何かをすれば何かが変わる

すぐに結論なんて出なくていい、でも考え続ける。流され続けていくのではなくて。
そして行動を起こし、何かを生み出す。

第10回薬害根絶フォーラムより

2008-11-16 12:13:02 | 薬害は人災だ
 昨日、星陵会館(千代田区)で行われた第10回薬害根絶フォーラムに参加。

 メモの中から、印象に残った内容を抜粋すると、

○スモンをわからない医者が多く、スモンについては他の医療機関で相談するように言われてしまうことが多い

○スモン患者は高齢化し、要介護状態になってきているのに、「自立」と判定されてしまう

○どんな薬剤でも、医者であるというだけで知識のない医者であっても処方できてしまい、それによって被害が生まれている

○間質性肺炎で亡くなった者の中で、身体を横にして死んでいった者はいない

○利益を得るための行動が薬害を引き起こしている

○薬を適切に使うためには、扱う人の専門性を高めていく必要がある

○薬の専門家を介さずに、薬が使われている状況がある

○院外処方によって、薬が簡単に手渡されているケースがあり、もっと安全確保を充実させて欲しい

○添付文書の内容は守れと言いつつ、医師は自由に使ってよいとされていることに納得がいかない

○薬の上市を待ち望んでいる人がいて、早く承認し、薬の安全性は市場でコントロールしようとする向きがあるが、市場に出して、走り出してしまうと、コントロールは難しい


  前半では、いくつかの薬害被害者に登壇してもらい、司会者がどういう状況なのかインタビューしていく形式で進められた。被害者やその家族は無念さや悔しさ、怒り、願いなど、言いたいことをたくさん持っているはずであり、自由に訴える時間を持たせてあげたかったと思った。

 サリドマイド再承認に対しては、そこに至る経緯や安全管理システムを設けるという異例の取扱いが科せられることに対して、もう少し言及して欲しかった(この時点でタイムスケジュールが遅れており、その気遣いがあったようだ)。「再承認」ということでなくても、安全に使用される体制の中で多くの薬剤が使われることが望まれる。

 OTCについて、来春から販売体制が整備されるが、一方でネット販売ができなくなり、規制に猛反対する様子も見られていることについて、批判がなされる。
 薬害は医療用医薬品だけに見られてきたのではない。経済性や利便性を優先させ、安全性確保が保たれない状態で国民の手に渡ってしまう危険性が問題視される。


 薬害肝炎患者から院外処方に対して問題提起されたのはやや驚いたが、ありがたい指摘だと思った。身内でそれを言う者が圧倒的に少ないからだ。それは薬害が風化していることでもあり、ひとごとに構えているのかもしれない。
 薬局薬剤師はどのような責任を追っているのか、忘れかけているのではないか。自分たちの都合や事情で業務を進めているのではないか。もし日常が利益追求を基調になっているのだとしたら、薬害を防げないのではないか、薬の安全を守る役割を持つ薬剤師がそのような状態におかれているとしたらゆゆしきことでり、おかしな方向に向かおうとしているのではないか。今のままで、薬剤師は国民の味方なのか、薬害の加害者にもなりかねないのではないか、そんな危惧も覚えた。

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規格品があるのに半錠で処方するのは

2008-11-15 11:46:12 | くすり雑感
 院外処方にあたり、医療機関ではある薬剤について1規格しか採用していないから、その半量を処方したいときに、1/2錠であるとか、0.5錠などといった処方を出してくることが多い。 
 例えば、10mg錠と20mg錠の2規格(製品)があるのに、医療機関での採用品目は20mg錠だけだから、1回10mg服用させるために「20mg錠を0.5錠で」といった具合だ。

 入院患者であろうと外来患者であろうと、薬局では通常、患者自身に服用のたびに半分に分割して服用してもらうことを前提に、交付しない(一部例外はあるが)。薬局側が半錠に分割して、分包し、交付する。単純なことだが、たいへんな手間だ。

 そもそも製品を2分割することは、衛生的にも好ましくない。
 また薬物療法の観点で、製品を使わずに半錠にする特別な意味は皆無ではないか。

 患者にしても、いくら別途服用薬について説明され、説明書をもらったとしても、ヒートのままもらえば薬剤名も認識できて、薬識も得やすいのに、半錠でパックされていたら“出された通り”に飲むしかないようになってしまう。最近は、ヒートに「糖尿病薬」といったふうに、薬効も表示される製品が増えてきた。

