気の向くままに

山、花、人生を讃える

マスクで勉強させてもらった

2020年03月31日 | 人生

昨日、いずれマスクを買うために店頭に早くから並ばなけれはならないことになりそうなので、それなら自分で作れないかと思い、作り方をインターネットで調べ、ちょうどよいのが見つかったのでそれを印刷して、試しに作るつもりでいた。すると夕方、家内が80歳になる知り合いから布で作ったマスクを二人分頂いてきた。

 

その一つが下の写真です。

 

そしてもう一つ、ハンカチとゴムで応急的にマスクにする方法を教えてもらったらしく、それを私に伝授してくれた。既に多くの方がご存知と思うが、せっかくなので、ここにも披露させてもらいます。

先ずハンカチを3つに折る。(適当なサイズになるように。13㎝ぐらい)

 

次に左右両端にゴムを掛け、両端からゴムを覆う様に適当なサイズ(15㎝)になるよう折りたたむ。

 

出来上がりはこんな感じ。マスクとして十分使えそうです。

 

感じだけでもつかめるようにと写真を撮ったのだが、モデルが悪いのでこれでも苦労しました。

最近、家内がスマホデビューし(私はまだガラ系ですが)、いただいたマスクをして、二人顔を並べて自撮りしました。
何年かしたら、その写真を見て、今頃のコロナ騒ぎのことを懐かしく思い出すんだろうね。

それはともかく、マスク不足はこれで何とかしのげそうだと安心した事でした。

そして、持つべきものは友ですね。ありがたいことです。

      合掌す 君のいのちに

      礼拝す 我のいのちを

 

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新型コロナの感染原因

2020年03月28日 | 新型コロナについて

コロナウイルスは太陽のコロナに形が似ている所から名づけられたものらしい。その感染源は、まだはっきりしていないが、動物の「センザンコウ」ではないかという説や、あるいは「蝙蝠(コウモリ)」が発生源で、センザンコウは仲介役との説もある。

 

厚生労働省のホームページには
「コロナウイルス」はどのようなウイルスですか? という問いに対して凡そ次のように答えている。

答:これまでに人に感染するウイルスとしては7種類見つかっている。
    一つはSARS(重症急性呼吸器症候群)で、2002年に発生。
    一つはMERS(中東呼吸器症候群)で、2012年以降に発生。
    一つは今回の新型コロナウイルス(SARS-CoV2)。
    後の4種類は一般の風邪の原因の10~15%(流行期は35%)を占め、多くは軽症。

  コロナウイルスはあらゆる動物に感染しますが、種類の違う他の動物に感染することは稀です。また、アルコール消毒(70%)などで感染力を失うことが知られています。・・・とある。

 

次に新型コロナウイルスは、コウモリ由来というのは本当ですか?の問いについては、

答:新型コロナウイルスが動物由来であるとの確定的な証拠は見つかっていませんが、その遺伝子配列が、コウモリ由来のSARS様コロナウイルスに近いため、コウモリがこの新型コロナウイルスの起源となった可能性が考えられています。・・・と回答されている。


そんな中、昨日27日のYohooニュースでは、イギリスのBBCニュースが次のように発表していることを伝えている。

曰く、
○研究を主導した香港大学のトミー・ラム博士は、マレーシアから中国に密輸されたセンザンコウから、COVID-19(新型コロナウイルスのこと)の原因となっている新型ウイルスに関係する2種類のコロナウイルス群が見つかったと説明した。

○ラム博士は、この密輸されたマレーシア産のセンザンコウからウイルスが見つかったことから、では、このセンザンコウはどこでウイルスに感染したか、
   
①密輸中に中国の蝙蝠から感染したのか、
   ②それとも本来の生息地である東南アジアで感染したのか、
と、感染経路の疑問点を指摘・・・・とニュースは伝えている。

絶滅危惧種のセンザンコウ、新型ウイルスに似たウイルスを保持  (BBCニュース)

 

