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何かをすれば何かが変わる

すぐに結論なんて出なくていい、でも考え続ける。流され続けていくのではなくて。
そして行動を起こし、何かを生み出す。

医療の質は人によって支えられている

2007-08-01 19:13:21 | よくわからないこと
医療費抑制は最大の問題。医療は労働集約型の産業で、人をかけ、物をかければ、質の高いものができる。日本が諸外国に比べて少ない医療費で質の高い医療を維持できているのは、医療従事者の献身的な努力によるところが大きい。 『どうする医師不足/5止 小松秀樹氏/内田健夫氏』(毎日新聞 2007.7.12 より一部抜粋)

 医療を支え、また最後に頼るのは、やはり「人」だろう。機械化、IT化、効率化、合理化もいいが、切り詰めて、削って、絞って、いまではギリギリのところでかろうじて日常をまわしている医療機関のいかに多いことか。

 それを支えている職員に対し、経営者は応えているだろうか。したくてもできない状態ではないか。給与面だけが「応える」という意ではないだろう。
 ではそれ以外の面で、職員満足に応えているだろうか、というと、甚だ怪しい医療機関や薬局が多いのではないかと思う。なぜ応えられないのか。収益ありき、まず安定経営が先だと思っているからだろう。

 そんな経営姿勢のもとでは、質の高いサービスレベルは維持されないだろう。人は財産でではなく、道具にしか思われていないのだから。少しでも人件費・労務費を削減したい組織において、ESなんてほど遠い。そんな施設では医療を支えきれず、そのままでは患者から見離される日がやってくるのではないだろうか。
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不信任者に改革ができるか

2007-07-31 09:23:52 | よくわからないこと
 参院選が終わった。自民党は「政権選択」の選挙ではないというが、勝てば逆のことを言うのだろうから、用意されていた言い訳のようだ。国民はこれまでの実績を見て、行く末をどちらに託したいと考えているかの選択をしたのであり、安倍政権にNoをつきつけたと理解される。

 もはや自民党は「改革政党」などとは誰も思っていない。小泉首相になって少し雰囲気が変わっただけである。改革は改善が前提であり、改悪や悪化はそう呼ばない。
 自民党は「改革」か「逆行」かと国民に問いかけきた。これまでを作って動かしてきたのが自民党であり、国民はこのままではやりきれないから、変えて欲しいと思っている。自民党のこれまでに辟易していたのだから、さらに自民党に任せているのでは少しも「改革」にならない。自民党というプラットフォームの中で「改革」ができるとは思わないし、して欲しくない。自民党こそ、国民の想いに「逆行」してきたと思うから、このテレビCMには大きな感覚のズレというか、違和感があった。

 政権選択でないとしても、安倍政権の成績評価、信任度が今回の結果である。結果を求めて、やるべきことができていなかった。小泉政権の後を受け、恵まれた中での船出だったはずだ。歴史的大敗でも退陣しない総理大臣のいる国は、世界中から“美しくない”国どころか、不可解な国に映っているだろう。それを新しい国にするには、もはや体質転換を図るべきではないかと思う。

 どの党が政権をとろうとも、国民が求めるものは同じだ。自民党が、自分たちの立場は変えず、変わらず、権力を握ったまま新しい国にするというのは、国民に変われと言っているようなものだ。自民党が率先して、現体質を一掃することこそ、未来への希望が開けてくるような気がすると思うが、そんなふうには見えない(見せない)。それを民主党をはじめ、野党がその感覚を持っていないと、この勢いも持続しにくいように思う。
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ミドリ安全のTVコマーシャル

2007-07-19 09:54:45 | よくわからないこと
 ミドリ安全という会社は、携帯用酸素を扱っているということを通じて知っていた。ミドリ十字じゃなくて、ミドリ安全である。

 同社の最近のテレビコマーシャルで、白衣を着た年配の女性が、薬局の店頭で通り過ぎる人に対して、もう少しケガでもしてくれなきゃ私たちがやっていけないじゃないの・・・、と語らせているものがある。

 いかにも薬剤師を思わせる女性が、である。それでは、まるで薬局では住民がもっと不健康になってくれて、薬でも何でもどんどん買ってくれることを望んでいるかのようなイメージを与えはしないか。体調を崩して薬局に駆け込み、ミドリ安全の製品を買って欲しい・・・、その思いは、ミドリ安全自身のそれではないだろうか。国民の健康問題の解決を願いこそすれ、不健康を望むなどありえない薬局や薬剤師にその役を代弁させるというのは、いかがなものか。