 とかく1規格しか採用しない理由として、医療機関側は院内採用品目を増やしたくないということを理由に挙げる。増えれば管理がたいへんになるし、費用もかかる、調剤ミスの原因にもなりかねない、などが主な理由のようだ。

 他院から紹介されてきた患者が、転院あるいは入院したとたん、分割した薬にされてしまい、馴染みのない薬に変えられてしまうことにも問題がある。

 在庫が増えるといっても、すべての錠剤で複数規格を揃えるわけでもないし、使用実態を考えれば、増えても30~50品目程度ではないだろうか。薬剤師にとって、さほど業務に支障をきたすような数ではない。むしろ、分割製剤する手間や時間が解消され、その労力を他に向けることができるメリットのほうがはるかに大きい。

 病院薬剤部においては、不要な在庫を抱える必要はないとはいえ、半錠規格が市販されているにもかかわらずわざわざ分割して調剤している製剤があれば在庫し、処方も改善してはどうだろうか。それは薬剤師のみならず、院外処方にも反映され、何よりも患者にとっても好ましい。
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心の休ませ方

2008-11-14 23:10:23 | Book Reviews
「心の休ませ方」 加藤諦三・著、PHP文庫、2006年10月18日
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電通「鬼十則」

2008-11-11 23:08:26 | Book Reviews
『電通「鬼十則」 広告の鬼 吉田秀雄からのメッセージ 植田正也・著、PHP文庫、2006年9月19日

p.44 サラリーマンとビジネスマンの違いは、はっきりしている。ビジネスマンは自立できているが、サラリーマンは自立できていない。これは、天国と地獄の違いである。
 つまり、ビジネスマンは自分のスペシャリティ、いわゆる専門職を持っているということである。反対に、サラリーマンにはスペシャリティがない。

p.50 サラリーマンはビジネスマンに転職する時代である。これができない人は、リストラされても仕方がない。同情はされても、誰も救ってはくれない。甘えてはいけない。天は、自らを助ける者を助けるのである。それこそ、宇宙の原理原則である。

p.55 会社の目的や目標がないのなら、自分の目的や目標を実行したらいい。もともと会社の目的や目標より、自分の目的や目標が先である。次に会社の目的や目標が自分のものと合うか合わないかを考えるのが順序だ。自己実現には自分自身に明確な目的や目標がなくては話にならない。その上で、合わなかったら会社をやめることだ。

p.166-7 この馬鹿の根源は、自由放任が過ぎて「気」を配ることに全く頭を使わなくなったことにある。
 「気」とは何か。世の中が変わり、時間が過ぎても変わらない、社会生活の約束ごとと仕組みということである。
 不易流行の不易の部分である。

p.185 あえていま聖徳太子の「和を以って・・・・・」云々を排す。日本の社会も企業も、この伝統の上に成り立ってきた。従って、異を唱えた人間は、社会の敵に位置づけられたりもした。
 自己主張をする。自分の意見を通す。しかし、責任は自ら取るという考えに徹しているところがある。従って、摩擦を怖れない。和を金科玉条とは思わないのだ。

 もともと和は集団統治的の思想で、個を認めない考え方である。第一に、個性とか個人を優先しない考え方である。個よりも集団を最優先することで、国家なり地域なり、さらには会社なりを治めるための一つの手法が和の強調である。
 どちらかと言えば、社会学的に遅れた集団の統治方法である。いまや先進国では通用しない、遅れた集団といえる。

p.188 世の中には、プラスの摩擦とマイナスの摩擦がある。もちろん、トラブルメーカーは、マイナスの摩擦を起こす人のことを指す。その区分はどこでするか。それは、摩擦が世のため人のための摩擦かどうか、ということ一つにつきる。

p.189 人が何か新しいことをやろうとすれば、必ず反対する人がいる。不思議なことだが、何か革新的なことを実行しようとすると必ずと言っていいほど、20%の熱烈な支援賛成者と20%の強硬な反対者が出る。
 それだけではない。利害関係が生するから、利益にならないと思う人は、反対するばかりか妨害する。これを怖れてはいけない。だから摩擦を当然と思うことだ。イノベーターたらんとすれば、摩擦を楽しむくらいの心構えが不可欠である。
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感動の億万長者30のルール