ちなみに、
SARSの原因については、確定的ではないがハクビシンだろうとか、もともとはコウモリがもっているウイルスだとか言われており、MERSのウイルスはヒトコブラクダがもっているそうで、それとの“濃厚接触”が原因といわれているとのこと

 

ところで、新型ゴロナウイルスの感染源と疑われているセンザンコウは、哺乳動物の中の「鱗甲目」に分類されるそうだ。そして、国際取引は禁止されているにかかわらず、違法取引が近年格段に増加しているとのこと。その理由の一つは、その肉が珍味であり、鱗は薬になることらしい。そのため、センザンコウは絶滅の危機に追い込まれているとのこと。(動物の売買や解体時には濃厚接触が伴う)。

 

かつてイギリスで狂牛病が発生したが、その原因は何かというと、本来草食動物である牛に、成長を促すために、自分と同種か、近種の動物の体を餌の中に混入して共食いさせていたのが原因とされている。これは牛だけでなく、羊や豚、鶏にも行われていたらしい。そしてクロイツフェルト・ヤコブ病の感染経路の一つとして、狂牛病の牛から人への感染が挙げられている。

 

このようなことを考えると、今回の新型コロナウイルスについても、人類の「自分がよければ」という勝手な仕業が、新型コロナウイルスを人間に感染させ、逆に自分たち人類を苦しめることになっているのではないかと、そんな危惧も湧いて来るのである。

 

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運気は「うなぎ上り?」

2020年03月27日 | その他

今日は1日中雨の予報だが、昨日は最高の行楽日和だった。
そろそろ桜も見頃かと思って木曽川堤防沿いの花見に出かけた。
ところが、残念ながらまだまだ2分咲き程度。それで、そこから近いお千代稲荷を久しぶりに訪ねて見た。

 

人出はコロナウイルスの影響と思うが、そこそこの人出はあるものの、通常に比べれば半分程度に感じられた。
ここで、沢庵の漬物と、豆菓子を買った。豆菓子は豆菓子ばかりが置いてある豆菓子専門の店で買ったのだが、いろんな種類のものがあった。そしてわたしは自分の好きなブルベリー味のものを買った。
わずかの量で550円?と高かったが、とてもうまかったので、誰かへのちょっとしたお土産に良いと思った。

 

写真は、ほぼ実物大のブルーベリーの豆菓子。
量的にはこれで1/3ぐらい。
ブルベリーの味が濃厚でうまっかた。

 

いろんな店を覗きながら歩いていると、こんな看板が目に付いた。
ウナギ屋さんの入り口の上の高い処にあって、鰻が上下にゆっくりと動いていた。
「うなぎ上り」ということで、「こいつあ~、春から縁起がいい~!」ということで、写真を撮らせてもらった。
おかげで、運気は必ず「うなぎ上り」に違いない。

 

次は、6月で4歳になる孫の写真。
庭で遊んでいるとき、突然、棒を杖にして写真のように腰を曲げ、じいちゃん、ばあちゃんの格好をして歩き出した。
どうしてこんなことを覚えたのか知らないが、それが滑稽で面白かった。
それで部屋の中で遊んでいるときにカメラを用意して、もう一度見せてくれとリクエストした。
すると、恥ずかしがらず、得意になって見せてくれたのがこの写真。どうぞ、見てやってください。

 

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小学校の卒業式に思ったこと

2020年03月20日 | 人生

昨日、畑の草むしりをして家に戻って来るとき、近くの小学校の卒業式を終えた児童や親たちが帰って来るのを見た。そして、児童が着ているド派手な衣装を見て、「あれ、今頃は小学校の卒業式で、こんな服を着るんだ!」と驚きました。小学生のそんな姿を見るのは初めてだったので、本当にびっくりでした。

 

家内にその話をすると、「今まではまだ少なかったのに、今年は多いねえ」とのこと。
最初は、多分東京の上流階級の子たちが集まる学校から始まったことだろうが、少しづつ伝播して、田舎にまでそんな風潮が広まって来たんだろうと思う。

 

