気の向くままに

山、花、人生を讃える

今年を振り返って

2010年12月31日 | 信仰
更新が滞っていましたが、暇人の私にしては珍しく忙しい師走でした。
更新を怠っているうちに今日はもう31日。
1年の締めくくりをしておかなければと思ってパソコンに向かっています。

今年は退職して2年目で、昨年は半分は休息のような1年間でしたが、今年は第二の人生に向けて歩きだした年と言えるだろうか。良い出発が出来たような気がします。

前半は7月の教区大会に向けての推進。
後半は団参から始まり、『甘露の法雨』のネックレスを買ったのをきっかけにして、信仰を深めたいと、『新講・甘露の法雨解釈』、そして『生命の実相』21巻の聖典篇を数回づつ読み、今は『人類無罪宣言』の2回目を読んでいます。

自慢そうに読んだ本の数をあげているわけではありませんが、しかし、つくづく有難く思います。
登るべき山があることが、どんなに有難いことかと思わずにいられません。
しかも目指す山は、かつては考えられもしなかった常識を超えた山。
誰もが人生苦から解放されて、幸せになる山です。

以前、夢の中に威容を誇る山が現われて、その山に憧れ山登りを始めたように、今、その常識を超えた限りなく美しい山が、白昼の夢の中に現われて、「おいで、おいで」と誘われているような感じです。
「一人出家すれば九族天に生まる」
新しい年は、もっともっと良い年になる、そんな予感でいっぱいです。

皆様も、どうぞよいお年をお迎えください。
この1年間、有難うございました。心より感謝申し上げます。

『森へ行こう』

2010年12月19日 | 信仰
昨日、「自然とともに伸びる運動」の一環として、連合会長が企画した「森へ行こう」に参加してきました。参加したのは女性4人を含む総勢26人。

連合会長の山に入り、祈りの後、1時間ばかり急な斜面の下草刈りをした。
しんしんと冷える日だったが、身体がたちまち熱くなった。

昼食後はシイタケ栽培用にクヌギをチェンソーで数本切り倒し、さらに適当な長さに切り――これは連合会長の仕事――その切られた「ほだ木」をみんなで車を止めてあるところまで運んだ。
ほだ木は連合会長が家に持ち帰り、シイタケ菌を植え付けて、後ほど参加者に配られるとのこと。

その後は、門松作りに挑戦。
できあがったものが、これ。



どうです?
もう正月が来たような気分です。

しかし、本当は門松はすでに加工してあり、材料もすべて用意されていたので、後は飾りつけをするだけでした。つまり、そこまで準備がされていたということで、これには頭が下がりました。
できあがった後は作品を持って、一人一人がカメラの前で「はい、ポーズ!」

寒い日だったが、下草刈り、シイタケのほだ木作り、そして門松作りと、山の自然の中での楽しい1日でした。

人生の夕焼け

2010年12月11日 | 人生
昨夜、布団に入って寝しなに『聖使命』新聞を読んでいたら、恵美子先生の話の中で清超先生著「新世紀へのメッセージ」という本の中から、「来世」について書かれているところが紹介されていた。

一読して、夕焼けのような美しさに目頭が熱くなった。
時には読み返したいと思うので、ここへ書き留めさせてもらうことにした。


○夕焼けになると、あしたは晴れると言われますが、その「あした」が来ることは確かですね。
けれども人生の夕焼けに、あしたが来ると言えるでしょうか。人生の夕暮れは「晩年」といって、やがて日が暮れるように、人生も終わりになります。これはどんな人にも訪れる肉体の死のことですが、それで「いのち」がすべて終わるのではない。次の人生という「あした」が来ると考えるのが、昔から多くの人々の信じた「来世」の信仰ですね。それは非科学的だというかもしれませんが、本当は超科学的な現象で、物質的な測定が出来ないという問題だというだけの話でしょう。しかし「いのち」や「愛」や「知恵」は、測定が出来ないのです。だからそれらがナイとは言えないでしょう。アルと考えて、しかも永遠の「いのち」を信ずるのが、人間の生き甲斐の本源と言えるのではないでしょうか。
その上、私たちは美しい夕焼けを望むように、人生の晩年も、美しい夕焼けでありたいと思います。しかしそのためには、死ぬ時だけを美しく、安楽に、しかも尊厳死を、というわけにはいかないものです。(以下略)