2008-11-10 22:30:59 | Book Reviews
「感動の億万長者 30のルール 平野秀典・著、サンマーク出版、2008年4月10日

p.4 人間は、自分が表現した行為で誰かが感動したとき、最も大きな感動を味わうように創られている。

p.6 「アファメーション」(肯定的自己宣言)は、最もシンプルで強力な目標達成法だ。

p.27 自然な呼吸ができるようになったら、疲れや迷いなどの「マイナスの氣」を吐き出し、パワーや幸運などの「プラスの氣」を吸い込むイメージ呼吸ができれば最高だ。

p.31 「失礼な人間は世の中にはいるが、いちいち私の感情が影響される必要はない」
 この調整によって、失礼な人を許したり受け入れたりするわけではない。今でも失礼な人は相変わらず嫌いだが、いちいち反応するエネルギーを使わなくてすむように、思いの変換を行ったということ。

p.35 仕事の現場でも、よく「顧客の立場になれ!」と言われるが、簡単にはできない。自分なりの仮設を立て、小さな実験をくり返し、何度も検証を重ねて、やっと答えに到達する。

p.46 むずかしいことをやさしく。やさしいことを面白く。面白いことを深く。(井上ひさし)

p.84-5 感動した人は、誰かに話すことで、感動という経験を腑に落とす。強い感情を感じたとき、人は誰かに話さないと「シーン」が完結しないのだ。
 口コミも紹介も、「シーン」を完結したいという心理的メカニズムが隠されている。残念ながら、満足はその時点で自己完結してしまう感情だ。感動以上は、プラスの口コミが発生し、ビジネスは成長軌道に乗る。

p.85 150%の気まぐれよりも、101%の一貫性を続けることで、感動が感激になり、やがて感謝に到達する。

p.86 感動とは、すごいことをするのではなく、心をこめたことをすることで生まれるものだ。

p.94 USP(unique selling proposition)、USPとは、誰にも代わることができない独自の価値=存在意義のこと。商品や会社の独自の強み、特長(優れた特徴)のこと。企業や商品や個人のUSPを明確にすることで、顧客の期待の範囲を絞ることができる。

p.106 松下幸之助さんの「貧乏をなくすため、電器製品を水道のように安価に大量に社会に供給する」という水道哲学。近江商人の「売手よし、買手よし、世間によし」の三方よしの商売哲学。「人間の高福を技術によって具現化する」とした本田宗一郎氏の経営哲学。それぞれの偉大な哲学に共通するアプローチ、それは人を幸せにするという明確で徹底した方向性。

p.113 世の中のビジネスを見ていると、リピートしてほしいと思っていないかのようなアプローチが驚くほど多い。

p.133 どのような商品も、販売の契約がゴールではなく、その先のお客様の日常という本番シーンで結実するハッピーエンドがゴールなのだ。

p.137 感動は与えるものではなく、相手と共に創造し共有するものだ。共有するとは、上下ではなく水平の関係性を構築すること。

p.140 種明かしを見てからも、さらに感動するサービスマジックとは、サプライズではなく真心のサービスに尽きる。

p.154 時間の許す限り自分ができることで、お客様のお役に立ちたいとおっしゃっていた。「私はただ商品をお届けしているだけではない」。

p.167 「もてなしがいのある客」には、やはりマニュアルを超えた最高のサービスが提供されやすい。
 気持ちよくもらってくれる人がいてはじめて、気持ちよくプレゼントが贈れる。「~しがいのある人」になることで琴線感覚が鋭く磨かれる。

p.181-2 相手の期待を超えるのは、相手を驚かせる「仕掛け」ではなく、提供側の「愛」だ。
 感動の種は、非日常ではなく、日常の中にいつでも存在していることをくれぐれも忘れないようにしよう。
 日常をドラマ化する最も強力なキーワードはmありきたりの「サプライズ」ではなく、心をこめた行為だ。

p.205 成功している人は、知っている大切なことを実践して結果を出している人だ。実践できる人と実践できない人との差は、実践する意思の強さだけではなく、それ以外の要因が大きく関係している。

