気の向くままに

山、花、人生を讃える

「おーい、俳句」

2018年09月29日 | 読書

今日は1日中雨降りの予報なので、こんな日にしか行けないと思い、映画「散り椿」を見に行きました。
ところが上映開始時間を間違え30分早く着いたため、時間つぶしに本屋さんで俳句の本を見ていたら、『おーい俳句』というのがあり、気分転換に良さそうだったので、買いました。

 

「はしがき」を見ると、お茶の伊藤園主催で、「新俳句」のコンテストが平成元年からスタートしたそうで、この本には、その内のいろいろなテーマ、いろいろな年代の人の作品から、優秀なものや、ユニークなものなどが掲載されています。

 

そして「新俳句」とは、季語なしOK、字余りOK、思ったこと感じたことを伸び伸び表現してくださいとのこと。

 

前置きはこのぐらいにして、その中から独断でよいと思ったものを紹介せてもらいます。
本には作者の名前も書かれていますが、ここでは年齢だけにしました。

 

     パパとじじ ぼくがならんで うり3つ        (8歳)

 

     わたり鳥 やっぱりはみ出る やつがいる    (13歳)

 

     冬の夜 自転車をこぐ僕 深海魚          (18歳)

 

     祖母と見た 山の景色を 孫と見る          (56歳)  

 

           言いたきを 胸におさめて 蜜柑むく        (95歳)  

 

次は特に気に入ったベスト4です。

どれも、見ればたちまちうれしい気分にさせてくれる傑作ぞろいです。

 

     にわとりが 空をとびたい 目をしてた     (10歳)

 

     せんたくものへ ぴかぴか光 おりてくる    (9歳)

 

     たんぽぽが 私に言った 大丈夫        (16歳)

 

     百歳の 笑みこぼしつつ 星祭る        (100歳)      「星祭る」は七夕祭りのこと。

 

  どの句も何でもない日常のありふれた言場ばかりなのに、どうしてこんなにぴかぴか輝く作品になるのか、本当に不思議です。だから、芸術なんでしょうけどね。

 

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無類の花好き、日本人

2018年09月25日 | その他

わたしの父親は山野草を趣味にしていて、生前、「小さい花がかわいらしい」と、わたしに鉢植えの小さな花を見せてはよく話していた。その頃の私はまったく興味がなく、まさか自分が花が好きになるとは思いもしなかった。

 

ところが40代なって登山をするようになると、山に咲いている花を見るたび、「なんという花だろう?」と花の名前を知りたくなり、図鑑を買い、だんだん父と同じく、山の花が好きになっていった。ただ、好きになったとは言っても、育てることには関心がなく、ただ見るだけの好きである。

 

そして、仕事で乗船すると、港近くの野原に咲いている花を摘んだり、花がない時はスーパーで鉢植えの花を買って部屋に置いていた。小さな鉢植えがひとつあると、不思議なくらい部屋の雰囲気ががらりと変わるのだった。

 

曼殊沙華が終わると、今度はコスモスが日本の景色を彩ってくれる。一株のコスモスが風に揺れる姿も美しいが、一面に咲いているのもまた美しい。この花もまた日本人好みの花と言えるかもしれない。

 

花で思い出すのは韓国出身の呉 善花(オ・ソンファ)さん著『なぜ世界の人々は「日本の心」に惹かれるのか」という本に書かれていたことである。

 

幕末頃からいろいろな西洋人が日本に来ているが、彼らが一様に驚くことの一つが、日本人が無類の花好きである、ということらしい。

 

それによると、その頃に来たイギリスのフォーチュン(植物学者)は、見聞記で次のように書いているとのこと。

○日本人の国民性の著しい特色は、下層階級でもみな生来の花好きであるということだ。気晴らしにしじゅう好きな花を一つ育てて、無上の楽しみにしている。

 

また、同じく幕末に来日したスイスのアンベール(スイスの時計業組合会長)は、次のように書いているとのこと。

○私はよく長崎や横浜の郊外を歩き回って、農村の人々に招かれ、その庭先に立ち寄って、庭に咲いている花を見せてもらったことがあった。そして、私がその花を気に入ったと見ると、彼らは、一番美しいところを切り取って束にし、私に勧めるのである。私がその代わりに金を出そうといくら努力しても無駄であった。彼らは金を受け取らなかったばかりか、私を家族のいる部屋に連れ込んで、お茶や米で作った饅頭(餅)をご馳走しない限り、私を放免しようとはしなかった。

