気の向くままに

山、花、人生を讃える

「物質はない!」

2010年11月21日 | 信仰

「生命の実相」21巻の経典篇を読んでいたら、「物質は無い」(色即是空)ことについて、次のように書かれていました。

○(物質が)そこに存在するように認められているのは、われわれが念の力でそこに在ると認めているからで、われわれが認めなければ、物質はない。認めなくとも、われわれがいなくとも物質はあるじゃないかと言われるかもしれませんが、幽霊などはいくら締めきっておいても入って来る。これは幽霊は別の種類の念の世界に住んでいて、われわれと同じようには物質を認めない。認めないから物質は彼にとっては無い。

これを読んで思い出したのが科学者であり、探検家、登山家でもある西丸震哉が書いていた次の話でした。

西丸震哉が小学生の頃の話ですが、彼の爺さんがご臨終が近いというので、家族や親せきが集まっていた。ところが近所のおばあさんが、その爺さんの家の裏の通りを歩いて行くと、病気で寝ていると思っていた爺さんが塀に向かって立ち小便をしている。これは悪いところに出くわしたというので、ばあさんは引き返して表側へと迂回した。そしてその家の玄関前にさしかかると、奥さんが出てきたので、
「お宅のお爺さん、元気になられて良かったですねえ」と挨拶する。
ところが奥さんは「いえいえ、こういうわけで今取り込み中なんですよ。どうぞ、上がって顔でも見て行って下さい」と言う。
ばあさんは、「今確かに元気そうに立ち小便している爺さんを見たのだから、そんなはずはないがなあ」と不思議に思いながら、ともかく勧められるままに爺さんが寝ている座敷へと上がって行った。
すると西丸震哉が言うのに、それまで昏睡状態で寝ていた爺さんが突然に薄眼を開けて、「いやあ、先ほどはお恥ずかしいところを」と言う。
それでばあさんは、「それでは先ほど見たのは、やはりあなただったんですか?」「いやあ、あんまり退屈だったので、外へ出たくなってね」などと話し合っていたと、まあそんな話でした。
余談ながら、西丸震哉は、「後で、小便の後を確認しておくべきだった」と、書いておりました。

この話を思い出した後、今度は自分の古い体験を思い出していました。そして、今まで不思議に思っていたことが、今日ようやく合点されました。 長くなりますが、それも書かせてもらいます。

以前にも書きましたが、私は高校時代ほとんど勉強しない人間になっていて、国家試験が近づいても碌に勉強せず、卒業と同時に読み始めた「生命の実相」を、家の者には勉強している振りをしながら貪り読んでいました。そして、ようやく4回目に外航資格としては最低の三級を取得して乗船しました(その後に一級取得)。

10ヶ月乗船して休暇を取ったとき、仕事に自信が持てるようにと、毎朝一番電車に乗って熱田神宮へ早朝神想観に通い始めました。その1週間目ぐらいの時、「神の無限の生かす力、わが内に流れ入る、流れ入る・・・」と念じている時、突然、息が勝手に入りこんできかと思うと、身体が風船のように膨れていき、あっという間にガス体のように拡散し、拡散しながら白い湯気がすーと消えるように、身体が消えてしまいました。

驚いたのは本人であるこの私。「そんなバカなことが!」と驚きつつ心の目で頭から確認していくと、自分の意識というものが、普段感じられるような頭の中ではなく、あちらにもこちらにも周囲に広がっている。下へ降りて胴体に意識を向けると、普段感じられる身体の感覚というものが一つもない。そればかりか、冷んやりした空気がスースーと通り抜けて行くのが感じられる。腰は、針の穴のように小さく、そこから下の両足はいつものまま。それで「これは凄い。もっと精神統一できたら全身が消えるかもしれない」そう思って、再び神想観に入ろうとして息を吸ったとき、我に返って、それまで息をしてなかったことに気がついた。その間、どんなに少なくても1分以上はあったはずですが、ともかく、呼吸することは完全に忘れ、吸うことも吐き出す事もしていなかった。我に返ると急に心臓が高鳴りドキドキしはじめ、粘って頑張ったのですが、その後はうまく神想観ができませんでした。 しかし、身体は30分の神想観の最後まで消えたままでした。