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儲けはあとからついてくる

2008-11-08 23:16:53 | Book Reviews
「儲けはあとからついてくる 片岡勝のコミュニティビジネス入門 片岡勝・著、日本経済新聞社、2002年2月12日

p.2 がちがちに管理をし、自分で考えることもさせず、ただただお金儲けのためだけに日々のノルマをこなさせる。そこから何か生まれるだろうか。

p.14 利潤を追求するのではなく、社会的に意義があるかどうかを追求し、それを優先してやっていけば、利潤はあとからついてくる。もしもついてこなかったら、それは本当のニーズがなかったということだ。猛烈に働いてお客さんから少しでも多くのお金をもらおうという従来の利潤追求型の企業とは違って、コミュニティビジネスでは、働けば働くほど、お客さんから感謝される。しかも、目の前にあった問題が解決されていくのだから、そこで働く人間は、楽しくて仕方がない。

p.38 利益・効率第一主義の下、わき目もふらずに走ってきた日本経済が行き詰まりを見せる一方で、社会の価値軸は「生産から生活へ」「効率から公正へ」「競争から共生へ」と静かに変わろうとしている。

p.52 ベンチャー企業の担い手は、株式公開することこそが成功の到達点だと思っている人が多いようだが、問題解決型のビジネスの担い手である私たちにとって、株式公開は創造性を奪うだけのルールにしか見えない。

p.53 株式公開した人に「なったら終わりだぞ。やりたいことが何もできないぞ。自分の株が何百億あっても、創業者が売ったら暴落するから売れない。だから絶対公開してはいけない」という話を聞いて、私は絶対にやらないと心に誓った。
 株式公開することは企業の活力を奪って、企業を画一化していくことになりかねない。そして、公開して何年かは儲け続けなければいけないから、もう何をしてでも、うそを言ってさえ利益を出す。この結果として、もう自由に先行投資して新しい事業を展開することは難しくなる。

p.75 (新しい何かをつくるにしても)過去の経営者のように、単に経営が効率的で金儲けができればいい、というレベルでは駄目だ。新しい地域経営とは、合理化ばかりの経営ではなく、地域に必要なものを供給するために、最も効率的な仕組みをつくることである。金儲けのために必要なものまでを切り捨てるような経営であってはならない。

p.90 情報化社会においては、弱い者でも勝つことができる。権力や権限で物事を進めてきた勢力は、力を失う。社会のあちこちで起こっている「困っていること」を解決するために権力をふりかざしても、何の役にも立たない。

p.94 大企業のほとんどは「人」に仕える組織だ。
 上下関係を重んじながら毎日を過ごしていくうちに、上司の言うことは正しいと考えるようになり、批判能力はもとより、思考能力すらなくなっていく。企業の果たすべき役割を考える前に、上司の顔色をうかがい、自分の保身ばかりを考えるようになる。

p.95 最近、大企業の不正など、普通に考えればやるはずのないことをサラリーマンが平気でやってきていたことが明るみに出ているが、これはサラリーマンが「事」に仕えるのではなく「人」に仕え、企業人としての社会的使命を忘れてしまった結果のように思う。

p.107 管理ばかりのところで連携しようとすれば、縦の管理組織のほうが強いから、横に流れた情報は必ず上へチクられる。そういう構造をみんな嫌というほど知っているから、日本の多くの組織人は、差し障りのないこと以外は言わなくなる。だから、連帯なんて望みようもない。

p.110 職場というのは、向上する場である。

p.119 日本では教育というと、一般にノウハウを教えるということになってしまう。企業の新人研修会でも仕事のノウハウを教えるのが基本だ。しかし実は、ノウハウというものは教えれば教えるほど、いままでやっていたことを繰り返すだけの人間をつくり出すことになる。

p.121 問題を発見し、人々の必要としているものをどうやってサービスとして経済的に成り立たせるかに、頭を使わなくてはならない。そこに新しいビジネスが隠れているのだ。こちらのやりたいことだけを伝えていくのが仕事ではないし、売りたいものを売るのも仕事ではない。人や社会が必要としているものを供給していく。それが問題解決型のビジネスであり・・・

p.150 強制と競争の中では豊かな人間は生まれない。

p.151 問題が見えなければ、何も始まらない。事業を興すためにも、まずしっかりとした問題意識を持たなければならない。

p.162 起業家にとって大切なのは、失敗を恐れないことである。たくさんの新しいプロジェクトが生まれれば、それだけ多くの失敗も出てくるだろう。しかし、生き残っていくには、失敗を積み重ねられることが大事なのだ。失敗を気にしてはならない。