しかし、生活に余裕のない家庭を思い、子供にせがまれ、愛する子供に肩身の狭い思いをさせたくないという訳で、余裕のない中から、こんなことにお金を使わなければならない親の気持ちを思うと、おめでたい卒業式のはずが、喜べないどころか腹立たしささえ感じてしまった。

 

たかが小学校の卒業式のことじゃないかといわれそうだが、そういう衣装を身につけた小学生たちの姿をニュースで見た時、私には何か薄気味悪かった。無邪気で元気溌剌の小学生が、まるで大人のように見栄で着飾っているように見えたからだ。

 

斯く云うわたしは、多分、凄く時代遅れの人間なんだろうね。

たとえば、まるで明治生まれのおっさんが、昭和の風潮を「怪しからん」と憤慨するような。

今まで自分が時代遅れと思ったことはなかったが、今回はそんなわけでコロナウイルスより衝撃だった。

 

私には今孫が6人いて一番上が今度小学校の5年生になるから、あと2年もしたら、孫の卒業式のそんな写真が東京から送られて来るんだろうね。そしたら、わたしは「格好いいね。素敵だね」と言うのだろうか。

 

時代がそういう流れなら、それに逆らって生きるのは難しいだろうと思う。

だが、息子よ、娘よ、わかっているとは思うが、こういうことはいつまでも忘れないでいて欲しい。

 

○あまりに裕福な家庭に生まれ、欲しいものはすべて親より与えられ、なんの労苦なくしていっさいの必要品が贅沢に揃えられるというような家庭に育った子女たちは一面においては誠に不幸な人たちであります。なぜなら、そういう人たちは、すべての善き物はことごとく外からのみ与えられて、自分自身の内部から生み出す機会を恵まれないからです。本当の幸福というものは自分の内にあるところの善きものを生み出すことにあるのです。他から与えられた幸福は他が立派な着物を着ているのと同じであって、自分自身の立派さでないのです。自分自身が立派になることのほかに自分が幸福になる道はないのです。自分自身に力がつくよりほかに自分の強くなる道はないのです。 『生命の実相(久遠仏性篇)』より

 

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マスクを買いに並んだが・・・

2020年03月18日 | その他

今日はスーパーでコーヒーを買う必要があり、ついでにマスクを買えたら買いたいと思い、スーパーの開店10分前に行列に並んだ。すでに30人ほどが並んでいて、これはもう買えないと思ったが、店が開くまでは並んでいるより仕方がないので開店迄並んでいた。

 

やがて店がオープンしてドラっグ店の前に並び、自分の前には15人ほどが並んでいた。そしてお目当てのマスクが10人も買えないうちに、店の人の「すみません、マスクは売り切れました」との案内。

 

今日は、半ばはマスク騒動がどの程度のものかとその様子を見るつもりで並んだが、本当に買うつもりなら30分前には並ばなければと思った。そして、無事買えたとしてもわずか3枚入りのもの1つだとか。

 

テレビなどを見ると、街を行く人のほとんどがマスクをしているが、どうやってマスクを手に入れているのかと思いながら、いずれにしても大変なことだと思った。

 

わが市では春先だったかに毎年無料で5枚入りのマスク1袋が郵送されて来る。今年はそれも無いと思うが、ともかく私はマスクをほとんど使わないので、いつも家内に使ってもらっていた。しかし何年前のものかわからないが、5枚セットのもの1袋、封を切らずに残っていたし、家内は家内で昨年に買った少し上等のマスクが10枚ほど残っているらしいので、すぐに、マスクがなくて困るということはないと思うが、ただ、いつかは店に並ばなければならなくなるかもしれない。
そんなことで、これからはもう少し多く余分にマスクを持とうと思った。もちろん、これは今の騒ぎがおさまってからのことだが。

 

それにしても、こんなことをのんびり書いている私は、随分暇なんだろうね。
そうなんです。予定表のあれも中止、これも中止で、お蔭で気持ちはのんびりさせてもらっている。
この際、草も萌えるのは中止、ということになってくれると嬉しいのだが・・・

 