 ちょっと不見識というか、軽率なテレビCMだと思った
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もしも金に困らなかったら

2007-07-04 09:15:35 | よくわからないこと
 厚労省は後発医薬品(ジェネリック医薬品)の使用促進に躍起になっているが、もし先発医薬品を後発品に変更することによる価格差が、庶民には高額であっても、その人にとってとるにたらない額にすぎず、先発品のままでいいと言われたら、後発品の使用促進は進まないのであるが、そういう患者さんが増えたらどうするのだろう?

 極端な話、皆が高くても先発品のままでいい、と言ったらどうするのか。後発品は使われない。

 経済的に余裕のある人であっても、医療レベルに影響が及ばないのであれば後発品に変更してほしいはずである。しかし医療従事者がいくら後発品を勧めても、「変更する」ということは「試す」ことから始まるので、わずかであっても“危険”を伴うのだから、価格差とのバランスで試す動機も失われれば、制度が成り立たなくなる。

 そういう自己負担金額の減少がメリットにならない人でも後発品が使われるようになるには、どう説明をしていけばよいのか。国の財政危機(医療費削減)に貢献する、だけで理解が得られるか。患者さん自身にメリットがないのに、変更させるインセンティブをどう伝えるとよいのだろう。

 現在の後発品への変更割合を1%から30%にするには、価格差とは異なる動機が必要かと思われる。
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指示されると豚を混入する社員

2007-06-29 10:04:13 | よくわからないこと
 ミートホープ社の牛ミンチ偽装事件は、お定まりともいえるような内部告発で始まった。当初社長は自らのあずかり知らぬところで従業員の判断で行われた可能性があると責任を否定しておきながら、捜査が進むにつれ、結局は自らが偽装に関与していた事実が発覚し、認めざるをえなくなった。許せない事件であると同時にあまりにもお粗末な実態をさらけだした。その結果、解雇通告を受けた従業員は不当解雇で訴えるという。

 内部告発の元幹部は、不正行為をどのように見てきたのだろうか。混入現場をその目で見てきただろうし、それが製品となって出荷されていく“後ろ姿”をどのような気持ちで見送ったのだろうか。彼をヒーローだなどと言うつもりはないが、最低限のことを果たしたと、評価できる部分もあるように思うのだが。

 止めるに止められない無力感、出てしまった以上、自分も少なからず加害者であるという意識、消費者への裏切り行為への罪悪感、軌道修正に向けた苦しみ、会社としてのリスク回避への思い、・・・挙げきれないほどの葛藤があっただろうし、会社崩壊への足音が聞こえていたのではないかと思う。社長を始め、創業家との数々の摩擦、偽装に限らず価値観の違い、食品製造に関する意見の食い違いなど、さまざまなものがあっただろう。

 一方、社員はどうなのか。会社の指示や忠誠心と消費者や社会を欺くことと、天秤にかけて会社の指示を選んだのか。しかも数年前から。それは自分の生活や保身を優先したことではないのか。どのような“抵抗”をしてきたのだろうか。そこを是非知りたいものだ。
 社員は自社のコロッケを食べていたのか。どういう味がしたのだろうか。美味しかったのか。


 コムスンでも現場のホームヘルパーやケアマネジャーに罪はないような言い方がされるが、果たしてそうなのか。収益を上げるためには、会社のためには、多少目を瞑らなきゃいけないこともあるとしていたのならば、立場の違いこそあれ、末端の者には責任は(ほとんど)ないとする風潮は、どこか釈然としないものがあるのだが。

 まったくもって、他人事ではないと感じている人は少なくないのではないか 
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なぜ「儲かる会社がいい会社」ではないのか

2007-06-17 22:24:02 | よくわからないこと
 コムスン堀口会長の“迷セリフ”「儲かる会社がいい会社」が、なぜただちに正しいとはいえないのか。それは利益第一主義が無条件に正当化されないかということにも関係する。
 これが成立するには、儲かることが消費者が評価する以外にありえない場合である。他のやりかたでは、けっして儲からないのであれば、言う通りであろう。
 ところが利用者の評判の良し悪しにかかわらず、違法なことを、違法スレスレ>違法じゃない、という論理で行なおうとする考え方がある。大概、その手法は倫理的には許されないことが通常だ。抜け道だったとしても、本来の意図とは外れていることが多い。