p.171 お金があるところに人や情報が集まるのではない、「情熱」があるところに人もモノも情報も集まるのだ・・・

p.202-3 「痛みを自ら感じることなく他人に痛みを押しつければ、政治に遠心力が働く。展望もないまま管理を強めれば世の中は暗くなる」

p.209 「成功した人というのは、成功するまでやった人。失敗した人というのは、失敗してあきらめた人」。

p.216 会社を辞める人に言いたいのは、「問題を発見し」「解決を実践し」「仲間が集まって」くれば、物事は独りでにうまくいくということだ。お金は後からついてくる。自分がやったことが社会に必要なら、それがカンパという形でも、サービスへの対価というビジネスでも、行政の予算であっても、とにかく支援してくれる人がいる限り、支えられ継続するものだ。
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週末起業チュートリアル

2008-11-07 22:40:35 | Book Reviews
「週末起業チュートリアル」 藤井孝一・著、ちくま新書、2004年5月10日

p.23 これまでぬり絵ばかりやらされていた人が、「好きな絵を自由に描きたい!」と思っていたときに、真っ白な紙を手にした途端「今度は何を描いていいのか分からなくなってしまった」というのに似ています。
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服薬指導のリスクマネジメント2

2008-11-06 22:38:29 | Book Reviews
ヒヤリハット事例に学ぶ 服薬指導のリスクマネジメント2」 日経ドラッグインフォメーション・編、澤田康文・著、日経BP社、2008年7月22日

 第1集に引き続いて発刊。まぁ、いろいろな例があるが、そういうふうに思う患者もいるのか、と気づかされることや、調剤エラーの発生の仕方は、どの薬局も似たような側面があることに気づく。

 一項目が2ページ程度にまとめられているから1日の中で時間を決めて、コンスタントに読んでいけば、300ページほどの本にも目を通すことは容易だ。
 気になった箇所だけ、自身でさらに調べればよい。

 ワーストシナリオが本書のポイントだと思う。“そこまで思いを馳せるのは考えすぎだよ”と思うようでは、ヒヤリハットの感じ方が不足していると思った。リスクを意識できなければ改善が進みにくいし、改善の行われ方・力の入れ具合が変わってくる。発生した事態に、どこまで「これはマズイ!」と感じられるかどうかが重要だ。

 もうひとつのポイントは、どこに原因があったと考えるかどうかだと思う。それは、どうしていれば防止できたかにもつながるが、どのように患者さんにかかわっているべきであったか、服薬説明していれば良かったかと反省できるかどうかが肝腎だと思われた。
 患者さんとの接点を抜きに、薬局内でどうしていれば良かった・・・ではない。改善策を服薬指導に求めていることが本書の特徴であり、薬剤師として考えなければいけない側面だと思われる。
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先発品は副作用、後発品は有害事象

2008-11-05 22:52:35 | くすり雑感
 ジェネリックは先発品とはモノ的には違うとはいえ、治療効果的には同じ効果が期待できるものである。しかしモノ的な側面から、どうか「違うモノ」ということが強調されている向きが感じられる。それが副作用も多い、先発品には見られない副作用も見られる、といったようにマイナスイメージで語られている。微量成分が異なるためのアレルギー的な側面の違いは避けられないが、それを言えば逆に先発品のほうがアレルギー症状が多くみられる可能性も持っているはずであるが、そこは語られることはあまりない。

 先発品とて薬だから副作用はある。後発品はそれに加えて、さらに副作用が多く見られるのか。
 けっして、そのようなことはない、と考える。主成分による副作用は、同様に考えるべきであるし、成分の違いはいわば“おたがいさま”だ。後発品にだけ、特有のものがあるわけではない。それは先発品と後発品を別物と見るのではなく、劣っているものといった見方によるものではないか。

 後発品に変えたら、腹痛が見られた、頭痛が見られた、眠くなった、検査値が上がった、など、後発品の成分では「説明のつかない」不具合がやたらに報告されているように思われてならない。先発品を使用して報告されるのはまさに「副作用」で、後発品においてはまるで「有害事象」のようではないか。

