何かをすれば何かが変わる

すぐに結論なんて出なくていい、でも考え続ける。流され続けていくのではなくて。
そして行動を起こし、何かを生み出す。

囲碁界、不振の打開策

2006-08-10 09:18:20 | 思いつくまま
 囲碁界、三つの不振に挑む 朝日新聞 2006.8.7 夕刊
-----転載ここから
 「三つの不振」とは、①囲碁愛好者の半減、②プロの国際戦不振、③日本棋院財政の赤字体質である。〈中略〉三つは互いに関連し、日本囲碁界の地盤沈下をもたらしている。〈中略〉

 張栩名人が若手に喝!

 日本棋院が抱える「不振」の打開策について、張栩名人の持論が静かな共感を広げている。都内のホテルで6月に開かれた若手棋士研修会で、先輩として語った。

 若手棋士から「近年の国際戦で日本勢がふるわないのは、韓国や中国と比べて普段の実践不足や研究会の立ち遅れが原因ではないか」と質問が出た。

 名人は「弱い原因を環境のせいにしてはいけない。中身の濃い研究会が必要だと思えば、自分たちで組織するべきだ。国際戦で勝てなければトーナメントプロをやめるぐらいの気概で臨んでほしい」と応じ、会場は静まりかえった。

 また基本的な心構えとして「棋士という職業に、誇りと感謝の気持ちを持ってほしい。アマの普及でも自分に何ができるかを考え、工夫してほしい」と述べた。〈中略〉決然とした方針のかなたに、日本囲碁界の再生はありそうだ。
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 張栩名人はまだ20代だったと思う。各棋戦でそれなりの結果も出している。囲碁に対する追求は、人一倍あるのだろう。自分が今あるのも、常に自分の中に原因を求めて、乗り越えてこようとしたからではないだろうか。こういう第一人者がいることで、将来に期待がもてるようだ。

 マイペースや、これまでの慣習、やりかたを崩さず、何かを求めても限界がある。何かが欲しければ、他のものには目もくれず、そこに集中しようとすることは必要だ。誰しも、期せずして、そういう時間を経験してきたことはあるのではないか。それを忘れてしまっているのではないか。

 物資的に生活が豊かになってしまったから、わかっていても後まわしにされてきたとしたら、それを思い出させてくれるコメントだ。自分は凡人だからと、できないことをつい肯定して、かたや愚痴を繰り返すことなんて珍しくない。努力せずしてその道を究めることなどありえないことも知っていてである。いつになっても常に考え、努力をし、続けるかどうかなのだろう。もう若くないからできないなどと諦めることなく、今からでも始めるかどうかではないかと、叱咤されたようだった 
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