 本来、訪問介護で儲かるとしたら「消費者が評価する以外にありえない」のだろう。それがわかっているから、本質的なことではない、違法行為に手を染めるのだろう。

 しかし、あまりにも露骨に、直接的な言葉で違法行為を指示できないから、間接的な言い方であったり、ヘルパーに任せればいいはずの手段にまで介入する。しかもそれが正義でもあるかのような弁明までつけて、一風変わった考え方があたかも卓見であるかのように言い繕って推し進める。ここにいわゆる「会社ぐるみ」「組織ぐるみ」が成立する。

 その時点で、既にプロフェッショナルとしての価値は消し飛んでおり、収益事業の骨組みだけが残骸であるかのように残される。

 ホームヘルパーだって国家資格をもった専門家なのだから、いくら組織から指示されても拒むことができるのではないか。たとえ、それが苦難の道のは始まりであったとしてもだ。それをせず圧力に屈していたのだとしたら、まるで姉歯一級建築士の偽造設計と変わらないのではないだろうか。
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「収穫逓増の法則」とは・・・

2007-06-09 11:23:39 | よくわからないこと
 コムスン暴走の理由について、夕刊フジでは次のように説明している。

 その折口氏は弟分のヒルズ族と同様、ある理論を信奉するようになる。それがコムスンの暴走をもたらした。

 ITベンチャーが金科玉条とする理論は「収穫逓増の法則」。IT革命を主導したニューエコノミー経済学の骨格をなすもので、最初に最大のシェアを奪った企業だけが生き残るという理論だ。まずシェアを確保するのが先決で、圧倒的シェアを握りさえすれば、赤字は取り戻せると考える。

 2000年4月、介護保険制度がスタート。折口氏はシェア確保を最優先課題にした。

 「コムスンは全国に1200の訪問介護拠点を開設し、ホームヘルパーなど社員4400人を抱えて介護サービス事業に臨んだ。大量の拠点と社員を投入したのは、最初にトップシェアを確保するため。だが、シナリオは2カ月で破綻した。利用者ゼロの拠点が続出して、拠点と社員の大幅削減に追い込まれた。マーケティングが不十分で、シェア確保にしか関心がなかったことが原因だった」(当局関係者)

 「最大のシェアを奪うには、何でも許されるとなりがち。シェアをとるためには、赤字でもかまわないし、不正にも目をつむる。シェア至上主義が悪い形で出てきたのがコムスン。折口氏の責任は重い」(同)

 
 「収穫逓増の法則」というものが一理ある考え方だとしても、それを福祉や介護の場に持ち込もうとしたことは、まさに「食い物にした」といってもよい。本人にその意識がないから、「そう言われても仕方ない」などと言っているだけだ。大事な感性を持ち合わせていない。今さら「自分が残って社会的使命を果たしていきたい」などと言うが、社会的使命を果たすうえで重要な認識を欠いた者にできるといえるのか。身を引くことこそ、残された最善の選択ではないのか。もう一度、チャンスを与えるべきか、チャンスに臨む資格はあるのか 

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M&Aの陰で負の遺産を引き継ぐ

2007-06-06 22:59:31 | よくわからないこと
 薬局業界は調剤報酬による締め付けと努力不足で経営的に逆風のところが多い。分業率も頭打ちになっているので、M&Aにより収益を確保するのが手っ取り早いようだ。現に店舗数が増えるのを、業績が良い指標とする報道も多い。店舗数が多いことが優良な薬局であるとか、良質なチェーンであるとは少しも思わないが、経済の論理はそんなところだろう。

 M&Aにあたり、経営状況や資産、立地条件等を総合的に見て判断するのだろうが、状況が状況だけに、店舗が増やせることで、その基準が下がっている傾向を感じる。売るほうはバブルに乗じて出店したところが多く、薬局運営のノウハウや専門性に乏しく、駐車場代等の便宜供与や消耗品代等の物品供与や交際費に“たかられている”ことも少なくない。まさに「負の遺産」である。