 通常の治療や予防に用いられる用量を使用して引き起こされる本来の投与目的とは異なる、主たる作用でない作用、それが副作用(adverse drug reaction)である。
 一方、有害事象は通常の治療や予防に用いられる用量を使用して引き起こされた望ましくない作用や出来事(adverse event)である。

 捉え方が違えば、報告される内容もまったく異質なものになるのは当然である。それで後発品は製剤品質が劣るとか、製剤に問題があると言っているのだとしたら、それは適切ではないと考える。
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会社をぶっ壊してチームを創ろう

2008-11-05 22:14:08 | 薬害は人災だ
「会社をぶっ壊してチームを創ろう!」吉田典生・著、日本実業出版社、2008年7月1日
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早朝起業

2008-11-04 22:18:59 | Book Reviews
「早朝起業 「朝5時から9時まで」の黄金時間を自分のために使う方法 松山真之助・著、祥伝社、2004年6月25日

p.52-6 同じ時間なのに、相対的には「時間は延びる」ような性質がある。
 「絶対に光速度は一定である。その代わり、運動系は速ければ速いほど時間はゆっくり進むのだ」というのがアインシュタインの理論だ。
 時間にも「濃さ」がある。「時間が深い」というのは変な言い方だが、集中力が高まっているという意味だ。「深い(濃い)」と「速い」は同時に発生するようだ。

 うまく言えないが、何気なくついムダにすませてしまう時間の活用と、早く動くことのよう。

p.71-2 1日の3分の2を占める16時間をどう使うか――これは人生の大きな問題である。「この16時間は、自分を磨くことだけに使え」

p.80 違いを目指せ!ということだ。「人と違うことが、やりたいことのヒントになる」のである。
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招客招福の法則

2008-11-03 13:00:13 | Book Reviews
「招客招福の法則 儲けの王道がみえる88の話 小阪裕司・著、日本経済新聞社、2006年3月6日

p.23 「客単価」とはあらかじめ決まったものではなく、お客がお金を出したいと思った結果の数字だ。

p.75 お客は商品を価格で買うのではない――。お客は商品を価格によって欲しいと思うのではない。もちろんお客は欲しいと思った商品の価格はチェックする。買えるか買えないかを判断するためだ。しかしお客にとって価値とはそんなものだ。

 ジェネリック使用によって支払いは減る、しかしそれだけで使用に踏み切れない人は多い。なぜこの薬局はそのGEを推奨するのか、そこへの薬剤師としてどのような思い入れがあるのか、患者にとってのメリットは何なのか、そこを訴える必要があろう。

p.84-5 ここでいう「声かけ」とは店に行くとよく合う、唐突に「何をお探しですか?」などと聞かれるあれではない。「こんにちは」「今日は暑いですね」などと、売り込むためではない声をさりげなく皆で掛けることだ。

p.86 ニューズレターとは、お客との人間関係をはぐくむためのDMだ。このレター自体がお客とのコミュニケーションを保つ重要な手段だが、さらにこれを通じてお客を啓蒙することもできる。

p.89 セールスとは結局、お客に買うべき理由を語ること、こうした適切な情報発信にほかならない。

 ジェネリックの使用促進には、なぜ変更すべきかの理由が説明できていないのではないか。「安くなりますよ」はメリットだが、そういうことを勧める理由が不透明なのではないか。場合によっては“ウマい話には裏がある”ように勘繰られて、敬遠されてしまう。医療費削減は国にとっての理由だが、薬局にとっての直接の理由にはならない。社会保障費を減らすなんて、国民にとって壮大すぎる理由だ。ましてや加算のためだなんて、国民にとって関係がない。同じ治療効果を安く提供したいことが薬局の思いとして説明できるかどうかなのだろうか。

p.101 お客には「そうしたい、でもね」という感情がある。「買いたい、でもね」「行きたい、でもね」。これは、お客の気持ちの中の壁、「買う」という行為の障害にもなるのだ。この「でもね」を取り除いてあげる。