面白かったこと、感動したこと

2010年12月09日 | 人生
一昨日ことだが、剪定をしながらよもやま話をしていた時のこと、先輩が、
「うちの娘は出戻りでね、孫が『僕にはどうしてお父さんがいないの』と聞いてくる時があるんだけど、そういう時は何と答えていいのか困るね」と言う話をして来た。わたしは「ああ、そうか」と思い、爺ヤとしてのそんな気持ちも分かる気がしたので、唐突だったが飯田史彦の本に書いてあった話をした。

「小さい子どもたちは、けっこう前世や生まれてくる前のことを記憶しているらしく、この夫婦は離婚する可能性が高いことを分かっていて、自分に試練を与えるために、そういう夫婦を選んで生まれてくる子供もいるらしいよ」と言った。
すると、うれしいことに、こんな唐突な話にも、
「ほう、そうかね!」という反応。それで続けて、
「小学校入学前の5歳ぐらいまでだと、けっこう生まれてくる前のことを覚えていたりするらしいよ」

そんな話をしているところへ、60代後半と思しき家の主人から「お茶が入りましたので、休憩して下さい」との声がかかったので、今度はお茶をいただきながら、話の続きをした。

「産婦人科学会でも前世を記憶している子供たちのことを論文に発表しているけど、親が子供の言うことをきちんと聞いてやると、生まれてくる前のことを話したりする子供も少なくないらしい」と言った。
すると、今度は別のもう一人が、
「産婦人科学会か何か知らんけど、俺は、どうも前世なんて言うのは胡散臭い気がしてしょうがないなあ。そんなこと言っても、結局なにも証明なんできないんだろう?」と言う。

こうなると受け売りながら私の得意とするところ、ここぞとばかり私は言う。
「そりゃあ証明はできんよ。だけど、学校で先生が自殺しちゃあいけませんよ、いじめはダメですよというと、子供たちが素直な気持ちで『どうしていけないの?』と聞いてくるらしいんだよね。すると、先生もどうやって答えていいのかわからないらしい。そりゃあ、死んだら何もかもおしまいというなら、自殺はいかんという理由が成り立たない。世の中にはいじめられたり、借金でやくざに追い回されたり、病気で苦しんで『死んだ方がいい』と言う人はいくらでもいる。死んで何もかもおしまいになら、もう苦しまなくていいんだから死なせてやればいいはずなのに、そうはならん。やっぱり、そこに何かあるんじゃないの?」

すると、その人曰く、
「お釈迦さんが色即是空、空即是色とか言ってるらしいが、最近の物理ではそれが証明されているらしいね」と来た。これには私も意外だったが、喜んで言った。
「あれ、よく知ってるじゃないですか。そうそう、現代の物理では昔から宗教で言われてきたことが証明されてきてるんですよねえ」
すると、今度は
「そんなこと言ってるようでは、あんたは政治家にはなれんねえ」と言いだした。それで、わたし
「おかけで行くところもなく、シルバーへ来ました」と答えると、「やっぱし」ということで意見が一致し、次は政治の話になった。

仕事を終って愉快な気持ちで家に帰ると、面白そうに笑って聞いていた主人の顔が頭に浮かんで来る。きっと前世やら、色即是空やら、現代物理などという意外性が面白かったに違いない。それに剪定屋の口から出てくるアンバランスが、また輪をかけて面白かったのだろう。そんなことを思い出していると、またまた面白くなって、一人笑えたことだった。


昨夜は「クローズアップ現代」で、「延命治療の是非を考える」ということで、幼いころから重い病にかかっている18歳の若い女性とその家族ことを紹介した番組を見ることになった。その若い女性は「もう延命治療をしない」と決意し、その両親も、その娘さんの意思を尊重していたとのこと。