 処方せん発行停止を恐れて、リベートの見直し(解消)申し入れは禁句として疑わない幹部もいるチェーン薬局もあるという。それじゃまるで「患部」だろうかと、皮肉りたくなる。一生、それを背負っていくのだろうか。

 確かにそういう門前医療機関には圧力もすざまじい医者が多い。協力関係など望むべくもない、建前はそうでも、実質ご機嫌伺いにすぎず、いわゆる対等の関係で患者さんに最善の医療を提供するなんて、夢のまた夢だ。こんなところに、かかってはいけない。

 幹部が苦難を背負ってくれるのならまだしも、実際にその煽りを受けるのは末端の従業員だ。泣き寝入りを余儀なくされ、この先ずっと過ごすのだろうか。このチェーン薬局は医療機関との付き合い方を明らかに誤っている。
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電子薬歴は使いやすいか

2007-04-19 18:27:38 | よくわからないこと
 電子薬歴は使いやすいか これを考えさせられるきっかけは、世の中が次々と電子化され、大半の接客業務にもIT化が進むのは自然の流れとしても、薬歴簿が電子化されて、
・患者さんの服薬管理がしやすくなったか、
・より安全な調剤が実施できるようになったか、
・薬局の服薬管理レベルがアップしたか、
ということである。

 確かに、薬歴簿を収納する棚が薬局内から消えてスペースが生まれたとか、手書きではない分、見やすくなったというメリットはある。しかし、これらは薬局の内部事情にすぎず、患者さんへの医療レベルの話ではない。

 調剤エラー(調剤事故でもヒヤリハットでもよい)が発生した理由を見ていくと、薬歴簿の確認が不十分なケースが散見されるのである。
 そうならば必ず確認するような習慣にすればいいじゃないか、ということになるのだが、そのページを見るに至るまで、薬歴簿のほうがノートを開くようなものだから、カンタンに遡れるし、一覧できるのだ。

 また、調剤業務は調剤室のあちこちを動き回っておこなう。電子薬歴は持ち運びができないので、調剤室内に何台も端末を必要とするし、職員同士で譲り合って使わなければならない。作業効率はよくない。で、つい画面確認をおろそかにしてしまいがちである。

 ノート形式なら、アンダーラインを引いたり、絵を描いたり、マークしたり、矢印で参照文へと誘導したりするのも自由自在でかつ容易だ。

 これらは単に電子薬歴のシステムに問題があるのか、慣れ・不慣れ、入力機能をどこまでマスターしているか、そういった問題なのだろうか。使っていけば、解消される問題なのだろうか。

 レセコンはいいとしても、現状では薬歴簿のほうが服薬管理機能において、まだはっきりと軍配が上がるような気がするのだが・・・。電子カルテとも使い方が異なるので、それといちがいに比べることも難しそうだ。

 しかし、世の中は電子化の流れはとどまるふうではない。スマートさ、格好のよさ・・・、自己満足の電子薬歴じゃいけないと思うが、服薬管理がいかにしやすいか、患者さんの調剤レベルが向上するか、そういった視点で評価するとどうなのだろう
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10歳未満でタミフルを服用する価値は

2007-03-28 13:28:08 | よくわからないこと
 10歳未満の小児においてインフルエンザ発症時にタミフルを服用する意義はどこにあるのか、(いわゆるハイリスク患者を除いて)どのような患者さんであれば考慮されるのか、その例を示せたら服薬するか否かを考えることができそうだ。

 で、最大の課題は、インフルエンザ脳症を少しでも防げるか、ということだろう。インフルエンザ情報サービス(中外製薬)では、「抗インフルエンザウイルス薬をのめば脳症は予防できるのか?」のタイトルで、下記のように解説している。

 インフルエンザ脳症がどのようにして、おこるのかまだわからないところがありますので、確信はできません。現在、インフルエンザの治療に使われている抗インフルエンザ薬は、インフルエンザウイルスの増殖を抑える薬です。ですから、早めの治療ほど、脳症になる確率は低くなるといわれています。いったん体の中に入ったインフルエンザウイルスは猛烈な勢いで増え続けて、症状が出てから2~3日後(48~72時間後)に最も数が多くなります。ウイルスの量が最大になる前、つまり症状が出てから48時間以内に抗インフルエンザ薬を使って増殖を抑えれば、病気の期間を短くし、症状の悪化や脳症などの合併症を防ぐことができる可能性があると考えられています。が、インフルエンザ脳症がどのようにして起こるのかまだ解らないところがありますので、確言はできません。

