気の向くままに

山、花、人生を讃える

シスター・鈴木秀子さんが語ったこと ②

2018年04月11日 | 人生

≪先だった娘と母親≫

7年前に娘さんが自死した母親がシスターのもとに通っていたそうです。その母親は次のように言います。

母親:その時点でもう母親失格みたいな、自分の人生すべて否定されたような感じ。寝たきりみたいな生活でした。

そして、3年間ほとんどそんな状態だった敏子(仮名)さんに、シスターは辛い思いを吐き出すように言い、ひたすら聞き役をつとめたとのこと。母親は続けて言います。

母親:(シスターに)言って言って言い続けて、もっともっとって、自分のそういうものを吐き出すと、ある時、ふっと気がつくことがありました。気づいたのは、「いつかは死ぬ」ということ。自分自身も含めていつかは死ぬ。人生は思うようにならないけど、楽しいこともある。生きていてもいいんじゃないかな、自分自身がね。生きていてもいいんじゃないかなという気持ちになった。

そして、このように立ち直り始めた敏子さんに、シスターが次に勧めたのはシスターが開催しているセミナーでその体験を発表することでした。そして、敏子さんはセミナーで体験を発表する。その敏子さんにシスターは言う。 

○あなたにどういうことが起こって、どんなに辛かったかということをみんなに話されたときに、たくさんの人が「勇気をもらいました」って言ってたじゃありません? わたしはあの場面を思い出すたびにもう本当に起こってほしくない出来事が起こり、その出来事によって、今のあなたがあるという、そして、あなたが想像しないところでたくさんの人があなたから勇気をもらっている。だからお嬢さんは大きな贈り物をお母さんにしてくれましたね。お嬢さんは素晴らしいことを天国から働きかけていると思うんです。

場面が変わって、そのことについてシスターは司会者に次のように語っていました。

○やっぱりはじめはとても苦しみましたね。当然ですけども。ずーと辛い思いをしながらも、それでも私のところにきて、今、いのちがあることが、娘はいないけれども、自分はこうして生きている。娘が十何年も自分と一緒に生きてくれたというのが、どんなに嬉しいことだったか、娘のことを思うとやっぱり心が温かくなってくる。だから、娘というのは今は姿は見えないけれども、母親にとっては大きな恵みの存在である。それがわかるようになったときに、娘は死をもって自分に人生で最も大切なことを教えてくれた、それがわかったと言うんですね。

 

いやあ、何か深そうな話ですね。

 

≪臨死体験で変わったこと≫

司会者―—臨死体験をした後、何か変わったことは?

○誰かがなくなったときに、家族は泣いてますよね、亡くなったときに、あの人はあの素晴らしい世界へ行ったんだから、その人のために喜ぶ。家族は悲しいから家族のためには祈りますけれども、亡くなった人のためには喜びを感じるようになりました。それがとても大きなことですね。

司会者――あちらの世界が素晴らしい世界だから、(患者が)病気で苦しんでいらして、厳しい状態の時にも、「安心なさってください」という言葉が説得力を持つんでしょうか?

○(死がまじかに迫っている人たちに)私は手を当てたまま、本当に神様の愛が伝わって私を通ってその方に伝わり、神様の愛が循環しているような、臨死体験で味わった無条件の愛の中にいる安らぎというか、安心感というか、そういうものをもう一度わずかに再現している幸せを感じます。

司会者――なぜ臨死体験の幸福感が再現されるのですか?

○つらい人とか、もう死が控えている苦しい苦しい人はもう見栄とか、体面をつくろうことができない。いのちのギリギリまで迫られているから、その人の“ありのまま”をさらけ出しているわけです。だから私はその人たちから刺激を受けて、自分も飾ることなく、その人たちから“ありのまま”を引き出されて、そうすると、お互いに一体感が浮かんでくるんですね。もう死ぬ前の人間が一番望むのは“愛”だけですよ。だから自分も愛を溢れさせるし、愛を受け止める。だから病人をお見舞いに伺うのは大きな喜びであり、恵みであり、癒しを与えてもらう瞬間でもあるんですね。

 

≪これからの目標≫

司会者――最後に、これからの目標は?

○一つ大きな目標があるんです。年を取るにつれて全部、どんどん、昨日までできたことが、今日はできなくなる。失われてゆく。じゃあ、自分が最後の最後まですることは何だろうかと考えたときに、気づいたことは、息を吸うことと吐くことじゃありません? だから、息を吸うことと吐くことは死の瞬間までするから、これを使わない方法はないと思ったんです。吸うときに感謝を込めて吸い、吐く息に神を讃美する。感謝、讃美という思いを込めて、吸ったり吐いたりする特訓を自分にしているんです。

 

テレビを通して聴いているのを忘れて直接に指導してもらっているような気持ちになり、神の愛が降り注いでくるようでした。名前が一字違いのシスター・鈴木秀子さんに心より感謝です。おかげで自分の名前が好きになりました。感謝、合掌。

 

トチノキ(マロニエ)  横浜「山下公園」で。 はじめてこの花を見たときには、白い衣をまとったキリストのように見えたものでした。

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