日本三名園の一つ「岡山後楽園」は今から凡そ300年前、14年の歳月をかけ、
岡山城が見下ろす旭川の岸辺に誕生した。
藩主池田綱政公は、その当時全国の大名家の間で流行していた庭園造りを思
い立ち、家臣の津田永忠に命じたのがその始まりとされている。
門を入るとまず目を引くのが、ほぼ全面に植えられた広大な芝生の広場である。
その中に大小さまざまな池が掘られ、それを640mにも及ぶ曲水が結び、そんな中
を巡るように園路が縦横に張り巡らされている。
園の中央には小山が築かれ、亭舎や茶室、祠等が各所に散りばめられている。
更に深山を思わす滝、四季の移ろいを感じさせる森や梅林、桜林などが彩りを添え
ている。ここは歩きながら移り変わる景色を眺め楽しむことが出来る「林泉回遊式」
と呼ばれる大名庭園である。
開園当初の園は今のように全面芝では無く、この姿になったのは明治に入って
からである。春になると鮮やかな緑色の絨毯を広げたように美しい芝も、秋になる
と次第に枯れ、落ち着いた茶色に変っていく。
そして2月には新芽の息吹きを促し、害虫駆除のため芝焼が行われると一面
真っ黒にその装いを変える。
後楽園を明るく彩る芝は、日本古来の「ノシバ」で、四季折々違う顔を見せてくれ
るのもこの園の特徴となっている。
園内には田圃や茶畑もある。
元々お城近くの田畑の場所に造られた園であったため、当初園内には広い田んぼ
や畑がそのまま残されていたとされ、それはその名残を今に伝えるものである。(続)
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岡山城が見下ろす旭川の岸辺に誕生した。
藩主池田綱政公は、その当時全国の大名家の間で流行していた庭園造りを思
い立ち、家臣の津田永忠に命じたのがその始まりとされている。
門を入るとまず目を引くのが、ほぼ全面に植えられた広大な芝生の広場である。
その中に大小さまざまな池が掘られ、それを640mにも及ぶ曲水が結び、そんな中
を巡るように園路が縦横に張り巡らされている。
園の中央には小山が築かれ、亭舎や茶室、祠等が各所に散りばめられている。
更に深山を思わす滝、四季の移ろいを感じさせる森や梅林、桜林などが彩りを添え
ている。ここは歩きながら移り変わる景色を眺め楽しむことが出来る「林泉回遊式」
と呼ばれる大名庭園である。
開園当初の園は今のように全面芝では無く、この姿になったのは明治に入って
からである。春になると鮮やかな緑色の絨毯を広げたように美しい芝も、秋になる
と次第に枯れ、落ち着いた茶色に変っていく。
そして2月には新芽の息吹きを促し、害虫駆除のため芝焼が行われると一面
真っ黒にその装いを変える。
後楽園を明るく彩る芝は、日本古来の「ノシバ」で、四季折々違う顔を見せてくれ
るのもこの園の特徴となっている。
園内には田圃や茶畑もある。
元々お城近くの田畑の場所に造られた園であったため、当初園内には広い田んぼ
や畑がそのまま残されていたとされ、それはその名残を今に伝えるものである。(続)
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