 インフルエンザウイルスが脳症に関連しており、増殖を抑えることができれば軽く済ませる可能性がある、ということのようだ。

 「可能性がある」ということは、証明されているわけではなく、期待が先行している状態ともいえる。果たしてそんなデータがあるのか。

 中外に聞いてみた。小児において脳症の発症を防ぐことができるというデータはないという。そして紹介してもらった資料が、『オセルタミビル(タミフル)でインフルエンザ脳症の発症が予防できるか?』(小児内科 36巻12号1962-3頁、2004年)

 インフルエンザ脳症はわが国に特有の疾患で発症頻度も低く、オセルタミビルの有効性については十分なrandomaized controlled studyがなく、エビデンスは確立されていない。現時点では、その治療的有効性は以下の諸点から否定的である。
 1)インフルエンザ脳症は発熱から中枢神経症状の出現まできわめて短時間であるため、発熱をみてからオセルタミビルを服用してもおそらくはすでに病態形成は進行してしまっていること、
 2)インフルエンザ脳症はインフルエンザウイルスの感染が引き金になってはいるが、病態形成の中心はウイルスによる細胞障害ではなく、免疫システムの過剰反応すなわち中枢神経系内の過剰な炎症性サイトカインの産生・放出にあること(cytokine storm)、
 3)オセルタミビルはウイルス感染を阻止する薬剤ではなく感染細胞内で一度増殖したウイルスが放出されることを阻止するものであり、cytokine stormの発来は防止できないこと などである。

 しかも驚いたのは、この文献の著者は、あの、つい先日までタミフルと異常行動の因果関係を否定して、メーカーから多額の資金提供を受けていたと言われるY教授であったことだ

 タミフルを服用しても脳症予防や軽くすませることが期待できないということは、服薬するか否かの焦点は高熱で苦しむ期間を短縮することに向かってくる(ハイリスク患者ではない場合)。いつもより元気のないわが子を少しでも楽にしてあげたいという親心が、1日程度罹病期間を短縮させるために服薬の選択にかかわっているようである。

 そのためにタミフルの危険性を推してまで服薬させるかどうか、ありと考えれば処方を受ける、そこまでするほどのことはないと判断すれば服用させない。いきつくところ、親の判断に委ねざるをえないのだろうか。決めかねている場合は、どちらかの道を医療従事者が勧めることになるように思うのだが・・・ 
 
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必要な人にだけタミフルを

2007-03-27 19:04:34 | よくわからないこと
タミフルの添付文書中、<効能・効果に関連する使用上の注意>に、

治療に用いる場合には、抗ウイルス薬の投与がA型又はB型インフルエンザウイルス感染症の全ての患者に対しては必須ではないことを踏まえ、患者の状態を十分観察した上で、本剤の使用の必要性を慎重に検討すること。

 という記載がある。「全ての患者に対して必須ではない」ということは、薬剤投与の必要性が高い人から低い人までいるということだ。
 どういう人が低そうかと中外製薬に尋ねてみたら、
・日頃健康で体力のある人
・発症後2日以上経過している人
 ということであった。

 これらの多くは成人の場合かと思われる。成人でも罹病期間中、程度を軽く過ごしたいので、服薬を希望する人はいるだろう。

 さらに「使用上の注意の解説」という資料内では、

一般にインフルエンザウイルス感染症は自然治癒する疾患であり、患者によってはインフルエンザウイルスに感染しても軽度の臨床症状ですみ、抗ウイルス薬の投与が必要でない場合が考えられます。患者の状態に応じ、本剤の必要性を十分検討の上で使用してください。

 となっている。「軽度の臨床症状で済み」と言う部分はどうだろうか。突然高熱に見舞われることが恐ろしさを感じさせなくもないが、諸外国ではとくに服薬せずに過ごすということと符号し、一般的にはひどく驚くほどのことではない、と解釈すべきようにも思われるがどうだろうか。

 ハイリスク患者ではタミフル服用が考慮されるように言われているが、インフルエンザに罹患することがハイリスクな患者ほどタミフルの危険性も高いという意見があり悩ましい。

