何かをすれば何かが変わる

すぐに結論なんて出なくていい、でも考え続ける。流され続けていくのではなくて。
そして行動を起こし、何かを生み出す。

反省の意を示していると社会に認められていない、JR西日本

2007-04-25 13:37:57 | JR西に学べ
<JR福知山線事故>遺族ら出席、追悼慰霊式 再発防止誓い 4月25日11時26分配信 毎日新聞

 乗客106人と運転士が死亡し、562人が重軽傷を負った兵庫県尼崎市のJR福知山線脱線事故は25日、発生から2年を迎えた。発生時刻の午前9時18分、現場や追悼慰霊式の会場で黙とうがささげられた。国土交通省航空・鉄道事故調査委員会は、運転士が無線に聴き入り、ブレーキ操作を誤った可能性を示唆しているが、最終的な原因解明には時間がかかる見込みだ。事故後に安全と信頼回復を掲げてきたJR西日本では、大事故につながりかねないトラブルが後を絶たず、賠償交渉や天下り問題などを巡って被害者との溝はなお深い。

 「9.11」という言い方とともに「4.25」も日本において1年の中で重要な意味を持つ日になった。阪神淡路大震災なら「1.17」であるが・・・。

 国鉄が民営化されリスタートしたJR。民間企業としていい側面や効果もあっただろうが、一方でそれまでと比べて厳しい、やりにくいこともあっただろう。変わっていないのは、企業の所在ではなく、業務が公共性を持っているということだ。競争相手が一般販売業のように容易に参入できないし、物理的な制約を除けば何かトラブルがあっても業務停止に至ることもない。顧客が不買運動を起こすこともできない。

 それだけ守られているとも言える。これは電力会社も同様で、原子力発電所の事故隠しの際にも、誰もがやりきれない思い、苛立ちを覚えたのではないだろうか。カメラの前で頭をいくら下げたって、謝ったこととして受け入れにくい。

 いまだに事件は解決を見ていない。こんなに時間がかかるものなのか。謝罪や補償について、とうにできたのではないだろうか。事故原因も、スピードの出しすぎ、ATC設置の不備などではなく、そういったことを招いたJR西日本の組織体質がどこまで見直されたのだろうか。

 不買もできなければ営業停止もできない以上、JRは非難を浴び続けながらも安定して利益を上げ続けることができる。一般の企業なら、存続していない可能性すら高いというのに。そういった特性があるからこそ、謝罪の仕方は重要だ。国民の多くも納得がいかないままいるのは、こういった側面ではないか。

 頭を下げ続けていれば、いつか国民は許すということはないだろう。屈辱的に土下座させられても、それで済むのなら簡単なことだ。これほどまでに事故後の対応が進まないのは、一方で収益を得る道が確保されたままでいるからではないだろうか。

 たとえば謝罪が済むまでの間、一律10%程度の値引きを行うとか、公共性に乏しい付随する業務は一切営業停止をするとか、そういった“経済制裁”が必要だったのではないだろうか。JRは反省の意を示すうえで自らにそれを課すことはできないのだろうか。それが国からの命令でできるのか、自主的にしかできないのかは知らないが。

 利益重視が引き起こした事故としても、代表的な事例に思われる。信楽での事故の反省が不十分だとの指摘もある。どう組織変更しようと、上層部の首をすげかえようと、方針や体質、文化が変わらなければ事故が繰り返される危険性は減らない。自分たちの経営が大きな(一般企業並みの)影響を受けないから、いつまでもダラダラと「謝罪になっていない状態」が引きずられていくように思われる 
Comments (2)
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