 患者は「ジェネリックにしたい、でもね」「支払が安くなることはうれしい、でもね」がある。その不安を取り除くことが必要だ。そこまで晴れてスッキリするかはともかく、まず重圧を緩和するところから始める必要があるのではないか。

p.113 人は一貫性のない態度を嫌うものであることを、商人は覚えておくべきなのである。

p.117 得てして商人、そして職人や製造者は「何に」こだわっているかは語るのだが、「なぜ」こだわっているのかは語らない。しかしお客は「なぜ」の方に強く反応する。「なぜ」は「何を」よりずっとお客の動機付けにつながる情報なのだ。

p.119 商人は、ともすれば「自分の知らないテクニックやスキル」ゆえにこうしたこと(正価にもかかわらずビールが売れる)が起こると思いがちだ。何か魔法の一振りがあるのではないかと、ついそれを探し求めてしまう。
 商売には魔法の一振りはない。そして一方で、そんなものよりずっと地道だが、ずっと確かな方法がある。

p.127 お客を感動させる小さな活動の数々はマニュアル化できないものが多い。
 読者投票で東日本一とはまさに勲章だが、その秘けつはお客を感動させる企画そのものではない。その企画を生み出し、日常の小さな活動にまで反映されるミッションの共有こそが鍵なのだ。

 コンピュータであれば、何か新しいソフトをインストールすれば一気に経営状態・業績が改善・好転するように考えるのは適切ではない。どのような方針、理念で業務をしようとするのか、基盤や根底を見直すことこそ重要だ。業績が思わしくないのは、そこに問題があるからだろう。それまではそれが正しいと信じて疑わなかった部分だろうから、経営方針の誤りを認めることから再生はスタートする。

p.129 目的がお客を喜ばせることなら、ポイントはプレゼントの中身より心遣いだ。

p.147 ユニークなことを発想しても、往々にして「売れるわけない」などの否定的な考えが頭をもたげて、実行に移されないことが多い。
 商売が成り立つためにはお客との信頼関係が不可欠だ。お客も過去の例のない商品には不慣れだから、この店に任せておけば支払った金額以上の価値あるものが必ず得られるという確信がなければ買えない。枠にとらわれない発想や行動も、客の信頼関係があればこそ商売を広げるチャンスと成りうる。

p.163 「名物は何?」と聞いたときは、文字通りその土地や店の「名物」を聞いているのではなく、「あなたが私に薦めたいものは何ですか?」と聞いているのだ。
 「名物は何?」と聞かれたら、迷わず何かを推奨しよう。

 ジェネリックを尋ねられて、「ウチではこれを置いているのですがよろしいでしょうか」と言われても、患者は答えようがない。「ウチの薬局ではこの先発品に対して現在○種類の後発品を在庫していますが、こういうことからこのXというジェネリックをお勧めしていますが、いかがでしょうか」と言えることが重要だろう。

p.167 「魂を入れるというのは、これを誰に使って欲しいのか、そこに思いを込めて作るということですよ」

p.179 お客に訴求したポイント、まずは商品の案内、次がお勧め商品の特性、さらに次がその商品をお勧めする理由と既購入者の感想・・・。
なぜお勧めするかの訴えが、最もお客の気持ちを動かす。商売ではお客の気持ちを動かせるようになることが大切だ。

p.199 ビジネスはお金儲けのためにのみあるのではなく、お客と共に社会を良くしていくためにあるのだと。そしてお客もそういう事業精神を持つ会社を好きになり、尊敬し、応援する。
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果たしてテクニシャンが生まれるか

2008-11-02 11:28:03 | 思いつくまま
 医師不足でコメディカルにはそれをサポートする動きや活動が求められている。大病院に患者が集中しないように、地域全体で医療を支える、中小病院でも請け負う患者が増えれば、それに伴って薬局も開局時間延長や夜間休日対応などが求められる。また在宅関連でも、他の医療従事者等と連携し、できることには協力していくことが必要とされる。薬剤師は、自身の役割を果たしながらも他の仲間を助ける機能も求められる。