記者のインタビューに、18歳の若い娘さんが「長生きすることよりも、いかに生きるかが大事なことだと思う」と手持ちのホワイトボードに書いて、何の悔いもないというような明るい笑顔で答えていたのが感動的で印象的だった。

ところがその後、腎不全を併発して全身がむくんできた。治療を受けるとすれば、長時間の人工透析が必要になるとのことだったが、父親はいよいよ娘の死が近づいてくるのを感じて、まだ生きられるものなら生きてもらいたいと願うようになり、娘さんに「生きられるチャンスがある限り、できる限りの治療を尽くして、少しでも長生きしてもらいたい」と、娘を説得しはじめた。しかし、娘さんの意志は固く、彼女は言った。
「私はこれまですべての治療を受けてきた。私は、最後まで家族と共にいたい。気持ちは変わらないのだから、もう、私を苦しめないで」と。
父親もそれ以上は言えず、延命治療はしないで娘さんは長い闘病人生を終え、今年の9月に旅立ったとのことだった。

医師のコメンテーターは、キャスターの「これを見て先生はどんなことを感じられましたか?」の質問に答える中で、「この中で一番共感したのは、やはり、お父さんの少しでも長く生きいてもらいたいという気持ちに、一番共感しましたね」と答えていた。

だが、私が一番共感したのは、娘さんの「わたしはすべての医療を受けてきた。もうこの辺でいいだろう」というような気持ちに一番共感し、そのけなげさに感動させられた。
それだけに、この父親には娘さんに生きてもらいたいと説得するのではなく、娘さんの意思を確認するにとどめてほしかったと思う。娘さんはきっと旅立つ時が来ていたと思うし、死を覚悟している明るい笑顔が何よりもそれを物語っていたと思う。

ということで、愉快と感動の印象に残ったこの2日間の出来事でした。

初めての商売

2010年12月04日 | その他
最近は剪定したくてうずうずしているので、公園や庭などで伸びた木々の枝を見るとやたらと切りたい衝動にかられます。

最近も我が家の近くの家の庭木が伸び放題になっているのが気になっていたのですが、出かけて行って「切らせて下さい」と言うのも不自然でためらっていた。しかし、見ているとどうも気になるので、向こうから我が家へ来てくれないかなあと思い始めていた。すると面白いことに、そう思い始めた次の次の日、その家の主人が本当にやってきた。

庭で家内と何か話をしているのが聞こえてきたので、「あれ、本当に来た!」と思いながら、あわてて私も外へ出て言いました。
「庭の木が大部伸びているようだけど、誰かに剪定してもらう予定があるの?」
「いや、シルバーに頼んだけど、満員で断られて困っている」
「それなら、自分もかくかくしかじかで練習になるので、○○円でいいからやらせてくれないか」と言うと、向こうは
「それは有難い。是非やってほしい」というので、たちまち交渉が成立した。

さっそく庭を見せてもらうと、思ったよりはるかに手間がかかりそうだったので、「しまった!」と後悔したが、自分から「やらせてくれ」と頼んだのだから、今さら後へは引けない。
結局、ほとんど休憩もなしでフルに2日を要したのですが、しかし夢中になったおかげで、後には大満足の幸せ気分が待っていました。主人からは何度も「助かりました」と喜ばれ、こちらも「切りたい」欲求を思う存分に堪能させてもらうことができました。

このようなわけで、生まれて始めて商売をさせてもらいました。
商売と言うとどうも聞こえが良くないが、自分ではプロの仲間入りをしたようで嬉しい。

主人が「生垣の虫があまりに多く気持ち悪いぐらいだったので、夏に消毒をしてもらった」と言うので、
「毎年剪定して風通しを良くすれば虫もつきにくくなるので、自分で少しずつでもやるといいよ」と言ったのですが、言いつつ人間も同じだなあと思い、神想観のことを思い出していました。

御釈迦様も言ったとか。
「懺悔せんと欲せば端坐して実相を想え、衆罪も霜露の如し。慧日能く消除す」と。

次は今朝撮った写真ですが、心の中まで光が射しこんてくるようでした。