気の向くままに

山、花、人生を讃える

地球(ガイア)の声がきこえますか。

2010年08月28日 | 映画
おはようございます。

いやあ、毎日猛暑、猛暑、そして熱帯夜ですねえ。
これだけ続くと気持ちは慣れっこという感じですね。
仕事もしていない身とあってはエアコンを使うのが申し訳なくて、扇風機で我慢していますが、しかし、一週間予報を見ても、一向にこの暑さが衰える気配ないのには、さすがに今年の暑さは異常だなあと感じます。

昨日、一番暑い昼下がりに、どんな暑さかとためしに草刈り機で空き地の草刈りをしたのですが、さすがに暑くて熱中症になりそうでした。あと少しを残してやめたのですが、やめた後で、無理をしないで良かったと思いました。もう少しだからと無理をしていたら本当に熱中症になっていたかもしれないところでした。

熱中症のニュースを見ながら、「なんで熱中症になるまでやるのか、バカだなあ」などと思っていましたが、夢中になっていると気づかないもので、仕事をやめてはじめて危ないところだったと分かるんですね。「ああ、なるほど、これだなあ」と思いました。

後ですぐに、昨夜の残り湯の水風呂の中にドブンと入り、そして、しばらく頭がボワーンでした。


さて先日、「地球交響曲(ガイア・シンフォニー)」一番、二番を見てきたのですが、出演者の語る言葉が、二度目の今回ははじめてみた時よりいっそう心に響き、パンフレットにはその大部分が書かれているので、そのパンフレットを申し込み、昨日届きました。

すると、その一番最初に素晴らしい詩が出ていて、「なんという素晴らしい詩だろう!」と、その詩に泣きたくなるほどでした。読まれた方もきっと、泣きたくなるのではないでしょうか。
詩の作者名は書いてないので、龍村 仁監督自身の作だろうと思います。

こんな詩でした。


      ≪地球(ガイア)の声がきこえますか≫

あなたの声を、
風は、確かに聞いているんです。

山だって、耳を澄ましている。

花や樹は、
あなたが呼びかけていることを、
もうとっくに知っています。

喜びで、トマトの顔が真っ赤になった。

石だって震え始めた。

象や鯨たちが、あなたに会うために
歩み始めています。

心で聴いてください。

地球交響曲(ガイア・シンフォニー)


(監督の名前を前の記事では「滝村 仁」としていましたが、私の思いこみ違いで、正しくは「龍村 仁」でしたので訂正します)  


「いのちの森の台所」②

2010年08月24日 | 読書
先の記事を書いた時は、まだこの本の2/3ぐらいを読んだところで、後の1/3は未読で、記事を書いてから残りを読みました。

その残りの方に、あの鐘を送ってくれたアメリカの修道院の院長と実際にお逢いになったときのことが書かれていたので、それを書きたくなったのでまた書かせてもらっています。

初女さんと有志が、1999年の秋にお礼と報告のために鐘を贈ってくれた修道院を訪れることになったそうですが、初女さんはその直前になって体調をくずし、ご自身は同行できなかったとのこと。
しかし、「地球交響曲」の英語版を見た修道院の創設者でもあるベネディクト院長が、「初女さんに会いに日本へ行きたい。この修道院を創設したとき以来の強い促しを感じる」と言って、とうとう向こうから、本当に「イスキアの森」を訪問してくれたのだそうです。

これは戒律の厳しいベネディクト派では考えられないことであり、また遠い日本の一信徒への訪問はカトリック教会としては前例のないことだそうです。

その二人のご対面時の様子が次のように書かれていました。

○森のイスキアに到着された院長さまは、じっとイスキアの森の小さな家を眺められたあと、私の目をみつめて、「あなたは苦しみましたね」とおっしゃいました。
「わかりますか?」と尋ねると、
「わかります。私も苦しみました」
そうゆっくりした口調でおっしゃいました。

とのこと。
これには「へー!」と感心しました。
私などはその顔からはやさしさや芯の強さ、高潔さは感じられても、苦しみを乗り越えてきた人とはまるで想像できませんでした。「肝胆相照らす」とはこんなことかと思いました。

続いて次のように書かれています。

○そのとき、院長さまは数えで90歳、車椅子を使われているにもかかわらず、イスキアの階段を手すりにつかまりながらひとりで上がられて、
「私には勇気がありますから大丈夫です」と微笑まれました。
そんなふとした言葉や行動にも、とても通じるものを感じました。言葉を超えて、こころとこころで通じ合っていたと思います。