 一方、調剤において、薬剤師を助けてくれるのが調剤補助者である。しかし調剤補助者の業務は、現在においてまだ微妙である。

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 米国では1990年から薬剤師による患者への服薬説明が義務づけられたが、その背景には薬剤関連の死亡者数が死亡原因の4~5位に上っていたことがあると説明。薬剤の相互作用などで余計にかかる医療費を服薬説明によって抑えるねらいもあったが、陳氏によると服薬説明に伴う薬剤師の人手不足がテクニシャンの導入につながったという。当初は薬剤師もテクニシャン導入に反対の姿勢を見せていたものの、「患者から目に見える仕事にシフトしたことで、結果として薬剤師の評価が高まることになった」と語った。(月刊薬事 50(11)1770,2008)
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 薬剤師はもっとすべきことがあるから、テクニシャンの存在がクローズアップされてくる・・・、現状の仕組みではやりたくても出来ないことがある、国民のために果たせないものがある・・・、今の薬局業務はそういった状況に置かれているだろうか。国民にとって、今の服薬説明はどの程度のものなのか、薬をもらうための補足程度なのか、より安全が確保されるよう、もっと姿が目に見える、印象に残るよう、さらなるものが求められているのか。薬剤師はもっと服薬説明をすべきである、質を上げるべきである、そちらにエネルギーを向けるべきである、そういった機運はいまひとつではないだろうか。

 より安全が確保される状態というものを実感していないから、その素晴らしさを知らなければそういったニーズも生まれて来ないだろう。そのような薬剤師の活動によって助けられた、安心して服薬ができる、未然防止ができた・・・、プレアボイドばかりでなくアフターケアも含めて、薬剤師が薬剤師ならではの役割を果たすことが評価されることで、テクニシャンの意義や存在が議論されるようであって欲しいと思う。

 現状は、最低限の薬剤交付を果たす程度のレベルを維持するために、薬剤師の人手不足を補い、労務費削減を図ろうとする経営的視点から調剤補助を正当化しようと考えるテクニシャン制度が期待されているように思われる向きを強く感じる。
 お手伝いか、アシスタントか、下請けなのではなく、本当はテクニシャンにもそれなりの専門性が求められるのだろう。手足のような存在でなく、立派な担当者として、われわれのパートナーとして期待したい。
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独立開業絶対に成功する88カ条

2008-11-01 23:36:43 | 薬害は人災だ
「独立開業絶対に成功する88カ条」戸口つとむ・著、PHP研究所、2002年4月28日
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薬はまとめて大きな袋へ入れて

2008-11-01 21:25:34 | 思いつくまま
 処方せんによる調剤では、通常、用法ごとに薬袋が用意され、薬が交付される。これは朝1回、これは朝晩2回、これは毎食後、といった具合だ。

 薬袋は薬を持ち帰るための入れ物であり、服薬に関して最低限必要な用法を記載するためのツールである。どの薬を、いつ、どのように飲むか、最初は薬袋を見なければわからなかいものの、続けて服用していると用法は覚えてしまう。そこで、慢性疾患でも用法さえ覚えてしまえば、いちいち用法ごとに薬を分けて納めなくても、まとめて大きな袋に入れてくれればよい、などと言われることになる。

 袋がもったいない、と感じる側面もあるだろうし、いずれゴミとなるのであれば少しでも削減したいと思うのだろう。角3か角2程度の袋にいれるか、ときにレジ袋にそのまま入れてくれればいいとか、量が少なければ何に入れなくてもよい、などと言われることすらある。

 そういう要望はどこか悲しくないか。大概の要望には沿いたいと思うものの、服薬説明のためのツールがいらないというのだから、またそれは正規の交付の仕方ではない。まるでモノさえもらえば、他にものには用はないとでも言われているようだ。

 それではダメだ、帰宅後薬袋をまとめられてしまうのならともかく、薬局窓口で交付する時から薬の袋がいらないだなんて、そういうことを受け入れなければいけないとしたら、いったい自分たちは何をやっているのだろうとも思う。

 処方が変わったり、飲み方が変わる、新しい飲み方の薬が処方される、臨時処方がある、いろいろな時に薬袋があってこそ、適切に服薬ができるはずだ。
 「もらってもどうせ捨てるだけだから、大きな袋にまとめて入れてくれればいいから」と言われても、患者さん自身がそうするのならまだしも、薬局側がそうしてしまうのはサービスでもなければ、自分たちのすべきことを自分たちで貶めていることにはならないだろうか。薬袋なんかそれほど必要性のないもの、なくても構わないものだということを自ら認めてしまっているみたいで感心しない。

 そう言いにくいケースもあるだろうが、ウチの薬局はたとえもったいないようであってもそういう方針はとりませんと、キッパリ言うことが大切かと考える。
Comments (2)
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