下の写真は昨日作った金柑ジャム。
家内からは、(ブログに載せるのを) 恥ずかしいからやめた方がいいと忠告されたが、
「恥ずかしいことなんかあるものか。むしろ俺が作ったんだと自慢したいぐらいだ」と反論した事だった。

見かけはともかく、うまいんですよ!
多分、自分が作ったジャムだから、嬉しいという気持ちも入っているとは思いますが。

 

 

 

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歌の良さを思う

2020年03月15日 | 人生

先日、BS民放で作曲家の「船村 徹全集」という放送があり、それを録画したものを先ほど見せてもらいました。そして、放送の中に出てくる数々のヒット曲を聞きながら、自分が育ってきた昭和の時代が懐かしく思い出されました。

 

番組によると、作曲家「船村 徹」は26歳の時から女子刑務所の慰問を始めたそうで、女性受刑者たちの社会復帰の一助になればということで、それをライフワークとして50年もの長きにわたり慰問を続けてきたそうです。

 

慰問では、船村徹が自ら、ギターを弾き歌ったそうです。
私はこの番組で船村徹が歌うのを初めて聞きましたが、情感があり、とてもうまいので、この人は歌手出身なのかと思いました。(事実はどうか知りません)

 

そして岐阜県の笠松に「笠松女子刑務所」というのがあるそうで、当時そこには300人ほどの受刑者がいて、その平均年齢は40歳ぐらいだったそうで、その彼女たちのために作詞・作曲」した『希望(のぞみ)』という歌があるそうです。(笠松女子刑務所を訪れたのは昭和56年1月とのこと)

 

番組の中で、ある刑務所を慰問したときの、その歌をうたうシーンがあり、その時、彼は次のように語っていました。

 

○私は5000曲近くの歌を作りましたが、みんな良いところは歌い手さんたちがもってゆき(聴衆笑う)、私の手元に残っているのは1曲か2曲しかありません。その内の大事にしている1曲は50年近く刑務所の慰問をやってきまして、笠松の刑務所の受刑者たちに作ってやった「希望(のぞみ)」という歌があるんです。

 

とこのように語り、そして、「希望(のぞみ)」を歌い始めます。

 

        「希望(のぞみ) 

       ここから出たら 母に会いたい      

       おんなじ部屋で ねむってみたい

       そしてそして泣くだけ泣いて

       ごめんねと 思いきり すがってみたい

 

  私の感覚ではヒットするような(一般に受ける)曲ではないですが、しみじみとした情感のある歌でした。

 

そして、女性の声で、次のようなナレーションがありました。

○船村が、みずから書いた歌詞の説明をし、歌い始めると、またたくまにハンカチの花が咲き、すすり泣く声が起きたという。

 

 番組を見て、感動を覚えながら、あらためて歌はいいものだと思ったことでした。

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春の花

2020年03月13日 | 

昨日今日と温かい春の日射しに包まれて、行楽日和となった。

そして我が家では黄水仙、木蓮、紅梅(八重)、沈丁花などが咲き、いよいよ春らしくなってきた。

昨日は久しぶりに1時間ほど山歩きをし、今日は足が痛くなるかと思ったが、ゆっくり歩いたせいか何ともないのでありがたい。

今年は字の役からも解放されるので、少しは山歩きもしたいと思っている。

山中はコロナウイルス感染の心配はないからその点は安心だ。

過去の写真を見て山歩きの気分を楽しもうと思ったら、どういうわけか、次の写真を開く「次へ」の「>」記号がでず、順送りができなっている。「明日になればよくなっていた」ということになればよいのだが。

 

以下の写真は以前に写したもの。

結婚前、家内がフリージアの花を持って船まで面会に来てくれたことがあった。

その時に初めてこのフリージアという花を知ったが、以来、わたしはこの黄色い花が好きになった。

いかにも春らしい雰囲気を持った花だと思う。

 

この木蓮は横浜の山下公園で撮ったもの。

 