 10歳代の方針はおよそ示されたとはいえ、10歳未満の必要性はこれから考えていきたい。脳症の防止にどれくらい寄与できるかどうかがポイントだろうか。その期待はあるようだが、証明されているものではなく、過度に期待が先行してはいけないのかもしれない。
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「安全ですよ」では安心できない

2007-03-26 11:21:15 | よくわからないこと
原発トラブル発覚続発、電事連会長が記者会見で陳謝 2007.3.23 読売新聞より 抜粋(転載)

 原子力発電所の臨界事故隠しや制御棒の脱落事故などが相次いで発覚した問題で、電気事業連合会の勝俣恒久会長(東京電力社長)は23日の記者会見で、「電力業界の信頼を損なったことを重く受け止め、謝罪したい」と陳謝した。

 記者会見で勝俣会長は「ルールを作っても組織全体に浸透させる難しさと責任を痛感する」と述べ、電力業界の社内風土にも問題があったとの認識を示した。

 東電福島第1原発で78年に制御棒5本が脱落した問題については「操作ミスの可能性が高い。他社との情報共有も欠けていたと反省している」と謝罪した。

 一連の事故隠しなどで、電力業界が受けた打撃は大きい。電事連は10年度までに16~18基の原発でプルサーマルを行う計画だ。勝俣会長は「地元との信頼回復に努めれば計画実現は可能だ」と強調した。しかし、相次ぐトラブルに対する地元自治体の反発は強く、現実には「スケジュール的にはまず難しい」(経産省幹部)との見方が大勢だ。


 何年も前の制御棒トラブルを今まで公表して来なかったことに対し、電力会社では「地域住民が不安になるといけない」と述べている。さも住民を気遣ったような表現であるが、公表せず今まできたということは、電力会社にとって最も本意ではないはずの「意図的に隠していた」「隠蔽体質」という評価になってしまっている。

 これからのプルサーマル計画がスムーズに進まないことを懸念していると聞くと、守っていこうとしているのは地域住民に向けた安全確保や不安解消ではなく、その後の電力事業であり、事業の継続、会社の存続、自分達の立場のように映る。

 どうやって国民に安全であることを説明してきたのだろうか。具体的なことにまでは触れないまま「こうやっているから安全だ」という程度の説明に近いことはなかったのだろうか。

 タミフルにしてもメーカーから寄付を受け身内ともいえる学者が“安全宣言”をしても、国民を信用させるには不十分であった。起これば重大な事態になりかねないことに対して、まず情報公開し、それも国民にもわかりやすい、納得のいく形で説明してこそ、安心が得られるのだと思う。
 ではどうすれば「納得が得られるか」については、次項で考えてみたい 
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変わったという不二家に行きますか?

2007-03-01 18:47:02 | よくわからないこと
不二家が菓子「安全宣言」、チョコやクッキー本格再開(読売新聞) - goo ニュース

 不二家の桜井康文社長は1日、記者会見し、大幅に減産していたチョコレートやクッキーなどの菓子について「安全宣言」を行い、本格的な生産を再開することを明らかにした。

 製パン最大手の山崎製パンから技術支援を受けた、米国の食品安全基準「AIB」の導入が完了し、衛生管理面での体制が整ったと判断したためだ。ただ、店頭から不二家商品を撤去している大手スーパー、コンビニなどが、早期に販売再開に応じるかは不透明だ。

 また、消費期限切れの牛乳などを使った洋菓子を製造・出荷していた不祥事が発生した埼玉工場(埼玉県新座市)を含む洋菓子5工場の製造再開は、従業員教育などに時間がかかるため、3月中旬とする。


 大手スーパー、コンビニが販売再開に応じるかどうかという問題もあるが、本来は消費者が買うかどうか、ということではないのか。同じようなことにも見えるが、小売店に卸してしまいさえすればいいと思っているとしたら違うだろう。

 雪印は、ブランド力はあっただろうが、「オレだって寝てないんだ」の一言が決定的に社会の反感を買って、衛生管理の不安よりも、一種の不買運動が起きたように思えた。だからメグミルクに変えてみても、復活しなかった。

 ペコちゃんにせよレストランにせよ、ファンはいるようだし、期限の捏造はいただけないが入院騒ぎのような健康被害は見られていないのだから、雪印ほどのことはないように思う。

