気の向くままに

山、花、人生を讃える

嬉しい出会い

2016年03月10日 | 信仰

下の写真は、先日出講した先の御主人から頂いたものです。

≪表紙≫

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(この屏風型の手作り作品を3つもいただきました)

 

 

いかがですか。字体と書かれている言葉、そして挿絵。何ともいえない温かみがありますね。

ご主人は平成6年ごろ、ある古本屋で『生命の実相』を見つけて読んだところ、感動して入信したとのことでした。しかし、大腸癌になり、次に喉頭癌になったとのことで、手術のため声を出せなくなり、喉の声帯のところに電気カミソリのようなおおきさの、喉の振動を電気的音声に変える器具を通して話されるのですが、作品から感じられるとおり、いかにも誠実で温かみを感じさせる人でした。

また、ご主人のこのような作品を、病院や施設がそれぞれ独自に絵本にして、「ご自由にお取り下さい」と窓口に置いているそうです。そして、時には要請に応じて、老人施設などで話もされるとのことでした。その絵本がまたとても素晴しいものでした。

ちなみに、この方のお歳は70歳ぐらいで、認知症のおふくろさんを介護されたとのことでした。

このような方にお会いでき、作品までいただき、本当にうれしく思いました。出講冥利に尽きると思ったことでした。

          春風や良いこといっぱい来る予感

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悠久と懐かしさ

2016年03月07日 | 信仰

今年、37歳になる息子が家に来て、自分の小さい頃の数冊のアルバムを懐かしそうに見ていました。わたしが「懐かしいだろう」というと、「うん、懐かしいね」と素直な返事が返ってきました。

「懐かしい」とか「懐かしさ」という言葉は、なにか美しい響きがあります。忙しい現代社会で、「懐かしい」などと感傷に浸っている暇はないかもしれませんが、たまにはこのような感慨に浸るのも悪くはないと思う。

 若い頃、インドに向けての航海で夜のマラッカ海峡を通過している時でした。デッキで涼みながら遠くでちらちら揺れる小さな灯(陸の)を見ている時、以前にもこんなことがあったようなとても懐かしい気分になりました。それで、「日本人は南方から来たというのは本当かも知れない」と思いました。夜の波間には月の光がキラキラ反射し、太古の世界にいるようでした。

 さらにインドのゴアという町に入港した時でした。まだマラッカ海峡での懐かしさの気分が続いていて、その気分に浸りたいような気持で上陸し、ぶらぶら歩いていると貧しい村を通りすぎたところに、広い浜辺がありました。そして「月ってこんなに大きかったのか」と驚くほど大きな月が輝いていて――今考えれば地球上の何処から見ても月の大きさは変わらないと思うのですが――その大きな月を見、海を見ているとき、異国というより、原始の世界に来たようなとても懐かしい気持ちになり、自分は以前にもこんな地に住んでいたのではないかと思ったことがありました。

 思い出しましたが、「悠久」という言葉があります。一定の年齢になった人なら、誰もが「悠久」を感じたことがあると思います。しかし、考えて見ればこれは不思議なことだと思います。だって誰もが生まれて100年もたたないうちに死んでいくのですから、誰も悠久を経験したことがないはずなのに、どうして「悠久」を感じることがあるのでしょうか。実に不思議だと思います。しかし、これは悠久を経験したことがないというより、本当は人間は悠久なるいのちであり、表面はともかく奥底ではそれを知っているから、時に悠久を感じたりすることがあるのではないか。そうでなければ理屈に合いません。それに「悠久」なんていう言葉があるのも不思議です。いったい誰が発明したんでしょう。あなた、知ってますか?

 

○唯物論者は、「神は人間の造ったものだ。それ故、神など存在しない」と言う。

しかし、吾々は、「神は人間の造ったものだ。それ故、人間は神だ」と言う。

何故かといえば、人間は自分の内に無いものを造り出す事は出来ないからである。

人間が神を造ったのは、人間の内に神があったからである。人間の内に神が宿るということは、神が人間をつくったと言う事でもある。 (谷口雅春著『叡智の断片』P279より)

 

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