このように、90歳でしかも車いすを使われているぐらいなのに、わざわざアメリカから来られたんですね。本当に強い衝動があったのだと思います。

そして、普段通りの料理でもてなしたところ、「一食が一日分あるようです」と言いながらも、全部食べられたとのこと。そして次の日のこと、

○送っていただいた鐘を「二人で鳴らしたい」と強く希望して下さり、一緒に打てたことは、素晴らしい体験でした。あの時の鐘の音は、今も私の心の中で美しく響いています。

と、ありました。


初女さんが80歳を過ぎてからは、死についてどんなことを考えているか?とよく聞かれるそうですが、
初女さんは後のことは何も考えていないそうで、ただ、「今を生きる」ことだけを心掛けていられるとのこと。
そして、「何かのお役に立ちたいのですが・・・」という相談にも、それは、しょうと思ってできることでなく、ただ、今自分にできることを一生懸命やっていくうちに、自然に物事が動いていくと答えておられ、「今を生きる」という言葉を他の相談にも繰り返し使っておられました。

また、父親が事業に失敗し、その心労から若いころに、笑うだけでも血管が切れるという胸の病気を患い、17年もの闘病生活を送られたとのこと。それでも結婚を申し込まれ、結婚してから、そんな病弱では危険だから子供を産んではいけないと医者からも止められていたそうですが、腹の中に大丈夫という確信があり、お子さんを産まれたとのこと。

その病気から完全に立ちあがるきっかけになったのは、どなたからいただいた旬のおいしい食事からだそうで、その時に身体の細胞から元気が湧き出してくるように感じられ、そこから本当に「生きよう」という強い気持ちが湧いてきたとのことでした。(医者が処方してくれる薬は、良くなる兆しもないし、苦くて飲みたくないので、こっそり棄てていたとのこと)
そして、「食はいのち、食材もいのち」と感得されたようで、以後、薬の世話にはならず、風邪をひいて痰や咳が出ても、出るものが出てしまえば治る、で来られたそうです。

おむすび一つについても、米のとぎ方、水加減、握り方など、一つ一つの工程に生き届いた心配りが書かれていて、料理に縁のない私にもとても興味あるものでした。そして、「お米の一粒一粒が呼吸できる程度に握る」という言葉には、本当にお米のいのちを感じておられるんだなあと感動させられました。

一人の息子さんがあったのですが、その息子さんがまだ若いうちに亡くされているようです。


最後に、「人も野菜も透明がいい」という小見出しにあった感動した話を・・・。

最近は“ゆでる”ばかりになって“ゆがく”という言葉は聞かなくなりましたが、“ゆでる”と“ゆがく”は違うらしい。そして、初女さんは言う。
たっぷりのお湯の中で野菜をゆがいていると、緑が鮮やかになる瞬間があり、その時には茎が透明になる。その時に火を止めて冷やして食べるとおいしい。特にブロッコリーや小松菜は緑鮮やかに、そして茎が透明になる瞬間がよくわかる。

キャベツやゴボウなどを炒めているときにも、透き通ってくる瞬間があり、その時に味をつけて火を止め、しばらく休ませておくと味がしみ込んで、歯ごたえも良く、香りのよい炒めものが出来る、とのこと。

そしてその後、次のように書かれていました。

○透明になるときは、野菜のいのちが私たちのいのちとひとつになるために生まれ変わる瞬間、いのちのうつしかえのときです。いのちが生まれ変わる瞬間には、すべてが透き通るんですよ。セミやザリガニが脱皮するときも、蚕がさなぎに変わるときも、透き通っているそうです。

と、ありました。
素晴らしいお話ですね。感動しました。


「地球交響曲」の監督、滝村 仁さんの「ガイアのささやき」という本の中には、人間に捉えられて動物園で飼育されるようになった動物が、ある瞬間――例えば調教師と心が通い合った瞬間など――これらの動物たちが捉われの身になったことを受け入れ、「人間の役に立つなら訓練を受け入れよう」と覚悟を決めたとしか思えない、そういう変化の瞬間があると多くの調教師が語っている、という話を思い出しました。

長くなりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。

『いのちの森の台所』

2010年08月21日 | 読書
久し振りの更新です。

昨日家内が、「良かったらどうぞ」と言って本を手渡すので、見ると、佐藤初女さんの『いのちの森の台所』という本でした。

佐藤初女さんは、地球交響曲第二番を見てはじめて知った人ですが、明日22日にはその映画をもう一度見に行く予定なので、家内は図書館でその本を見つけて借りてきたようです。

佐藤初女さんはこの映画で紹介されてからは、あちらこちらから講演依頼が来るようになり、またマスコミにも出ておられるようだから御存知の方も多いかもしれませんね。

「地球交響曲」という映画は、いろいろな形で霊的な人生を送っている人たちを紹介するドギュメンタリー映画で、一本に4、5人の出演者がありますが、この佐藤初女さんは映像が美しかったせいもあって最も感動した人でした。