 

そして、わたしに深く印象に残ったのは、先のアルベールの次の話である。

○日本人は美しい景色だけでなく、花も大好きなのだ。むっつりした顔つきの車夫が、がたの来ている人力車の梶棒をおろし、まるで小学生のように両手を拡げて丈の高い花叢(はなむら)へ駆け込んだとき、私はそれほど驚きもしなかった。熱狂の発作がいくらか静まると彼は、腕いっぱい、明るい黄色や白色のキク科の花や、オレンジ色の百合や、たくさんの美しい深紅の実のついた優美な枝を抱えて戻ってきて、それで彼の車を飾った。

 

と、紹介されていて、まさに粋な日焼けした車夫の顔が見えるようで、とても絵になる光景として強く印象に残ったことでした。

 

ちなみに、当時の世界で、花を見て喜び楽しむのはどこの国も上流階級の人たちで、このように下層階級の人まで花を楽しむのは、西洋人にとっても、また韓国出身の呉 善花(オ・ソンファ)さんにとっても、思い及ばないことだったそうです。

 

下の写真は、22日に撮影したものです。

 

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彼岸花

2018年09月20日 | 

今年はまだ見ていないが、そろそろ彼岸花が見ごろを迎えている頃だろうと思う。

 

彼岸花は、子供の頃は「お墓に咲く花」として何となく気味の悪さを感じていた。その理由は、多分、葉がなく、緑がなくて、まっすぐ伸びた茎の上に赤い花というその姿が異様に感じられたし、真っ赤な色にも毒々しさを感じていたからだろうと思う。

 

ところがどうした訳か、気がつけばいつの間にか好きな花になっていた。
いつ頃だったか、多分40歳ごろだったと思うがどこかへドライブに出かけた折、田舎の田んぼの畦道のところどころにこの赤い花が咲いていて、それがいかにも秋らしい風情でとても良かったのである。

 

しかし、その事もいつの間にか忘れていて、そしてまた、何かの拍子に「彼岸花が咲いている風景」を見たいという気持ちが起き、気づかないうちに、だんだん好きな花になっていったのだろうと思う。

 

彼岸花そのものが、よく見れば、独特で複雑な造形が美しいし、真っ赤な色だって美しい。今から見れば、どうしてこれが毒々しいと感じたのか不思議なぐらいだが、それにも増して、この時期の風景や空気に彼岸花はとてもよく似合っているのだと思う。夏から秋へと季節が移り、澄んだ秋の空の下に彼岸花が咲いている。そんな風景を思うだけで心の中にその美しい風景が入ってきて気持ちよくなってくる。

 

と、いうことで嬉しい気分で下手な1句をひねってみた。

 

      好きな花一つあげれば曼殊沙華

 

      彼岸花ガイアの平和祈り咲く

 

  去年の写真ですが、よろしければご覧ください。  https://blog.goo.ne.jp/suzuhide1123/e/b4b128ce8dd7541f0e2ab6e796e3d4b7

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ナイスな男

2018年09月17日 | 人生

2週間の入院で身体能力が鈍っていた家内も、ゆっくりと日常生活に順応しつつあるようで安堵しています。
炊事、洗濯は家内に任せていますが、少し力のいる風呂掃除はわたしがすることにしています。
そして、退院した翌日の14~16日と練成会があり、その期間中はわたしはそこで食事をするので、家内は自分の分だけ、あり合わせのものでつくって食べればよいから、ちょうど良かったと思う。

 

さて、その練成会の最終日の16日には、首をかしげたくなるような不思議な話を聞きました。

 

練成会が終了するのは15時ですが、受付の主任の女性が、「50歳ぐらいの男の人が14時ごろに来ますのでよろしく」というので、わたしが「そんな終了間際に来ても意味はないし、申し訳ないので、次の機会にしてもらったら」と言った。すると、その男性が来る目的は、練成を受けることよりも、その受付の女性に相談したいことがある、ということなので「それならわかる」と合点した。

 