○われわれを生かすのは明るい思想である。さし昇る朝日のごとくさわやかな思想である。さし昇る朝日のごとくさわやかな精神こそ日本精神である。生命は暗黒の中にも光を見る。暗室に置かれたる豆もやしは、外から洩れるわずかな光を求めて、光の方へ光の方へと向いて行く。そして光のない間は細く長くかよわく貧弱に伸びていくにすぎないが、ひとたび光を得たときには、太くしっかりと逞しく勢いよく生長する。生命には光が必要なのである。光が全然ないときには、伸びかかった豆もやしも数日間で枯れてしまう。再び言う。生命には光が必要なのである。  『生命の実相』37巻より

 

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「言葉の宝石・思想の宝石」

2020年03月08日 | 人生

私は通常、朝起きた後に40分ほど瞑想をし、その後珈琲を飲みながら1時間ぐらい本を読むのですが、その時間を何よりも楽しみにしています。そして素敵な文章に出会うと、それが「言葉の宝石」に思えたり、「思想の宝石」に思えたりして、宝を発見したような嬉しい気持ちになります。

今日も本を読んでいて、そんな一文に出会い、うれしい気持ちになってここにも紹介させてもらいたくなりました。
これです。

 

年齢と共に魂は進歩する:見苦しい姿をした毛虫の生活はまことに不自由な生活であり、空を飛ぶことも出来なければ、直立して進行することも出来ない。ただ彼の全生活は植物の葉から葉に渡ってそれを食して糞をするだけに限られている。併しやがて時が来る。彼の内部に“革命”とでも云うような衝動が起って彼の生命を揺り動かすのである。彼は自分自身の現状に満足しなくなる。そして不機嫌そうに動かなくなる。
 しかしやがて彼は変貌する。羽の生えた美しい蝶となってその古い殻から飛び出すのである。もう彼は、貪欲に植物の葉を貪り食わなくなる。利己的に他を食いあらすことを休(や)めて、わずかな蜜の精髄を吸うだけで、花から花へと花粉を配達すると云う「与える生活」のみを送るようになるのである。人間も晩年にも達すれば、過去の儲けることばかりを考えた習慣から去って神への奉仕生活が始まるのである。     
                                                     
 (谷口雅春著 『希望をかなえる365章』 より)

(註) 聖書の中に「いと小さきものを助けるのは、わたし(神)を助けたのである」という意味の言葉があるが、「神への奉仕」とは、そんな意味のことかと思う。

 

あの毛虫を、こんなに美しく表現できるなんて、なんと素晴らしいのだろう。

見るだけで体がかゆくなるようなあの毛虫が、まるで違ったものに思えて来て、「ああ、毛虫ってそんなに素晴らしいものだったのか」と、毛虫を見る目が一変してしまったようです。

そして自分も、いつか必ず、彼のように大きく飛翔する時が来るに違いないと夢を見るのでした

 

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梅林公園へ

2020年03月04日 | 

昨日は三重県員弁市の梅林公園に行った。
ネットで調べたところ、満開を迎えているとのことだったので、少し寒かったが毎日新型コロナウイルスのニュースを聴かされているので、気分転換ということで出かけることにしました。

 

ここへ来るのは3回目か4回目ですが、満開の時期に来たのは初めてです。

梅を見るのはやはり2月がよく、3月ではすでに時期遅れの感じもしますが、仕方がありません。

梅林の中に入ると、やや強い風もおさまり、梅の香がブーンと匂ってきて、「ああ、いいなあ」と思う。

そして、梅を見るのもよいが、人々が花の写真を撮るのに夢中になっているのを眺めるのも、また楽しからずやと言ったところ。

 

そして、帰りには、多度大社にお参りさせてもらいました。

 

帰りの木曽三川の橋のあたりからは、雪を冠った御岳山、乗鞍岳の雄姿が見られ、双眼鏡ではさらにその北にある笠ヶ岳も見えました。真北には、文字通り真っ白な白山も顔を出していて、こんなところから白山が見えるとはじめて気づいたことでした。

 

 

 

 

 

絶景かな~、絶景かな~

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