を決定した」と。わたしはこの話にとても感動し、博士が大好きになりました。そんな博士なら、わたしが、このような生長の家の教えに惹かれるのもきっと御理解いただけると思います。それではアインシュタイン博士、またいつの日かおめにかかれますように。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「見知らぬ男の話」の訂正と詳細 ②

2015年11月04日 | 信仰

前回の続きです。

 

 救われた母は地域で困っている方があれば助けてやりたいと思うようになっていった。○○(地域名)のAさん(若い男性で実名も書かれていますが、ここではAさんとします)がカリエスで8年の闘病生活をしておられることを知った。さっそく母はそのお宅へ出向いて「わたしの話を聞いて下さい」と座敷で寝ておられるAさんに話しはじめました。しかし、なかなかその気になって聞く状態ではなく、無言のまま横になって寝ておられる。それでも母は続けて通った。15日間ぐらいかよった或る日、母は「今日で終わらせていただきます。幾日もお邪魔しました、ありがとうございました」と言って帰りました。

 

 そうしたら、次の日になったら家族の方が是非もう一度来ていただきたいとお願いに来られた。母はビックリしましたが、次の朝出向いて話しはじめました。するとAさんはいつもと違ってクルリと母の方を向いて聞く気なって聞いて下さるようになりました。

 

①先ず両親とご先祖に感謝する。

②身の回りにある一つ一つを読みあげて、一切のものに合掌し感謝する。布団、まくら、障子、柱などなど。

③何回でも何回でも毎日繰り返して続けて下さい。必ず良くなります。

 

 本人もその気になって、毎日続けているうちに体の状態が変化してきました。さらにつづけているうちに、「骨の腐る病気カリエス」が消えていった。そして、その後めでたく結婚もされ、幸福に生活を送っておられます。

 

続いてこんな例も紹介されている。

 我が家(記録者)の北側にBさんという方がおられ、精神病と思われる行動をとられていた。そしてBさんの母親は大変困って「自分はどこまでも歩いて、生き倒れで死にたい」とまで言っておられた。それを聞いた母は「それなら、私のいうことをやりますか?」と尋ねると、母親は「はい、やります」と答えた。そして、母の指導が始まった。

①長男のBさんは神の子であるから、合掌して完全円満なる実相を真剣になって観ること。

②毎日毎日、仏壇の前でBさんの完全円満なる実相を念じ、既に元気に仕事をしている様子を思い浮かべながら、神に感謝する。

 

 母も一緒になってBさんの「実相円満完全」を祈りました。やがてBさんは少しつづつ良くなり、ついにはまったく正常に回復され、母親はもちろん家族全体から喜ばれた。

 

と、このような話が書かれていました。「見知らぬ男」にかかわる話はこれでおしまいです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「見知らぬ男の話」の訂正と詳細

2015年11月01日 | 信仰

 昨日書いた「見知らぬ男の話」ですが、出講時そのお宅の両親時代からの出来事を記録した手造りの小冊子も頂いていたことを思い出しました。そして、今回あらためてそれを読んで大いに感動しました。それで昨日の話を訂正する意味も含めて、無許可ながらここに、その素晴らしい話を紹介させていただきます。

 

以下は、その記録そのままではないですが、短くはしているものの、おおよそは記録どおりです。

 

話は昭和22年のことです。或る日「見知らぬ男」がやって来て、「わたしの話を聞いて下さい」と言った。父は「我が家では信仰をしている」と断り、さらに、何回か断ったが、その男は「少しでもいいから聞いて下さい」と言って、玄関前で10分ぐらい話をした。そして、最後に「わたしの話が解ったら、もう変化があらわれている」と言い残して帰った。母は、病床にあり、父は病人の傍を離れないようにしていたので、すぐ母のところに戻ると、母は「今少し気分が良くなった」というので、父は、見知らぬ男がやって来て「病気はない。今すでに変化があらわれている」と言って帰って行ったと云う話をした。母は「それなら是非呼んできて欲しい」というので、父が「こんな話をされた人は誰か知りませんか」と近所を訪ね歩いた。

そして、その男の人は名前を若林といい、戦後に遠方から○○へ疎開してきた人であることが分った。そして、あらためて、若林さんにお願いして母の枕もとで話をしていただくことになった。

母はどんどん痩せていっていて(病名は書かれていない)、婆さんは死も覚悟していて、そんな病人の前でどんな話をするのかと、心配だったらしい。小冊子にはその時のことがこう書かれています。

若林さんは最初、母に「ありがとうは言えますか?」と訪ねた。

母は「その位のことは言えます」と返事。

若林「それでいいですよ。人に家族に物に感謝し、『ありがとう』を、これから目の開いている間中・・・すべてのものにありがとう、毎日毎日言い続けて下さい。寝ている時は天井、柱、障子、眼につくものすべてに、友人、知人、思い出せる人すべてにありがとうを」

 

そして、母は若林さんの指導に従ってその通り毎日実行した。3日後には、お彼岸に仏壇にお供えしてあった「ぼた餅」を食べたいと言い出し、「もう少し元気になったら」と止めたが、ついに食べて「おいしい」と言った。以来、食欲も急速に回復し、1週間か、10日経ってついに外に出るようになり、買い物にも行けるようになった。

 

元気になった母を近所の人が見て不思議がり、評判になった。そして「一度話を聞かせて欲しい」との声が出始め、そのお宅で、若林さんの講演会を開くことになった。集まった人数は80人。

その時の若林さんの講演の概要はこうまとめてあります。

①大自然・太陽系・大宇宙の造り主は誰か? そして太陽・地球・夜空の星は法則によって正確に運行されている。

②地球上の「人間を頂点とするすべての生き物」は誰が創造したのか?

③いのちある生物は神によって造られている。特に人間は神の最高顕現であり、神の子です。

④だから私たちは、一切の人に感謝し、天地の万物に感謝し、心から「ありがとうございます」と合掌すれば、そこに神の愛が顕われ、病は消える。人間は神の子・仏の子であり、大自然、大宇宙を創造した大生命を頂いている。天地すべてのものと和解した時、そこに神が顕れる。

 

まだ、話は続いていますが、今日はここまでにします。

私はここまで読んで、とても感動させられました。難しい話は一つもないのに、ここに生長の家の教えのすべてがある、「素晴らしい!」と思いました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする