
「旅籠」は、元々は旅の折り馬の飼葉を入れる籠(かご)の事を言う。
それが何時しか旅人の食糧等を入れる器の意となり、転じて宿屋で出さ
れる食事の意味になり、更に食事を提供する宿屋の事を旅籠屋と呼ぶよ
うになり、旅籠と略された。

旅籠に於ける飯盛女の存在は、「宿場」に立寄る旅人だけには留まら
無かった。「留女」「女中」「飯盛女」等若い女が宿場町に働きに出て、
その姿が消えた近隣の村々からも男達を引き寄せ、経済的な繁栄には、
欠かせないものであったらしい。それだけに幕府も無下には取り締まれ
ず、黙認するより仕方が無かったという。

飯盛女を置く旅籠は「飯盛旅籠」と呼ばれていたが、置かない旅籠は
「平旅籠」或いは単に「平宿」などと呼ばれていた。
しかし中には強引な「留女」の客引き行為を嫌い、「飯盛り女」を疎
ましく思う旅人もあった。特に一人旅や、訳ありの旅人、行商人は好ん
で「平旅籠」を使ったといい、更に安く上げるため、利用したのが、女
無し、食事無しで泊まる「木賃宿」である。

当時旅人の中には携行食の乾し飯(ほしいい)を持参する者もいた。
現地で調達した食料を持ち込んで調理場を借り自分で調理して食べる旅
人もいた。勿論宿代を安く上げようとの意図もあり、こういった人たち
が煮炊きのための薪代を払って泊まっていたから「木賃宿」といった。

当時では最下層の宿ではあるが、今でも簡易宿所のような安宿を木賃
宿等と言うこともある。食事なしのスタイルは今で言うビジネスホテル
に近い。食材持ち込みは、温泉地等に多い湯治宿に似たようなものだ。

こうして多様な宿泊スタイルは存在したが、それでも安心して安く泊
まれる宿を要望する声も多かったという。
それに応えようと後々には健全化を目指す旅籠の組合や講社なども出来
たようだ。(続)(写真は守口:本文とは無関係)
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