心のこもった料理を作る人らしく、この佐藤初女さん手作りのものをいただくと、皆さんがそのおいしさに感動し、人生に疲れきった人たちまでが癒されてしまうらしい。

映画の中では、(記憶ですが)
「夜中でも漬物の声が聞こえてくる。漬物が『重いよ~』と言うんですね。すると夜中でも起きていって、漬物石の重さを変えてやるんですよ。だから、漬物石も重いものから軽いものまで十種類以上もあるんですよ」というようなことを話しておられました。

また、この人の握ったおにぎりを食べて、そのおいしさに感動して、自殺を思いとどまった人もあるという話も紹介されていました。

佐藤さんはカトリックを信仰する人ですが、短大で染物実習の講師をしていたらしい。そして自宅には染物工房の一室があり、或る時、「狭くてもよい、ここにどなたをも暖かく迎え入れよう」と決意されたとのこと。それからいろいろな人が訪れるようになり、やがて手ざまになり、多くの人に支援されて家が増築され、「弘前イスキア」と名前もつけられました。

当時はサラ金問題が多発していた時だそうで、暴力団から逃れるようにしてここへやって来る人も多かったそうです。それも近隣からばかりでなく、遠くは沖縄からも。そして、このような人たちを長期滞在させるには限界があり、「自然の中にみんなが集い、安らげる場があれば・・・」と切に願うようになったとのこと。

そして、資金があったわけでもないのに、いろいろなたくさんの人からの支援があり、ついに念願のその為の土地も購入でき、やがては人々を招き入れる建物も立ちました。これが有名な「森のイスキア」と呼ばれるものですが、青森県の名山、岩木山山麓の一画にあり、映画では上空から写したカットがありましたが、一面に森が広がる一度見たら忘れられないほどのとても美しい光景でした。

佐藤初女さんは小学校の頃から、教会の鐘の響きにとても心を惹かれていたらしく、この「イスキアの森」にも、そんな美しい音色を響かせてくれる鐘が欲しいと願っておられました。そんな初女さんの願いを知った或る人が、アメリカへ行った時にそんな鐘がないだろうかと心当たりを探ってくれ、細かいことは忘れましたが、ともかくそんな話を聞いた或る修道院の院長さんが、保管されていた由緒ある鐘を贈ってくれることになりました。

映画では、イスキアの森と佐藤初女さん、そしてアメリカの修道院とその院長さんを交互に映しながら、それぞれのインタビューの声を聞かせてくれるのですが、人種が違っても、まるで姉妹のように共通した美しさがあって、遠く隔たっていても「通い合うこころ」をまざまざと実感させてくれる本当に美しいシーンでした。(お二人は当時で、70歳、80歳ぐらいだろうか)

この地球交響曲という映画は、知らなかったのですが、海外のいろんな国でも上映されているようですね。そして、海外からも初女さんへの講演依頼が少なくないようだし、また「森のイスキア」を訪れる外国人も少なくないようです。

家内に本をわたされた時、読んでいる最中の本があったし、またこれからも読みたい本があったので、一旦は「読まないよ」と返したのですが、思いなおして、せっかくなので拾い読みぐらいしてみようかと思い、途中のページを開いて拾い読みをはじめたのですが、たちまち引き付けられて、すぐ最初から読み始めました。

難しいことは何も書いてないのに、何処を開いても癒しに充ちていて、どうしてだろう?どこが違うのか?と不思議でした。

「木は生きている。生きているものに釘を使うなんて、生きている木を殺すようなものだ」と言ったのは、有名な宮大工棟梁の西岡常一さん。

佐藤初女さんは「食材は生きている。それを生かして使うよう工夫すればおいしくなる」と言う。
佐藤さんの一言一言に、「命」という言葉の奥にある、その「いのち」を感じさせてくれる本でした。

巻末を見ると、今年発行されたばかりの本で、初女さんは89歳になられるようです。
今年の新緑の頃に書かれた「おしまいに」の挨拶文の中には「神のはからいは限りなく」という言葉があって、その実感のこもった美しい言葉にまた感動させられました。
そして、ご健在なのを知って嬉しくなりました。

最後に、巻頭に掲載されていた小学校五年生、吉田 健君の詩が素晴らしいのでここへも書かせてもらいます。

  
   ≪仕事≫  吉田 健

   仕事は大変だ。
   なのに、つけもの石くんも、
   電信柱くんも、ふすまくんもがんばっている。
   つけものいしくんは、いっしょうけんめい長~い間すわっているし、
   電信柱くんは、雨がふっても、雪がふってもたっている。
   ふすまくんも、風を止めて、人がきたらちゃんとどく。
   なのに人間は仕事をやるのに、もんくをつけたりする。
   仕事はなかなかできるものではない。