 お菓子やケーキさえ製造販売再開にこぎつければいいのではなく、せめてペコちゃんや店員の衣装を一新するとか、店舗の改装なども含めて、会社の体質が変わったことを顧客が実感できるように示してほしいと思う。工場の設備的、管理的問題だけではない。それが信用の回復につながるのではないか。
 また売上げを取り戻そうと価格を吊り上げたり、フランチャイズに制約をかけたり、品質を落としたりしたら、新たな火種をふりまくことにもなろう。

 その上で社会が許すかどうか、しばらくは「仮免許」と一緒だろう。そこで異物混入や類似事態の再発でもあろうものなら、その時は覚悟せねばなるまい 
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「忠誠心を問う」側近がいる

2007-02-20 13:21:24 | よくわからないこと
「私語なし」「全員起立」幹事長の批判に発言相次ぐ
2月20日12時44分配信 読売新聞

 自民党の中川幹事長が首相が閣議前に入室する際に起立しない閣僚や、閣議で私語を慎まない閣僚を批判したことをめぐって、各閣僚からは20日午前の閣議後記者会見で発言が相次いだ。

 甘利経済産業相は「首相が入ってきて席を立ち上がらない閣僚は一人もいない。閣議や閣僚懇談会で私語が交わされることはない」と述べた。山本金融相は「(閣僚間の)連絡調整の時間がとれないので、重要なことを話し合っているケースが多い」と指摘した。

 高市沖縄相は「能面のように全く会話を交わしていないのは、かえってまずいと思い込んでいた。今後はそういったことのないようにしたい」と語った。

 中川氏が閣僚に絶対的な忠誠心を求めたことに関して「忠誠心が欠けている閣僚は一人もいない」(冬柴国土交通相)「言われなくても分かっている」(渡辺行政改革相)などの反論が出た。


 総理大臣の入室が、教室に先生が入ってきて、自動的に「起立」の号令がかかったようなものなのでしょうかね、子供みたいだけど。
 閣議が始まるんだから、それまで雑談していても切り替えろ、という意味ならわかるが、「忠誠心が欠けている」というのは・・・?わかっていてもダラダラしているとしたら、総理大臣の求心力がないのかも。
 
 忠誠心を問うところに、今日も有意義な会議にしよう・始めようといった中身を重視する姿勢ではなく、権力に従え、言われた通りにしろ、といった圧力が滲み出ているように感じる。そうであれば閣議でも容易に異論をはさめず、言ってもしょうがいない、総理が白と言ったら白なんだといった、検討も生半可なものにならざるをえず、骨抜きでゴマすり優遇の空しさを感じないだろうか 

 そういうのを「裸の王様」というのではないか 
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安全管理に主眼が置かれていない

2007-02-13 23:13:19 | よくわからないこと
リンナイ、事故情報の収集が不十分(読売新聞) - goo ニュース

ガス機器最大手「リンナイ」(名古屋市)製のガス湯沸かし器で一酸化炭素(CO)中毒事故が相次いだ問題で、同社の過去の事故情報の収集が不十分だったことが分かった。
 過去の事故に関する記録が不十分で、同社は、今回発表された5件以外にも「社として把握していない事故が存在する可能性がある」としている。

 同社は昨年1月、製品の修理を行うサービスショップや顧客からの情報集約を強化するため、品質保証部内に「QI(品質情報)センター」を設置し、再発防止策の検討や製品開発などに生かそうとしている。しかし、それまでは社員が新聞記事で見つけたり、ガス事業者から任意で提供されたりした事故情報が主だった。
(以上、読売新聞 2007.2.13)

 リンナイはいつの創業開始だか知らないけど、なんと1年前まで安全管理を主管する部署がなかったということのようだ。当然、開発部署はあっただろう。販売部署(いわゆる営業)もあっただろう。製品の不適合を当然扱う部署だってあってよさそうなのに。

 自ら積極的に集めず、場当たり的に行っていたとは、会社の文化が透けてみえる。

 現在、製品の無償点検を行っているが、事故の機種は限定されているようだから、無償で問題のない機種に取り付け直してあげたらどうだろう。
 ホームページは昨日と少し変わって、前面に事故のことが取り上げられたが、主張しているのは正しい使い方をしろ、ということだ。つまり湯沸かし器の問題ではないと考えていると、暗に言っているようなところがある。パロマとは違った不気味さを感じる。
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