で、続いてその女性はこんな話をしてくれました。
「その男性がまだ独身の頃、結婚したい人がいるといって仲人をお願いされた。しかし相手の女性をどうも感心しなかったので、わたしはその結婚に反対し、仲人はお断りした。しかし、別の誰かに仲人を頼んで結婚した。そして、いまその奥さんがご主人に暴力をふるうらしく、ご主人は危険を感じて、家で寝ないでいつも車の中で寝ている」とのこと。(どんな暴力かは聞かなかった)

 

私は、それはまたひどい話だと思い、「そんなことなら、さっさと離婚すればいいのに」と言うと、「ところが、離婚する気がないらしいの」というので、私は、「へえ~」と他人事のように不思議に思うよりほかなかった。

 

そして、しばらくして、そのご主人がやってきて、私も挨拶させてもらったのですが、想像していたのとは全然違い、とても好感の持てる素敵な男性でした。

 

それで、私はすっかり考えが変わり、「ああ、この人はたとえ暴力をふるう奥さんでも、奥さんを愛しているんだ。そして、暴力を振るわない本来のやさしい奥さんになってもらって、仲良くやっていきたい。そう思いつつ、そのためには、どうすればいいかと頭を悩ませながら頑張っているんだ」と、まるで話の受け取り方が変わってしまいました。

こうして、いやな話がナイスな話に思えて来て、当の男性に逢えて良かったと思い、心から応援したい気持ちなったのでした。そして、またぜひお会いしたいと思ました。 合掌

 

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忘れていたこと

2018年09月11日 | 人生

家内が入院しているので、毎日病院に行き、そして2時間づつぐらいしゃべってくる

 

お互いが、ぽつりぽつりと、あれやこれやを話しているわけだが、こんな時間を過ごすのは、新婚時代、あるいは恋人時代以来のことだと思う。

 

一緒に山に登ったり、ハイキングしたり、映画を見たりと、「一緒に」ということはいろいろあるが、しかし、心すべてが、家内の方に向くことはついぞなかったと思う。映画を見ていれば、心は映画に向いているし、山に登っていれば、心は山に向いている。しかし、病院の一室でしゃべっているとき、山もない、映画もない、在るのは家内だけ。それで満たされている。

 

自分にとって何がもっとも大切なのだろう?

それは自分のしたいことではないし、自分がしなければならないことでもない。

それなのに、いつのまにか、それらを優先し、家内は二の次、三の次になっていた。

つまり大切にすべきものを大切にしていなかった。

今回、その忘れていた大切なことに気づかせてもらった気がする。

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無題

2018年09月02日 | 人生

8月29日、家内が左胸の辺りが痛くて動けないと言い出したので、救急車を要請し、日赤病院へ運ばれた。医師の説明によると「左肺の上に大きいガンと下に小さいガンがある」とのこと。

そして、「奥さんにはどうしますか?」と聞くので、

「いずれ分かることなので、知らせます」と私が言うと、

医師は、「それなら私から説明します」と言って家内に説明し、それを家内は神妙に聞いていた。

 

その日は痛み止めの点滴をしていったん帰宅し、次の日、再検査があり、今度は昨日とは別の医師が次のように説明した。

 

左肺の上にあるのはガンにも見えるが、胸膜炎膿胸で、これが痛みの原因で、昨日より数値が悪くなっているので入院した方がいい。入院は2週間ぐらい必要。下の方にガンもあるが、これは治る。ただ、まず膿胸から治す必要がある、とのこと。

 

最初、ガンと言われたとき、冷静ではあったが、しかし、その後で、家内が他界して、一人になった自分が頭をよぎった。そして、いくらあがいても、もう会うこともできない家内を思い、抜け殻のようになっている自分がそこにいた。

 

しかし、実際はそうならないでよかった。

救急車で病院に運ばれ、入院にはなったが、ガンが早く見つかり、かえって幸いだったのである。

そして入院は、家内にとって良い休養期間であり、ご本人は、毎日、1万回「ありがとうございます」を唱えつつ感謝する善い機会だと喜んでいる。そして、わたし自身は、「後悔なきよう、もっと半身を大切にせよ」と忠告をいただいた気がしている。しばらく病院へ通うことになるが、まるで昔の恋人同士に還った気分でもある。

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