これは学校の宿題で書かれたものとのこと。
そして、その吉田 健君は大学四年生の時に急逝されたのだそうです。

そう言えば、先日、高校の同級生の訃報が届いて、それに対する同級生たちの返信もパソコンのメールに届いて、それを読みながらとても懐かしくなりました。

止まらなくなりそうなので、この辺で。
最後まで読んでいただきありがとうございました。

三俣蓮華岳へ その2

2010年08月03日 | 
今回登った三俣蓮華岳へ最初に登ったのは平成8年。
この時に見た北アルプス北部の雄大な眺めが忘れられない。
左手には黒部五郎岳、すぐ目の前には「鷲が羽を広げたような」と形容される鷲羽岳、その向こうには水晶岳、眼下には黒部川源流の谷、その谷を隔てた向こうには高原状台地の雲の平、そして特に私の心をとらえたのが、遥かに見えた薬師岳の形容しがたいような美しい姿でした。

「あの風景をまた見たい!」と、同じコースをたどったのは5年前の平成17年。
しかし、この時も一面のガスに覆われ、風も強く、登山者は私たちだけというような日でした。今思えば良く歩いたものだと思うが、今回はその時ほどの風ではなく登山者もいく人かいたが、やっぱりガスに覆われて、「また、出直していらっしゃい」となり、その点は誠に残念。
「逃した魚は大きい」の通り、ますます、最初に見た時の薬師岳の雄姿への思いが募る感じである。
ただ、登り始めた28日だけはまあまあの天気だったので、少しは山の写真も撮れた。

今年の冬は寒さが厳しかったせいか残雪も多く、三俣蓮華への巻道は危険との情報で別の道をたどったが、このコースもなかなか良かったので、違う道を歩けたのも良かった。


新穂高温泉のわさび平小屋を出発して林道を行く。       両側はブナの原生林(標高1400)
 

登山口。(小雨降る下山時に撮ったもの)             最初の休憩ポイントの秩父沢(標高1700)
 

下山時の秩父沢。近寄って見ると、なかなかの迫力である。


第二休憩ポイントのシシウドヶ原(標高2100)


谷筋に残った雪。


第三休憩ポイントの鏡池(標高2400)から見た槍ヶ岳。
池が鏡のようなときには、「逆さ槍」が映るカメラマンの名所。この日はさざ波が立って逆さ槍は見られなかった。


歩いてきた道を振り返る。(標高2600)


途中の花畑で(標高2600)


槍ヶ岳の西鎌尾根が眼前に迫る。背後は鋸の歯のように険しい北鎌尾根。


今日泊る双六小屋(中央、標高2500)が見えてきた。背後は鷲羽岳。


小屋前から見た鷲羽岳(標高2924)。日が射していると、山の緑が映えて一段と美しいのだが・・・。


小屋近くの木道。


翌朝、小屋を出発。


雪原。


山頂(標高2841)。ガスで何も見えない。



途中で出会った国の特別天然記念物、ライチョウ(オスとメス)




三俣蓮華岳へ

2010年08月02日 | 
7月25日の相愛会教区大会を終え、26日は山への準備、そして翌27日は山へ向かいました。
昨年は予定した日の天気が悪くお流れになりましたが、今年はどうにか良さそうなので張り切って出かけました。

ところが、まあまあの天気だったのは麓の小屋に泊った1日目と、次の小屋まで登った2日目のみで、3日目は風雨が激しく、そのまま小屋に停滞。目指す山頂を踏んだ4日目は雨こそ降らなかったもののガスに覆われ、山々の展望はほとんどなし。下山した5日目は小雨の降る日となりました。

しかし、山々の展望は楽しめなかったものの、いたるところに花畑があって目を楽しませてくれました。
ガスを通して見る花畑も天気の良い日には味わえない良さがあっていいものです。
また、ライチョウも二度も間近でじっくり見られる幸運もありました。

以下は、その時の写真です。

≪花のある風景≫

コバイケイソウ。 背後の山は槍ヶ岳へと続く西鎌尾根






クルマユリ。背後に見えているのは目指す三俣蓮華岳(2841メートル)へと続く稜線の南端


チングルマ。


斜面に咲く花と雪渓。黄色い花はシナノキンバイ。     黒ユリ。このコースは黒ユリがたくさん見られるのがうれしい。
  

ハクサンイチゲと双六池


ミヤマキンポウゲ。ガスがかかって一段と幻想的で美しかった。


風に揺れるコバイケイソウの三兄弟。


マルバダケブキ。


クルマユリ。


池糖と花畑


一面の花畑に迎えられて。