その後、電車の中で持ってきた「生命の実相」を読んでいると、そこにはこんなことが書かれていました。

婚期を迎えた娘さんが、太もものところに大きなタムシが出来ていて、これでは結婚できないというので、おばあさんが、誰かに生長の家に行ったら治るということを聞いて、その娘さんを連れて、教えられた先生の宅へやってきた。そして、かくかくしかじかと事情を話す。するとその先生は「病気はないんですよ!」という。おばあさんは、生長の家は何も知らないから、「そんなことを言ったって、ここにちゃんと病気があるんですよ」という。先生は「無い」と言い、ばあさんは「ある」という。幾度か「ある」「ない」の押し問答をした末、先生が「そんなに言い張るのなら、見せてごらんなさい」と言う。それで、ばあさんがその証拠を見せようとすると、既にタムシが消えていた、とそんな話が書かれていました。

私は、これを立って吊皮につかまりながら読んでいたのですが、タムシが一瞬にして消えていたというのを読んで、脳天に電撃的ショックを受け、「物質は無いんだ!」と気づきました。そして、周囲を見回すと、いつもと同じように見えているのですが、ただ、いつもとは違って、まるで実在観が感じられませんでした。同時に、すーと自分の体が軽くなるのを感じました。

まさか自分がこのような素晴らしい体験をいただけるとは思わなかったので、その嬉しさと、念願の「物質がない」ことを知って、本当に自由な軽い気持ちになり、次の乗船後には、仕事の合間合間に我ながら感心するほどに本当によく勉強できました。

その時の感覚はとっくに忘れて元の黙阿弥になっていますが、ただ、今までずーと、あの神想観の時に身体が消えたことを、不思議に思っていました。いくら「物質は無い」と言ったって、身体が消えて透明人間になるなんてことはどう考えてもあり得ないことなのに、しかし、自分の体験としては確かに錯覚ではなく消えている。だから、「あれは、いったいどういうことなんだろう?」と、いつまでも合点がいかず、今日まで不思議に思っていました。

でも、やっぱり肉体は念の映像なんですね。自分の念を三次元のスクリーン上に投影して、そこに確固と肉体、物質があるように感じているのですが、実際は、3D映画を見ているのと同じなのだと思いました。だから、あると思っている身体が消えて、そこを空気がスースーと吹き抜けていっても、もともとが物質と見えていながら3D映画なのだから何も不思議はないのだと、そう思いました。

立ち小便している爺さんは幻かもしれないが、布団に横たわっている本物の爺さんだって、やっぱり爺さんが現している幻なんですね。そんなわけで今日は長年の疑問が解消し、すっきりしました。


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「平城遷都1300年祭り」へ

2010年11月04日 | その他
昨日は娘夫婦に連れられて奈良へ、そして「平城遷都1300年祭」を見てきました。

1300年祭というのは、飛鳥に近い藤原京から奈良盆地北端の平城京に都が移されたのが西暦710年だから、今年で1300年を迎えるというわけで、その記念行事として開催されているもの。

今年のはじめにその会場の南端に復元された朱雀門から全国へ延びる「古代スーパー・ハイウエイ」の放送を見たが、その時、映像に映し出された都跡の広々とした感じが印象に残っていたが、実際に行ってみて、その広々とした様子と復元された建物などによって、いっそう往時の息吹を肌で感じることができた。

以下はその時の写真です。

大極殿
 

大極殿内部天井  大極殿内部のスミラミコトが座し給う高御座(たかみくら)
 

大極殿から見る朱雀門



発掘された井戸に使われていたヒノキ(左)と、その発掘現場の様子を伝える写真資料(右)
 

東院庭園。
下段はこの日のイベントとして、この東院庭園で催された当時の宴の様子が再現されているところ。
ここで歌を詠み、酒を酌み交わしながら、その歌を披露し合ったとのこと。
 

 

朱雀門と(左)、門を閉じる儀仗兵が朱雀門に向かって行進していくところ(右)
 

遣唐使船も見学したかったが、時間帯が東院庭園でのイベントと重なって見学できなかった。
しかし、一般に展覧会は人が多くて疲れるわりに得るものは少ないが、この1300年祭は会場内を歩くだけでも往時の都の様子が感じられて、それが何よりも良かった。
一言で言えば、「空間の素晴らしさ」だろうか。良い1日でした。


今年は娘のおかげでフジ子ヘミングのピアノ演奏に、ミュージカル(オペラ座の怪人)も見られた。
有難いことである。


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